#53 消えた燈

「いやいやいや、何ですかこれっ……!」


 秋は困惑する思考を整理しつつ、地面に片手をつきもう片方で頭を押さえた。

 脳の中に突如として入り込んできた記憶。

 それは目の前にいる、自分自身が手を下した者の一生だった。


「ふ、他人の、記憶を……見るのは。初めて、かしら」


 力の抜けた、先程までの覇気が感じられない空気の漏れ出るような声で、マッツは言った。

 首をおもむろに動かし、秋の目を見つめるとニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

 それに対して秋は得もいわれぬ恐怖に似た感情を感じた。

 ゾクゾクと悪寒が全身を伝うと、身の毛がよだつ。


「なっ、何ですか。僕に何をしたんですか!」

「記憶よ……。信じるかはあなた次第だけど」


 こんな死の間際なのに、なんでだ。

 彼がやったことの全てが許されるってわけじゃないのに、心が揺れ動いてるのがわかる。

 情に流されやすい性格でもない、なのに何故戸惑っている。

 共感するわけでもないのに、どうすればいいのか脳すら働かない。


「一体どうしてなんですか、何があって貴方はここに居るんですか」

「……さぁ、いつの間にか、よ」


 いつの間にかって!

 わからない、死んだはずなんじゃ?でも今目の前に生きているのは本人で。

 もう訳がわからない、一体何を考えれば。


 その時、隣から怒号が聞こえてくる。

 そちらを振り向くと、そこには腹から血を流した剛鬼の姿があった。


「殺せ…早く!息の根をとめるんだ!そいつはお前を殺そうとしたんだぞ……!」

「はっ!?なっ、で、できませんよ!」

「何故出来ないんだ、敵なんだぞ!早く殺さないと後悔するぞ!」

「そんなこと言ったって!」


 僕は何が正しいのかわからない、ここで殺していいのか。ダメなのか。

 思えば人の生死を決めるそんな決断を僕が勝手にしていいのか。

 いや、今更氷柱を突き刺しておいて今更何を言っているんだ僕は。

 でもどうすれば、どうすれば……。


「秋、お前がやらないならオレがやるぞ。そこをどけ」

「貴方は何故そこまでしようとするんですか!?」

「お前はいつだって優柔不断だよな。大きな決断をする時はいつも一緒だった。一人じゃ何もできない存在だって知ってるんだ」

「何を知ってるっていうんですか、気味悪いですって」


 いったいこの人が何を知っている、僕の何を知っている。

 ついさっき会ったばかりで、まだ全然話したこともないのに。まるで全て知っているような口ぶりでずけずけと僕の脳内を踏み荒らしていくようなこの感覚はなんなんだ。


「げふっ!ぐぁ…」


 その声にハッ、と思考が戻るとすぐさまそちらを振り向いた。

 そこには口から血を垂れ流すマッツの姿が。


「あ、あぁ…」


 二つの思考の間で揺れる僕を後押ししたのは彼のセリフだった。


「辛いのよ、生殺しは。だから早く、殺しなさいよ」

「……」

「それと、約束する事ね」

「約束…」

「あなたの、妹の、理解者であれるのは……。あなた、自信。一番に想ってあげて」

「僕が柊の?」

「──もう、ダメね。喋り……づらいわ。早く刺して、楽に、させて」


 本人が言う事だ、断れるはずもなかった。

 それを止めれる理由なんて持ち合わせてなんかいなかったから。


「はい、わかりました」


 湧き出るあらゆる感情を押し殺して、マッツに歩み寄った。

 考えない方が楽だから、今は何も考えたくなかったから。

 そして彼の胸に刺さった氷柱を、ゆっくりと握った。


 しかしいざ、実行に移すとなると緊張が止まらない。

 実際に人の命を奪うのは初めてだったから。

 暑さとは別の汗、急に喉が渇き、脳が思考を止めようとしている。


「落ち着くんだ」


 そう言い聞かせないとやっていられなかった。

 そして、呼吸をゆっくり整えると僕はそれを今度は強く握りしめた。


「地獄で、会いましょ……さような──」


 心臓を貫く、冷たく鋭い氷の刃。

 僕は彼の最期の言葉を聴き終わる事無く、その命の灯火を凍りつかせたのだった。


 一線を越えてしまった。

 もう後戻りはできないのだ、と。

 秋は心の奥底で感じた。



  ***



「灯火が、消え去りましたね」


 仮面を被った男が、そう呟いた。

 それに続くように、隣に座る白衣を纏った神々しい羽根を有した天使のような女性が発言する。


「ふっ、やはり最弱種族にんげん。せいぜいこの程度ですよ。我が神の僕であった事実すら烏滸おこがましいものだったのですから!」

「あんま言うてやるやな。あいつは自分の意思で従ってた訳やない」

「あんな簡単にやられて、我が神を侮辱したも同然なのですよ!?何故そんな平然と居られる!」

「うっさいやっちゃな。俺はあくまでも神に従えてる訳やない、どうなろうが痛くも痒くも無いわ」

「っこの!」


 ガタッ!と勢いよく天使が席を立って相手の胸倉をつかもうとしたその時…


『いい加減にしなさい!』


 ギスギスした雰囲気の中、仲裁をする様に一喝が入る。

 その声に驚いたのか、天使はあわわと仰け反ると、椅子ごと床に倒れ込み脳天を地面に直撃させた。


「っつう……」


 頭を抱えると、その場で転げ回る。


「自業自得ね」


 邪神は淡白な声色で吐き捨てる。

 そして不思議そうな、不満げな濁った声でその疑問を口にした。


「しかし不思議だわ、覚醒無しでマッツを倒すなんて。状況もあったかも知れないけど、ただの氷魔法であの肉体を貫けるはずはないもの」


 そして、独り言を呟いた。


「覚醒の条件は、他に?絶望と希望の配分がキーだと思ったのだけど。痛みがたりなかったか、それとももっと大きな試練が必要か、まさかその反対?彼の感情は普通の人間と違って少し希薄で扱いづらいわ」


 その独り言を聞いた仮面の男は邪神に「マッツは死ぬことは前提だったのですか」と問いただした。

 それに対して邪神は悪びれもなく「そうよ」だけ返答する。


「おかしいですね、願いを叶えてくれると言ったからしたがっていたものを。これではいつ裏切られるかわかったものじゃないですね?」

「それじゃ、用済みかしら?ワタシはアナタの代わりを探すだけだから」

「ほう、それは結構な事で。それではお言葉に甘えて私はお暇させていただきます故、もう金輪際関わらないでくださいよ」

「いいわ、契約終了ね」


 その突然の状況の最中、邪神は特に介せずといった感じの淡々とした口調で話し続けた。

 言質はとったと仮面の男、フィーリはすぐさまその場から逃げ出すようにその場から姿を消した。

 その光景をその場にいる者達はまるであり得ないものでも見るような目で見ていた。


「それと、あなたももう用済みね。柊」

「わ、私?」


 影のように存在感を消していた柊は、その言葉に対して何か裏があるのではと警戒する。

 邪神の言う”用済み”とはつまりは抹消されるということでは無いのかと。全身の血の気が引くような思いになる。

 しかしその心情をまるで「察している」かのように邪神はクスリと笑った。


「安心しなさい、あの兄の元へ返すわ。だって……戻りたいんでしょ?」

「も、もちろん!」

「じゃそういうことで、さよなら」

「えっ!?ちょ──」


 その一言で、その場から更に一人が消える。

 異様な光景だ。


「一体何を考えてるんや、あんたはそんな優しい奴や無いやろ」

「あら、わかった?」

「あんた程心が穢れている奴は見たことないわ、どうせ何かまたドス黒いこと考えてるっちゅう事だけは当然分かるわな」


 その男の言葉を境に、突然辺りの空気が異質を帯びる。

 その場にいるだけで押しつぶされそうな威圧を感じる。

 そこにいてはまともな人では正気ではいられない、まさに悪を具現したような、圧倒的吐き気を催す、完全なる漆黒。邪悪の塊。


「何もかも、誰も彼もが生温すぎるのよ。足りない、足りない……!満たされないの、甘すぎるの。気持ち悪すぎて本当に、最悪なのよ」


 ドスの効いた、真っ黒な声が部屋全体へと、のしかかるように重圧を与える。


「悪は、悪じゃなきゃいけないの、圧倒的悪。同情の余地も、一切の正義すらも割り込めないような完全すぎる悪……。私は完全すぎる圧倒的悪でなければならないのよ。生ぬるい絶望はたやすく希望と変わる、薄っぺらい希望はあっけなく絶望へと染まる、マッツは足りなかった。彼の中には迷いがあった。だから負けたの」


 誰でもない、自分に語りかけるように、言葉を紡ぐ。


「ワタシは邪神よ。悪以外の何者でもない、完璧な悪役。だから誰も私を倒せない、つまらないの」

「だから探し求めるの、私はを、正義を」

「私に敵うのは圧倒的な光だけ、私が世界を想像したように、同じように私が作らなきゃいけないの──

──完璧な勇者を」

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