なんでもしちがつ

らくえんにいく



私は、きみのゆめを

かわりには みれない



ティムティート



ものがたりで、しゃべれれば

それでいいだろ、ふだんがどうでも



子どもについての夢をみる 親も、

その子どもについての 夢をみる

そのせつなさはたぶんどちらもおなじなのだな、と、



きのう、なにをかんがえて

いきていたのかも

おぼえてない



「むかし私が仲のよかったクワガタ」



ちがうひとは、それでいいけど

知識から そういう知恵の実の子でないひとは

いのちの実の子たちは知識なんていらんけど 離れてていいし、それはこちらの仕事だが



知恵の実を食べた食べた、というのなら つぶしてあげるのはむしろ、優しさでしょう 面倒だけどね、これは優しさ



面倒なんだよ こんなのわきまえかかまえじゃんそれだけなのにさ、







ひとはなぜきずつくのか

不当、不遇

けれどそんなのいってるじてんで

それっていうのは、傲慢だよねえ

なぜそんな自分をえらく思える

人間なんて、ひとりの人間でしかない、

最初からえらいことなどありえないし、

えらくなるまでは、えらくないのにな、

当然のこととと思うけどやはり



あるいは、自己防衛 まもるだけ 自分を

わかってる、きっとここまで言うのは

否定しててもにぶくなること

鋭さと逆

このとしになってやっと、私、

にぶくなれた ひとなみ ひとのなかで生きられるほどに

でもそれはにぶすぎるのか

でも、

いちいち傷ついていたらやってらんない

泣いたって 涙はないし 涙はないけど

どうして私がとかいうあれ、

あれは 私はもうないよ、

しょせん自分は自分だろうよと

どうして、そこまで、傲慢になれる?

不当とか不遇とか いうくらいに



しかもそれは人間の本質的な性質







詩編28を読んで

生きることのうつくしいことに

ただ、打たれる 24歳最後の日、最後のひととき

きっと うなだれている うつくしすぎて

希望が、ありすぎて

(誕生日がうんぬんとか どうでもいいんだと思うこの歳ではもはや

 けれど、けれども 歴史はいっかいかぎり

 いっかいかぎりの必然性

 そんなもの それだとしたら

 24歳 つまり四半世紀の直前のいまこの依るに

 聖書を読むこと 詩編 28を読むこと さもありなん)







人間だったら 生き残れなかった



きみからの きみからの通知だけを

受けとりたい



きたないむしをみたときの感覚



パラレルワールドならどうするか 永劫回帰なら変えるのか 百億回繰り返すとしたら何パーになるか、

可能性 そのたぐいの可能性はたぶん

弾力性

ささいなことでは、変わらない ひとの個性の本質は、弾力性

この電車にひとつ乗らなくて一本遅れたとしてもたいがい、そのひとの人生は変わらない

不登校でも学校に行ってても私は私だったろう

そのくらいの意味

ただ、電車で大きな事故にあったり

選んだ学校 内申書見なければどこでもよかった学校で、たまたま、

○○に出会ったことは 弾力性、でもあるかもしれないけど

そうやって「弾力性を飛び越えていくこと」が、運命、運命性







ころすこと

ころせてもころさない、こと

手を離れるのを、よろこぶこと、私の手を

私のことを忘れて私の影響下で

私がすくったから ころさなかったから

ただ、そこにあることを よろこぶこと



ああ、だから、

神はすごい



慈愛なんて、かたち以外に、

感情なんかに、どこにあらわれでるというのだろうか





むしがむしであることを自覚できないのはしかたない

ゆるしてあげよう、とは思うけど





いつだってきみのほうが

ほんのすこし、すごい





ひろいひとは狭さを目指す

せまいひとは広さを目指す

そして、私は前者であり、

前者であることを誇っている 才能 稀少性





狭いからひろくありたがる ひろいことをやたら、誇る 自慢したりする ほんとはひろくあることなんて広いひとにはとてもかんたん

でも、だから、私はひろくありたがり 狭い

とても限定的なものをとてもだいじにして狭く深く抱いて生きてる それこそ、海の底のように

ひろいひとはひろいから狭くありたがる、狭くありたがる 狭いことがありがたい

身内とか親友とか仲間とか地元とか そういうやつ

ひろいからせまさにあこがれる

でも、それは、小さい

劣ってはない だが、それは星座のつくり手の領分だ





億、単位の文字くらいは 書いてみたい 生涯

さいわい、いま気づいた 人生がまだ50年以上あると思える二十代半ばのいまに

できる、やる、なしとげる

なにごとも いちばんであれば、意味はある

たとえ文字数とかいう本質でなくとも もっとも高ければ その時点で、意味がある

(ギネス、なんかも そうでしょう?)





カテゴライズ、できないんだろうな。私という人間は。

私がずっと試みてきてついにカテゴライズさえもできていなく、天才、というのは私の最後の人間へのいわば求愛だったけど、もっと、黒くて大きくてたぶん危険な光だった、

ましてやほかのひとは私をカテゴライズできないのだろう。

そのざわざわは、想像することならできる

さぞかし、ざわつくのだろう 相手の 人間の、こころが



それでも、私は私だし

でも、だからこそまわりは

ざらつくざわつくむかつくいらつくむしゃくしゃする、なんか、こびるおもねるかんしゃしたくなるしたしくなりたくなるいいこだよねえって言いたくなる、

まるで 意外とあのひとは、と笑うときがそのときそのものが 勝利でもあるかのように



私を関係性であってもカテゴライズできるひとはレアだしそういう意味ではとくべつ、だ、

長女としての子ども 友人

彼の彼女

でも、ほんとにそのくらい

そのくらいだ



カテゴライズできないからって私を疎外した疎外しようとする人間という存在に滑稽に媚続けた私のことなどだれもあたたかくは笑ってくれないし、それならこんどは人間の街を足の裏で踏み潰しながら踊りたくなっちゃうのも そういうもんでしょうよ、性でしょうよ、

私がたとえなんであっても、

私はいきもの、私はまったき人間

傷は、あるのだ、媚び続けた主人と思ってとってもがんばったのにそんなそんなそんなちっぽけだなんて、

理不尽だよ。





優しい、んじゃなくて たぶん

単なるコストパフォーマンス

を、追求してるだけ

最小限のコストで最大のパフォーマンスを

人間関係において、実現したいだけ



彼は、それを

「お節介」と言って 笑ってくれるけど





攻撃してくるひとを

攻撃しかえしてちゃ、だめだよー

それはおなじだもん





あんたに理性があるならそれは、

ゆるす



ああ、そうだ

私は、人間全体にゆるされたいんだ 人間に

人間は神ではないけど世界で

だから人間全体、というのは世界、

世界に、ゆるされたい その象徴的な表現の本質はきっと、ひとにゆるされたいということ

ひと、ひと、ひと

まわりのひとは みんな、ひとだ

すべてのひとに嫌われないことだってむずかしいしすべてのひとに好きでいてもらうことなんて無理な

ましてや、ほかのすべてのひとたちにゆるしてもらうなんて、無理。

だいたい向こうは自覚もないかもしれないのだ そりゃそうだろう、人間、などといったら知らないひとだって含まれるのだ それこそ、何十億の

知らないひとにゆるして言われてもわけがわからないかきもちわるいだけだろう

私を知ってるひとだってなにも私を罰しているつもりはない だって私はそのひとになにをしたわけでもないのだ、ほとんどの場合

けど、けど、けれど

きっと私はそこにばかり救いを乞うてる

人間全体に、救いを、乞うてる



ゆるしてと

どうぞゆるしてと

どこまでやったらゆるされるのか、と、



……ゆるされることなどほんとうにありうるかさえ知らないや

彼だけは、べつだけど。

人間のことは、わからない……。



人間というのはほんとひろくひろくひろくで

まわりのひとも、だし

電車ですれちがったひと 店員さん バイト先のひと

もう、あらゆる、みんなみんなぜんぶぜんぶ

私は、見下すようにして、そのじつこんなにも、こんなにも、救いを救いだけを、乞うている







好きなだけ本を読める、から

好きなだけソシャゲの課金ができる、へ

そうすれば お金の本質を

すこしは私も、つかめる?

(ソシャゲの課金、好きなだけは危険

 だが、それをもってしても、きっと本だっておなじこと

 本は なまじいまは安価でも手に入りうるから 目標としては低いのかもしれない

 低い より低い そりゃだめだ

 「うちは貧乏」わかってる、だがわかってなかったか

 貧乏というのは、ソシャゲの課金にためらいが出るということだ

 それくらいなら ならば

 目指そう、金を 金もちを

 きっと私がいままでさんざん金まわりに苦しめられたからこんなこと思ってるだけでしかも、

 苦しめられたのは子どものとき

 お金の本質などわかっとりゃせんかったときだ

 なにごとも 手に入れなければ本質などわからない じつは想像すらできず、偏見がたまっていくだけ 誤解も

 それはとても小さく低くあわれなことだ

 それだったら、金、金をも

 私は人生で金をも求めなければいけないらしい。



 でもそうだったよな 人権も地位も立場も名誉もかわいさも人気も偏差値も学歴でさえも

 手に入れれば、わかった

 手に入れなければすべては遠く遠く遠く だったら、

 やはり私は金を手に入れなければいけない

 感情でなくていい 金がほしい、と思わないと

 きっとそこからが資本主義経済において不器用な私のスタート)







私の世界を濁らせないで

ほんとうにそう叫びたいけど、生きていれば というか生活していれば、

世界は濁るものだ

ほんとうに不愉快で

不愉快で

きもちわるい

汚物を見ればこうなるのは道理

嫌というより げんなりする

まるでいまの季節の夏バテみたいにさ



世界は尊いかもしれない、ひとしく、価値あるものなのかもしれない。

あるいはそうであろう。

けれども私にとってはつまるところやっぱりどうしても

あのひとだけで、

濁りそうになったとき

自分までも汚物だと思いそうになったとき

どうにか、どうにかと、思い出すのは

思い出すため、

私はいつでもブレスレットをしているしボールペンを持ち歩いているし眼鏡ももうすぐ、

想い出のものは部屋にたくさんあるしスマホにも、

文章、できごと、ことば、

なんでもなんでもいいからともかく、思い出さないと

やってゆかれないの。私にとってとてもだいじで、

私なんかよりきっとずっと高く大きい、そしてずっと狭く、

だからこそ星でしかありえないのね。



私の世界を濁らす要因はたくさんある、嫌になるくらい。

私の世界の純度を引き上げてくれるのは、

ねえ、きみだけなんだということは、

私にとってかぎりない奇跡だよ。



だからどうかそのまま私にとっての光でいて。

私なんかよりずっとずっとずっとまばゆい、光でいて、

その光で私の世界の純度を引き上げて続けてほしい。どうか、







ほら、こんなにきれいでしょって

見せてあげたい 私の仕事



きれいなものをきれい、と言いきれて

見せられる

そういう才能なら、ある、きっと私は





だれしも、地獄がある

想像を絶する

たしかに私の地獄がわからないひとは多くいるだろう

だが、私のわからない地獄をもつひともたぶん多い 私は小説読んできたからまったく知らないわけじゃないし、なにより、知らないことは知らないのだとわきまえてはいるけれど



地獄を察する能力

いわゆる、想像力?中学のときああやってさんざん議論したやつな





笑顔のほうが、大きいはるかに

けなすより 冷笑するより 馬鹿にするより

笑顔をむけるのってすっごくおおきいこと

もちろん、むずかしい 虫にも思える相手に笑顔を向けること

きもちわるい虫にも笑顔を向けること

だが、虫には虫の 倫理が幸福があるのだと、

おなじ生きものなのだからと

そこに落せるのは 圧倒的に大きなこと。

ひろい。



もっと先に行く、私は、

見下す方面にしない。たとえほんとに上であっても見下すことは低いこと、

さらなる高みに行くためのみに、

私は、自分をひくくしたい。

もっともひくく。

へりくだる。

それが、いまの、最頂点への道。

頭を下げることがもっとも頭を上げることになる、と、



うん、聖書なんだよね。

神はひとり子を送られるほど世を愛された

神はへりくだった

受肉。そのことの真実なのか、あるいは

私なんかがおこがましいとは思い続けるけど、でも、

「キリストにならう」のは、かくあるべきだよね。

きっと。





♪化物/星野源







中村うさぎ『愚者の道』p86を読んで



光を、もどす

なるほど

なるほど、なるほど、なるほど、

そうとは考えなかったな

そういう発想もあるのか ありだな



「光あれ」と神は言った 世界ができた

それをふまえたうえで

サリンジャーが『フラニーとズーイ』で言ったところによれば

禅思想とは、光ある前の闇の世界に戻ることだと。

中村うさぎ氏は神とは「客観性」だという

だから、光がなくなり闇と混沌の世界に戻れば

キリストと太ったおばさんの区別もなくなる、と。

救済だ、と。



私はこれは退化というべきなのだろうけど

どうも、どうにも

それもひとつの救済の可能性でありえると、充分そうだと、そのことだけはわかってしまいますからなあ







価値と意味の差異





私が、むかし、とてもさみしかったことにかんする仮説 むかしとは高校一年から二十二歳前半あたりまで つまり私の人生の第二章において

いまは第三章だよ、まったくさみしくないよ

さみしい病が治ったのはひとえに彼氏の存在のおかげという前提のうえで。しかも彼に依存するというかたちではなく、かといって彼に自立を促されたわけでもなく、私は、私自身おのずから さみしくはなくなった。

まあ彼がいたからなんだけど。いたからこそ



以下、仮説

ひとつ。思考速度が自分で制御できていなかったこと。いまもそうそこまで制御できてはいないけど、前よりはまし。すくなくとも振り回されることはなくなった。

と、いうのもあるだろうけど、きっとそれ以上に、

ふたつ。私のなかについに他者が存在したから。彼のことだ。たぶん、はじめてだ。家族でもなく、いわゆる親友でもなく、彼だった。

正確に言うなら私はいわゆる親友の彼女は自分のなかに住まわせようとした、だがそれは住まわすなんていう使役動詞を用いていた時点で失敗の試みなのだ。彼女にとっても失礼なことだった、だから彼女が「神格化された」と怖がって逃げるのは道理だし、むしろそうあるべきだった、いまも細くともこんなにも長く私と友人でいてくれていることを私は心底感謝している。彼女は彼女で当然すごいひとだが、私のよりかかりに耐えられないのは当然のことだ。だって重すぎる。

父、母、いわゆる親友。ぼんやりとでも私のなかにいたのはきっと長らくその三人だけ。あとは個別の人間として認識はできても、自分のなかに存在させることはあ困難だった。

つまり私はひとりでいるときに他者のことを思い出せなかった。名前や関係性くらいはわかる。けどそのひととのエピソードとか、容姿とか、声とか、よくわからなくなっちゃってた。まじで。

会ったり電話で話せば思い出すのだな。ふしぎなことに。

だから予定を埋めたがったし、電話魔だった、

たぶんほかのひととはさみしさの意味が違った、のかもしれない。



私はひとりでいるときほんとうにひとりぼっちだった



だが、彼がいる。

いまは、彼がいる。

彼は私の世界をも飛び越えてきた。



ひとりでいるとき、彼のことなら考えられる、想い出せる、

ああ、……私はひとりではなかったのだな、と、







変態ごっこ 天才ごっこ

ふつうのひとたちの、遊び お遊び

ほんものはお呼びじゃないのだ





世界の、どこがつまらないというのだろう

もううつくしいものは語り尽くされてしまった?あるいはここは現実で、もう夢見ているひまもない?

ばかいえ

たとえば、通学でも出勤でも用事でも

駅に行くまでの道 ひかり 温度 湿度 季節と時間帯と天気 複合的なそれら

空はいつでもそこにあるし 空気はいつでも色づいている

満員電車にも、愛はある

どこが どこが

こんな世界のどこがつまらないというんだ



こんなにうつくしい世界のどこがつまらないの?



まさか、本気か もしかして、本気で

きれいとも思ってないひとばかりなのか

空に 風に 水に 光に

愛に、

心が震えないのかまさか ほんとうに



もし、そうなのだとしたら、そりゃ、齟齬が生まれるわ。



見せてあげたい。

おなじ人間なんだから、見せてあげたい。

世界はこんなにも目覚めるほどにうつくしいんですよ、

って!





光に反射がないとつまらんなあ(さみしい?)

反射角とかたしかめたいじゃないの





私が通用しなくとも

私の感じてるうつくしさは、

万人に通用する しうる

自信





のこされていくのもつらいが

のこしてゆくほうが、つらい

(こんなことを思ったのははじめて)





幸せにしてほしい、ではなく したい、でもない

そうやっていてくれることが私の幸せだ

たぶん向こうもそう思って理解者でいてくれるだけでいいと、言うのでしょう。

私は向こうに対してはもっといろんなことしたくなるよ 生きやすくなるよう 幸せになれるよう

でもそれってのはけっきょく本質ではなく。

いてくれることが そばにいてくれることが、しあわせ

私からするともどかしいが、私だって向こうに対してはそう思う。

おなじこと、なんだ。ここまで極まって平等







狭さは、才能





虫の生態っておもしろいなあ。



近いひとは犬猫くらいにはみえるよ、まだ、ね



人間かと思って近づいたら犬猫でもなくハムスターでもなく

ただの虫だったとか

そういうグロを見せられ続けた私の身にもなってほしい

しかもその虫たちは自分たちが人間、それもとりわけすぐれた人間だとか思って馴れ合いという名の虫けらパーティーをやりまくってんだ 気持ち悪い。



だめだな、そんなの





私は世界の感性になりたい







だから、新陳代謝が必要なんじゃないか。人間の新陳代謝

人間関係は広くもつこと 新陳代謝 リスクヘッジでもある。





ほかのことはどうってことないのに汚いものを見たときのやりきれない怒りだけは持続する





うつくしくない、んじゃない

あんたが、うつくしくないだけだ

あんたが、うつくしくないのは、うつくしく感じることができないからだ、

感性





世界一 愛の重たいひとになる

それをちからに せかいをすくう

世界一 いやもっと 人類史 みらいいまかこ

すべてにおいての人類の愛の重たいさいちょうてんに立つ

キャラクターづくりのはなし ずっとむかしにきいたはなし 私の修行時代のほんとにはじまりあたりできいてとてもびっくりしてあまりのただしさにすこしいらっ、としたはなし

その特徴がいちばんでなきゃなんらいみはないのだ、と。

ああ。……なんかねいまこんなねこのようなかたちでね、わかってしまうんだよ。



私は、歴史に名を残したい、のかもしれない。認めよう。たぶん、そうだ。

けれどもそれはまったくもって自己顕示欲ではないよ。

彼を、愛を、証明するため

私がこんなにも愛されたこと、私がこんなにも愛したこと、愛のおおきさ、しんじつさ、ひろさ、ふかさ、とうとさ、

そしてなにより愛の

せまさ

証明するため



しょせん、狂気とカミヒトエ 愛は

けれど けれど 最高に、愛しい





まずは、いかに嫉妬させないように、か

うーん、むずかしい

だって私は嫉妬させてるつもりないんだものな

私は嫉妬、という機能においてはほぼあるいはまったく機能しないという意味においてはぶっ壊れてるのよ でもそれ嫉妬、という機能のはたらくひとの身で考えてみたらすげーいやだしやっかいだなあ 私



私を、私、と呼びうるのは世界で私だけ

そのことに矜持もあれば屈辱もある

運命愛、とはその事実を受け入れるだけで あとは規模の問題 優劣などないさとは思うのだけどねえ、なかなか

うーん……。



むずかしい。だが、やりがいでもある





世のなかの、できるかぎり多く可能であればどこまでもすべてを、

判定して判断して価値を下して記述したい。

そういう仕事を成し遂げたいし義務だ。







とにかく書きたい たくさん書きたい

まだ二十五歳 順当にいけばまだ五十年ある よかった だが、よくもない

人生は短い、あまりに

うそぶこう

人生は短い

小説を書くのには人生は圧倒的に短い。



ましてや私は愛し抜くのだ。





カフェとか観光地とかいいとこいろいろ

いきたいなーと思うとこ ついついいつも通りにまったり会うのも満足だしそれ以上に求めちゃうしねw



おしゃれかわいいというより、おもしろいカフェ

童話村

岡本太郎美術館 とくに、川崎?だっけの小さい記念品、岡本太郎が作業してたとこ 岡本太郎の作業スペース

はなやしき

レインボーのチョコミントケーキ



いきたいとこってほんといくらでもある。

さがそう。

いまのうちにあちこち行っとくことはまだ若くてべつべつな生活なうちの私たちの義務だわ。



(まあどうせねー、私なんかより、めちゃくちゃ知ってんだろーけどー……!)







教会では十字を 寺では合掌を 神社では柏手を

そのことが日本人の宗教観だ、とまではさすがに言わない 言えないが

そこにある種の美があるのはほんとう。

(まどまぎの杏子ちゃんのあのときのさやかのときの祈り、みたいにね)

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