国家
以下は私と友人の会話をもとに細部を創作した。
「国ってさ……何?」
「国土とか国民とかのことじゃないの?」
「いや、国土は国土だし、国民は国民じゃん。みんな、国のために、国のために、とか言うけど、それって一体何のため? 国土のためなの? 実際国ってよくわからないものなのに、そんなもののために、どうしてあんなに頑張ってるの?」
「国が大切だからじゃないの?」
「だからそもそも国って何なん? 私にはそれがよくわからない。国を変える、って、何を変えるつもりなの?」
「そういう場合の国っていうのは国民じゃないん?……国は大切じゃないかもしれないけど、国民は大切だよ。」
この台詞には何だか輝くものを感じた。しかし私は続けた。
「ってことは、国を変えるってことは国民を変えるってことでいいん?」
「いいんじゃないの?」
「でもそれって傲慢じゃない?」
「なんで?」
「だって、国民全員を変えるってことでしょ? でも、意見が対立してる人もいるわけじゃん。……何かが変わるじゃん。もちろんそれで、何かがよくなる人はいると思うんさ。でも、悪くなる人もいると思うんさ。じゃあ何のために、国を変えるん? 絶対的な数で見たら、結局同じじゃん。」
「国のシステムを変えるのは、同じままじゃ皆飽きてくるからだよ。目新しいものを好むんだよ。今の日本のシステムって、百年近く続いてるから、そろそろ変わると思う。」
「……何だかそれって不毛じゃない?」
「まあね。」
そして会話は思い出話へと移っていった。
さあ国家とは何か。
これも友人と話し合ってのことなのだが、私はこれを、「『日本』というものにアイデンティティを求める人間の集まり」とした。これは具体的にどういうことか。一番最初から、私の考えの道筋を示したいと思う。
まず私は、「この国を変える」という言い回しに違和感を覚えた。「この国」を変える。「この国」とは、この場合、一つの例として「日本」とさせてもらう。
私は「日本」を見たことが、かつて一度も無い。「日本の領土」や「日本の国民」は何回も見たことがあるが、そのそもそもの「日本」に、私は触れたことがない。
しかし、見えないものは存在しないのかというとそんなことはない。目に見えないけれど存在するものは確かにある。例をあげると、感情、感覚、イデオロギーなど。例えば「悲しい」と思う。「でも悲しいっていうのは目に見えないから存在しないんだよ」なんて慰められても、腑に落ちないだろう。「日本」も同じで、目に見えないけれど存在するものである。「日本とは」と言われて、「そんなものは存在しないよ」と言い返す人はなかなかいないと思う。「日本」という概念が存在する限り、「日本」は存在する。
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