The Psychedelic Marionette
佐竹六花
The Psychedelic Marionette
-それは、形様々である。
僕は深い藍色の瞳で、色が白いと言われる。目が大きくて、鼻高な、華奢とも言われる。両親には容姿だけでないと自慢された。僕は父の本を全部覚えていた。それは近所にすむ友人にはできない事だと。両親は喜んだし、そんな両親を見ると嬉しかった。そして、
「良いお嬢さんと結婚して、私達をもっと幸せにして。聡明で、目を見張る様に美しいお嬢さんよ。」
母は白いワンピースで言った。
―お嬢さんか。
母は亡くなった。僕は18歳。考えるようになった、“お嬢さん”。屋根裏部屋、天窓の外を見つめ、流れ星を追い、真夏の大三角を結び、白鳥座が飛び、ベガが鳴る。良いお嬢さんってどんなだろう。母は綺麗で、聡明だった。時間が過ぎ、眠りに落ちても、僕は夢で考えていた。
父の仕事場から家路を辿る時間はまた、“お嬢さん”を考える時間。
違う道を行く事にする。“お嬢さん”が分かるかもしれない。聡明で、目を見張るように美しいお嬢さん。家路を逸れれば、其処は商店街で、僕らの街、ローテンブルクの様な街並みとはそうかわらないけど、理髪店や百貨店が立ち並ぶピアノの為のソナタの街だった。天井のアーケード。所々のステンドグラスが虹色の光柱をつくり、地面に沈む夕方。そこを歩く。時間が甘いお菓子の様に流れていく。見つけた、一つの古い喫茶店。
『フリ・ダ・モール』
中の様子を伺った。曇ったウィンドウの中、奥に誰かが座っていた。板張り床に置かれた椅子に、白いワンピースで眠る。近くで見たくなった。華奢な体、ワンピースにも負けない、袖から覗く白い四肢。長い睫毛。釘付けになった。でも、店主が歩合よく僕に気がつかずに彼女を抱えて、奥にいった。仕方なく喫茶店を通りすぎると、店主が『close』の札を下げた。
あの子は一体誰なんだ?屋根裏部屋で考える。星が横切る、明るい夜。あの子の肌の様に白く白く輝く。いつのまに眠っている様で、あの子を考えていたんだ。
今日も家路を逸れた。あの子が見たくて、早足でピアノの為のソナタの街へ。『フリ・ダ・モール』は『open』。曇ったウィンドウをまた覗いた。あっと思った。あの子がもっと奥にいる。店の奥は一段高く、書斎があった。本は机上に沢山、沢山。
-本が好きなのかな。
あの子は其所のロッキングチェアに座って眠っている。白いワンピース。奥のステンドグラスから夕日が差し込んで、浮かび上がらせる。栗色の癖のある髪。巻かれて、前髪は揃えられている。周りが不思議にキラキラ輝いていた。
「やぁ、入るかい。」
店主が扉から顔を出して手招きしていた。店内はアンティークな雰囲気に包まれている。カウンターに腰かけた。そこにはセピアの彼女が立て掛けられている。店主と微笑んでいるあの子。僕は何も言わなかった。僕の視線に店主も黙って珈琲ミルに手を掛けた。たった一言だけ、
「サービスだ。」
諦めた、そんな微笑み。僕は店主が珈琲ミルに手をかけている間も、向こう側のあの子を気にしていた。静かな空間。振り子の音。響いて、あの子にも同じ様に。書斎を見るのにもっと、と体を傾けた。彼女は眠っていた。寝息も聞こえない。寝返りも打たない。それでも生きている?
日が傾くにつれて、あの子の周りは輝きを失い、僕のコーヒーも色が薄く、底が見えていった。暗くなり、橙色のランプが灯った喫茶店。店主は僕を送り出した。二人、沈黙。店主は軽く頭を下げた。御礼を言って喫茶店から離れた。僕が少し歩いてから、店主は戻った。小走りに曇りウィンドウに寄って、奥のあの子を見た。店主が静かに布を掛ける。白い白い大きな布。彼女が隠れてお化けになった。凹凸だけ。店主が外に出てきそうになったから、暗い街の影に隠れる。店主が『close』の札を下げた。
輝く埃、目覚めないあの子、僕。沢山の本、白いワンピース。星が深い夜に輝きだす本番になっても、頭の中にあの子がいたんだ。
夕方、足は連れられた。本をもって、あの子に会うため、ピアノの為のソナタの街へ、『フリ・ダ・モール』へ。
店主は僕が座ると、珈琲ミルに手を掛けた。僕は金貨をおいた。やっぱり振り子時計の音は響いている。僕は今日こそ席を立って、書斎に行った。勿論、本を抱えて。あの子は今日もロッキングチェア。心は三拍子に合わせ踊り始める。ステップを踏んでワンターン。足音も段々早く、アッチェレランド。一段上がれば、すぐそこ。間近に見た。初めてだった。うきうきしていた筈なのに背筋がぞわっとして言葉はでなくなったんだ。なんて、精巧な顔立ち。少しついたソバカスも、大きな目も長い睫毛も、髪の艶も、覗く腕も足も滑らかにウィンドウごしより戦慄に。僕の思う“お嬢さん”。僕は本を置いて店主に断ると店を出た。
何時もならばそう、僕は星を眺めて色々な事に思いを馳せたんだ。馳せられたんだ。でも、帰ってきてもおかしかった。父のお仕事の話、いつも面白いのに、何も感じられない。只、体がすごく熱かった。そう、すごく、すごく。僕は回らない頭を回した。仕方ない。思い当たる節があったんだから。
友人が女の子の話をしていた。その子は毎日洗濯物を干しにベランダへ出てくる。友人は煉瓦の道上で見ているだけなのだと。僕は、それが何だかわからないと言った。見ているだけの話だろうと。でも、友人は石炭で真っ黒い鼻下を擦って笑うと、これがいかに重要かを解いた。
―それは“恋”だ。
と。その子を見ると胸が痛くなる。体が火照って、お風呂上がりの様だと。でも、どうしようもない位幸せなのだと。その子が微笑めば、それほど嬉しい事はないのだと。
僕はもう一度あの子を思い返し、胸に手を当てた。月白く青空にとけても目覚めたままだった。
仕事を早めに切り上げ、父に心配される位足早に焦り、『フリ・ダ・モール』につけば、店主は何時もの様に珈琲ミルに手を掛けた。僕は目であの子を見つけ、金貨をカウンターに置くや否や書斎に向かった。少し疲れていた。だってここまで走っていたから。だからこそ、そんな疲れた身体にその子が入り込んできて、僕を宥めている様だった。それほどその子は今日も美しくて、愛らしかった。息を整えると、ロッキングチェアの肘掛けに両手をおき、覗き込む。起きなかった。眺める内に、振り子時計の音が大きく身体に響き始めた。吸い込まれる僕の視界にはその子だけ。異様な感覚にのまれ始めた気がした。でも、それを押し退けて、もう一つの感情が僕を支配し始める。その子が眠っていても、僕の心に生えた悪戯な感情は起きたきり眠ろうとしない。堪らなくなって、その子の顎に手を添えて、僕は初めてキスをしようとした。肘掛けの手にそっと触れた時だ。僕は現実に引き戻された。身を引いて手を離した。ロッキングチェアが少し揺れ、サリサリッキンッと木を打った様な音がした。
その日のコーヒーは味なんてしない、只の茶色い濁った水だった。一口に飲み終われば、途端に恐怖が湧いて、僕は一目散に駆け出したんだ。
ーなんだか、もう行かないと思ったんだ。
僕は異常だ。こん何も胸を高鳴らせて、事感覚から逃れるため僕は走っている。ピアノの為のソナタの街は、交響曲第五番ハ短調の街に変わった。僕は何かに気がついた。僕を襲うのは、罪悪感と並々ならぬ自我への恐怖だった。
知っていたくせに。あの子は生身の人間じゃない。精巧に出来た、何よりも美しく、僕を魅了した
―マリオネット
僕が恋したのはマリオネット。僕がキスしようとしたのはマリオネット。紛れもない“お人形”。僕はそれを知っていた。キラキラ光るのはナイロンの糸だって、白い肌は作り物だって、目を瞑っているのは、寝息を立てないのは、寝返りを打たないのは、さっき、手が驚くほど固く冷えきっていたのは、
―生きていないからだ。
僕はしゃがみこんでいた。辺りは暗くなり掛け、青と橙色のグラデーション。交響曲第五番ハ短調は鳴りやみ、静寂。何を思う?異常に生まれてしまったという両親への罪悪感?僕が異常だという事実?キスまでしようとし、違和感に追い付かれた劣等感?恥じらい?―あの子への愛?
甦るあの顔と白いワンピース、沢山の本。僕の全面に出たあの子への行為は愛の現れではないか。ならば―
立ち上がる。今までが幸せな分、この衝撃は痛すぎた。彼女を愛すからやった事。
『フリ・ダ・モール』に戻り、不思議に開いている扉から暗い店内に入った。だんだん早く、アッチェレランド。書斎のロッキングチェアに座る不気味な彼女を撫でる。そして、優しく唇を当てた。
友人はあの後、少女の父の抵抗により、精神を病み、自殺した。彼は死ぬ前に言った。
「愛するって、死までも惜しまない事を言うと思う。僕は、僕があの子を愛しているって思えるこの肉体のまま永遠に、留まる事にするよ。」
固い指と僕の指を絡ませた。ロッキングチェアに膝を乗せれば彼女の目が開く。音と共に開く瞳は深い藍色。愛しく眺めた。なんて…。白いワンピースが似合う。その瞳にどんな知識を詰め、僕を見つめているの。僕とその子の首に巻かれたナイロンの糸。重い彼女は僕が体勢を戻そうとしても戻ってこなかった。二人の体重でナイロンの糸がキリキリと食い込んでいく。僕は君の事が好きなまま死ぬよ。永遠に君のもの。心から愛してるよ。
―僕は君のマリオネットだ。
店主と首無しマネキンに橙色のランプ。
「お前の欲しがったものは…」
硬直した繊細な青年の首。
「これで全てだ。」
青年についてのメモは捨てた。
「もう、寂しいなんていわせないさ。」
首はマネキンにつけるため。
「お前の夢はいま、現実に。」
The Psychedelic Marionette 佐竹六花 @hotaru0106
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