STORY4◆お昼寝漂流ぬこ◆

『39』



 気が付けば、現実世界の自室にいた麗音。


 暫し脳内でデータロード中……


 now loading……now loading……☆


 陽向麗音の思考は停止中。


 寝ぼけ眼でキョロキョロと部屋を見回す。白と黒の女の子の部屋としては殺風景な眺め、彼女の見慣れた筈の部屋。


 垂れ目がちな瞳を瞬かせ目を擦った麗音は被っていたパンダのフードを下ろした。


「はっ、ママ!?」


 何か思い付いたかのように飛び起きた麗音は寝癖だらけの頭でキッチンに向かう。

 向かう、と言ってもドアを開ければそこはもうキッチンなのだが。勢いよくドアを開け、朝食と弁当の支度をする母をじっと見つめる麗音。


「あら、今朝は早いのね?」


「ママ!」


 麗音は母のエプロンに飛び付き顔を埋める。突然どうしたのかと少しばかり驚いた表情の母だったが、麗音の抱擁を優しく受け止める。

 数日、向こうで過ごした麗音には、母の姿がとても懐かしく思えたのだろう。魔王と言えども、こちらでは一人の少女だ。

 ましてや小学三年生なのだから。


「おはよう麗音。今日も甘えん坊さんかな?」


「いいの〜、だってママのこと大好きなんだもん〜」


「あらあら、嬉しい〜。ママも麗音の事、大好きよ。ほら、顔を洗っておいで。そしたら髪を結ってあげる」


「は〜い!」


 麗音は満面の笑顔で洗面台のある脱衣所へ走った。洗面台の前には小さな箱が置いてある。

 麗音はその箱に乗り蛇口をひねり、洗顔と歯磨きをきちんと済ませキッチンへ戻った。

 すると母が小さなローテーブルの前で待っていた。麗音は嬉しそうな表情でその前に座る。


 その時、ふとパジャマのポケットの中が気になった麗音は手を突っ込んでみた。

 すると、小さな指に確かな感触が得られた。


「あ、これは……」


 シルクのくれた黒いリボンだった。どうやら向こう側からリボンを持ち帰って来たようだ。


「麗音、そのリボンは……?」


「あ、えっとね、お友達にもらった!」


「可愛いじゃない。よし、それじゃそのリボンで結ってあげる」


「うんっ、ありがとママ!」



 ——



「行ってきまーす!」


 麗音は笑顔で玄関のドアを開けた。


「「れおんちゃんっ!」」


 すると、いつもの二人、——桜と舞が出迎えてくれた。三人は仲良く世間話なんかしながら学校へと向かう。

 道中、筋肉について熱く語っていた桜は思い付いたかのように麗音に尋ねる。


「れおんちゃん、昨日もいせかい行ってきたの?」


「うん、ま、まぁね」


「いいなぁ〜さくらも行ってみたいな〜」


 桜は羨ましそうに言った。

 すると舞はこの上ないドヤ顔で提案する。


「センセーに聞いてみたら、行き方教えてくれるんじゃない?」


((センセーはダメでしょ〜、まいちゃん……))


「あ、あれあれ?」



 ——



 そして午前中の授業が終わりお昼がやってくる。


 仲良し三人組はお弁当も一緒に食べる。机を三つくっつけて元気に「いただきます」と手を合わす。


 麗音が好物のハンバーグを食べる隣で桜は唐揚げを口に入れ、よく噛み飲み込む。


「この唐揚げさんが桜たちの血となり筋肉となるんだよね〜、尊いよ〜、ありがとう唐揚げさん!」


「え、なになに〜?」


 舞はスパゲティのミートソースを頬につけたまま頭の上にハテナを浮かべた。麗音はそんな舞の頬についたミートソースをティッシュで拭いてあげる。

 舞は照れくさそうに身を委ねている。


 この後も桜の筋肉談義は続いたが、そこは省略する事にしよう。



 ——



 さて、放課後がやってきた訳で、麗音達は帰り支度をしている。ランドセルに教科書とノートをしまい小さな背中に背負った。


 麗音のランドセルは祖母に買ってもらった物で、赤で薄っすらチェック柄になっている。麗音のお気に入りである。


 桜は名前の通り桜色、淡いピンクの女の子らしいランドセル。舞は空色のパステルカラーと、近年のランドセルはカラーバリエーションが豊かだ。


 下駄箱で靴を履きかえて校庭に出た麗音の目に映ったのは担任の大山照男だった。

 健康的に焼けた肌、無駄のないスラリとした細マッチョな大山先生は花壇の花に水をやっている。その横顔に見惚れるませた小学三年生の桜は両の頬をポッと赤く染めた。


 女の子の初恋が小学生時代の先生というのは、そう珍しくもないだろう。大人の男に憧れを持つのは無理もない。ましてや大山照男はそれなりのイケメンで子供達からの人気も高い。


 頬を染める恋する女子の隣で舞が無邪気に手を振り大山先生に声をかける。


「テリヤキセンセーさようならー!」


 照り焼き、ではなく大山先生は麗音達に振り返り真っ白な歯をキラリと光らせた。


「きゃっ、さわやかすぐる〜っ!」


 桜が暴走を始める中、大山先生は三人の前まで歩いて腰を折りそれぞれの頭を優しく撫でた。


「気を付けて帰るんだよ、あ、そうだ。陽向さん、お花の種は植えられたかい?」


「あ、はいっ!(レーヌ、ちゃんとお水あげてくれてるかな?)」


「そうかい。綺麗な花が咲くといいね」


「うん、魔界をお花でいっぱいにするんだ……って、あ、お庭をね!」


「あ……はぁ、お庭をね(魔界って……)」


 麗音の魔界発言に怯みながらも笑顔は絶やさない大山先生だった。


 麗音は逆上のぼせる桜を連れ帰路についた。



 ——



 玄関のドアに手をかけた麗音は、ふとランドセルの中を弄る。取り出したのは家の鍵だ。


(今日はママが遅い日だった)


 麗音は少し表情を暗くした。


 家に入ると小さなローテーブルの上に夕飯が用意されていた。豚の生姜焼きだ。

 その隣には置き手紙。


 麗音の母は女手一つで我が子を育てる為、週の半分はこうして夜遅くまで働きに出ている。

 父は麗音の幼い頃に他界している。

 麗音の記憶にはボンヤリとしか彼の記憶が残っていない。写真は全て捨ててしまったのか、家にそれらしき物は見られない。


 一人、テレビを見ながら夕飯を食べる麗音。

 テレビでは人気アニメが放送されている。勇者が悪い魔王を倒すといった王道ファンタジーだ。

 麗音は冷めた瞳でそれを見ている。


(勇者ね〜)


 彼女の中で勇者の定義は変わりつつあった。

 今までは正義のヒーローが好きで、このアニメも大好きだったが、今は少し違って見えるのだ。

 この勇者が倒した魔物の家族はどうなるんだろう、そんな思考が麗音の頭を暫しフリーズさせた。


「はむっ……うっ」


 不意に喉を詰まらせた麗音はお茶をグッと流し込むと、右手を天井に向けて上げる。そして持っている橋をクルクルと回転させた。


「へんしん、なんてね」


 麗音は少し恥ずかしくなり誰もいない部屋を見回した。当然、麗音しか居ない。しかし、何故か視線を感じ、窓の外、を見た。


 外の景色はいつも通りの何の変哲もない景色。二匹のトイプードルがご機嫌に尻尾を振りながら散歩する光景もいつも通りだ。


『ハッ、恥ズカシクネーノカヨ、コノロリガ!』


 突如放たれたダミ声で、麗音の小さな心臓は跳ねるような感覚に襲われた。

 ビクッと身体を震わせ振り返ると、そこにはランドセルがあった。

 そしてそのランドセルにぶら下がった黒い熊のキーホルダーがあり得ない揺れをしていた。


「び、びっくりした〜、もうっクマデビルの視線だったんだね?」


 麗音は膨れて見せた。


『視線? 知ルカ、コノロリガ!』


「クマデビル、可愛いけどムカつく〜」


『オイコラ、スリスリスンジャネーー!?』


「こしょこしょこしょーーっ」


『ギャハハッ、ヤメ、ゴルァッギャハハ、ロリガ、ヤメッギャハハハハハッ!!!!』


 クマデビルのおかげで退屈な時間を埋められそうである。

 麗音は何処か安心したような表情で悪戯をする。クマデビルはされるがまま愛で倒されるのだった。



 ——



 時刻は午後九時半、シャワーを済ませたパジャマ姿の麗音は自室の部屋で横になっていた。

 ふと、置き手紙の内容を思い返す。


 ——今日は十一時を過ぎるから、先に寝てること


 麗音は小さく溜め息をついた。


 眠るとまた帰るまで母に会えない訳だから、少し寂しいのだろう。とはいえ、早く魔界の皆に会いたいのも事実だ。


 麗音はランドセルとクマデビルをギュッと抱きしめて丸くなり目を閉じるのだった。


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