第56話 ひとりじゃない

 重たい沈黙が、辺りを支配する。私は何を言い返すべきか解らず、ただ唇を噛んでいた。

 そんな事ない。サークは絶対に私を裏切らない。そう、叫びたいのに。

 でもそれは、カゲロウさんのこれまでを否定する事で。そう思うと、言葉は、喉の奥に沈んで出てこなくなった。


 信じたい。信じたいのに。


「……妾が視たのは、あの男がぬしに刃を向ける光景のみ。その前後は見えなんだ」


 そんな私を見かねてか、カゲロウさんが再び口を開く。その目には、気遣わしげな色が宿っている。


「何故そうなるか、その後どうなるかまでは妾には解らぬ。最後は娘、ぬし次第という事よ……」

「……うん。ありがとう、カゲロウさん」


 何とか笑顔を作ってみるけど、心は未だ晴れないままだ。きっと予言が実現する事はないと思いたい、でも……。


「……カゲロウさんっ!」


 その時引き戸の開く音と共に、幼い声が飛び込んでくる。振り返ると、あの男の子が息を切らせて入口に立っていた。


わらし……大丈夫か? 怪我はないかや?」

「おれの事なんか……おれの事なんかどうだっていいんだ! それより、カゲロウさん……!」


 男の子がこっちに駆け寄り、私とは反対側のカゲロウさんの横に膝立ちになる。そして、目に涙を浮かべながら言った。


「ごめん、カゲロウさん。おれのせいで怪我させた。本当にごめん」

「……気にするでない、童。妾が勝手にした事よ」

「でも!」


 小刻みに震える男の子に、カゲロウさんが白い手を伸ばした。その手は優しく、男の子の手を包み込む。


「妾を心配して、来てくれたのじゃろう? 妾も同じじゃ。童が心配だったがゆえに、童を助けた。それだけの事よ」

「……っ!」


 遂に男の子の目から、涙が溢れた。男の子はカゲロウさんの手を強く握り返しながら、涙声を絞り出す。


「おれっ……づよぐなるがら……ぜっだいぜっだい、づよくなるがらぁっ……!」

「童……」

「だがら、だがらガゲロウざんっ……!」

「――邪魔をするぞ」


 けれど男の子の声を遮るように、再び入口から別の声が聞こえた。私より先に男の子がその声に反応し、入口の方を向く。

 そこにいたのはサークと、村長さんだった。サークは私の視線に気付くと、少しバツが悪そうに顔を歪めた。


「悪い、交渉はしたんだが……代わりに条件がある、条件はカゲロウ本人にしか話せない。そう言われた」

「そういう事だ。……だがクオン、何故お前がここにいる」


 男の子に視線を向け、村長さんが言う。クオン、というのが男の子の名前らしい。

 クオンは俯き、村長さんの問いには答えない。そんなクオンを暫く見つめた後、村長さんは一つ、深い溜息を吐いた。


「最近村の中で見かけなくなったと思ったら……まさか魔女に魅入られていようとは」

「っ、カゲロウさんは魔女じゃない!」

「黙れ。子供が大人に口答えをするな」


 村長さんの言い分にクオンは顔を上げて反論したけど、それは即座にバッサリと切り捨てられてしまった。それきり村長さんがクオンを見る事はなく、大股でカゲロウさんに近付き立ったままの姿勢で見下ろした。


「何故儂がここに来たか、解っているな、占い師よ」

「……」

「町の病院までは運んでやる。代わりに、二度とこの村へは近付くな」

「そんな!」


 無慈悲な要求に、私は思わず声を上げていた。だって、カゲロウさんはこの村の為に戦ったのに……!


「あんまりです! カゲロウさんだって私達と一緒に戦って……!」

「そもそもその女が来なければ、村を魔物が襲う事もなかった。町まで運んでやるだけでも感謝して欲しいものだな」

「そんなの……! 魔物が来たのはカゲロウさんのせいなんかじゃ……!」

「……良いのじゃ、娘よ」


 私は食い下がろうとしたけど、それを止めたのは、私の手を握るカゲロウさんの冷たい手だった。カゲロウさんは苦し気に身を起こし、静かに村長さんを見つめる。


「解った。出ていこう。この村で凶事が起こる事は、もうあるまい」

「カゲロウさん!」

「良いのじゃ。妾の目にはもう、村の災厄は映らぬ。役目を終えた、という事よ」


 そう言われてしまったら、私にはもう何も言う事は出来なかった。自分の無力さに唇を噛む私に、村長さんがこう告げる。


「冒険者達よ、報酬だが、我らにはイドまで送り届ける事しか出来ん。村の再建に金を割かなくてはならんからな。許せよ」

「……ああ、解ったよ。ギルドを通さず依頼を受けたのはこっちだし、魔物退治も全くのイレギュラー。従うさ」


 私の代わりにそう答えたのはサークだった。サークは村長さんに近付くと、その肩に軽く手を置く。


「……だがな」


 と、不意にサークの声のトーンが変わる。同時に、村長さんの肩に置かれた手に一気に力が篭った。


「いつ……っ!」

「くだらねえ理由で散々冒険者おれたちを振り回し、ろくな礼もなく放り出してくれたんだ。今後この村が、まともな冒険者に相手にされると思うなよ」

「……!」


 そう言って睨みを効かせるサークに、村長さんの顔色が一気に変わった。サークはそんな村長さんを軽くその場から押し退けると、膝を着きカゲロウさんの顔を覗き込む。


「アンタは必ず、俺達が無事に病院まで運ぶ。……咄嗟に誰かの為に動ける奴に、悪人はいねえ。長い人生の中で、俺が学んだ事だ」

「……妾には、満足な礼は出来ぬぞ」

「なに、これは依頼された訳でも何でもねえ。ただ俺達がしたくてするだけさ」


 警戒するカゲロウさんに対して小さく笑ってみせるサークを見て、沈んでいた心が浮き上がるのを感じる。ああ……やっぱりサークは、私が好きになったままの人だ。

 だからこそ、解らない。何故私は、サークに剣を向けられる事になるの?


「……フ、フン。荷馬車はすぐに用意する。行くぞ、クオン」


 吐き捨てるように言って、村長さんがクオンを立たせようとする。けれど、クオンは、その手を全力で振り払った。


「クオン?」

「……いやだ……」


 小さく震えながら、クオンが低く呟いた。そして村長さんを、キッと睨み付ける。


「嫌だ! おれは帰らない!」

「何?」

「カゲロウさんと一緒に、おれもこの村を出る!」

「童!?」


 クオンの宣言に、驚きの声を上げたのはカゲロウさんだった。カゲロウさんは珍しく動揺した様子で、痛みも忘れたように身を乗り出す。


「何を言うのじゃ! 自ら故郷を捨てるなど……!」

「こんなとこ故郷なもんか! おれを余所者の子だっていつも仲間外れにしてきた、こんなとこ!」

「しかし……!」

「おれの生きる場所はおれが決める! おれはカゲロウさんと一緒に生きるんだ!」


 そこまで言うと、クオンはカゲロウさんを振り返った。その目にはまた、涙が滲み始めている。


「カゲロウさん、お願い……もう、ひとり・・・は嫌だよ」

「!!」


 カゲロウさんとクオンの視線が重なる。どれくらいそうして見つめ合っていたのか、先に沈黙を破ったのはカゲロウさんの方だった。


「……満足な暮らしは、させてやれぬぞ?」

「……! 大丈夫! 早く強くなって、今度はおれがカゲロウさんを守るから!」


 そう言って、クオンは初めて笑顔を見せた。それは迷いのない、とても澄んだ笑顔だった。


「……フン。育ててやった恩を忘れおって。お前など、どこへなりと行ってしまえ」


 村長さんは、感情のこもらない声で言うとそんな二人に背を向ける。そうしてそのまま歩き出し――入口で、不意に足を止めた。


「……達者で暮らせよ」


 最後にそう告げると、村長さんは小屋を出て行った。私達はただ静かに、それを見送った。

 それから間も無く荷馬車が到着し、私達はカゲロウさんとクオンと一緒に、アオキ村を離れたのだった。

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