謀略の魔術列車

青木ヤギ

第1話

 六月らしくない蒸し暑い日が続いていた。

「暑い」

 書類に記しを付けるために握っていた鉛筆を机の上に放り投げる。この暑さではこれ以上作業が続かない。椅子から立ち上がり、隣の部屋のキッチンスペースに入る。ここでは大掛かりな調理はできないが、お湯も沸かせるし冷蔵庫もある。その冷蔵庫の上半分は冷蔵室になっている。冷気が漏れ出ないようにしっかり密閉された扉を勢いよく引き開ける。ゆらゆらと冷気が漏れ出る。つかの間のひんやり感を味わう。冷凍庫の中には実験に使う薬品やサンプルが収められていて、家庭の白物家電というよりは、研究所の実験器具のような扱われ方をしている。

「あったぞ」

 冷凍室の奥の最も冷えているところに、手のひらサイズの円柱状の容器が四つ置かれていた。四つのうち二つは夜にとっておくものである。

「おい、フレイ。バニラとコーヒー、どっちか選べ」

 キッチンスペースの入り口から女の子が出てきた。

「えっと、それでは、バニラにします」

「ほい」

 蓋にバニラアイスと書かれた容器を取り出してフレイに手渡す。

「あ、ありがとうございます。スプーンをお持ちしますね」

 食品と実験材料が同じ冷蔵庫に入っていて、公私混同しているが、そんなことを気にする人はここにいない。

 コーヒー味のアイスクリームを取り出し、さっきまで居た書斎に戻る。来客用のソファに座ったところで、フレイはお盆を持って室内に入ってきた。

「はい、マスター」

 フレイからデザート用のスプーンを受け取った。

「冷えたお茶もあります」

「ありがとう、フレイ」

 フレイはローテーブルを挟み、俺の向かいに座る。

「いただきます」

 プラスチックの蓋を外し、ビニール製の中蓋も剥がす。カチカチに固まったアイスにスプーンを挿し、一口掬う。

「う~ん、美味しいです、マスター」

「さすが、ズゥースカルテのアイスクリームだ。美味い」


 ブー。


 玄関の呼び鈴が押された。


 ブッ、ブー。


 また押された。


 ブーブーブー。


「私、見に行きますね」

「あぁ、頼む」

 フレイはソファから立ち上がり、玄関口へと部屋を出て行った。

 今日の予定を一通り思い出してみる。来客の予定は無い。郵便の受け取りの可能性も考えたが、受け取りの必要な郵便を頼んだ覚えは無い。つまり、これは突発的な来客ということになる。そしてその来客は、俺がズゥースカルテのアイスクリームと共にする憩いの時間を邪魔する無礼なヤツである。

 少し溶けてきたアイスクリームを一口掬い、口に運ぶ。


「暑いわー」


 玄関の方から聞き覚えのある声が聞こえる。

「すごく暑いわ、シン」

 無礼なヤツが入ってきた。その後ろにフレイと見知った少年がいる。

「あー、ズゥースカルテのアイス、それもコーヒー味を食べている!」

「なんだ、人の貴重な休息の時間を邪魔して」

「ねぇ、私の分もある?」

 ベレー帽を被り、軍服なのかそうでないのか分からないような服装の無礼なヤツは遠慮なく向かいのソファに座る。ちなみに、こいつは軍人ではない。

「えっと、おそらくあると思います、レイネ姉様」

「いや、無い」

 昨日フレイと共にアイスクリームを買いに行ったので、当然四つ買ったのを知っている。しかし、残りの二つは今夜のおやつのためにあるのだ。

「私の分がありますので、ご用意いたしますね」

「それはフレイに悪いわ。シンの分をちょうだい」

「俺のおやつが無くなる」

「いいわよね、シンお兄様・・・

 ベレー帽を被った無礼で遠慮のないヤツことレイネ・クライスター・ゾルドアートは不敵な笑みを浮かべていた。


 四人でローテーブルを囲いながら、アイスを食べることとなった。結局、冷凍庫に二つ残っていたアイスは、来客であるレイネと彼女の付き添いのタケルの手に渡った。

「それで、一体何の用だ?」

「仕事よ」

「断る」

「即答しちゃっていいのかな?」

 お前の持ち込む仕事は断りたくなるようなものなのだ。

「フレイ、今の家計状況を言いなさい」

「えっと、」

 隣に座るフレイは一度顔を俺に向ける。

 その顔に浮かべた表情は、まるで獲物を目の前で逃したかわいそうな猫を見つめるようなものだった。そんな残念な人を見るような顔をやめて、我らの家計状況を教えてやれ。

 そんな思いが伝わったのか、フレイはやや遠慮がちに答えた。

「今月の家賃と水道、ガス、電気は問題なく払えます。食費もほんの少し贅沢ができるかもしれません。マスターは〈学院〉の講座を受け持ったことによって、収入が安定しました」

「古本屋の状況は?」

「売上は先月と同じくらいあるのですが、新しい文献を仕入れたので・・・結果、赤字です」

「その仕入れた文献は、購入希望者から?」

「いや、えっと、マスターです」

「そう、シンが買ったのね」

「いいじゃないか、どうせ後に売るんだから」

「売る当てはあるのかな」

「・・・ないです」

「そう。探偵業務の方は?」

「今月は一切受けてません」

とフレイが答える。

「先月は?」

「先月・・・というか過去3ヶ月くらいは探偵業務をしてません」

「そんな調子じゃ資格が剥奪されちゃうわよ。

 まったく、我がゾルドアート家の借金も一部肩代わりしているのだから、贅沢はできないはずよ」

「そっ、そうです、ね」

 ズゥースカルテの高級アイスクリームを食べながら言うセリフじゃないと思う。

「ということで、仕事しなさい」

「・・・どんな仕事か聞く権利はあるだろう」

「ふふ、聞いて驚きなさい。鉄道旅行へ行くわよ」

「鉄道旅行、ですか?」

 横に座ったフレイは疑問符を浮かべる。

「そう、私と一緒に鉄道旅行へ行くの」

「お前と行くとなると資金がどっからでるんだ? お前から貰ったって、借金は減らないぞ」

「護衛任務よ。正確には護衛任務付き旅行ってところかしら」

「はぁー、詳しく話せ」

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