第86話 役に入り込む

 翌日、昨日と同じように鬼教官浜屋莉乃大先生のご指導のおかげもあり、俺と津賀の演技力はだいぶ向上の兆しが見え始めていた。


「はい、羽山! もっと役に入り込んで!」

「愛奈ちゃんも、自分を媚びるんじゃなくて、もっと保月の心情を意識する! 役に入り込んで!」


 こうして、今日も夕方までみっちりと演技指導は続いた。


 今週はもう皆の日程が合う機会が無く、来週からは早くも撮影が始まってしまう。

 つまり、今日で演技指導は最後。

 ということで、俺は浜屋莉乃に来週の撮影までにしっかりと演技力向上に磨きをかけておくようにと、宿題を課せられた。といっても、来週撮影するシーンの台詞を台本なしで完璧に覚えてくることだけだが……。


「お疲れ様、羽山くん」


 振り返ると、西城さんが労うように声を掛けてきた。


「お疲れ西城さん」

「どうかな? 直輝君に共感出来てきたかな?」

「いや、今は役作りに必死でそれどころじゃ……」

「あっ、そっか! ごめんね! 変なこと聞いて……」

「いや、俺の方こそ考える時間なくてごめん」


 お互いに、気まずい沈黙が流れる。

 その沈黙を破るようにして、西城さんがボソボソ話し出す。


「莉乃先輩の指導見ててさ、思ったの」

「何を?」

「役に入り込むってさ、そういうことなのかなって」

「……」


 なるほど……だから西城さんは尋ねてきたのか。

 浜屋が口酸っぱく言っている役に入り込め!という言葉。それはつまり、この主人公に共感できなければ、役に入り込むことは出来ないのではないか。

 そう西城さんは読み解いたのだろう。


「ご、ごめんね変なこと聞いて、それじゃあ来週から撮影頑張ろうね! それじゃあ!」

「あっ、うん。またね」


 西城さんは苦笑いを浮かべながら先に帰ってしまった。


「確かに、西城さんの言うことも一理あるかもしれん」


 家に帰ってよくよく考えてみると、役に入り込むというのはそういうことなのかもしれない。共感とまではいかないが、こいつはそういう奴なんだ。という枠組みみたいのを自分の中で作り込んで、それを表現していかなければ、真の直輝にはなれないような気がした。


 そうとわかれば、後は練習あるのみ。

 台本片手に、壁に向かって声を張り上げる。



「よっ、春乃……なんか違うな。 よっ、はーるの! これも違う……もっとフランクな感じで……よう、春乃? いやいや、なんで疑問形になっちゃてるんだ!」


 一人でツッコミを入れしまう。やはり、相手がいないとどうにもしっくりこない。そんなことを想っていると、部屋のドアがカチャリと開いた。

 振り向くと、妹の弥生がドアの前で、呆けたような表情を向けていた。


「何やってるのお兄ちゃん? 一人で壁に向かって話しかけて? ぶっちゃけきもいよ?」

「ひでぇな……」


 相変わらず容赦のない妹である。


「練習だよ練習。来週からサークルで撮影やるんだ、そのシーンの練習」

「なんだ、そういうこと。弥生はてっきりお兄ちゃんが擬態ものにしか欲情できないヤバイ人になっちゃったのかと……」

「どんだけ拗らせたら、お前の兄はそんなことになるんだよ……」


 本当にうちの妹は、発想が斜め上すぎる。


「お兄ちゃんのサークルって、確か映画作るサークルだっけ?」

「そうそう」

「お兄ちゃん、出演するの?」

「まあな……」


 弥生は、俺の姿を一瞥して、ぷぷぷっと笑いだす。


「お兄ちゃんが映画とか……ははっ……ぶっっ!!」

「失礼な奴だなお前は……」

「ごめんごめん! でも、そんな重要な役じゃないでしょ? なら、そんなに根詰めて練習する必要ないと思うけど?」

「いやっ……それが主役なんだよ」

「またまた、冗談を」

「いや、マジマジ」


 俺が至極真面目な顔で言うと、弥生がぽかんと口を開けて固まった。


「……本当に? 本当にお兄ちゃんが主役なの?」

「あぁ」


 弥生が顎に人差し指を当てて、しばし黙考する。


「いつの間にお兄ちゃんが人気俳優の仲間入りに!?」

「いや、これサークル活動だから。別に芸能界に入ったわけじゃないし」

「でもでもでも! お兄ちゃんが一番映るってことでしょ? そこら辺にいるモブ俳優よりたくさん出演してるってことでしょ!?」

「酷いいいようだな……本気で頑張っている人たちに謝れ」


 だが、弥生は既に人の話を聞いておらず、飛び跳ねるように面白がっていた。


「凄いよお兄ちゃん! その映画どこの劇場で公開されるの!?」

「劇場って……まあ、文化祭でサークルの出し物で公開する予定だけど……」

「おっけい! それじゃあ弥生、絶対にお兄ちゃんの文化祭の日、予定空けておくね! お兄ちゃんの晴れ舞台見に行かなくちゃ!」

「いや、来ないでいい。というか来ないでくださいお願いします」


 家族に自分が出ている映画なんて見らえれた暁には、大学辞めてどこか海外へ逃亡して消息不明になるまである。


「えぇ!? いいじゃん! 私はカッコイイ自慢のお兄ちゃんが画面越しで出演してるなんて、鼻が高いよ! それに、私はお兄ちゃんのことが大好きなのです! 四六時中見てないと死んじゃうのです!」

「弥生……」


 俺のことそんな風に思ってくれていたのか……!


「そして、お兄ちゃんを見て爆笑する!」


 今の一瞬の感動を返してくれ。台無しだよ……


「とにかく、お前は絶対に文化祭来ちゃダメだ出禁だ」

「えぇぇぇぇ!? 酷いよ! お兄ちゃんのケチ、馬鹿、変態、童貞」


 悪かったな童貞で……

 でも、お兄ちゃん怒らない。お兄ちゃんは寛大なお方だから。


「でもでも、私はお兄ちゃんの大学受験したいなって思ってるし、雰囲気を知っておくって意味ではいいんじゃないの?」

「文化祭は祭り的な意味が強いから、雰囲気のクソもないぞ? ってか、え? 弥生、俺の大学受験するの?」

「だって……お兄ちゃんとまた一緒に同じ学校に通いたいなって……ダメかな?」


 妹の縋るような視線に、つい口も緩んでしまう。


「いやっ、ダメではない。というかむしろ弥生が俺と同じ大学に入ってくれるなら俺も安心だしな!」


 変な男どもから妹を監視下に置けるからな!


「それじゃあ、私が文化祭に行っても問題ないよね?」


 しめしめという感じで、答える弥生。しまった、これが狙いだったか!

 まんまと騙されてしまい、なす術もなくなった。俺はまんまと妹の術中にはめられてしまったようだ。

 ホント、俺の妹はこんなに計算高い訳がない。


 だが、残念だったな妹よ。俺の方がさらに計算高いんだ。


「そうか……そんなにお兄ちゃんの出演する映画が見たいか。ふふふっ……」

「お、お兄ちゃん、どうしたの? そんな不気味笑いして、怖いよ?」

「ちょうどよかった弥生。俺の映画のために、手伝ってほしい事があるんだ。もちろん、楽しみにしてくれるなら、手伝ってくれるよな?」

「あっ……えぇっと。弥生、今日中にやらなきゃいけない宿題思い出しちゃったなぁ~あはは……それじゃあお兄ちゃん、頑張って!」


 逃げようとした妹を、ガシと捕まえる。


「大丈夫だ。宿題なら後でいくらでも俺がやってやろう……」

「お、お兄ちゃん……目が怖いよ」

「元からだ、気にするな。さぁ、ちょっと付き合ってもらおうか!」

「ぎゃぁぁぁぁぁ!!!!」


 こうして、俺達兄妹は、今日も愉快に過ごすのでありましたとさ。

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