現代奇談百物語

死角からの一撃

No.01 影食い

 僕の父親は影食いで、小学生の頃はそれが嫌でたまらなかった。

 同級生の真壁くんの父親は医者で、矢野くんの父親は大学の准教授だというのに、僕の父親は影食いなんてしているのだ。小学生の僕はそのことが情けなくて、ときどき死ぬことを考えるほどだった。

 父の働いている姿を、僕ははっきりと覚えている。

 日が高く上っている時間帯に、父は道行く老若男女さまざまな人に声をかけ、その影を食べた。

 路上に這いつくばり、見ず知らずの人の足に口を近づけてその影を啜る父の姿はひどく惨めだった。

 影を食われた人々が示す反応は、だいたい決まっていた。父に対して憐憫の眼差しを向けるか、気持ち悪がるか、嘲笑するか、できる限り無表情を装うか、そんなところだ。あるいは、戸惑いの表情を浮かべる者も多かった。彼らは予め自分の影が食われることを承知の上で、父に影を啜らせているにも関わらず、実際に影を食べられてみると、途方も無い喪失感を覚えるらしかった。

 職業に貴賎なし、という言葉を僕は真壁くんから教わった。先ほども言ったように、真壁くんの父親は医者で、それは立派な職業に思えた。だが、真壁くんが言うには職業と職業の間に上下関係はなく、全ての職業は平等に社会に貢献しているとのことだった。真壁くんの言っていることは正しいと今の僕は思う。だが、小学生の僕は、立派な病院で人々の身体を治癒し感謝される医者と、人々に蔑まれながら犬のような姿勢で影を食べる影食いが平等であるとはとても思えなかった。

 一応断っておくと、僕は別に父を嫌っていたわけではない。父は穏やかな性格をしていて、僕や母に暴力を振るったり、理不尽な言葉をかけたりしたことは一度もなかった。無口で冗談を言ったりすることは滅多になかったが、代わりに説教や愚痴も少なかった。理想的かどうかはわからないが、悪い父親ではなかったと思う。ただ、僕は父が影食いなどという職業についていることが不満で仕方なかっただけなのだ。

 一度だけ、父に面と向かって影食いなんてやめてくれと頼んだことがある。夕食の席でのことだ。父は一瞬、それまで僕が見たことのないような恐ろしい顔をした。しかし、すぐにいつもの穏やかな顔に戻って「父さん、これしかできんけん」と言った。

 僕が東京の大学で経済を学んでいた頃、父は死んだ。頭のおかしい男の影を食っている最中、その男に突然蹴り飛ばされたのだ。その男は、影を啜る父の姿があまりに無様で正視に耐えず、苛ついて一発蹴り飛ばしたところ死んでしまったのだと、警察に語った。しかし、父の首はあり得ない方向に曲がっていて、腹や背中にも蹴り飛ばされた跡が残っていた。

「影食いなんかしとったから、こんなことになったんかねえ」と母が呟いた。あれは葬式の後だったろうか。それとも前だったろうか。

 母の言葉に、僕はどう答えていいかわからず黙っていた。

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