第130話 『Admired Person』

「葉月、心配しなくても鴻上こうがみさんとのツーショット写真をばら蒔いたりしないから! ああ、リュウジさんにもね」


葉月がグッとにらんだ顔を、裕貴は笑いながら見下ろした。


「さあ、サングリアのおかわりでも作るか! なんかコレ、ボクもハマりそうだ」


そう言って厨房に入った。



溜め息をひとつついた裕貴は、昨晩の鴻上こうがみ徹也氏の様子を思い出していた。


彼が自分を訪れたのは、そもそもは隆二さんが『Eternal Boy's Life』のドラマーとしての正式加入にする際しての、段取りについて打合せするためだった。


リーダーの柊馬トーマを筆頭に、事務所規模で話が着々と進んでいるにもかかわらず、当の本人にはまだ知らされていないという、この状況下で、誰からどう切り出すか、事務所での会合のタイミング等の相談をするはずだった。

殊の外ことのほか慎重な態度のトーマさんの様子を鴻上さんから聞く限り、その意気込みの度合が窺い知れる。

鴻上さんからは、近いうちに自分にも電話がかかってくることを告げられた。

トーマさん直々からそのような働きかけがもらえることを光栄に思いつつも、その役割の重要さに身が引き締まる思いだった。


鴻上さんは、自分のいる隆二さんのマンション前までわざわざ車で出向いてくれ、一通りその話をした後、またもや葉月の不可解な態度について聞いた。

前日、体育館で初めて会った時にも、一度やり過ごしたにも関わらず、鴻上さんはもう一度突っ込んできた。

やはり、かなり気になる局面があったのだろうと察する。

話しているうちに、深夜のこんな時間にわざわざここに来た本当の理由が、実はそっちの話がしたかったからではないかと思うほど、彼が葉月を心配している様子が窺い知れた。

単なる一従業員を労う境域を逸脱した、興味とは程遠い思いやりや心配のような気持ちが見えた。

彼にとって葉月の存在が特別なものなのではないかと……

その時にはあやふやだった気持ちが、さっき見た写真の存在も手伝って、リアルにそう思えてきた。


『Form Fireworks』で本当の意味で“厄介”なのは、琉佳ルカさんではなく鴻上さん……?

奇しくも彼はリュウジさんの親友……



新しく作ったサングリアティーを両手に持ったまま、葉月がいるカウンターへ向かう。


まあ言い方を変えれば、それほどまでに親身に気遣ってくれる人が社長なら、ある意味葉月も安心して仕事できているんだろうけど……


まあしばらくは『エタボ』関連で、みんな忙しいから……大丈夫だろ。


「は? 大丈夫って、なんだ?」


裕貴はそう自分に突っ込むと、幾分速度を上げてホールに足を踏み出した。

カウンターの方を見ると、葉月の姿はない。


「ん? どこ行ったんだ?」


そう思った瞬間、入口付近から声が聞こえてきた。


カウンターに手に持ったサングリアティーを置いて、葉月の声のする方に向かう。


入り口のすぐ横に設置されているアンティークソファーに腰掛けた葉月は、耳にスマホを当てていた。


祐樹の気配に気づいた葉月は、振り返って声を立てないまま、スマホを指差して口を動かした。


「ボス」


裕貴も声を立てないまま口を動かす。


「鴻上さん?」


葉月はうんうんと首を何度か縦に振った。


「え? あ……ちゃんと聞いてますよ。『Blue Stone』です。……はい、リュウジさんは今奥に行ってますけど……ユウキですか? 今ここにいますけど。わかりました」


葉月がスマホを耳から外して、裕貴にそれを手渡した。


「鴻上さんがユウキに話があるって」


裕貴は頷いて、受け取るとすぐに話し始めた。


葉月はそのまま裕貴を置いて、一人カウンターに戻った。


ほどなくして葉月のスマホを片手に、裕貴が戻ってきた。


「はい、これありがとう」


そう言って葉月にスマホを手渡しながら、カウンターに回り込んだ裕貴は、サングリアティーをコースターに乗せて、葉月の前にスーッと差し出した。


「さっきと彩りが違うよね。すごく綺麗」


「うん、ハイビスカスティーとブレンドしてみた」


「すごいね。ユウキってセンスあるよね! 女子力が高い!」


「あのさ……それ、褒めてるつもりなの?」


「え? うん、そうだけど」


「ったく! 女子力って……ボクからしたら、リュウジさんに小姑扱いされてんのと、さほど変わらない響きなんだけど?」


葉月はまたカラカラと笑った。


「今の電話、鴻上さんからかかってきたの?」


「ああ……メッセージが来て、“今電話かけられるか?”って。だから入り口の方に行って、私からかけたんだけど。


「そっか。鴻上さんは何て?」


「“ああ、今週末に『エタボ』の事務所に行けるか?”って。ユウキにもその話をしたんじゃないの?」


「ああ、もちろんそれもなんだけど、トーマさんからそろそろ電話が入るはずだって」


「……トーマさんから?」


「あはは。わかりやすい反応だな! さすが 熱狂的『エタボ』ファン! いや、トーマファンか?」


「もう! そんなこと……言わないで!」


「は? なにムキになってんの? 葉月、マジだなぁ」


「うるさい!」


そう言って葉月は、手にしていたサングリアティーのグラスを持ち上げて、勢いよく飲んだ。


「やれやれ、ノンアルコールで良かったよ。じゃないと葉月が完璧に酔っ払う展開だもんな?」


葉月が裕貴を睨むと、笑っていた裕貴の視線が、カウンターの手元に下りた。


「あ!」


「どうしたの?」


「噂をすれば……」


「え……もしかして……」


「トーマさんからだ」


「え! と……トーマさん!」


裕貴はその葉月の顔を見て、爆笑した。


葉月はむくれながらも肩をすくめた。


裕貴は客がいないことをいいことに、葉月の顔を見つめながら、わざとらしくおもむろにその場でスマホを耳にあてる。


「もしもし、トーマさん! ご無沙汰してます!」


葉月はうつむき加減で裕貴の受け答えを聞きながらも、頬の先がどんどん熱くなっきていることを感じ、さらに俯いてカラフルなグラスの中に目を落とした。


視界の端に何かを感じて顔を上げると、裕貴がにこやかに笑いかけたまま、スマホを葉月にかざしている。


「え? 何?」


「トーマさんが、葉月に代わってって」


「へっ?」


裕貴は笑いを噛み殺しながら声を潜めて言った。


「そんな声で言ったら、聞こえちゃうよ」


「トーマさんが……わかった……ちょっと待って……息を整えるから」

 

「あ、トーマさん? 葉月が深呼吸してるんでちょっと待ってくださいね!」


「ちょっと! ユウキ!」

そう言いながらも、葉月は何度も深呼吸をしてその携帯電話を受け取った。


「あ、あの……代りました、葉月です。お久しぶりです。あの……トーマさん?」


首をかしげている葉月に、裕貴も耳を近付けた。

とっさに、離れたところからでも聞こえてきそうな大きなトーマの笑い声が聞こえてきた。


困り顔の葉月を見て、裕貴はまた笑って、店の奥へ席を外す。


「……もしもし」


「ごめんごめん、葉月ちゃん久しぶりだな! 相変わらず良い反応なんで、嬉しくなっちまってさ。元気だった?」


「は、はい!」


「鴻上くんから、話は聞いてる?」


「ええ」


「いよいよだ! 君も応援してくれてるだろ?」


「もちろんです!」


「よかった。それで今後、『form Fireworks』との仕事の際は、君も関わってくれるって鴻上くんが言ってくれたんだけど、それはちゃんと君も了承済みかな?」


「ええ、喜んで!」


「そう! よかった。あと、鴻上君から聞いてると思うんだけど、次の週末にうちの事務所で リュウジの契約をとろうって算段だ。もはや強引な計画だからさ、隆二を怒らせないか心配だけど、まあそれゆえに脇を固めてるってワケさ。君もぜひ協力してね!」


「私なんかでよかったら……」


「なに言ってんの、強力な助っ人じゃん! あとはユウキに任せて。まあ最終的には楽しい会合になるはずだよ、君もあまり気負わずに楽しみにおいでね」


「はい、ありがとうございます!」


「俺も、君に会うの楽しみにしてるから


「あ……あの、私もすごく……楽しみです!」


柊馬トーマは艶やかなバリトンボイス笑って、じゃあねと優しく言って電話を切った。


葉月はそのままの形で、しばらく動けなかった。


奥からカウンターに戻ってきた裕貴がその様子を見つけて、慌てて声をかける。


「おい葉月! 魂抜けてるじゃないか!」


「あ……」


「その電話、切れてるんだろう?」


「あ……うん、切れてるね」


裕貴は不可解な顔をしながら、葉月の手からスマホを抜き取った。


「うわ、スマホ熱っつ! 葉月の熱が移ったんじゃねえか?」


「そんなこと、あるわけない」


「握りしめてたんだろ? なに話したか、覚えてないんじゃ?」


「そんなわけ……えーっと……」


いつになくぎこちない態度の葉月に、裕貴はついに声をあげて笑い出した。


「なによ! そんなに笑わなくても……」


「あははは、もうだめだ! あのフェスでも免疫はついてなかったか? やっぱり葉月はトーマさんの熱狂的ファンなんだな!」


「それは……だってね、考えてもみてよ、電話で 話すって、そんなこと!」


「わかったわかった、興奮しないで!」


「興奮なんてしてない!」


「気づいてないの? 自分で。顔も真っ赤だよ?」


「え……嘘でしょ?」


「ホント!」


その時、奥のホールから隆二の声が聞こえた。


「おいユウキ、ちょっと運んでもらいたいものがあるんだけど」


ユウキは返事をしてから、葉月に顔を寄せて言った。


「トーマさんと話したなんてリュウジさんには言えないんだから! バレないように気を付けてよ!」


そう言って裕貴は奥に入っていった。


両手で頬を触ると、確かに熱い。

久しぶりに聞いた、あの艶のあるバリトンボイス……


あの日、素晴らしいあのステージが終わった後、楽屋で話したトーマの端正で精悍な顔を思い出すと、さらに頬が熱くなるのを感じた。


「ヤバい、どうしよう……」


頬を両手で挟みながらそうつぶやいた時、奥から二人が戻ってきた。


葉月の顔を見た裕貴は目を見開いて、マズイ顔をした。


隆二はちらっと葉月の顔を見て、そしてゆっくりとカウンターの正面に回り込むと、葉月の顔を更に覗き込んだ。


「ちょっと失礼」


そう言って葉月の手からグラスを取り上げ、それに小さく口をつけて口に含んだ。


「ん? アルコール入ってなくないか?」


「ええ……サングリアティーなので」


「じゃあ、どうしてそんなに酔ってんの?」


「え、いや……別に酔ってないと……」


「酔ってるじゃん! 顔、めちゃめちゃ真っ赤だけど?」


葉月は思わず裕貴の方を見た。


「えっと、ああ……実はボクが一杯目に作ったカクテルが、ちょっとアルコールがキツかったみたいで……だから2杯目はサングリアティーにしたんですよ。今からはノンアルコールにするんで」


「なんだ、そうだったのか。ユウキ、飲ませるなって言っただろう!」


「はい、すいません」


葉月は隆二の背後から、裕貴に向かって顔の前で両手を合わせて謝った。


くるっと振り返った隆二は、スッと手を出して葉月の頬に触れた。


「ほら! 熱っつ熱じゃん!」


またドキッとしたような顔をする葉月を見て、裕貴が後ろで静かに笑いを噛み殺していた。


第130話 『Admired Person』ー終ー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る