夢で神さまに会った気がする
夢で神さまに会った気がする。眠りに落ちる直前の夢、というか。……夢だかすこしは現実だったのか、わかんないんだけれど。
なんか、私はすごく懺悔してて……ごめんなさい、神さま、いますぐにでもあなたのもとに憩いたいのに、そうできなくってごめんなさい、みんなのためと言いつつも、じつは自分が気持ちよくなりたいだけかもしれないし、なんと私は傲慢で、ごめんなさい……と。それはここのところずっと思っていたことだった。
すると天使があらわれて。ひとことふたこと言葉を交わした気がするんだけれど、なんだったかは思い出せない。
背景はミルクのような白だった気がする。
そのあと、神さまにお会いした。
神さまは、「待ってる」とおっしゃってくださった。
……これが、啓示なら。
私の一生を捧ぐことなど、なんともない、簡単すぎることだ。
あと、こちらは明け方だと思うんだけれど、××さんが怒る夢見た。駅だかどこかのエスカレーターを降りて帰っていってしまった。全体的に、近未来的で青かった。
××と××さんもいっしょだった。いつも通りにぎゅーっと笑ってなにも言わない××と、いつも通りに明るくとんちんかんなことを言う××さんに、なんか私はすごく苛々していた。
……夢とはいえ。××さんが怒ると、怖いんだなあ。まあそりゃそうか……。
プログラムが1バイトを削る戦いであるように、もっとも専門性が高く正確な文章あるいは会話表現は、いかに最小単位で概念を表すかの戦いであるべき。
文字数は、と一瞬思ったが、心理学でいうチャンクの概念を借用し、いち単語ごとにワンスタックと考えれば問題ない。
宗教というのは生まれもった文化や環境にもよるわけで。
それにより救済が決定されるのは、おかしくない?
神のご意志は人間の文化レベルで決定されるものではないはず。
もっと、大きいはず。
私の「知恵があること」に対する違和感というか罪悪感についても、キリスト教は的確に応じてくれる。
罪深いとわかりながらも、知識を求めてしまう。
知識を救済に用いるしかないと思ってしまう。
キリスト教における逆説の倫理、などと言ったらうそぶいてしまうことになるだろうか。
「からだじゃないもの」がこころじゃない?
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