第39話 過去と向き合う心
後日、俺は授業終わりに食堂へと足を運んでいた。
午後の食堂はちらほらと生徒が時間を持て余してたむろしているだけで、食事目当てで来ている人はほとんどいなかった。
食堂の中では、せかせかと閉店の後片づけをしている従業員の人たちの姿がある。その中にひときわ目立つキャラメル色の髪を後ろで結び、黙々と作業をしている俺の初恋の女の子、藤野春海の姿を見つけた。
床を清掃しているようで、シャカシャカとブラシの音が聞こえてくる。
俺は藤野春海の元へと近づいて声を掛けた。
「あの・・・・・・すいません」
「はぁ~い!」
声を掛けると、藤野春海が掃除をやめてこちらへと駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませ……って、なんだ羽山か」
「よっ!」
「よっ! えへへっ……」
俺の挨拶をまねて挨拶を返してきた。照れている姿がまた可愛い。
「それで、どうしたの?」
「あぁ・・・・・・その、この後って何か予定ってある?」
「特にはないけど」
「話したいことがあるんだけど、いいかな?」
俺がそう言うと、藤野は一瞬困惑な表情を浮かべたが、すぐに温かな笑顔を浮かべて口を開く。
「うん、わかった。いいよ……」
俺は藤野春海の仕事が終わるまで、食堂の中でレポート課題を終わらせる。
そうこうしているうちに、食堂の受け取り口の窓にシャッターが閉められ、営業時間が終了する。
しばらくして、食堂の入り口に私服姿の藤野春海が現れこちらへと向かってきた。
「お待たせ、ごめんね待たせちゃって」
「いや、大丈夫」
俺は座っていた椅子から立ち上がり、荷物を肩にかける。
そして、どちらからでもなく歩き出した。
大学の食堂までの駅の間は歩いて20分ほど、梅雨空が広がっていたのが嘘のように夕日に染まったオレンジ色の空が広かっている。そんな雨上がりの中を、俺と藤野春海は肩を並べて歩く。
「なんか、こうやって羽山と一緒に歩いてると、小学校の帰り道を思い出すね」
「あ、あぁ・・・・・・そうだな」
確かに、小学校の帰り道よく藤野と一緒に帰ったっけ。
まあ、その時は他の連中もいて二人っきりってことはなかったんだけどな。
「でも、その時から羽山だいぶ大人になったよね」
「そりゃそうだ。いつの話だと思ってんだ」
「あははっ、確かに!」
藤野春海が笑い終えると、再び沈黙が流れ出す。
俺は意を決してその沈黙を破るように口を開く。
「この前な。梅本に会った」
「ぇ……」
藤野春海から息を吐いただけのような声が漏れ出た。
俺は地面を見ながら話しているので分からないが、明らかに動揺しているのは分かる。
「そっか・・・・・・それで、何か言ってた?」
「いや、別にお前の話をしたわけじゃねぇし、久しぶりって会話した程度だよ。アイツの中ではお前は死んだことになってるからな」
「そっか・・・・・・そうだよね、普通死んだ人の話題を久しぶりに会って話すわけないか」
そう言った藤野の言葉には、どこか悲哀が感じられた。
だから、俺は藤野春海の方を真っ直ぐ見つめて言った。
「なあ藤野、お前やっぱりさ一度地元に帰ってきた方がっ……」
「それはダメ!!」
すると、藤野が声を荒げた。その言葉には明らかに藤野春海の拒絶が込められていた。
「それは出来ない・・・・・・」
「どうしてだ?」
「だって・・・・・・」
藤野は俺の方を向いて目に潤ませるものを貯めながら話し出す。
「だって、私がすべてを壊してしまったところに行く資格なんてない。本当は私すべてを捨てなきゃいけない存在なの。過去も未来も。一度死んだも同然の人間なんだから……それに、他の人に合わせる顔がない。いきなり『実は生きてました~』ってのうのうと現れて、許してくれる人がいると思う? そんなのは物語のフィクションでしかない。現実はもっと残酷で醜くて、儚いもの。だから、わたしにはいく権利がないの」
そう言い終えた藤野は一筋の涙を頬を伝うように流していた。
やはり藤野は自分がやってしまった過ちを、全部自分の責任にしてしょい込もうとしているのだ。誰の力も借りず、だれも助けも借りないで・・・・・・
自分はもう既に死んだ人間。人に嫌われて忘れられた、かわいそうな人。
そう自分に言い聞かせていないと、今の自我を保つことすら出来ないのだろう。無理をしてでもそう思わないと、今のライフバランスさえもが崩れ落ちていってしまうから。
だが、それは藤野春海にとって嘘偽りの人生でつまりは本当の正しい生き方でもないし、ただ自分が作り上げたフィクションだ。彼女自身が死んだも同然と思うような罪を犯してしまったのなら、それに真っ向から向き合うことが、彼女が今後生きていくうえですべきことなのではないのか。
だから、俺に出来ることはその形成されてしまった固定概念をぶち壊してやるくらいしか出来ない。藤野春海が、本当の意味で過去と向き合って生きていくためにも。少しでも他人を信じられるようになるためにも……
「藤野、確かにお前はやってはいけないミスを人生半ばで犯してしまったのかもしれない。だがな、だからといってそれまで生きてきた人生を否定しちゃ何も始まらないし、これからもずっと嘘をつき続けて生きていくことになる。それは、お前にとっても他の奴にとっても何も生まないし、何も生まれない」
「そんなことは分かってる・・・・・・」
藤野はきゅっと唇を結びながら俯いている。
「一つ言っておくが、別に世の中の全員がお前を嫌いになったわけじゃないし。お前を全員が嫌っていると考えるのは自意識過剰だぜ。だってほら・・・・・・目の前にちゃんと許してるやつがいるだろ?」
俺は頭を掻きながらそう言うと、藤野は少し驚いたように顔を上げて俺を見つめる。
そして、ふっと噴き出すように破顔した。
「ふっ、確かに。羽山は全然気にした様子もないね」
「だろ? ま、俺は普段から適当に生きてるから、大抵のことは許せちゃうんだろうな」
「なにそれ、意味わかんない」
「だな・・・・・・」
俺は適当にあしらったが嘘だ。
おそらく藤野春海だったから許せたのであろう。今までの彼女をよく見て来て仲良くしてきて、過去の彼女を知っているからこそ、俺は藤野春海の再会を受け入れることが出来たのだろう。というか、それ以前に許すも受け入れるも何もないのだ。
俺たちにとっては、彼女がしてしまった俺たちが知らない罪よりも、彼女の命や彼女との思い出の方が大切なのだから。
「なぁ、藤野」
「ん、何?」
「今度の日曜日、連れていきたいところがある? 一緒に来てくれるか?」
俺がそう言うと、彼女は俯いて一瞬の躊躇を見せたが、すぐに観念したように頬を釣り上げて無理やり笑みを浮かべてこくりと小さく頷いた。
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