第2話異郷


 

 背中の慣れない硬さで目覚めた少年はそわそわしながら眼を開ける。

 目の前には見覚えのない黒ずんだと鉄製の天井が広がっていた。


 もしかしてこの世界は...... ”明晰夢„!?



 少年、八神遥人やがみはるとは”明晰夢„《めいせきむ》に憧れを抱いていた。

 ”明晰夢„とは自分で夢だと自覚している夢のことである。


 この夢の魅力は夢のコントロールが可能である点だ。

 なんでも好きなことが出来る。例えば、空を自由に飛んだり、自分の部屋からパリのエッフェル塔、ハワイのビーチだって一瞬でいくことが可能だ。上手くいけば、この世のオタクたちが憧れる異世界で魔法を使って無双することだって出来る。厨二心をくすぐるようなまさに夢のような代物である。


 ”明晰夢„を見るには”夢と現実との違い„から夢であることを自覚しなくてはならない。

  急に夢を自覚しろと言われても困惑するかもしれないが、いたって簡単だ。

  現実の世界ではあり得ないことや、現実世界の生活との矛盾を見つければいい。

 例えば、突然天井から大量の包丁が落ちてきたり、死んだおばちゃんが当然のように家でお茶を飲んでいるとか。非現実的な”違和感„を見つけていけば夢の自覚は容易に出来る。


  明晰夢に憧れる八神遥人は高校2年生17歳だ。

  悲しいことにイケメンでも高身長でもない。

  逆に容姿は老け顔と言われる顔に、身長163cmという女子にも負けるかもしれない低身長の持ち主だ。

  至って平凡。いや、コンプレックスが多い遥人が”明晰夢„に憧れるのは無理もない話だろう。




  遥人は湧き上がる期待を胸に秘め起き上がろうと上半身に力を入れる。


  期待を裏切るかのように上半身に力が入らない。金縛りだ。

 予期しない出来事にパニックを起こしかけている自分を制止し、手や足にも力を入れようとするがやはりぴくりとも動かない。

 期待で胸が膨らんでいた遥人の心は空気が抜けた風船のようにしぼみ、不安が支配しつつあった。

 ”少なくとも自分の身に何かが起きている„という事実に不安を覚えているのだ。


  身体が動かない分、目から得られる情報は多くはない。確実にいえるのは目の前に見える薄汚れた鉄製の天井は身に覚えがないということだけ。もちろん目覚める直前の記憶は自分の部屋だ。


  徐々に明らかになる異質な状況。遥人の不安は恐怖へと変わっていく。




 ◇




 どのくらい経っただろうか。

 時間を知る術がない遥人には検討がつかない。

 唯一理解出来るのは、状況が好転に向かっていないことだけだ。

 ただ、絶望的な状況の中で遥人はぼーっと過ごしていたわけではない。

 自分の身に起きている現象の原因と解決法、ここは現実なのか夢なのかを考えた。

 しかし、出てくるのは憶測だけ。

 答えを出すには情報が少なすぎた。


 ーー 変化は静かにゆっくりと訪れてくる。


 突然、重量のある扉の開閉音が響き、こちらに近づく足音が聞こえてきた。

 向かってくるのは一人ではない。

 人数まではわからないが二人以上いることは確かだ。

 足音が大きくなるにつれ、鼓動が速くなる。

 身体が動かないからなのか、遥人の耳だけではなく全身からも近づいてくる足音は鮮明に伝わってきた。


  もうすぐやってくるであろう変動に向き合う暇を与えず、そ・れ・ら・は・止まる。


「目覚めたようだね」


  発せられたその声は、想像したものとは程遠い温厚な老人の声だった。



 ◇




「クレール、早く“能力„を解きなさい」


「了解しました。では失礼します」


  遥人の心がざわつく。

  原因は、老人らしき人物が語った”能力„という単語だ。その意味が彼の求めているものと同じなら......

  ギャレックの命令でクレールと呼ばれた男が近づいてくるのが遥人には足音で分かった。

  再び鼓動が大きくなる。

  鼓動の意味はさっきとは異なり遥人の心に恐怖が薄らぎ希望の色に染まりつつあった。


  一つの単語で劇的に変化している心境に奇妙さを感じながらも、自分の感情に身を任す。

  視界にクレールと思われる人物が映り同時に、自分のなにかが身体に触れる感触がした。




  麻酔を打たれたかのように何も感じなかった身体に感覚が甦る。

  いきなり元に戻ったからなのか少しけだるさがあったがそれ以外いたって正常だった。



「今まであなたを身体の自由を奪っていたのは、私の”触れた物の時間を止める能力”によるものです。本当に長い間拘束して申し訳ありませんでした」


  遥人は起き上がるとクレールと呼ばれていた人物の方を見る。そこには近代的な軍服を着て眼鏡を掛けた知的な男がいた。男は少し遥人の様子を確認すると彼から離れていく。


  遥人は深呼吸するとクレールのいったことを噛みしめるようにもう一度頭に思い浮かべる。

  触れた物の時間を止める”能力„。

  彼の心はもう恐怖から歓喜へ完全に塗り替えられた。

 


  弾む心をおさえつつ、クレール以外の声の主に目を向ける。

  目線の先にはクレールと同じ軍服を着た二人の男がいた。


  一人は長身でがっしりとした身体付きでクレールとは正反対な脳筋のような風貌をしたいかつい男。

  脳筋男とクレールの間に立つ人物が恐らく最初に話しかけてきた老人だろう。

  声の印象と変わらぬ温厚さはあるが、目から力強さを放っており、ただの年寄りとは思えない雰囲気を醸し出していた。


「私の名はギャレック・ヨースティンここの長を務めさせてもらっている」


 老人、ギャレックは自己紹介をしたので遥人も名乗る。


「俺の名前はハルトです。ここはどこはですか?」


「ここはアルディエル牢獄だ。殺風景なところだよ」


  ギャレックの話したことが本当なら遥人がいるのは監獄ということになる。

  もちろん遥人は監獄に入れられるような罪を犯した覚えはないし、アルディエル牢獄なんて監獄聞いたことがない。現実世界とは到底考えられなかった。


  遥人は改めて周囲の様子を確認する。

  規模は一人を収容するには大きく、体育館ほどあった。

  天井、壁、床全てが鉄製でそれ以外何もないまさに牢獄に相応しい風景。ギャレックの言葉通り殺風景な場所だ。


「ではなぜ牢獄に? 動きまで封じといて保護では通りませんよ」


「簡単な話だよ。君は危険だと判断したからだ」


「危険? 俺がですか?」


 遥人はギャレックの発言に驚く。至って平凡な生活をしてきた彼は今まで一度も危険なんていわれたことがない。ふっと遥人の中で一種の期待が芽生える。もし、ここが”明晰夢が作り出した世界„なら物凄い能力を持ってたり、どこかの主人公のように莫大なチャクラ的なものを持っているとかいわゆる、”チート„があるかもしれない。


「君が牢獄の正門で発見されたことだ」


 違ったみたいだ。遥人はギャレックの発言に拍子抜けしてしまう。彼が考えた以上に普通だし、はたして牢獄の正門で発見されたことは危険なのだろうか。危険というよりおかしいという表現の方が近いのではないのか。


「君は理解していないようだが、牢獄の正門で発見されること自体がありえないのだよ」


「どういうことですか? 」


「ここの周辺にある樹海は、広く複雑な構造をしているうえに生命を吸い尽くす。これがなかなか厄介でね...... 一時間もいれば私たちでも無事でいられるかわからない。しかし、君はそこを抜けた。考えられるのは、我々三人しか知らない抜け道を通って来たか、なにかしらの対抗手段を持っているということだ。そんな不確定要素を持ち、牢獄の近くまで勝手に侵入したときた。そんな男を危険と思わない人間がどこにいるのだね?」


  たしかにギャレックのいうことは間違っていない。彼がいうことが本当であれば遥人でも同じ判断をしただろう。”樹海„というだけで危なそうなのに生命を吸い付くなんか物騒ないわくつきな場所を抜けたら誰しもが”危険„だと思う。

 

「質問は以上かな? ではこちらから質問させてもらうよ。君はどこからきたのかな? そして、目的はなんだい?」


  遥人にとってこれらの質問は答えづらいことだ。

  事実を答えても信じてもらえる可能性は低い。

  嘘をついてもバレてしまったらただではすまないだろう。


  拳を握りしめ、覚悟を決める。

 


 ーー 今ここで世界の創造主は力を行使することを決めたのだった。



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