ミスター・アンカル・シェロ

エリー.ファー

ミスター・アンカル・シェロ

 一人で生きていくのに、慣れたわけではないけれど。

 私は今日も、一人で辞書を読む。

 名まえは、アンカル。

 名まえは、シェロ。

 その前に何か付くとしたら、ミスター。

 どのような呼び方であっても構わないのだけれど、それでも、ミスターは外してほしくはない。名前以上に私には思い入れがある。

 ミスターというのも、自分から他の人たちにそう呼ぶようにとお願いして回ったのだ。尊敬する人がいて、その人がいつも周りからミスターと呼ばれていたから。

 あやかった、ということだ。

 端的に言って。

 そのように憧れから入れば、自分も同じような能力が手に入るようになるではないか、と踏んだのだ。それは、ある意味、現実から最も遠い成長方法を選んだということでもあったのだけれど。

 私はそれはそれで満足していたのだ。

 それこそ、本当の意味で近づくとかそのようなことではなかったからだ。あくまでコスプレに近いものだったし、それは人生というものを短く区切った中で行われる仮装行列そのものだった。

 尊敬していたその人が亡くなった。

 覚せい剤を体に打ちこんだらしい。

 常習者だったそうだ。

 報道では、それよりも詳細な情報は出てこなかった。表に流れる情報では飽き足らずに、自分で行動したものの、新しい情報が出てくることはなかった。


 アンカル。

 シェロ。

 そして、最初にミスターが付く。

 僕は彼のことを知っていた。

 そして。

 もう彼がこの世のどこにもいないことを知っている。

 彼はポエトリーリーディングを得意としていたし、そこに自分の人生を乗せていた。およそ、その方向で成功するとは思われていなかったが、思ったよりも早く簡単に社会的な成功を収めた。それだけ、才能があったし、それを広めることも厭わなかった。

 謙虚ではあったのだ。

 けれど。

 同時に図々しくもあった。

 少しでも、できるだけ多くの人の目に留まろうと考えていた。

 彼の姿を最後に見た者は、彼はいつだって能天気のように見える策略家だった。と話す。

 人を見下すことが癖のようになっていたが、実績が付いてくると不思議と見下すという行為すら自然になっていた。

 僕は、僕を知らないまま、彼のことばかりを頭の中に詰め込み始めていた。

 虜になっていた、というのが最も正しく、そのままにしておくにはもったいない程だった。

 彼の真似をしてポエトリーリーディングを始めると、仲間が増えた。彼の影響を受けた者たちというのは僕以外にもいたということだろう。この文化は僕が思うよりもしっかりと、そして確実に息をしていた。

 経済が動いていたのだ。

 僕は、そこで今日も言葉を吐くことにする。彼が生きていた頃よりは遥かに、マーケットの大きさは縮小してしまったけれど、本物だけが生き残ったし、それでもそれだけで生きている人は数多くいた。

 僕の詩の中には、幾度となく、アンカル、シェロ、ミスター、が登場する。リフレインするのが特徴なのだから、これもまた癖のようになって、聴衆を巻き込むようになる。

 アンカル。

 シェロ。

 ミスター。

 生きている間も大した不幸には見舞われず、死ぬときもそれはそれは幸せそうだったと聞いている。

 文化は間違いなく花開いた。

 その花はまだ開き続けているし、枯れる気配すらない。

「天才が、天才であることを自覚し、天才として身を晒し、天才として定義される。名前はアンカル。名前はシェロ。名前はミスター。凡そすべての文化的社会的比較において勝る文化の象徴。」

「裕福であり、認められたのであり、天才であり、一流であったことは分かります。ですが、聞きたいのです。彼は何者ですか。」

「文化だよ。」

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