『みんな、しんでれら』
やましん(テンパー)
『みんな、しんでれら』 《前編》
* これは、フィクションです。
この世の中のことがらと、一切、関係ありません。
ただし、一部、歴史上、実在の人物や、その作品を扱っています。
🌞 🌞
やましんの、数少ない知識において、宗教的な考え方は別として、この地球上の生命で、死ななかったものは、いない。
と、いうことで、正しいのだろうな、と思うのですが・・・・・・・
********** 🌅 **********
ぼくらは、太陽さんは、意志のある物体である。
しかも、大変、知的な生命体である、という考えが正しいと仮定していました。
もちろん、こうした考えは、昔からあります。
コナン・ドイル氏は、その小説の中で、鬼才チャレンジャー教授により、地球が生き物であることを、証明して見せました。(フィクションですけれどね。)
それは、他の天体も、同じく生き物であることをも、示していたわけです。
ぼくたちは、というより、我が教授は、太陽さんと、コミュニケーションを取ろうと企んでいたのです。
御承知のとおり、我が太陽さんの直径は、だいたい140万キロメートルあります。
もっとも、太陽さんは、ガスの固まりですから、はっきりした、境界のようなものは、ないのですが、その実際に見えているまんまるを、『光球』といいます。
その、構成物質は、75%ほどが水素、25%ほどがヘリウム。
水素とヘリウムの世界で、しかも中心温度が1500万度にもなり、大体5分の1くらいが核だろうと考えられている、この、あまりにも熱っつい恒星さんに、命が宿るわけがないだろう。
しかし、我が教授は、それでも、太陽さんには、『意志』がある、と考えていたのです。
『意志』は、どのような物質にも、宿ることが可能である。
先生は、そう考えていました。
多くの人々は、それじゃあ、まるで、科学じゃないよな、と批判していましたが。
『脳』がないところに、意志が生まれるなんて、それこそ、《幽霊》みたいなお話しで、お話しにならない、というわけです。
なので、ぜんたい、街の『普通の』仏教徒である先生は、『哲学者』としては知られていますが、『科学者』とは認識されていない方なのです。
そこで、先生は文学部の助教授さんであり、本来の担当科目は『西洋音楽思想史』だったのです。
ピアノも、プロまでは行かないけど、けっこう、上手です。
それが、なんで『太陽の意志の研究』につながるのかは、よくわかりません。
まあ、せいぜい、あやしい、疑似科学者というところが、世間の普通の見方なのでした。
『きみ、あの人のゼミにいちゃあ、就職も危ないぜ。あいつは、偽善者だ。』
とかも、周囲から言われました。
しかし、ぼくなどは、かなり《うつ》ぎみでもあり、どこにいても、就職は危ないのです。
でも、とにかく、先生は、面白い楽しい、明るい人なのです。
面白いから、授業は人気があります。
人気があるから、学校も雇っているわけです。
買わされたテクスト自体は、『西洋音楽史』とか、『西洋思想史』とか、『音楽社会学概説』とか、そういうものであります。
でも、それらは、すべて、先生にとっては、どうでもよい事でした。
『人類が、太陽の恩恵で生まれたのならば、人類は太陽さんの意志=ことば、を理解できるはずなのだ。』
先生は、そうおっしゃいます。
しかし、太陽の核内部で、水素の核融合でうまれたエネルギーが、宇宙空間に出て行くまでは、数十万年かかるといわれます。
ならば、太陽さんに、もし、意志があったとしても、それは、おおむかしのものではないでしょうか?
ただし、ニュートリノは、素通りして地球にやって来るのだそうですが。
それは、太陽内部の情報を、直に伝えてはくれるのだとは聞きますが、そいつをつかまえるには、ばかでかい、りっぱな施設や設備が必要になります。
でも、先生には、研究費は、ちょっとしかありません。
🌞 🌞 🌞
『太陽さんに意志があるとすれば、それはどこで生まれるのでしょうか?』
と、あほな学生であるぼくは、ゼミ生に志願した際、こう先生に尋ねました。
『太陽の意志は、ひとつの定まったものであるはずだ。それは、通常は、様々な要素が絡まり合って作られてるのだろう。ニュートリノなどの働きで、瞬時に伝わるのかもしれないが、まだわからない。しかし、全体的に、まとまった意志を表出していると、ぼくは考える。おそらく、太陽内部の多くの場所で、生まれた意志のかけらが総合され、また時に、ある時には、単独で、猛烈に強く表現される。具体的に言えば、黒点などは、きっと、代表的な意志の表示であろう。おそらくは、まあ、電光掲示板見たいな感じだな。一方、大規模なフレアは、それ自体、特に大きな『意志』、あるいは、『感情』が、爆発的に『発出』されたことになる。』
『ぶぎゃ・・・あの、先生、それは、何語なのですか?』
ぼくは、太陽さんの使う言葉という意味と、先生の言ってる意味が分からないという意味を重ねて尋ねたのです。
『ふふふ。きみは、面白い学生さんだね。まあ、『太陽語』かな。』
『解読可能なのでしょうか?』
『ぼくは、そう思うんだよ。で、頑張ってるわけだ。きみ、どう思う?』
『さあ、やってみなくちゃ、わかんないです。』
『そうだね。うん。やってみなさい。学費はいっしょ。学べることは、たくさん。悪くないだろう? 来年度のメインテーマは、『シベリウスと北欧の音楽思想』だが、サブタイトルは『北欧から見た太陽の意志について。』だからね。』
『はあ・・・・なるほろ! なんか、いみしん!』
まあ、ぼくのことなので、そう深く考えたわけでもないのですけれど。
先生と先輩たちは、ぼくを《合格》としました。
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ぼくたちは、シベ先生そっちのけで、10万ドリムまではしない、でも、新品の反射望遠鏡と、中古のデジタルカメラで、太陽の写真を撮り続けました。
高度な技法は、お金もないので使えませんが、パソコンに入れて、ああでもない、こうでもない、と、議論しました。
一方で、ネットで配信される、太陽のデータもさかんに集めました。
シベリウスさんの音楽は、ぼく自身は、もともと大好きで、レコードやCDや文献などを、学生のくせにかなり大量に持っていたので、そっちのほうは、わりと、すんなりとこなして、おりました。
むしろ、先生に、御貸しすることが、多かったですが。
部活は、『管弦楽部』で、フルートを吹いていました。
当時、ホルストさまの『組曲惑星』などを、秋の定演に向け、練習中でした。
先生は、実は、ここの顧問でもありました。
あまり、練習では、そのお姿は、見かけませんでしたが。
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四年生になって、梅雨がくる直前のある日、先生から、メールが来ました。
『夕方5時に、研究室に来てほしい。君と、みどりくんに見てほしい。』
みどりくんは、同期の女学生で、日本人とアメリカ人のハーフであり、美しい褐色の肌を持っていました。
おくてのぼくは、あまり関心がなかったのですが、そこそこの美人であると、みなから言われておりました。
先生のメールは、そのあと、こうなっていました。
『太陽さんは、自殺しようとしている。止めないと、みなおしまい。』
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中編に続く・・・・・
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