第159話 『Almost over the riot』
大粒の雨がボツボツと身体の至るところに打ち付けてくる。
髪を伝って滴り落ちる幾つもの雨粒を拭いながら、葉月はびしょ濡れになった身体を丸めて、寒さに震えていた。
唯一の
広い東公園のどこを見回しても、もう誰一人として人影はなかった。
花時計の縁にしゃがみこんで、葉月はうつむいたままただひたすら時を待っていた。
巡り会えると、信じながら……
どのくらい経った頃か、遠くで声がした。
「葉月ちゃん!」
隆二の声だった。
うなだれていた首をパッと上げて、その姿を探す。
雨の向こうに、透明の傘を掲げて大きなストライドで走り寄ってくる人影が見えた。
そのすらりとしたシルエットは、間違いなく隆二のものだと確信できた。
「リュウジ……さん」
葉月は花時計の縁に手をかけて、ゆっくり立ち上がった。
「会えて……よかった……」
そう微笑んだ瞬間、グラッとよろめいて、葉月は意識が遠のいていくのを感じた。
傘を放り出して駆け寄ってきた隆二が、慌てて支える。
「おい! しっかり!」
彼の心配そうな表情が視界いっぱいになって、その力強い腕から伝わってくる温もりに安堵する。
「リュウジさん……」
隆二は葉月の頬を打つ雨を拭いながら、冷たいその身体をグッと抱きしめた。
「こんなに濡れて……さぁ早く、家へ行こう」
葉月はとっさに身を固くする。
「ダメです……きっと……」
「いいから! ほら、黙ってこの傘持ってて!」
隆二は開いたまま道に転がっているビニール傘を取り上げると、葉月の手にしっかりと持たせた。
そしてスッと
「リュウジさん! こんなところ誰かに見られたら……せっかくトーマさんが阻止しようとしてくれてるのに、また写真が……」
隆二は葉月を抱き上げたまま優しい表情を見せた。
「こんな大雨なら、さすがにパパラッチも退散してるだろう。大丈夫だ、心配しないで」
耳の
葉月は浅い息遣いで、隆二に身を任せたまま、傘を持つ手に力を込めた。
停車してあるレンジローバーの後部座席を開けた隆二は、そのまま葉月を座らせて、ブランケットで体を覆った。
「よし!」
目と鼻の先にある隆二のタワーマンションの一階エントランス前には、こんな大雨にもかかわらず数組の人影があった。
「チッ! しぶとい連中だな! まぁ正面から歩いては入れないが、地下駐車場からなら楽勝だ。ここのセキュリティーは万全だからね」
後部座席の葉月は体を低くして、車が停まるのを待った。
「さぁ、もう大丈夫」
先に運転席を降りた隆二が、後部座席の葉月をブランケットにくるんだまま、そっと抱き起こす。
優しい眼差しで覗き込む隆二に、葉月な泣きそうな声で言った。
「リュウジさんのマンションまでマークされてるなんて……私、どうしたらいいんでしょう……」
うつむく葉月の頭に手を置いた隆二は、視線を下げて微笑みかける。
「あのさ葉月ちゃん、もっと自分の心配しなよ」
「……ごめんなさい」
「なんであやまるの。そんな必要ないだろ? ホント、いつも君は……あーあー、ずぶ濡れじゃない」
隆二はブランケットで葉月の濡れた髪を拭き取る。
そんな隆二の
「……そう言うリュウジさんこそ……ほら、こんなに濡れちゃって……」
「あはは、ホントだな。さ、早く上がろう。立てる?」
隆二は葉月の頭にブランケットをすっぽりかぶせ、その肩を抱いて誘導した。
「ありがとうございます。リュウジさん」
エレベーターで一気に二十八階まで上がる。
まるで高級ホテルのような絨毯引きの廊下に驚いて辺りを見回す葉月を、鍵を開けた隆二は広い大理石の玄関に引き入れた。
「どうぞ」
隆二がスリッパを並べて振り返ると、葉月はまだ玄関の端に突っ立ったままだった。
「葉月ちゃん?」
隆二が近寄ると、葉月は靴を脱ぐことも出来ないまま、その場にしゃがみ込んだ。
「ど、どうした?!」
「あ……午前中からずっと "おにごっこ" してたので……ちょっと、疲れちゃいました」
隆二は葉月の前にしゃがんで、頭にかかるブランケットをそっと外し、髪を整えてやった。
「ずっと気を張ってたんだな……辛かったろ。よく頑張った! もう大丈夫だから。でもさ……俺だって頑張ったんだぜ」
葉月が視線をあげると、隆二がグッと顔を寄せた。
「携帯の電源、切れてたんだな。もう……何度電話したことか! ホント気が気じゃなくてさ、こっちが事故りそうだった」
「……ごめんなさい」
「だから! もう謝んなくていいんだって。君がここにいることで、問題はすっかり解決した! 俺の中ではね」
隆二は葉月の両肩を持って、そっと立ち上がらせた。
「でも、ご迷惑かける結果になってしまって……本当にどうしたら……」
「何も後ろめたいことはないんだから、胸を張ってればいいんだよ。君が逃げ回ってるのはさ、これ以上『エタボ』に迷惑をかけたくないって思いからなんだろ? 君自身がうしろめたいから逃げてるわけじゃない。そこのところを明確にしないと、こういう問題とは戦えないぞ! ほら、中に入ろう! 風邪引いちまう」
一面に白い大理石が続く廊下の両脇には、ダークウッドの大きな扉が幾つもあった。
ガチャッと隆二が開けた扉を後ろから覗いてみると、そこは広いバスルームで、大きな鏡が入った洗面台と、外国製のランドリーが並んでいた。
突き当たりのすりガラスの前で隆二が何やら操作すると、その奥からザッという水の音がした。
「ほら、先にこれで拭いて」
そう言って隆二は
受け取ったふかふかのタオルを頬に当てながら廊下の先に目をやると、更にその奥にあるガラスの両開きの扉から暖色の灯りが射しているのが見えた。
隆二が両手でその扉を開け放つ。
そこには黒を基調としたシックな空間が広がっていた。
右手のカウンターキッチンはまるで『Blue Stone』の店内のような雰囲気、対する左手には黒の大理石の床に毛足の長いシルバーの絨毯が敷かれているラグジュアリーなリビングに、デザイナーブランドのソファーセットがそびえていた。
「うわ……素敵な空間ですね……」
思わず口許に手を当てて溜め息をもらす葉月を、隆二はダイニングに促した。
「まぁ、あまり物を置かない主義だからね。くつろいでって言いたいところだけど、そんなに濡れてちゃな」
キッチンに回った隆二は、手際よく動きながらカップに湯を注いで葉月にスッと差し出した。
両手でそのカップを持ち上げて、立ち
葉月のとなりに座った隆二は、その肩にかかっているタオルで葉月の髪を包んだ。
「もう風呂が沸くからさ、すぐ入って」
「え……お風呂? ……私がですか?」
「当たり前だろ! 頭のてっぺんから 滝に打たれたみたいにずぶ濡れなんだぞ。それと、その服は脱いでもらって……」
「えっ! 服?!」
「そりゃそうだろ。そんなビショビショの服、着てられないだろ。洗って乾かさなきゃな」
「え……でも……」
「洗濯機で乾燥かけてる間は俺のスエットでも着といてもらおうか。まあ、君に合うサイズの服は持ってないから、ぶかぶかだろうけど。そこは我慢してね。ほら、行くよ」
「え! 行くよって……」
動揺する葉月の手を引いて、隆二は再びバスルームに入る。
「ランドリーの使い方くらいは分かるかな? 洗剤はここ、とりあえず自分の服を
「あとで?」
「ああ、タオルはここから好きなだけ使ってね。スウェットはこれを」
「あ……はい」
葉月は驚いた表情のまま、ただ首を縦に振る動作を繰り返している。
「そうそう、入浴剤もあったな……貰い物だけど、ほらこれ、使って。とにかく! ゆっくり浸かって体を温めてくるんだぞ」
「あっ、あの……ありがとうございます……」
たたんだスエットを手の上に乗せたまま茫然と立ち尽くしている葉月を、バスルームに残し、後ろ手でドアを閉めた隆二は、廊下で笑いだした。
「ったく、葉月ちゃんは……ホント面白いな」
隆二はリビングに戻ると、一本電話をかけた。
今は遠方に居る "ヤツ" に連絡を入れれば、各方面に情報が行き渡るはずだ。
手短に状況報告すると、相手も気まずい内情があるからか、いつもよりずいぶん業務的な返答が返ってきた。
「あとは頼んだぞ。トーマさんには……ああそうか、よろしく伝えてくれ。何か状況が変わったらまた知らせてくれ。じゃあ」
葉月が飲みきったココアのカップの隣で再度
気が気じゃなく事故りそうだったのは本当の事だった。
ずぶ濡れの彼女を見つけた時の気持ちの高まりは、自分でも驚くほどだった。
「ん?」
ついさっき充電器に繋いだ彼女のスマートフォンが振動しているのに気付いた。
その画面を覗こうと、手を伸ばす。
「やれやれ、俺は例の "元カレの一件" 以来、すっかり趣味が悪くなったよな。人の携帯を覗くのに罪悪感がないんだから。ったく」
そうぼやいて自嘲的に笑うも、改めて画面を覗くと、そこには厄介な名前が表示されていた。
「うわっ……」
目を見開いた隆二は、バスルームの方向と手にした端末を交互に見て、
「はぁ……どうする?!」
第159話 『Almost over the riot』- 終 -
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