第85話 演技指導
翌日の放課後から、早速演技指導の練習が始まった。
演技指導といっても、指導してくれるのは、プロの人ではなくサークルの先輩。
本格的なものではなく、セリフを読んでみて、地方訛りが激しかったり、イントネーションがおかしい部分を指摘するくらいで、棒読み感が出ていることなどは特に注意されなかった。
まあ、それもそうか。
先輩たちだって、意識してやっているのかどうかも怪しいし。
最初はそう思っていたのだが、他の出演者と読み合わせを始めた瞬間、状況が一変した。
「羽山くん、そこ違う。もっとデレデレと嬉しそうにして!」
「は、はい……」
「愛奈ちゃんも、もっと女心出して!」
「えぇっと……」
「返事は!?」
「はい!」
浜屋莉乃は、眼光鋭い真剣な表情で、俺達の台詞合わせにダメ出しをどんどん入れてくる。流石は芸能人。熱のこもり方が他のみなと違う。
「いい、羽山くん。君は羽山くんじゃなくて直輝君なの。直輝がどういう人生を辿ってきたか考えて、その上で好きになった女の子のことを考えるの。どうしてその子が好きになったか理由も考えなさい」
「ちょ、ちょっと待ってくれ浜屋。そんなに一気に言われてもわからん。もうちょっと例えをくれ」
俺が慌てて困り果てたように言うと、浜屋は顎に指を当てて思案する。
「そうね……それじゃあ例えば、本当に愛奈ちゃんことを好きだとする」
「へっ!?」
津賀が驚いたように目を見開く。
俺と目が合うが、津賀はぽっと顔を赤らめて視線を逸らしてしまう。
「羽山だったら、愛奈ちゃんのどんな魅力にひかれて、好きになると思う?」
「そ、それは……」
俺がもう一度津賀を見つけると、津賀は困ったように身をよじる。
津賀を俺が好きになった理由……
そんなこと、考えなくても頭の中に浮かび上がってくる。
「人当たりが良くて、いつも明るくて元気で……笑顔がステキで可愛らしくて……」
自分で口にしておいて、何言ってるんだろうと恥ずかしくなってくる。津賀も恥ずかしいのか、みるみるうちに顔が真っ赤になっていく。
恥ずかしさが爆発する前に、勢いに任せてまくしたてる。
「そんでもって、どこか一人でいると儚げで、放っておけなくて……俺が守らなきゃって思うというか……まあ、総体していえば可愛いから……かな」
考えがまとまらず、結局は安直な結論に至ってしまう。
だが、浜屋は驚いたようにキョトンと俺を見つけている。
「よくそこまで出てくるわね……もしかして実話?」
「えっ!? いやっ、そのっ、男子の客観的意見を総体的に思ったことを言っただけで……」
誤魔化すように浜屋から視線を津賀にスライドさせると、津賀は潤んだ瞳で、頬を赤らめてこちらを見つめていた。
そういう顔で見られると、こっとも困るんですけど……
俺達の間に、むず痒い雰囲気が生まれると、浜屋が大きなため息を吐く。
「まあ、羽山のプライベートがどうでもいいとして……今言ったような気持ちを表に出して挑みなさい」
「お、おう……わかった」
いや、分かってないんだけどね。
台詞ごとにそんなハラハラドキドキ演じてたら、命がいくつあっても足りないくらい恥ずかしくて精神が擦り減ってしまう。
だが、浜屋はそれを断じて許さない。
「はいっ、次! もっとドキドキして!」
こうして、浜屋莉乃鬼教官による演技指導は、夜遅くまで続いた。
◇
ようやく地獄のレッスンから解放され、俺と津賀はへとへとになりながら大学を後にする。
浜屋は先輩たちと一緒によるご飯を食べに行き、西城さんは途中から何か予定があるということで、先に帰ってしまった。
「疲れた……」
「お疲れ、やおやお……莉乃先輩の演技指導凄かったね……」
「あぁ……明日もこれが続くと思うと気が重い」
「あははは……」
津賀も役者志望だったとはいえ、浜屋の鬼指導に気が滅入ってしまったのか、苦い笑みを浮かべているが、すぐに執り成すように口を開く。
「で、でもさ。こうやってみんなで何か劇を作ったりするのって、なんか懐かしい感じしない?」
「そうか?」
「そうそう! ほら、文化祭で劇やった時みたいでさ!」
俺は、文化祭の時を頭の中で思い出す。
確か、あれって中三の時だから……
「いやっ、俺が劇やった時、お前違うクラスだろ」
「まあまあ! でもさ、だからこそ、私はやおやおとこうして文化祭に向けて一緒に出来て嬉しいな……なんて」
頬を指で掻きながら、照れ笑いを浮かべる津賀。
「……」
俺は津賀の方を振り返り、彼女を見つける。
津賀は、困ったように身体を縮こまらせながら、上目づかいでこちらを見つめてくる。
お互い甘酸っぱいような何とも言えない空気が張り詰めたが、その糸を切るように俺は顔を背けた。
「ま、まあそうだな。お前とそういうことやったことないから、こういうのも悪くないのかもしれないな」
津賀だけじゃない。浜屋だって、俺の中では思い出深い人物の一人だ。それに、西城さんだって……
その言葉を聞いた津賀が、ふっと破顔する。
「それじゃ、明日も頑張ろ!!」
明るい口調で、手を振り上げて気合を入れて歩きだす。
俺はその姿を、ただ茫然と眺めていることしか出来ない。
それに気が付いた津賀が、ふと立ち止まって振り返る。
「行こ、やおやお」
「お、おう……」
津賀に誘われるようにして、俺は足を動かした。
しかし、俺が津賀に追いつこうとするたびに、彼女の歩くスピードはどんどん速くなっていく。早歩きから小走りへと変わり、気が付けば追いかけっこに様相が変わっていた。
「待て津賀!」
「いやだよーだ!」
津賀は嬉しそうに笑い、俺から逃げて走る。鬼ごっこをすぐに始めちゃう子供のように滑稽な光景だが、俺達はどこかそれ自体を楽しんでいた。過去の楽しい思い出に浸るように……
気が付けば、駅前まで走ってきてしまった。
津賀はそこでようやく立ち止まり、ニコニコと笑顔を振りまきながら、荒い息一つ吐かずに振り返る。
一方の俺は、ふらふらっとよろけながら、膝に手を当ててぜぇぜぇっと息を吐いている。
津賀が呆れたような表情で言ってきた。
「やおやお体力落ちたんじゃないの? ちゃんと運動しないと健康に悪いぞ」
「わかってるわぁ……はぁ……はぁ……」
普段から運動している津賀と違って、俺は部活をやめて一年半ほどブランクがある。
もう少し行けるかと思ったが、日々の鍛錬は嘘をつかないようだ。
津賀の言った通り、本当に少し鍛え直した方がいいのかもしれない。
そんなことを考えながら、呼吸を整えているうちに、津賀は踵を返して駅の方へと歩き出してしまう。
「でも、私はやおやおのこと、置いて行っちゃうからねー! 助けてなんかあげないよーだ! バイバ~イ!」
「あ、おいっ……!」
顔だけこちらに向け、ペロっと舌を出してからかうようにして、津賀は改札口へと向かっていった。
まあ、電車の方向も違うし、ここで別れることに変わりないのだが……
津賀愛奈は、本当に俺のことを着配る様子もなく、軽やかな足どりで、そのまま人混みの中へと消えていった。もう俺のことを振り返らない。そんな風に感じさせるように……
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