家族、についての仮説

家族は、「かたち」は似る。受け継ぐ。遺伝する。

だが、「本質」はかならずしも、似ない。受け継がない。遺伝しない。

本質は似るほうがまれ。それはいわゆる「二世」がそうそこまで多く成功していないことからもわかる(要出展ではあるが。しかしもし本質が似るほうが一般的なのであれば、家業を継ぐことや親の仕事を継ぐケースがもっと増えているはずだ、それもごく自然に、素直に。「親の七光り」なんて言葉のほうが世のなか、よく意味が通る。であれば、やはり「本質」が似ない場合のほうが多いのだろう、残念ながら)。


「かたち」というのは、

外見的特徴、器質的特徴、習慣、文化、価値観、バイアス、など。

遺伝というとよく外見的特徴と器質的特徴が注目される。もちろんそれらも遺伝のうちだが、いわゆる「環境遺伝」も無視はできない。

他者と食習慣の違いで驚くのもそのためなのだし。


で、「本質」というのはまあ、むずかしいのだが、

「ふたりきりで話をしてみてとてもわかりあえた」みたいな現象が起こるかどうかってとこかなあ。

お互いすごく「遠そう」なのにじつはおなじところにいたってしばしばありえる。

変な表現をあえてするなら「たましい」でもいいんだろうな。

なんか、こう、このひとは同族だと、そう思える感じ。感触。感覚。



家族という形態のおもしろくも悲劇的なとこってそこで。

だって夫婦というのは本質どうしなんだよね。自分の意思で結婚したのであれば。多かれ少なかれ、本質どうしだからお互い相手に選んだわけで。いまうまくいってなくとも、かつてはね。

で、本質どうしのふたりから、「本質が異なる」子どもが生まれる。

たまたま、たまったま両親や兄弟と本質がおなじということも、ありえなくはないけど、

それこそ血のつながりは関係ないんじゃないかなあ。

家族と本質がおなじっぽいならそりゃ生きやすいだろうけどさ。そういう場合のほうが少ない気がする、見てきて。


本質がおなじ人間ふたりと、異なる自分。

だから、家庭は、息苦しくなる。



しかももっとも性質悪いことに家族って一般的には「本質も同質」なものとされているところなのよねえ。

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