14.わたくしは、出来るかもしれないと思ったの。

「急にお邪魔してすまないね。作業は順調かい? アイル嬢」


 ナールが扉を開けて入ってきたのは、端正な容貌に、その呼び名に似合わぬ柔らかい笑みを浮かべた激情の魔公であった。慌てて立ち上がり、礼の形をとろうとするリーリアに、彼はわずかに苦笑を漏らした後、「休憩中だろう? 楽にして」と言ってその動きを制した。


「役職とは言っても、同じ屋敷に住む家族のようなものだからね。挨拶は言葉で構わないよ。毎回大変だろう?」


 言いながら、クラキオはナールが作業机の傍らにもう一脚用意した椅子に腰を下ろす。積み上げられた聖石を脇に寄せ、彼の分の紅茶と菓子がそこに置かれた。またふわりと、紅茶の香りが揺れる。

 クラキオはナールに「ありがとう」と笑いかけた後、カップに手を伸ばしていた。


「様子を見に来なくてはとずっと思っていたんだけど、俺の方も仕事が溜まっていてね。遅くなってしまった」


 こくりと、彼は紅茶を口にする。魔族だというのに洗練されたその仕種を眺めた後、リーリアは更に逡巡して視線を彷徨わせ、「あの……」と口を開いた。


「ツォルン公爵様、こちらへは、どうしてお越しになられたのです? わたくしの仕事に、何か不備が有りまして?」


 日々書斎に籠って忙しく仕事をこなしている彼が、何の目的もなくわざわざ自分の元を訪れるわけもないと思い、おそるおそる問いかける。クラキオはくすりと笑って、「クラキオで良いよ」と呟いた後、かちりと小さな音を立てて紅茶のカップを置いた。


「今言った通り、様子を見に来ただけだよ。後……、少し、気になったのもある」


 クラキオは少し視線を逸らした後、「誤解しないで欲しいんだけど」と言いながら、困ったような表情を浮かべた。


「俺やこの屋敷に住んでいる魔族はね、皆耳がとても良くて。特に俺は、屋敷の中にいても、この屋敷の敷地内、どこの音でも大抵拾える。……ああ、もちろん、寝室や、君のプライベートな空間には、俺の魔力を使って常に音を遮断しているから。そこは心配しなくて良いんだけど」


 「何かが割れるような音が聞こえたからね」と、彼は続けた。


「とても硬い物が割れるような音が、ここ数日、この時間になると聞こえて来ていたものだから、不思議に思っていた。誰かが屋敷に侵入した様子もないし、危険はないだろうとは思ったんだけど。……あれは一体、何の音だい?」


 言葉通り、クラキオは不思議そうな表情でその金色の瞳を向けてくる。射貫くようなその真っ直ぐな視線に、リーリアは、う、と言葉を詰まらせ僅かに目を逸らす。

 彼が言っているのは、ほぼ間違いなく先ほどの音だろう。罅の入った二つの聖石をちらりと見ながら思う。別に今回のこれは隠す必要もないのだが、期待をさせてしまって、結局出来なかった、というのが心苦しいわけで。

 だからと言って他に言い訳も思いつかず、小さく息を吐いた後、「少し、実験をしておりましたの」と素直に応えた。


「お食事の度に、ツォルン公爵様は……」


「クラキオで良いって。言いにくいだろう? 俺もリーリアって呼ぼうかな」


「それは構いませんが……。く、クラキオ様は、お食事の度にたくさんの聖石を口にしてらっしゃるでしょう? 聖石が美味しいのであれば、わたくしも何も思わないのですが、硬い上に味もないと仰っているのを聞いて、気になってしまって……」


 彼だけでなく、魔物や魔族の者たちは多かれ少なかれ聖石を口にしているのだ。甘みを感じられる者たちは良いと思うが、高位になればなるほど味がなくなるという。慣れているとはいえ、好んで食べたい者などいないはずだ。

 「だから、考えたのです」と、リーリアは意識的に表情を見せない淑女然とした笑みを浮かべて続けた。


「せめてその数を減らすことは出来ないだろうかと」


 二つの聖石を一つに。口にする数を出来るだけ少なく。クラキオの場合、二百個近く口にしなければならない聖石がその半分になるだけでもかなり違うのではないかと思うのだ。

 クラキオはただ静かに、リーリアの言葉を聞いていた。


「もちろん、二つを一つにすることで、その大きさが大きくなるだけかもしれませんわ。ですが、クラキオ様は仰いましたわよね? 聖石は、噛み砕いた後は液体のような物となるのだと。それならば、大きさが大きくなろうと、一度噛み砕けば後は液体を呑み込むだけなのではと思いまして。……ここ数日、試みてはいるのですが、上手くいかず……」


 期待させてはいけないと思い、黙っていたのだと告げれば、クラキオはやはり真っ直ぐにこちらを見るばかりで。かと思えば、どこか感心したように「なるほど」と呟き、口許に手をやっていた。


「二つの聖石を一つに、か。それは確かに、助かる。二つの小さな聖石でも、一つの大きな聖石でも同じではあるけれど、数が少ないというだけで気の持ちようが違うからね。でも、上手くいかなかったんだ?」


 問いかけてくるクラキオに頷き、リーリアは傍らに置いてあった、罅割れた二つの聖石を手に取って、クラキオへと見せる。「このように」と、リーリアはその聖石を見つめながら呟いた。


「レンディオが丁寧に教えて下さったので、聖力の扱い方はなんとなく分かって来たのです。聖石の加工も、もう少し練習すれば、一度に複数加工することが可能だと思いますわ。ですが、二つを合わせるというこの試みは……。今まで何度も繰り返しているのですが、片方が罅割れたり、両方が割れたりして上手くいかないのです……」


 「あ、もちろん割れた分の聖石は、わたくしが造りだして補充しておりますので」と、リーリアは慌てて付け加えた。ここにあるのは、国中の魔物や魔族たちに配るために集められた聖石である。それを勝手に減らすことなど許されないから。

 クラキオはリーリアの言葉に頷いた後、リーリアの掌の上にある、ひび割れた聖石を一つ、白い手袋に包まれた指先で摘まむ。興味深そうに眺めた後、ひょいとそれを口にした。がりっと、ここ一週間で聞き慣れた耳に痛い音を立てて、彼はそれを飲み込んだ。


「聖力はほとんど残っていないね。割れた時に逃げたのかな。聖石を加工している時に、何か気付いたことはあるかい? 俺は聖力については、基本的な知識があるだけだから。一つの聖石を加工している時の聖力の動きや、さっき言ってた、二つを同時に加工する時の聖力の動き、二つを合わせようとしている時の聖力の動き。何かそこに手掛かりがあるかもしれない」


 真っ直ぐにこちらを見ながら、クラキオはそう問い掛けてくる。確かに彼の言う通りだと思いつつ、リーリアは積み上がった聖石に視線を向けて、先ほどまで行っていた聖石加工の工程を思い出した。


「わたくしも、まだ聖力を使うということを始めたばかりですので、気付いたこと、というのは難しいのですが……。聖石を加工する際、聖石の大きさが足りない時はわたくしの聖力を補充し、大きすぎる場合は削り取って聖力を霧散させておりますわ」


 とつとつと、リーリアは言葉を紡ぐ。教えられた通りの工程であるため、おかしな点はないと思う。


「二つを同時に加工する時ですが、まだ成功はしておりませんが、一つの聖石を加工する工程を二つに増やしただけです。大した差はありませんわ」


 そして最後が、二つを合わせようとした場合。


「これは本当にわたくしの思い付きによる試みですので、何を参考にしたわけでもありませんが……。固形のまま合わせるのは難しいと思いましたので、わたくしの聖力を使う時の要領で、聖石その物に干渉し、二つの聖石を聖力の形に溶かすことにしましたの。そして溶け出した聖力を混ぜ合わせて、一つの聖石にしようと思ったのですが……」


 「この通りですわ」と続けて、リーリアはクラキオが口にしなかった方の聖石を示す。小さく息を吐けば、静かにリーリアの話を聞いていたクラキオは、何かを考えるように示された聖石を見ていた。


「……聖石に聖力を補充することは可能。聖石を削ることも可能。その、聖石を溶かすっていうのは実際出来るの?」


「え? ええ。出来ますわ」


 言って、リーリアはひび割れた聖石を机に置き、皿の上に積まれた聖石を手に取る。それを両手で包みこみ、目を閉じた。聖石の内側から感じる、聖力の温もり。その熱を少しずつ内側からかき混ぜて、外側の硬い表皮を溶かしていく。とろりとろりとした、液体であり、空気の塊のような物。

 目を開いて、その手の平に視線を向ける。透き通った透明な液体は、一滴も零れることなく緩く開いた両手の平の底を満たしていた。


「これが聖石を溶かした物……聖力そのものですわ」


 じっとこちらを見ていたクラキオに、そう言って聖石だった物を見せる。クラキオはまじまじとそれを見た後、「へぇ、これが聖石か……」と珍しい物を見たとでも言うように呟いていた。


「聖力をそのまま目にしたのは初めてだ。聖石は白いのに、透明なんだね。それに、液体にしてはまとまっているね。かと言って個体にしては柔らかいのかな。これをもう一つ作って、合わせるわけだね?」


 どこか楽しそうな様子で彼は言うと、いつもは伏せがちなその金色の瞳を大きく開いて、先を促すように真っ直ぐにこちらを見る。いつもの艶然とした表情とは違い、子供っぽい無邪気なその姿に、少し驚いてしまった。三桁単位で年上だというのに、少しだけ可愛いと思ってしまった自分は悪くないと思うのだ。

 だが、しかし。クラキオの言葉の意味も分かるし、その通りなのだが、その工程には少々問題があった。


「クラキオ様の仰る通りなのですが……。実はわたくし、両手でないと聖力の操作が安定しないのです。なので、こうして一つの聖石を溶かすと、次の聖石の操作に移れなくて……」


 だからこそ、溶かしながら混ぜるという方法をとったのである。両手に二つの聖石を持ち、それぞれを溶かしていけば、ただの聖力へと姿を変えると同時に勝手に混ざってしまうから。

 実は試しに昨日、一つ目を溶かした今の状態で、聖石をもう一つ、ナールに頼んで掌に取ってもらい、液体に半ば沈んだ状態で溶かしてみた。しかし、結果はあまり変わりなかった。二つ目の聖石に罅が入るか、掌の液体が急激に霧散するかのどちらかなのである。

 となれば次は、二つの聖石をそれぞれ聖力の形に溶かした状態で合わせてみたいのだが。現在、手の平に満ちた聖力は、リーリア自身の聖力で抑え込んでいるために、このような形に留まっている。気を緩めれば、すぐに霧散してしまうため、何らかの容器に移す、ということも出来ないのだ。

 そうクラキオに告げれば、彼はまた少し考え込んでいて。「それならば、別の聖女が片方を持てば良いんじゃないかい?」と首を傾げた。


「君の侍女も聖女だろう? 駄目なの?」


「……一度試してみましたが、駄目でしたわ。抑え込むには、かなりの聖力が必要みたいで……。わたくしは平気なのですが、侍女たちではすぐに聖力が尽きて、霧散してしまうのです」


 彼の言う方法はもちろん、リーリアも思いついたのですでに試したのだ。リーリアの侍女たちもまた、皆聖力を持つ聖女である。聖力調査式典では、杯を半分ほどは満たしたという、なかなかに強い聖力の持ち主ばかりなのだが。それでもまだ、自分の物ではない聖力を抑え込むのには聖力が足りないようだった。

 クラキオはそれに頷くと、再び口元に手を遣り、俯きながら考え込んでいて。何かを思い着いたように、ぱっとこちらを見た。


「それならば、俺が抑えていようか? 聖力じゃなくて、魔力で」


「……魔力で?」


 問い返せば、クラキオはこくりと頷く。「もちろん、出来るかどうかは分からないけれどね」と、彼は小さく笑った。


「俺たち魔物は、聖石を、ひいては聖力を口にして魔力を補充しているだろう? 強引な話だけど、魔力は元をただせば聖力が形を変えた物と言えないこともない。だから、出来るかもしれないと思ってね」


 「俺は魔力も強いから」と言う彼に、なるほどとリーリアも頷く。確かに強引な解釈ではあるが、彼の言いたいことも分かる。彼ら魔物は聖石を取り入れ、それを体内で魔力に作り替えて使用するのだから。ある意味では、とても近しいものだと言えるだろう。

 それに、どちらにしろ、それ以外に方法がないのだ。やってみるだけの価値はある。

 「どうする?」と問い掛けてくるクラキオにもう一度頷いて、リーリアは「お願いします」と応え、聖力を湛えたその両手を、彼の方へと差し出した。

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