第119話 月子さんの心の内

 リビングの入り口に佇んでいる少年を見て、月子さんがか細い声を上げた。


「青葉……」


 月子さんと西城さんの驚いた反応から察するに、どうやら弟のようだ。

 背丈が高く、ガタイもそこそこがっちりとしていた。

 テスト期間中か何かなのか、午前中で授業が終わったようで早めに家に帰ってきた様子だった。


 座っている俺達を見下ろす形で、ぺこりと律儀に一礼してから、青葉と呼ばれた弟は、月子さんを睨みつける。

 一方の月子さんは、狼狽した様子で弟の青葉君を見つめていた。


「アンタ、帰ってたなら『ただいま』の一言くらい言いなさい」

「それより……なんだよ、さっきの話……離婚とか再婚とか……」

「……あんたには関係ない話よ!」


 月子さんが青葉君を突き放すように言い放つので、俺は鬼の形相で睨みつける。

 だが、俺の癇癪かんしゃくが沸騰する前に、鋭い口調で声を上げたのは、青葉君だった。


「俺、例え母ちゃんがこの家出て行こうと、一緒に東京なんか絶対に行かないからな!」

「なっ……」


 今までの話をすべて聞かれていたことと、弟に自分の欲求を否定されて突き放されたことで、月子さんは明らかに愕然とした表情をして狼狽えていた。

 青葉君は、そのまま逃げ去るようにリビングから出て行き、自室のある二階へと階段を登って行ってしまう。


「ちょ、青葉!」


 部屋にこもろうとする弟を、慌てて西城さんが追いかけていく。


 テーブルには、俺と藤野、そして、がっくりと肩を落としている月子さんの三人が取り残された。


 突然の弟の登場により、月子さんは明らかに困惑して戸惑いの顔を浮かべている。

 そこで、俺は気が付いてしまった。

 月子さんの心の中にも、どこか家族と年齢というくくりがあることに……。


 俺は赤の他人。

 藤野も再婚相手の娘とは言え、月子さんにとってはただの他人。

 西城さんは家族ではあるが、望んだ形ではない子供。


 そして、大学に進学した西城さんは、都内で一人暮らしを始めたことで、月子さんの中では西城さんの子育ては済んだものだと結論付けている。

 だから、西城さんが独り立ちして、本当の意味での家族三人になったタイミングで、自分の好き勝手行動しようとチャンスを窺っていたのだろう。


 しかし、弟に話を聞かれてしまい、拒絶された。

 それは、本当の意味で自身の家族としての子供からの否定。

 月子さんにとっては、一番話を聞かれたくない相手に聞かれてしまい、かつ一番拒絶されたくない相手に否定されてしまったのだ。


 結果として、青葉君の発言が月子さんへ最もダメージを与えることになった。

 だが俺は、西城さんを家族というレッテルから迫害めいた態度をとっている月子さんが許せなかった。


 しかし、ここで俺が何を蹴散らかそうと、結果は変わらない。

 月子さんにとって、俺は赤の他人で、耳を傾けるに値しない相手なのだから。


「藤野……帰るぞ」


 だから俺は、この場から立ち去る以外の選択肢を思いつくことは出来なかった。


「えっ……?」


 藤野が驚いたような表情を浮かべたが、俺は藤野を急かして、廊下の方へと向かわせる。


「お、お邪魔しました……」


 藤野は、ぺこりとお辞儀をしてから、俺に促される形でリビングを後にする。

 俺はリビングを出る直前で立ち止まり、椅子に座って身体を丸めている月子さんを振り返る。

 ただ一言だけ、これだけは言っておきたかった。


「ちゃんと、家族で話し合ってくださいね……もちろん、美月さんも家族だということを忘れないように……」


 俺はそれだけ言い切って、西城さんの家を後にした。


 結局、俺や藤野が出来ることは何もなかったのだ。

 西城さんに助けを求められたのも、すべて最初から無意味なことだったのかもしれない。


 敏樹さんの忠告も、今だから理解できる。

 月子さんは、自分の中での家族というレッテルを貼り間違えている。

 西城さんとの間に、どこか剥がしきれない確執がある事に……。


 ここからは、西城家の問題だ。

 俺達が踏み込む余地はない。

 自分から踏み込んでおいて、中途半端な形でこういう結果を招いてしまうのは不本意ではある。

 けれど、今まで知りえなかった情報を、家族である弟の青葉君に共有できたことが、俺達が行動を起こしたことで変化することが出来る唯一の手段だったのだとポジティブに捉えようと思った。

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