13.わたくしは、もう少し練習しなくては。
つん、と指先で白い塊をつつく。リーリアの親指の爪よりも少し大きいくらいの、
リーリアはその白い塊を指先で摘まむと、静かにその目を閉じた。そのまま、頭の中で静かに思い描くのは、今しがた目にしていた白い塊の姿。それが、徐々に徐々に、小さな立方体になっていく様子を、脳裏に思い浮かべる。
ぱちりと、リーリアは瞼を開いた。ゆっくりと、視線を指先へと向ける。
ほっそりとした親指と人差し指の間には、昨日の夕飯の時に目にした、まるで角砂糖のような白い塊が収まっていた。それを、机の上に置かれた皿の上にことりと置く。皿の上には、同じ形、同じ大きさの聖石が、山のように積まれていた。
この作業を永延と繰り返し、今日ですでに一週間が経っている。
ツォルン公爵邸を訪れた翌日から、『魔公の花嫁』としての仕事が始まった。と言っても、『花嫁』としての仕事は主にこの聖石の管理であり、他を挙げるならば、クラキオが不在の際の来客応対ぐらいである。裏を返せば、この作業にかけられる時間がどうしても長くなるため、他の仕事に行き着かないということでもあるだろう。背後にずらりと並ぶ、ぼこぼこと歪に大きく膨らんだ、飾り気のない真っ白な布の袋を見て、そう思った。
クラキオの侍従であるレンディオに教えられたこの作業だが、彼からすると、リーリアの作業速度はかなり早いらしい。『素晴らしいです、リーリア様!』という明るい声に始まり、よくもまぁそこまでと言いたくなるような、過剰なまでの褒め言葉を頂いた。右から左に通り抜けた褒め言葉を掻い摘んで理解したところによると、初日からすぐに作業工程を覚えたこともだが、その出来上がりも完璧だった、とのことだ。リーリアからしてみればそれほど難しい作業でもないため困惑していたのだが、レンディオによると、通常『花嫁』は聖石の形を整えることを数日、更に大きさを揃えることを数日で会得するのだという。全ての作業工程を会得するまでに早くて七日、つまり一週間ほどはかかる予定だったらしい。
まあ、夢の中のあの本の、
この世界にはない言葉のため上手い表現が見つからないが、『何でも出来る』とかそういう意味のようである。通常一週間ほどかかって覚えるところを一日どころか半日程度で覚えてしまったのだから、『何でも出来る』と言われても仕方がないだろうと素直に思った。
リーリアが今いるのは、クラキオの寝室とは反対側の、リーリアの私室の、隣室の一つである。
そこは『花嫁』用に作られた作業室のような場所で、私室の三分の一くらいの広さの部屋に、作業台としての机が置かれていた。リーリアは今その机につき、机の半分を占領するように積まれている、国中から集められた聖石と対面しているわけである。ちなみに、背後の白い袋の中身もこれだ。
うーん。まだ上手くいかないけれど、もう少し感覚を掴めればいくつか同時に加工出来そうな気もするのよね。
歪な塊を二つ摘まみ、手の中で二つの聖石をころころと転がしながら思う。複数の聖石を一度に加工出来れば、作業速度も格段に上がるはず。レンディオの褒め言葉に調子付いたわけでもないが、早い方が良いのは間違いない。それに、こうしてより良い方法を考えるのは、リーリア自身、案外楽しくもあった。
単調に作業を熟すよりも楽しいし、早い方法を確立出来れば、わたくし以降の『花嫁』の助けにもなるかもしれないものね。
そんな風に、リーリアは自分で考えていた以上に、楽しくこの『花嫁』生活を送っているのだった。
ただひたすらに聖石の形を整え、山盛りの皿が二つ目になった頃、傍らに控えていたナールが「お嬢様」と声をかけてきた。そちらを振り返れば、彼女はその手に紅茶や菓子の載ったワゴンを押していて。「そろそろ休憩にしませんか?」と言って小さく笑った。
壁際の、火の入っていない暖炉の上、作業室に備え付けられていた置き時計を見遣れば、丁度お茶の時間である。休憩後も作業を行うため、わざわざドレスを変える必要もないだろうと思いながら、リーリアはナールの言葉に頷いて、軽く伸びをした。ナールは慣れた様子でさくさくとお茶の用意を始め、作業部屋の中にはふわりと柔らかな紅茶の香りが漂った。
リーリアは柔らかく湯気の立つカップを手に取り、口に運ぶ。ほっと、息を吐いた。
難しくない作業ではあるのだけれど、この作業を繰り返していると、少しずつ気怠くなっていくのよね。作業の度に、聖力が少しずつ減っているから、かしら。
聖石の形を変える際、リーリアは自らの指先から微量の聖力が抜けて行くのを感じていた。その聖力が聖石の形を整え、大きさが足りない場合はリーリア自身の聖力を聖石に補充し、多すぎる場合は空気中に霧散させているのだ。余剰分の聖力を取り込めれば良いのだが、どうやらリーリア自身の聖力が、聖石に宿る他人の聖力を拒んでいるようだった。そのため、微量とはいえ聖力は失われていく一方となり、少しずつ疲労として蓄積されているというわけだ。眠ればまた回復するので問題はないのだが。
それを思うと、魔物や魔族の方々は大変ね。生きて行くだけで魔力が失われていく上に、回復するのがあまり得意ではないのだから。
魔物や魔族が自分の力で魔力を回復しようとするなら、一日中眠っておかなければならないという。眠っている間は魔力が失われることもなく、ほんの少しずつではあるが、魔力が戻ってくるからだ。
ダズィル王国内の場合はそれも可能のようだが、他国の自然界では、魔物や魔族である以上、周囲には常に敵がいるわけで。たったそれだけのことが難しいというのが現実のようだった。
さて、休憩もこのくらいにして。……今日もやってみましょうか。
かちゃり、と小さな音を立てて、ソーサの上にカップを戻す。それは、すでに日課になりつつあるとある試み。
リーリアは皿の上から聖石を二つ手に取ると、ぎゅっとそれを両手で握りしめ、目を閉じた。聖石加工の作業を行っているおかげで、リーリアには少しずつ聖力の扱い方が分かるようになっていた。まず、聖力が宿っている位置は、胸の奥。心臓がある場所。そこから湧き出す、僅かな熱を帯びた聖力の流れを感じながら、ゆっくりとそれが掌へと向かうように誘導する。胸の奥から肩へと移動し、腕を通って、ほんのりと掌が温かくなっていくのが分かった。
ここまでは上手くいくのよね。……問題は、ここから。
頭の中で、二つの聖石が一つの塊になるのを想像する。聖石を加工する時と同じだが、少し違う聖力の動きを。
わたくしの聖力を使って硬い聖石を溶かして、それぞれをただの聖力の塊へと戻せば良いと思うのよね。そしてその二つを溶け合わせて、一つの聖石になるようにすれば……。
出来るのではないかと、そう思い、聖石を溶かしながら、二つの聖力を溶け合わせて。
ぱちんっ、と派手な音がした。
「……また、駄目だったわ」
視線を向けることもなく呟き、溜息を吐きだす。握っていた手を緩め、ゆっくりと目を開けてその掌を見れば、思った通り二つの聖石には、深い
一体、何が駄目なのかしら。二つの聖石をそれぞれ加工するのは、もう少し慣れれば出来そうな気がするのに。……聖石を一つにまとめるこちらの試みは、一向に出来る気がしないのよね……。
思い、もう一度リーリアは息を吐き出した。
このツォルン公爵邸を訪れてから毎日、夕食で見ている光景。つまりクラキオが気を遣って自分に話しかける間中、味のない石のような聖石を口の中に放り込んでいる光景なのだが、それがどうしても頭から離れず、リーリアは色々と考えていたのだ。せめてその苦行を、少しでも早く終わらせてあげることは出来ないのか、と。
美味しいわけがないものね、そんな物。……そんな様子を目の前に、お屋敷の美味しいご飯を食べることの心苦しいこと……。
申し訳ないが、料理の美味しさが半減してしまっているとリーリアは感じていた。
責められているわけでもなく、それどころかクラキオはまだ屋敷に来たばかりの自分を気遣ってくれているわけで。しかしそんなクラキオは、とてもではないが口にしたくない代物を口にしているわけで。何とも言えない申し訳なさと居心地の悪さを感じるという、その状況そのものが苦痛だと言っても良いと思う。だからせめて、クラキオの食べる聖石の量が減れば、彼もまた自分と同じ食事を口にすることが出来るのではないかと思ったのである。
形や大きさを変えることが出来るのだから、合わせることも出来るかもしれないと思ったのだけど……。
聖石を溶かしながら混ぜ合わせるのがいけないのだろうか。それぞれの聖石をまず完全に溶かしてしまってから合わせた方が良いのだろうか。それとも、聖石そのものにも何か問題があるのだろうか。
何にしろ試してみなければと、新たな聖石を二つ手にした時だった。こんこん、と扉をノックする音がして、リーリアはそちらに顔を向ける。不思議に思いながら背後に控えていたナールに視線を投げれば、彼女はこくりと頷いて扉の方へと向かって行った。
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