まあこれでもまもってるつもりなんだよな

まあこれでもまもってるつもりなんだよな

まもってるのよ、まもりたいのよ。そのあたりをね、すごく



やっぱ狂気って

生活のすみずみまで

それこそ、指先一本までに

体系がいきわたってること、

だと、

思う。



だから、せまいひとのほうがすきなんだよなあ



こころに

おもった

ことを


ふっ、と、


くらいの記述であります。ここは、ね。まあいまんとこ。たぶん。暫定的に!



「キリスト教のほうがアクティブだから救済なのよ」


と、独断的そして個人的にはまあ、そう思う



私は、えらばれた

たしかに、えらばれたのだと思う

けど、それは、私がえらばれたことばかりでは、ないんだよ


私も、えらんだんだよ。


自分のせいにしろ。どうか。

ひとのせいにすることなんて

そっちのほうが依存で、不自由で、くるしくなってるんだってどうか、

気づいてくれ、いや違う、この言い方だと私は「ひとのせい」にしている、


どうしたら私は彼らにそのことを気づかせて、


ちがう。


私がどのようにふるまえば彼らにそういうふうに思ってもらうことができる?


と、

こうやって。どうか。

こうやってこうやってこうやって。



「なんでわかってくれないの?」ではない。

「どうしたらわかってもらえるの?」が基本。


私は当たり前のごとくそう思うんだけどなあ。やっぱ世間はそーでもないのだろうかね。


私のもとに善意あるいは善意のようなものが集まってくるのは、

私が善意あるいは善意のようなものを振りまいているから、だと思うよ。


悪意のある人間の敵はより悪意のある人間、ではない。

悪意のある人間の敵は悪意に対応しない人間、なのだ。


きょうも独断的にそう信じ続ける。

それがやがて最強の祈りになるのだと信じて、祈って。



発見、とは共通項を洗い直すことでもありますからなあ。


たとえば私が「祈りとは、」とあくまでも仮説段階で発見したみたいに。


詳しくなくて、勉強中で恐縮だけど、

仮説演繹的な思考もきっと、そうで、

「祈りの共通項とはなにか?」という私の仮説がもし、もしも正しいのであれば、


利用、してもらえる。

プラグマティックに。


有用なことに価値がある。

影響を与えることに価値がある。


利用されることをおそれるな私よ。

どんどん利用されて不当に搾取されたほうがいい、むしろそうあれ。

こちらが費やしたものに対して不当なものを受け取れ、もっとだ。

そういう経験をくりかえしてくりかえしてくりかえすことは


与える


と、いうことになる。

そしてそれは私がそれ以上に、


与えられる恵み


で、あるんだ。


だって私はその精神があったからあのひとともであえたのだとおもう

であえたというのは知り合っただけではなくまことの意味で

その、ずっとずっと、まことのところへ


さあ、利用してください。

そして私はもっと利用価値の高い人間になろう。


プラグマティックな世界は円環のようでいて螺旋状に上昇していく。

螺旋状の人類史はいつか神に到達して、

人類は、神にようやく出会うことができる。その御姿を、御簾ごしではなく。


そのさまほどうつくしいものはない、

美にまさる美は 包括的なものなんだ。


こうやっているかぎり私は美にふるえ続けることができる!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る