オズワルド・フォーサイスの長き不在
オズワルド・フォーサイスの姿が見えない。
俺がその事実に向き合う羽目になったのは、奴が人前に姿を現さなくなってから、推定三日目くらいのことだ。
率直に言えば、気づいていたけど、気づかないフリをしていた。気づいても何もいいことないのはわかりきっていたから。
が、いくらここしばらく平穏な日々が続いているとはいっても、いつ出撃となるかわからないのだ、そろそろ相方の「不在」を放置しておくわけにもいかなかったのも、事実。
――第一に、オズの健康のためにも。
そろそろ同期の連中もオズの不在を不安がりはじめている。とりあえず、重い腰を上げて、オズの部屋に向かうことにした。まあ、すぐ隣の部屋なわけだが。
「オズー」
呼びかけながら扉を叩くも、返事はない。
ただのしかばねのようだ、という文字列が頭の中をよぎったが、きっと気のせいだということにしておく。
もう一度、更に強く叩きながら声をかける。
「オズ、生きてるかー?」
すると、ぎりぎり聞き取れるか聞き取れないか、くらいのか細い声が聞こえた。
「生き、てる……」
「どう考えてもぎりぎりじゃねーか! 入るぞ!」
こんな時のために、無理を言って作ってもらった合鍵を使って部屋に押し入る。
部屋に一歩足を踏み入れた途端、絵の具の独特なにおいが嗅覚を支配する。部屋は、いくつものカンヴァスに埋め尽くされていた。青を基調とした独特な絵は、オズがガキの頃から趣味として描き続けているもので、奴の「特性」の表れなのだが、それはまあ今この瞬間は横に置いておく。
問題のオズは、俺に背を向ける形で、ひときわ大きなカンヴァスの前に腰掛けていた。その背中は丸まっていて、何やら妙なオーラを放っている。嫌な予感しかしない。
「オズ! 大丈夫か!?」
すると、オズは振り向きもせずに、ぽつりと応えた。
「俺は、元気です……」
――ああ、これはダメなパターンだ。
自動的に返事をしているとしか思えないオズの肩を強く引く。人よりも薄い肩の感触、触れた首筋から伝わる低い体温。それも「いつものこと」なので、構わず無理やりオズの顔をこちらに向けさせる。
ゆらり、と顎を上げたオズは、それはもう酷い顔をしていた。普段から顔色のいい方じゃないが、それに増して生気の感じられない土気色の顔にげっそりとこけた頬。顎には細い無精髭が点々と浮いてるわ、目は真っ赤に充血して目の周りに黒々とした隈が浮いているわ、美人が台無しにもほどがある。
しかも、長い睫毛に縁取られた紫水晶色の目は、明らかにこっちを見ないで、虚空を彷徨っている。鈍い頭痛を感じながらも、強くオズの肩を揺さぶってみる。
「起きろっつの!」
「……ああ、ゲイル」
やっと、目の焦点が合った。やはりここまでは自動応答モードだったらしい。
何とか話を聞く姿勢になったオズを見下ろし、溜息をつく。普段散々俺の態度に文句を言いながら、不定期にこうなるのだから性質が悪い。
それから、オズは手に握った筆とパレット、そして描きかけの絵に視線を向けて、やっと自らの状況を把握したらしい。いつもより数段乾いた声で、言う。
「……俺、いつからこうしてた?」
「篭って三日目だ!」
「あー、そんなに経ってたか……」
オズは欠伸をしながら、すっかりべたついてしまっている黒髪をがりがり掻く。
オズ――オズワルド・フォーサイスは、最速の
その一つが、この、異常なまでの集中力だ。
戦場においてオズの集中力は最大の武器なわけだが、それが日常で発揮された場合にどうなってしまうのかは、この衰弱ぶりを見れば明らかだ。
以前は俺がそれに気づかないで五日くらい放置してしまった結果、床に倒れて息も絶え絶えになっているところを搬送されたので、今回はまだ返事できるだけよかったと思うことにする。
いや、何もよくないだろ落ち着けゲイル。
いつもは俺に対してオズがそうしているように、腰に手を当ててオズを見下ろす。
「飯を食え! 風呂に入れ! そんで寝てくれ頼むから!」
「あー……、うん……」
オズはこちらから視線を外し、ちらりとカンヴァスに視線を走らせる。俺の話を聞いているのかいないのか、さっぱりわからない態度にいらいらしつつも、オズの頭を手で押さえて無理やりにこちらを向かせて言う。
「そのまま出撃とか言われたら、それこそ命に関わんだろ? つーかその場合俺様も死ぬからマジでやめてくれ」
複座型
――が。
「うん……、でもあと少し……」
オズの意識は、どうしても描きかけの絵から離れることができないらしい。虚ろな目が、カンヴァスに食いついて離れようとしない。
――こうなっては、仕方ない。
「とりあえず、そこから一旦離れろ!」
ぐいっとオズの首根っこを引っつかみ、無理やり椅子から引きずり下ろす。
「あーれー」
自動返答モードによる悲鳴を上げるオズを無視して、ずりずりとシャワー室前の脱衣場まで連れ込む。そして、眠気もあってもたもたと手際の悪いオズの服を乱暴に引っぺがし、シャワー室にぶち込んで戸を閉めた。
そこまでの一連の動作を終えたところで、全身の力が抜けた。壁に背をついてしゃがみこみながら、つい、深々と溜息をついてしまう。
奴が時々我を忘れて絵画にのめりこむことはわかっていたが、少しは懲りないのかと思わずにはいられない。どうも、気絶して搬送された挙句、サヨに散々叱られた記憶はすっかり頭から抜け落ちているらしい。
もちろん奴のことだから、本当の意味で「忘れた」わけではないはずだ。ただ、絵を描く、という作業にのめりこんだ時点で「意識に上らない」だけの話。
俺は俺で『エアリエル』の操縦席にいるときはオズの都合も考えず好き勝手やっちまうから、相棒のことをとやかく言える筋合いが無いのはわかっている。それでも、毎度懲りずに死にかけているところを見るに、誰かが必ずどこかでオズを止めてやらなければならないのは間違いないのだ。
俺がいつまでオズの相棒でいられるかはわからない。『エアリエル』から降りるにせよ、魄霧汚染で蒸発してしまうにせよ、撃ち落とされるにせよ(この場合は十中八九オズも一緒に死ぬだろうが)、いつまでも二人で船の上にいられるわけではないのだ。
それはきっと、オズだってわかっていないわけではないと思うが――。
その時。
ごん、という鈍い音が、俺を現実に引き戻す。
今の音は何だ。明らかに重たいものが戸にぶつかった音だったが。
恐る恐る、鍵のかかっていなかったシャワー室の戸を開く。
すると、シャワーの湯がざあざあ降り注ぐ中、オズが丸くなって床に倒れこんでいた。その顔は半分くらい水没している。
「そこで寝るなああああ死ぬぞお前えええええ」
慌てて湯を止めて、ぐったりとしたオズの体を引っ張り上げる。オズもそれで我に返ったのか、目を激しく瞬かせてけほけほと咳き込み始めた。
オズの体を脱衣所の床に放り出し、落ち着くまで背中をさすってやる。それから、呼吸が整ってきたところで声をかける。
「……生きてるか?」
「な……、何、とか」
「体を拭いて服を着なさい」
はい、と情けない声を上げてのろのろと上体を起こしたオズは、俺の手からタオルを取って体を拭き始めた。どうやら今ので本来の理性が戻ってきたらしいことを、白い面に浮かんだ苦々しい表情から判断する。
これなら、とりあえずは大丈夫だろう。ほっと息をついて、オズに服を投げて背を向ける。
もそもそという音を聞きながら、オズが服を着るのを黙って待つ。正気を取り戻したオズに余計な茶々を入れると、その口の悪さで俺の心を抉ってくるので、こういう時は黙っているのが一番なのだ。
ただ、今回ばかりは、オズの方から声をかけてきた。
「……あのさ、ゲイル」
「ん?」
「お陰で少し目が冴えた」
「そりゃよかった」
一瞬でも死にかけていた以上、全然よくはないのだが。それでも、まあ、無事だったからよかったことにしておく。
すると、しばしの沈黙の後、オズがぽつりと言った。
「すまん、また迷惑かけた」
また、と言っている以上、一応迷惑をかけている自覚はあるらしい。とはいえ。
「お互い様だろ」
ごく稀に人間をやめそうになって、俺の手を煩わせるオズに比べれば、常日頃からオズの手を煩わせている俺の方が、迷惑度合いは高いのだから。
オズは「そっか」と普段よりずっと柔らかな声で言って、少しだけ、笑ったようだった。
「……しかし、めちゃくちゃ眠いな」
「まず寝ろ。その後は描いてもいいから」
だな、という声と共に、肩を叩かれる。そちらを見れば、相変わらず酷い面ではあったが、さっきより幾分は血色のよくなったオズが、ひらひらと手を振っていた。
「じゃ、おやすみ、ゲイル」
「ああ、おやすみ」
オズは存外しっかりとした足取りで、その場を去った。この調子なら、何とか自力で部屋に戻ってくれるだろう。その後のことは保障できないが、流石に寝てくれると信じることにする。
やれやれだ。肩を竦めて、俺も己の部屋に足を向ける。
オズが描いていた、一枚の絵を思い出しながら。
――それは、青い空の絵。
オズが物心ついた頃から夢に見ていたという、「この世ではないどこか」の絵。
幼い頃の奴との約束。俺がオズと共に飛び続ける、理由。
奴がどうしてそんな夢を見続けているのか、俺は知らない。ただ、その場所がきっとどこかにある、という確信だけは、何故か常に俺の胸にも宿っていた。
今回の絵も、きっと、近いうちに完成するだろう。その時にはまた、完成した絵を前に、オズと共に空の話をしよう。
今度は、一体、どんな話を聞けるだろう――期待をこめて、俺は、部屋の扉を開ける。
――それは、オズワルド・フォーサイスの失踪から、一月前の記憶。
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