待ち伏せ屋~魂の番人の女あるじは珈琲を振る舞う~
春瀬由衣
待ち伏せ
その奇妙な店は、観光地から一つ路地を入ったところにある。
狭い道の先に見えたのは、いかにも普通の民家に名ばかりの看板。
『待ち伏せ屋』
おんぼろな板に筆で殴り書きしたような粗末なもの。
名津は共に観光していた友人とはぐれ、道を聞こうと店に立ち寄った。
「……いらっしゃい。あんたにはこの店が見えるのかね」
入るや否や、よくわからない。
「あ……あの、道をお聞きしたいんですが?」
店の奥から姿を見せたのは、華奢な美人の姿で老婆のような口ぶりの女。
大きな花弁があしらわれたワンピースを着て現れたその人は、呆然とする名津に気づき悲しげに微笑んだ。
「あんた、自分が死んだことに気づいておらんのか」
不意に、涙がこぼれる。
名津は思い出した。
友人に追い付こうと焦るあまりに、発進しようとしていた駐車車両の前に飛び出してしまったことを。
観光地から一つ路地を入ったところに、誰も家を建てがらない荒れ地がある。
車や歩行者が雑多に行き交うその観光地では、よく交通事故で人死にが出る。
人々は口々に言う。
瀕死状態から生き返った者が、記憶を頼りによくここを訪れるのだとか。
生還者は、荒れ地のある場所にあった店の主人に言い聞かされ、自分が死んだことを思い出す。
それが、『待ち伏せ』。
身体から離れた霊魂は、早いうちに自分が死んだことに気づいて戻りさえすれば、また生き返ることもある。しかし、助かる霊魂でも長く身体と離れさ迷うと、天に召されてしまうのだ。
観光地となっているのは有名な寺院。
祀られている御仏が、自らを慕い集う者の死を憐れんで、冥界の掟に背かぬ範囲で霊魂を救おうと、童子を荒れ地に遣わしたのだ。
掟には背いていないが道理を曲げたため、童子は女になってしまった。
その女が、名津に語りかける。
「ああ、あんたはここに来るのが遅かったようだ。もう生き返れまい。可哀想にね、たがここで会ったも多生の縁。一つ、いいものを見せてあげよう」
名津の霊魂はふわりと浮き上がり、『待ち伏せ屋』を見下ろした。
「ほれ、東を見てごらん」
『待ち伏せ屋』があるのは現(うつつ)とあの世の境である『あわい』。
『あわい』の時間は、現よりも早く進む。
事故現場は既に復旧され、献花が少しばかり手向けられるのみとなっていた。
名津の心に、寂しさが吹く。
その時。
名津の友人、父母、祖父母、親戚、クラスメイト。
そして一際泣きじゃくる知らない男が列をなしてやってくる。
(ごらん……あの男があんたを轢いた車の運転手さ)
「私を……殺した人?」
(ああそうとも。むちゃな運転でここらでは有名なガキんちょだったが、改心したようじゃな。死は悲しいが、あんたの死であの男が殺していたかもしれん命がいくつも救われた。ありがとうよ)
名津の霊魂は満たされた喜びの泡で包まれた。
(あんたの次の人生はどんなかねぇ……)
名津は暖かい思いを抱いて、まだ若い名津の両親の元に再び舞い降りた。
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