うぃしゃぽなすた!

上野ハオコ

第一部 彗星少女と吸血鬼

1 星に願いを

真夜中の街を、私は歩いていた。


静寂に包まれた闇夜の支配する街。

誰もいない街、まるでこの世界にひとりぼっちになったかのような幾許かの寂寥感。

少し重たい眼で見渡す暗闇の浮遊感。


並んだ街灯の温かな灯火が私の足下に長い影を作る。

影法師を追いかけるようにゆったりと歩を進める。


まだ少し冷える、五月の夜空から降り注ぐ瞬く星々の光、銀色に輝く優しい三日月。

塀の上に横たわる黒猫の欠伸、一際明るい自動販売機の照明、暗闇を映すカーブミラー。

今この時を構成する世界の一部一部がなんだかとても愛おしい。


夜闇に紛れることで、自分自身が世界にとろけていく感覚。


私、峯崎詩葉(みねざきうたは)は真夜中の街が、この真夜中の散歩が大好きだ。


昼間の街に溢れかえる都会の喧噪。

人々が行き交いそれぞれの毎日が交錯する、たくさんの音が不協和音を奏でる目眩のするような日常。

…そんな場所からかけ離れたところにあるこの真夜中の街。


見慣れた筈の景色が、まるで異世界にでも迷い込んだかのようにその様相を変えた街。

草木さえも眠りについた世界で、一人きりの小旅行を満喫する。


日中は高校に通い、夜は一人で街を散歩する。

それが私の変わらず続いていくなんてことのない日常。

刺激なんてない、退屈な平穏。


過ぎた楽しさも、悲しみもいらない。

ゆったりとした毎日をのんべんだらりと過ごすことこそが私の目標であり、幸福の形だ。

きっと人生、少し退屈なくらいが一番いい。


だからこうしてふわりふわりと頭を空っぽにして真夜中に溶け込んでいくことが、私にとってこれ以上ない幸せなのだ。

ある意味ではライフワークと言っても過言ではない(少し過言な気はするが)大切な趣味だと言えよう。


女の子一人きりで真夜中の街を往くのは、ほんの少しのスリルが常に隣り合わせている。

高校生としてごく平均的な体格で運動も何もしていないひ弱な私は、きっと誰かに襲われでもしたらひとたまりもなく組み伏せられてしまうだろう。


しかし幸い、今までに怖い思いをしたことはないし、不審者の類いや幽霊や吸血鬼なんかの怪異などに遭遇したこともない。

都会とはいえ、ベッドタウンであるこの街の特性のおかげか、真夜中の散歩はいつも穏やかに進行する。


こなれてきて気が緩んできた頃が一番危ないのだという気もしなくもないが、平和に心穏やかに散歩出来るのであればそれが一番良い。


今日も今日とて、何も変わったこともなくつつがなく真夜中の散歩を楽しめている。

それがとても幸せだった。


一人きりの真夜中の小旅行の目的地は、大抵いつも近所の公園である。


誰もいない小さな公園。

滑り台、鉄棒、ブランコ、ジャングルジムと、必要最低限の遊具、それにベンチと水飲み場くらいしかない私だけの小さな箱庭。


周りに高い建物のない開けた景観は、夜空を見上げるのに丁度いい。


今夜も私はブランコに座って夜空を見上げる。


もう子供とは言えない私にとっては些か小さな遊具。

ひんやりとしたチェーンを握り、ぶらぶら自由に揺られながら春の星座を探す。


スピカ、デネボラ、アルクトゥルス、春の大三角を指先でなぞる。

おとめ座も、しし座も、うしかい座も探してみたけど、正直いまいちよくわからない。


都会の夜空は、所謂光害のせいで見られる星が少ない。

そればかりか、春の夜空は空気の透明度が低く星が見つけにくく、見上げた空に輝くのは疎らで小さな星ばかり。


それでもこうして何となく星を探すことが尊いことのように感じられて毎日のように夜空を見上げてしまう。


星座にはそれぞれエピソードがあり、神話との関わりも深い。

…子供の頃本で読んだ心躍るような逸話も、いつしか忘れてしまったけれど。


けれど忘れても、この星空にはたくさんの物語が輝いていると考えただけで圧倒される。


たとえ小さな星々でも、広大な宇宙からやっとの思いで光が届いているのだと考えたら見上げている星空が全部奇跡みたいに思えてくるのだ。


名前の知らない星々を結んで、自分だけのその場限りの星座を作る。


あれはネコ座、こっちのはハリネズミ座、あっちのはハムスター座。

可愛い動物たちが夜空を埋め尽くすと自然に頬が緩み、にまにまとしてしまう。


今の私の姿は他の誰かから見たら、深夜の公園で一人にまにまとにやける変な女の子だろう。

何か不思議な電波を受信していると思われても不思議ではない。


嫌だなぁ、誰も見てなければいいんだけれどと、その辺をきょろきょろ見渡しても物陰はない。


不審者認定される心配がなくなり、ふぅ、と一安心して再び夜空を見上げる。


「え?」


思わず声を漏らしてしまう程の衝撃を伴い、私の見つめるその先には、ある筈のない異物が存在していた。


なんてことないいつもの夜空、そこにはただ悠然と星空が広がっているだけの筈なのに、確かにそこには驚異的な非日常があった。


私が見上げる、広大で真っ暗なキャンバスには、いつの間にか、信じられないくらいに大きな、流れ星が存在していた。


夜空に尾を引く巨大天体。

…それは流れ星と言うよりも彗星と表現した方が適切だったかもしれない。


青く光る巨大な彗星。

圧倒的質量で鎮座する天体は、光をまき散らし、ぐんぐんと東の空から西の空へと進んでいく。


息を飲むほどに美しい、畏怖すら感じる天体ショウに、私はしばらくの間釘付けになる。


こんなに綺麗な景色に遭遇したのは人生で初めてかもしれない。

そう思えるほど、壮絶で現実離れした光景だった。


これ程の巨大彗星が見られるのなら、テレビのニュースやSNS等で騒がれてもおかしくないだろう。

しかし、最近そんな話題を目にした覚えはない。


突然やって来た正体不明の天体なのだろうか?

はたまた、エイリアンの乗ってきた巨大母艦であるのか?

遊星からの物体X?(言いたかっただけ)


馬鹿馬鹿しい思考が一瞬頭の中を駆け巡るが、結局目にした彗星の美しさに圧倒されてしまう。


超宇宙的スケールの絶景。

夜空を真っ二つに切り裂くかのように駆ける青い彗星。


私は見上げながら、自然にぽかんと口を開けてしまっていることに遅れて気付く。


もしもあの彗星が、ただのバカでかい流れ星で、この一瞬に出会えた事が奇跡なのだとしたら、あの星に何か願いを込めれば何でも叶うのではないだろうか。

何故だかそんな不思議な期待感が胸に去来する。


私はあの星に、何を願うのだろう?


身体の半分を失ったように生きているこの私は、半ば諦めきって毎日をただ平穏に過ごすことだけを人生目標に掲げるこの私は、どんな願い事を星に込めるのだろう。


それは、きっと……

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