003 白い世界と黒歴史

 気がつけば、住まいと思っていたモノは跡形も無く消えてしまい、足下にモヤが漂う一面真っ白い空間に取り残されていた。見渡す限り真っ白で何も無い空間。

 首だけでは見渡せる範囲が制限されるので、体ごと回りながら辺りを見渡す。本当に何も無いなぁ。

 何回くらい回転しただろうか。突然背後から

「こんばんは」

 耳元で囁く様な挨拶を掛けられた。男の声だ。

「うわぁっ」

 と、猫が驚いて飛び跳ねる様にたじろいてしまい、勢い余って転んで四つん這いになってしまった。直ぐにでも振り向いて後ろを確認したいが、この格好では首が苦しい。

 突然の挨拶に驚いただけで、別に危機感を感じている訳では無い。心を整えて冷静に立ち上がり声の方へ振り向いた。

 そこには、おかっぱな髪型でニヤけ顔の長身なスーツ姿の男が立っていた。


 男は右手を胸に当ててから目線を、腰をL字に曲げて私の目の高さまで下げた。

「こんばんは」

 男は改めて、タンタンとした言い方で挨拶をし直す。まるで私の瞳の奥を覗き込む様な仕草が気味悪い。なにより顔を近づけ過ぎだ。不意に半歩下がってたじろむ。

「はぁ、こんばんは」

 条件反射の様に挨拶をしてしまうが、今の状況が理解できない為『はぁ?』と間抜けな質問が混ざってしまった。

 男は右手を胸に当てたまま立し直した。どことなく貴族の風格が感じられる姿は神々しさを感じてしまう程だ。

 この男の立ち居を確認すると

・おかっぱの黒い髪

・耳は少し尖り

・顔は逆三角形というかハート型というか

・口は歯が見えるのもお構いなしにニヤけ

・前髪で少し隠れているが、眼光が鋭い。まるで猛禽類のようだ

・身長は180くらいか?年齢は見た目20代

・スーツ姿でカラーはダークブル。

・イギリス風な厳つい袖山でありつつも、イタリヤ風にVゾーンが広いスリーピース。ネクタイは細め。

・ジャケットをスラックスのバランスは絶妙なのに、ベストの柄が全てをあざ笑うかのようにひどい。端的に言えばクレイジーキルトだ。全てを台無しにしている。

 つまり『冗談が服を着るとこうなる』という、良く例えればピエロか道化師という風体だった。不覚にも神々しく感じてしまった事を後悔してしまったのだ。


「初めての出会いでしたら、はじめまして。

 以前にお会いした事がありましたら、改めまして。

 わたくし、メフィスト・フェレスと名乗っているモノです」


 メフィストと名乗るモノは名を告げると、また腰だけL字に曲げて西洋貴族の様な礼をした。

 頭が私の顔辺りまで下がった時に、機械人形の様に顔だけをカクンと持ち上げて先程と同じ対面した格好となった。そして

「どうぞお見知りおきを」

 ささっと付け加えられた。

 

 奇妙な行動に驚いたのと、顔が近すぎるのが嫌で2・3歩後ろにさがって距離を取ってしまった。

 確か相手の顔を見ながら礼をするのは不敬とか侮蔑(ぶべつ)の意味が込められているのだそうだ。つまりメフィストと名乗るモノは揶揄(やゆ)っているのだと受け取れた。なんか癪(しゃく)に障る。

「ここは何処だ、きさ、、、貴方は誰ですか」

 つい感情的になってしまったが、冷静な振りをして問い掛ける。からかう様な仕草には腹立たしいが、この程度で感情的になっては駄目だ。大人の対応だ。大人の対応に務める。

「ここについては後ほど説明致しましょう。それから先程名乗ったばかりなのに、もう忘れてしまったのですか? わたくしはメフィストと名乗っているモノです」

 馬鹿にされてイラッとするが「大人の対応」を呪文の様に唱えて冷静さを取り戻す。

 たしかに『誰ですか』と聞かれたら名乗るよな。自分を説明するのに適切な言葉が思いつかないと私もそうするだろう。悔しいが、問いの意図を理解していても答えとしては間違ってはいない。

 言葉を選び直して再度問い掛ける。

「メフィストと名乗る貴方は何者ですか? 名前が示す様に悪魔でしょうか?」

「そうですねぇ、メフィストと名乗っておりますので『悪魔』で結構です。これでよろしいですか」

 はぐらかすと思っていたが素直に肯定した。いや否定をしなかったといべきだろう。ただし言い回しが難か引っかかる。何を問うても「その通りです」と答えそうだ。はぐらかす以前に答えようとしていない。

 悔しいな。どう聞けばまともに答えるのだ? 流石に冷静を保つのが辛い。辛いが今は現状を把握するのが最優先だ。

 メフィスト、そうあの女狐が、もとい女悪魔の『仮契約』が気に掛かる。悪魔と契約なんてまっぴらご免だ。

 

 先ずは状況を整理しよう。

 この何も無い空間に連れてきたのはメフィストで間違いないだろう。夢や妄想でなければ死後の世界と受け取っていいのか?

 そして『仮契約』を結ばされた。契約は何だったかな?『牧歌的生活とその対価』だったか?意味が分からん。メフィストに『異議有り』ポーズでもして契約無効を訴えたい。しかし何処にも見当たらない。

 その代わりに、目の前には『メフィストと名乗るモノ』と名乗る男悪魔が居る。『メフィスト』と名乗る女悪魔との関係が判らないから、異議あり、と訴えても何食わぬ顔でとぼけられそうな気がする。

 今はメフィストを探すのが優先だろう。


「おやおや、大変お悩みのご様子ですね。わたくしで宜しければ相談に応えましょう」

 メフィストと名乗るモノが思索に割り込んだ。状況整理は途中だが、聞きたい事が思いついたので従ってみるか。

「メフィストという女性を知りませんか」

「メフィストという女性。ですか?知りませんがファッション誌か何かですか」

「私をここに連れて来た女性が居たと思うのですが」

「私をここに連れて来た女性。ですか?知りませんがわたくしはここに居ります」

「私と一緒にいた女性は見ていませんか」

「私と一緒にいた女性。ですか?見ていません。ここでは女は暫くの間見ていません」

 なんだ、この人工無能を相手にしている感じは。馬鹿にしているのか。

「質問に答えてくれるのではなかったのですか」

「質問に応えているのですが判らないのですか」

 また質問の意図を曲解しているのか。腹が立つ。

「答えないのですか」

「応えています」

 あれ?なんか言葉のアクセントがおかしい。

「答える気はないのですか」

「ちゃんと返事しているではありませんか」

「まさか『答える』ではなく『応えて』いるのか」

「ええ、ですから『質問に応えましょう』とお伝えしたではありませんか」

「それって、あいづちと同じじゃないか!」


 怒りを堪えきれずにカチカチと噛む様に歯軋りをしてしまう。まるで鳥頭かアンドロイドを相手にしている気分になる。腹が立つ。もう冷静な振りは出来そうに無い気がしてくる。

 思わずそっぽを向いて逃げたくなる衝動にかられたが、背中を見せてしまうと負けだ。別に勝負をしている訳ではなく、視野の外に追いやると見えない所で何をされるのか分かったもんじゃない。

 私は猛獣から逃げる様に、相手を睨む様にしながらゆっくりと後退りする。同時に目だけで扉か窓を確認しながら。

 いつの間にか逃げ道を探す事に注力するようになった矢先に

「どうされたのです。そんなに敬遠しないで下さいませ。それともトイレをお探しでしょうか」

 突然、背後から声がかかった。

 直前まで正面に居たはずのメフィストと名乗るモノが背後に現れた。

 思わず振り向いて

「いつの間にっ、、、後ろへ移動したのですか。なにかトリックルームでもあるのでしょうか」

 叫びたい気持ちを飲み込み平静を装って話しかける。


 仕事柄、クレーマーみたいな相手と対峙していたので、否応なく身についたスキルだ。自画自賛になるかもしれないが、自分としても、よく平静を装っていらいれるものだと感心してしまう。

「なかなかとしぶとい、いや根深いと申した方がよいかもしれませんね」

 メフィストと名乗るモノが頭をかしげて困った様に語った。

「しぶとい、とか非道い言われ方ですね」

 いいかげん、こいつは何がしたいのだと考えつつ、それでも平静を装う。

「もう少しご自分の気持ちに正直になりましょうよ。偽った自分のままなのはとても苦しそうではありませんか」


 両腕を軽く広げて言い放たれた。こいつに私の何が分かるというのだ。自己啓発セミナーでよく言われた台詞だ。言われて簡単に直せるなら苦労はしない。直す方法が分からないのに出来るはずが無い。

 仮に、こうした方が、ああした方がと言われて直せる人達の社会があるなら、争いの無い偽善者集団の社会が出来上がるだろう。でも実際にそうなっていないのは、自分の都合を優先している証だと考える。


「私の事を知らないで、よくもまぁ、言えますね。しかも初見じゃないですか」

「いえいえ、貴方様の事はよ~く存じておりますよ」

「何をいいますか。私の名前も知らないじゃないですか。だから私の事を『貴方』と呼ぶのでしょう」

「そう言われればそうですね。では君の名前を教えて頂けませんか」

「私の名前は、、、」

 ふと契約の事を思い出して一旦思いとどまった。そして言う。

「私の名前は『マサカキ・リト』です。遅れましたが初めまして」

 嫌み交えて、遅れた挨拶をした。

「『マサカキ・リト』様ですね、名前を教えて頂き感激至極で御座います。姫坂木竜登様」

 メフィストと名乗るモノは含み笑いを携えて言葉を放った。


 私は笑みの気味悪さと本名を言われて事に驚いて声も出せずにいた。

 『リト』は通り名。いわばハンドル名だ。契約を持ちかけられた時に、真名(マナ)をとぼけるつもりでたのに、希望が途絶え脱力と共に膝が崩れた。

「先程も申しました様に、貴方様の事は良く存じております。

 お名前は『姫坂木・竜登(ひさかき・りゅうと)』

 一人親の家庭で育っち、訳ありで親戚付き合いが希薄。

 ゆえに孤独だった。幼少は異性と仲が良かったらしいけど、今となっては友はいない。

 そして若くして親を亡くしている。

 いつしか人の機嫌を探る様になって、気持ちを隠す様になってしまった。

 多忙なのに稼ぎは少なく、その為に出会いは無い。

 伴侶だって居ないから独りだ。

 看病する人は居ない。

 そしてもうずぐ命の灯火が消えようとしている」


 後は消え失せるのみと考えていたのに、走馬灯みたいに嫌な事を思い出させる。悔しいを超えて自分が矮小に思えてきた。


「そういえば、思春期といいますか中二の頃は、魔術や霊感や気功とか超能力とか、そういった特殊な力に憧れて独学されたそうですね。

 それと、着せ替え人形、いや『ドール』と呼ぶべきでしょうか?即売会に出店側で参加するくらい熱中された事もおありだ。何番ドールとか言っていませんでしたか?

 その時のハンドルネームが『マサカキ・リト』。本名と乖離した名前は違和感があるからと考えられたと存じております。

 『ひさかき』は『非榊』と書かれてるからと、『真榊』にしたんですよね。そしてリトは愛称。

 この位でよろしいでしょうか。それとも未だ不足だと・・・」

 厨二病と言うべき黒歴史を指摘され、恥ずかしさの余り語りに割り込む。

「やめろ!それ以上言うな!黒歴史をそれ以上掘り下げるな。分かった。分かった。私の事を知っているのは理解した。だからお願いだ。それ以上は口にしないでくれ」

 黒歴史は知られても気にしない気構えいたが、対峙して口に出されると流石に恥ずかしい。不本意にも言わないでくれと願ってしまった。

 なお『何番ドール』ではなくて、『何人目のドール』だ。訂正したいが言えば面倒な返しが有りそうなので我慢する。

「まぁ少しはご自分の気持ちを言える様になったのではありませんか。まだまだ相手の心情を探っている感じがありますが、直ぐに治るものでもありませんので、この程度で良しとしましょうか」

 今までのやりとりはショック療法でした。という感じが気にくわない。人を困惑して歪む表情を見るのが愉しいと思っているだろうに、なにを正当化しているのだ。と腹が立つ。


「それでは契約の話しをしましょう。お互い腹を割って、隠し事無しで行なおうではありませんか」

 隠し事だらけなのはメフィストと名乗るモノの方だろうが。思いっきり腹を掻っ捌いてやりたい殺気じみた衝動が湧き上がる。

 いや、まてよ。

「契約はメフィスト、女性だったぞ。違うではないか。悪魔には『本契約は上司が行う』とかルールでもあるのか。違うのなら私がここに居ても意味が無い。早々に解放しろ」


「女性・・・ですか。それもそうですね。納得出来る方法が一番ですね」

 そう言うと手を伸ばして振りかざした。手の平が私の目の前を通り抜ける刹那、視野を奪われた。


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