The Tree of Night
砂樹あきら
第1話 階段
街並みがそろそろ冬支度を始める頃。
色づいた葉が街路に舞い、街路樹が装いを変えてしまう頃。
そんな街で起こった、そんな季節のそんな日常。
ドタドタドタドタドタドタ
天井に足音が反響して聞こえてくる。右から左に、一方通行。
バタバタバタバタバタバタ
しばらく静かになったかと思うと、今度は左から右へとその続きが聞こえた。
そんな音を聞きながらギルバートはシャツのボタンをしめ、涼しい顔でネクタイを結んでいた。
(ティの奴、また焦って何かしてんな…今度は何をやらかしたんだか)
上目遣いで上をちらりと一瞥して呆れ顔だ。
鏡に映った自分の姿を確認するとダークグレイのジャケットと同じ色のコートをさっと羽織った。
巻き毛の前髪をたくし上げると、時計を見てドアに向かった。
時刻は午後3時半を少し回ったところだった。
ドアを閉め、鍵を掛けるとふかふかの絨毯が敷かれた廊下には誰もいなかった。
踊り場を経て階段を半分ほど降りたその時。
乱暴にドアを閉める音がしたかと思うとさっきと同じ足音が近づいてきた。
ギルバートは嫌そうな顔をして、振り返った。
「あのな、もうちょっと静かに…」
「きゃあああ!ちょっと、ギィ!そこどいてっ!」
振り返った途端、目の前には何かにつまづいて階段を踏み外し、彼めがけて落ちてきた彼女がいた。持っていた茶封筒が空を舞った。
(マズい。頭から落ちる)
ギルバートは持っていた鍵と携帯を横へ放り投げると、両手を広げて、階段を数段登り、前へ出た。少しでも早く彼女を受け止め、受け身を取らないと怪我をするからだ。
ギルバートは彼女の頭を覆うように両腕を絡め、胸に抱いた。
ものすごい衝撃音が階に響いた。最後は踊り場のコンクリートの壁に背中を打ちつけて止まった。背中から首にかけて激痛が走り、息が止まった。絡めていた両腕が解け、力なく床に崩れ落ちた。
2人はしばらく動けなかった。
沈黙の中で、恐る恐る彼女が顔を上げ、彼の顔を覗き込んだ。彼女の長い金髪が彼の顔からレースのカーテンのように離れていった。ギルバートの前髪が邪魔して表情は見えない。口の端が切れて血が流れていた。それを見た途端、彼女は真っ青になった。
「ギィ、ねえ!ギィったら、大丈夫?」
「……」
彼女の声を聞いても無反応だった。嫌な考えが頭を過ぎった。打ち所が悪くて死んでしまったのではないかと。彼の体に馬乗りになったまま、さらに大きな声で呼びかけた。
「ねえったら!!」
心配している彼女をよそに、ギルバートは何事もなかった顔を作って見せた。
「っ痛ってーな!うっせーよ。バーカ」
「ギィ…よかった…」
「つーか、また最近太ったのではありませんか?お嬢様?重くなった気がするぜ」
彼女のは真っ赤になって彼の体から離れた。
「何、欲情してんのよ!バカ!」
「欲情するくらいのナイスバディだったらいいのにな〜」
「心配したんだから、もう!」
「だったら、心配させるようなことはすんなよ。あー、痛え」
「ほんと、大丈夫?」
「誰かさんとは筋肉の鍛え方が違うんで。ま、こんなもんだろ。ティは?怪我しなかったか?」
「う…ん。平気…ごめんなさい。」
彼女はしょげかえってしまった。
口が悪い割には、それ以上の追及はせず、2、3回彼女の頭をぽんぽんと叩いて立ち上がった。指で血を拭い、服の埃を払うと何事もなかったように彼女に笑いかけた。
床に転がっていた携帯と鍵、それに彼女が持っていた茶封筒を拾い上げた。
「で、何焦ってんだよ」
「原稿の締め切りが明日の3時なの。郵便局が閉まるまであと30分しかなかったから」
「だから、いつも言ってんだろう。メール添付にしとけって」
ギルバートはずっしりと重たい茶封筒を差し出しながら、反対の手で彼女を立ち上がらせた。
「だってキーボードって打った気がしないし。タイプライターで打つのが好きなの!」
「単にメカ音痴なだけだろう?編集者だって困るぜ、今どき紙媒体で原稿渡されたら」
「OCR(テキストスキャン)かけるから大丈夫って言われたもん」
「売れっ子作家はいいねぇ。わがままいい放題でさ」
彼女はぷっと膨れつっつらだ。
先程の大きな音を不審に思って他の住人も廊下に顔を出し始めた。
ギルバートは茶封筒を彼女の押し付けるように渡すと小走りに玄関へと向かった。
「もう、仕事に行くよ。面倒ごとはそっちに任せるから、大家にはうまく言っといてくれ!」
「ああ、もうー」
ギルバートの後ろ姿を見送ると彼女は両腕で茶封筒を抱きしめたまま、また気が抜けたようにその場に座り込んでしまった。
カランカランカランとドアベルが短く鳴り響いた。
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