第4話哀惜
遥人は死んでいた。感情が。
あの絶望や、恐怖。さっきまであった虚無感すらもう彼の心には残っていなかった。
”無心„。その言葉が今の彼の状態を最も正確に表現している。悪い意味で。
仮にどれだけ鮮やかに美しく描かれた絵画を見たとしても彼の心には響かないだろう。彼の目は濁っているのだから。彼の角膜は一切の情報を遮断しているのだ。
辛うじて脈打つ血管だけが身体の自由を失った彼が生きている唯一の証明だ。
彼が憧れた”明晰夢„とはこんな残酷な世界だったのだろうか。怒りを抱くことも許されず、痛みで怒りを恐怖で染め上げ縛る。自由なきこの世界が本当に”まさに夢のような代物„なのか。本当に明晰夢の世界なのだろうか
悲しいことに彼はそんな疑問を抱くことはない。遥人は死んでいるのだ。感情が。
だからこそ気づかない。
-- 部屋全体が光に照らされていることを。
光は徐々に輝きを増していく。光は脈が弱くなって死にゆく遥人を包むように照らす。
遂には光の輝きは殺風景な空間を飲み込み全てが光に帰った。
光は次第に物質化していき空間を埋めつくす白いキューブへと変貌する。
白いキューブに亀裂が入る。
パチン
何かをはじいた音が鳴る。一度亀裂が入ったものはもろい。きっかけを得た亀裂は白いキューブを駆け巡り白いキューブは砕け散る。
殺風景だった景色は全てが白に塗り替わっていた。
白い空間には二人いた。
一人は身体を欠損し倒れた遥人。そして、彼を見下ろし立っている白い少女だ。
少女はとにかく白かった。肩まで伸びた白い髪に白い腕。神々しい白いロングドレスに切れ込みから見える細い白い足と白いヒール。眉毛も白い。まさに無彩色に支配されたともいわれたてもおかしくない容姿をしていた。ある一点を除けば。
白に反発するような朱い目が遥人を捉える。
「久しぶり。遥人」
少女はしゃがむと懐かしそうに彼の名を呟く。
遥人はなにも反応しない。当たり前だ。彼は死んでいるのだから。
「せっかく目を覚ましたのに一時間もしないでまた眠りにつくの? あの子たちの頑張りも無駄になっちゃうね」
言葉の割に幼さを残す少女は悲しそうな顔を見せない。逆に少しにやけているようにも見える。
「あの子も自分を犠牲にしてまで生かしたのに、遥人が死んだって知ったらどんな顔するのかな。泣き崩れるのかな。ショックで寝込んじゃうのかな。どっちも見たことないから見てみたいな」
少女は”あの子„がどんな反応するのか想像し無邪気に笑った。
「でも、きみにはこっちにいてもらわなきゃ困る。きみが悪魔になったとしても」
少女は左手で遥人の首元を掴み持ち上げる。
「強引な手段でやるけどごめんね」
少女は右手に白い”なにか„を纏わせると右手をゆっくり引く。
「ぐぎゃっっ! 」
少女は右手で遥人の胸を刺す。
ロックの薬が効いている遥人は尋常ではない痛みで顔を上に向け悲鳴をあげる。
「もう少しだから。我慢して」
少女は遥人の悲鳴の中、彼の心臓を掴み、強く握る。
遥人の悲鳴が収まり、遥人は顔を下へ向けた。
「よし、どうかな」
少女が腕を引き抜くと彼女の右手についていた血で白い床を汚す。
彼女は躊躇なく左手で掴んでいた遥人の首を放した。
重力で遥人の身体落ちていき床に激突...... するはずだった。
ーー 空中に浮いた遥人から朱い何かが噴き出す。
勢いはどんどん強まり白い空間に激しい風を巻き起こし、笑う少女の白い前髪を揺らした。
「成功したみたいだね」
満足気な少女の視線の先ではさらなる変化が起きていた。
床に飛び散った血が遥人の胸に空いた穴に集まっていく。集まった血は穴を覆い数秒すると遥人の身体に吸い込まれるように消えていった。胸の傷は消え、残されたのは穴が開いた服のみだった。
遥人の失った両足、両腕を失い流血していた両肩と腰に血が傷口を覆い完治させる。
彼の血は欲張りらしい。傷を完治させるのだけでは飽き足らず、両肩と腰から血が噴出し、徐々に形を変え、両肩から噴出した血は両腕の。腰から噴出した血は両足の形を形成し、液状から固体に変化。朱い色が肌色と色を変えて両腕と両足が完成した。
少女は遥人が五体満足になったところを見届けると指を鳴らす。
パチン
白い壁と床が魔法の用に消え、少女に光が注がれる。
「一応、適当に服置いとくね。裸じゃまずいでしょ」
少女はいつのまにか黒いTシャツと白い短パンなどの服装をそろえると光の外側に置き、東の方角を見て満面に笑み浮かべる。
「ごめんね。きみの知っている遥人を殺しちゃったかもしれない」
少女は遥人の方を向き直ると手を振る。
「じゃあね遥人。ボクは『オリジンワールド』で理性で抑えられていた本当のきみを見てるよ」
光は輝き少女を包み込むと何事もなかった用に消えた。
そして、遥人の変化が最終段階に入る。
髪の右側から中心に向けて赤が進行していった。中心に到達すると赤と黒が混ざり合う。色がどんどん変化して一つの色に定まる。
遥人から噴き出す朱い色の”なにか„が収まり、風がやんだ。
ーー 地に足をつけたハルトはゆっくりと目を開け、顔を上げる。
朱い目でハルトは自分の身体を確認する。
「たしかぼくは拷問されて...... っつ! 」
ハルトは頭痛で頭をおさえる。頭痛とともに自分が拷問された記憶が頭の中を駆け巡る。
ロックにサンドバック代わりに好き放題にいたぶられ、他にも言葉に出来ないほどの拷問じみたことをされて最終的に四肢を捥がれたこと。全て思い出してしまった。
頭痛も収まったハルトは自分の感情が急激に変化していくのを感じていた。
ロックに拷問をされたときの恐怖と絶望が怒りと憎しみに変わっていくことを。
なにもしていないのに”弱い„だけの理由で残虐行為をしていいわけがない。
罪を犯したらその分報いを受けなければならない。
なぜか置いてある衣類を身に纏うとヤガミハルトは拷問によって周辺に飛び散った血を全て吸収してその場に座る。
強引に力を解放させられた彼には理性という楔形くさびはもうない。普通の高校生、八神遥人はもう完全に死んだ。
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