第28話 分断の王 2 




 根源こんげんちからの枯渇はもはや覆しようがなかった。


 植物は根源ノ力の濃度の低下に伴って休眠し、根源ノ渦と物質的世界との間の緩衝材は機能しなくなった。


 生き残った生命はわずかな根源ノ力を競うように消費してゆく。根源ノ力が増えるそばから消費し、根源ノ渦の回復に流れる余地はない。


 生と死は負の螺旋らせんを描き、世界を滅亡に導こうとしていた。


 要は世界というけいが大きすぎるのがいけないのだ、と白の魔法使いは言った。


 残された根源ノ力の量でも十分に富める規模に限定した系を作り、その内部で根源ノ力を増幅させよう。白の魔法使いはそう提言したのである。根源ノ力の量が足りない。ならば密度を高めればいい。


 残された根源ノ力を用いて豊かな小世界しょうせかいを創り、そこに人間を住まわせる。豊かな小世界で人々は文明を発展させ、根源ノ力を増幅させる。


 そして小世界が成熟した頃、全てを元の世界に還元する。


 これが白の魔法使いが砂の蜥蜴とかげに示した案であった。


「神の真似事ですね。」


 砂の蜥蜴は皮肉に口元を歪めた。


「個人の人生のみならず、ヒトがつむぎ出す歴史や文明を含めた全てを生贄いけにえにしようというわけですか。これを二百年前に思いついていれば……いえ、その仮定に意味はありませんね。」


 砂の蜥蜴は机上の計器をいじって諸々もろもろの計算をし、素早く考えを整理した。


「問題点はいくつかありますが、最大の問題は小世界にマナ――失礼、根源ノ力を集約してしまうことです。小世界が開かれるまでの間、本来の世界は立ち枯れ状態に陥ってしまう。」


 この方法では、ヒトが存在しない状態から世界をやり直せるほどの根源ノ力は得られないだろう、というのが砂の蜥蜴の見立てだった。


 小世界が開いた段階でヒトがある程度の文明を維持していなければ、十分な水準まで根源ノ力を増幅させることができない。小世界によってもたらされた力はゆっくりと使い潰され、十年程度で再び枯渇する。


「幸い、策はあります。先ほど言いましたが、共栄帯きょうえいたいという構想がありましてね……」


 砂の蜥蜴は白の魔法使いに地図を示して、共栄帯の概要がいようを説明する。


「これならば最低限の根源ノ力で人類の文化圏を維持することが可能です。」


 マイなど広めて大丈夫だろうか、と白の魔法使いは懸念した。


「大丈夫ですよ。マイを安全に育てられる場所は限られていますからね。生産量は制御可能です。」


 砂の蜥蜴は邪悪に笑った。


「百年程度なら持たせられるかと。」


 小世界が収穫期を迎えるには十分な時間だった。小世界が開いた後も、十年程度は根源ノ渦が乱れるであろうことを思えばギリギリの時間でもあった。


「念のため、他にも保険を用意しておきたいところですね。土中なんてどうでしょう。ヒトハミの侵入さえなければ、意外と生存するのではありませんか?」


 砂の蜥蜴は小さく咳払いをして、表情を引き締めた。


「それでは、具体的な話に移りましょう。技術的な壁は無数にあります。何しろ他に類を見ない大魔法だ。我々二人をもってしても、世界をつくるのに十年かかる。小世界の成長に費やしてよいのは最長八十年です。で、この小世界の設計ですが――小世界と呼ぶのもまどろっこしいですね。名前を付けましょうか。」


 そうだな、と白の魔法使いは頷いた。


 少し考えた末に、彼は静かな声でその世界の名を告げた。


 生贄に捧げられるために生み出される小世界の名は、ルス――。



               *



「私が法王から聞いたルスの成り立ちは、以上だ。」


 ティエラの話を聞き終えても、エルバは動かなかった。エルバの脳はティエラの言葉を受け入れることを拒否しているようだった。


 自分が軸足を置いていた世界がすでに存在しない。


 それは受け入れがたいことだった。


「つまり、こいつはオレ達の世界の生贄になるために創られた世界で生まれたって?」


 ゴートが気遣いの気配が濃く滲む声でティエラに問うた。


「それで、その世界はもうなくなってるってのか?」


「そうだ。」


 ティエラは頷いた。


「約束の日はとうに訪れていた。ルスがはぐくんだ源素げんそが世界に満ちている。今はルス消失の余波で大いなる流れが乱れているが、これが落ち着けばヒトハミは自然に消え、世界は元の姿を取り戻すだろう。君たちが旅をする意味など、どこにもなかった。」


「では、どうして法王さまは私たちを送り出したのでしょう?」


 フューレンプレアは床に向けて呟いた。


「帰ったら本人に聞いてごらん。きっとろくでもない答えが返って来る。」


 ティエラは苦々しげに答えた。


「何故――」


 エルバはようやく口を開いた。


「何故、白の魔法使いは僕に力を与えたのでしょう?」


 最強の聖剣に、三つの願い。エルバ自身、ヒトハミをただの動物のように殺す力を持っていた。殺してはならないはずのヒトハミを、殺す力を。


「彼はどうして、僕を生かしたのでしょう?」


 解らない、とティエラは答えた。


「あいつの考えなんて、私にはこれっぽっちも解らない。もしかしたら、面白くなかったのではないかな。皆が私たちに否を突き付けた末に至った滅亡に、ただ救いの手を差し伸べるのが。だから君という危険人物を送り込んだ。人類の天敵を殺す英雄が世界を滅ぼすだなんて、痛快ではないか。」


 ティエラは歪んだ笑みを浮かべた。緑色の瞳に捻じれた悪意がひらめいた。


「エルバ。」


 名前を呼ばれて、エルバは顔を上げる。


「もしも君の故郷を食らって永らえたこの世界に復讐をしたいと思うのならば、その剣を使うと良い。それは白の魔法使いと繋がっている。その剣で世界を救うことはできないが、滅ぼすのは簡単だ。」


 ティエラは挑発的に言う。エルバはうつむいて、床をにらみつけた。親の仇のように。


「もっと、早く言って下さいよ。」


 言葉の途中で声が無様にひっくり返った。


「ティエラさん、あなた、結局は何も解ってないんだ。犠牲にされた側の痛みなんて、何も理解していない。」


 父、母、妹、幼馴染、学校の友達、先生、近所のお爺さんやお婆さん、公園でじゃれ合っていた子供たち、映像の中で見る著名人、人間以外の生物……。


 いびつに発達した文明、豊かな自然を残す霊山、無駄に溢れた安全で豊かな生活。


 エルバの故郷は、もうどこにもない。


「ルスは僕にとって、かけがえのない場所だった。仕方がないなんて思えないのに、こんなに苦しいのに……必要だったとか意味があったとか、言わなきゃならない気持ちが、あんたに解るのか!」


 エルバは激情に任せて白枝の剣を床に叩きつけた。丸まった絨毯じゅうたんから埃が舞い上がって、射し込む光の中でキラキラと輝く。


「こんなことなら、僕はこの世界のことなんて知りたくなかった! 誰のことも好きになりたくなかった! 皆殺してやりたいって思いたかった! 今更、こんな、今更……大切な仲間ができた、今になって……」


 エルバは床に膝を着き、額を絨毯に押し付けて意味をなさない叫びを上げる。やがてそれはすすり泣きへと変じた。


「エルバ!」


 フューレンプレアがエルバの肩に手を置いた。温かさが毒のように肩に沁み込んで来た。エルバをすくってきた彼女の優しさが、今のエルバには恨めしい。


「……すまない。」


 ティエラは呟いた。


「私は贄の王国が間違っていたとは思わないし、ルスの犠牲も必要なものだったと思っている。君たちが私を理解できないのと同じさ……。私にも君たちが理解できない。私たちは、相容れない。」


 緑色に輝く双眸そうぼうに、ゆっくりとまぶたが覆いかぶさってゆく。


「ずっと人間が憎かった……。私たちを否定したくせに、滅亡を嘆く連中が大嫌いだった。」


 うわごとのようにティエラは言った。


「それでも……申し訳ないとは、思っているんだ。」


 緑の瞳が瞼の奥に隠れる間際、ティエラは「ごめん」と呟いた。エルバはやっと立ち上がり、ゆっくりとティエラに近付いた。


「……何がごめん、ですか。許すとは言いませんよ。」


 ティエラは反応しない。眠ってしまったようだった。エルバは彼女に手を伸ばす。


 突如として濃い霧がエルバたちの周囲を覆った。見る間に視界が白く染め上げられる。伸ばした手の先で、ティエラの姿が乳白色の景色に呑み込まれるようにして消えた。


「ティエラ!」


 数歩走って、エルバは足を止めた。いつの間にかエルバたちは玉座の間の入り口まで戻っていて、玉座とそれに寄りう椅子は深い霧の奥に消えていた。ティエラはどこにもいなかった。


「この霧は……カテドラルの東側を覆っていたものと同じ?」


 フューレンプレアが呟いた。エルバは玉座へと走る。霧の中に飛び込むと、視界はすぐさま白く染まり、いつの間にか霧の外側に戻された。


「もう止せ。」


 何度でも霧に挑むエルバを、ゴートが止めた。ゴートは何とも言えない苦い表情を浮かべていた。


「いるんだろ!」


 姿の見えない誰かに向けて、エルバは叫んだ。


「姿を現せ、卑怯者!」


 エルバの叫び声は虚しく玉座の間に反響した。

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