君は夢の中で小さくそして狂猛だった――(1)


 火神浩一はかつての夢を見る。

 かつて存在した開拓シェルター『ヘリオルス』。その中にある自然区画だ。

 植樹された木々、植えられた芝生、シェルターの保護膜を通して除染された陽光が降り注ぐその丘のような場所に少女と少年がいた。

 金色の髪をポニーテールに括った少女は、地面に転がされている少年に向かって何かを教えている。

 それは文字だったり、数字だったり、国だったり、世界だったり、法律だったり、常識だったり、この世界で生きるための当たり前のことだった。

「いい? 浩一。君が大人になってからも絶対にやってはいけないことを私が教えるよ」

 片方の手で浩一を拘束しながら、片方の手でごつんごつんと拳で浩一の頭を殴りながら血に染まった幼い雪が笑っている。

 獣のような浩一がぐるぐるとうなりながら雪の腕に浩一は歯を立てるも浩一の未改造の肉体では雪に痛みを与えることすらできていない。

 浩一の頭が圧力で潰れないようにギリギリを調整しながら雪は拳と言葉を重ねていく。

「ゼネラウスの法律をここまで教えてきたけど、今からそれとは別に、人間・・として絶対にやぶっちゃいけないことを教えるね」

 ぐるると雪の拳の下、素手で拘束されている浩一が唸る。

 未だ言葉も覚えきれていない少年は圧倒的な暴力によってあらゆる自由を奪われていた。

「はーいはいはい。元気だね浩一。唸らなーい。唸らなーい。ちゃんとこれを覚えたら拘束は解いてあげるからね」

 雪は笑う。快活に笑う。なんの裏表もなく笑っている。

 楽しそうで楽しそうで未だ言葉も覚えられていない浩一はどうして彼女がそんなに楽しそうなのか不思議だった。

 でも殴られるのは嫌だったから、雪を倒すためにいつだって牙を剥いてきた。


 ――抵抗の全てを暴力・・によって潰されたとしても。


 幼い彼女は笑いながら人を殴れる人間だった。

「まず一つ。浩一、いいね? 人を殺さないこと」

 人を殺してはいけません。雪はそう言った。理由は言わない。自分で考えろということなのだろうか。浩一にはわからなかった。

 それが当たり前だから雪が説明をしないということに浩一は気づけない。だけれど雪は根気強く言う。

「人を殺しちゃ駄目だよ浩一。これはね。絶対に取り返しがつかないことだからね」

 魔法やオーラ、神術などの奇跡が溢れるこの世界でも死の法則は絶対だ。

 死んだ命は取り戻せない。死んだ生命を蘇らせる方法はない。

「次に一つ。浩一、物を盗まない。どんなに窮していても人の物を盗んではいけない」

 当たり前のことを当たり前に雪は浩一に説明していく。

 他人の命を奪ってはいけない。他人の物を盗んではいけない。そんな当たり前のことを。

 ぐるると唸る浩一にその心はまだ伝わらない。この後も雪はこの言葉を浩一に何度も教えていく。言葉で。暴力で。それは獣を躾ける大原則だ。自分の方が強いことを示す。それで獣は従うようになる。

 幼い浩一は獣だった。雪が笑顔で拳を振り上げればそれに対して聞く耳を持たなければならない。そういうふうに雪は躾けるのだ。

「さ、最後に。その、ひ、人を犯さない」

 真っ赤になった雪がボソリと言った言葉。それに浩一は首を傾げる。

「……も……もっと……はっきり……」

「だから……人を犯さない……」

 ぷいと顔を背けた雪がもう一度ぼそぼそという。浩一は首を傾げた。未だ精通すら来ていない浩一には犯すという意味がわからなかった。

「だから、レイプとか、強姦とか、そういうの」

「……???」

 ゼネラウスが誇る超科学の産物である学習装置で様々な知識だけを脳につめ込まれた雪は、それがどういうものなのか実感として知らなくても知識としてちゃんと脳に刻み込まれている。

 そんな雪が、伝えなければと浩一に向けて拙い表現を重ねるものの、浩一にとってそれはよくわからない言葉ばかりだった。

 何を伝えても疑問ばかり返す浩一に「むがぁあああ!!」と可愛らしく憤慨した少女は浩一の腕を掴むと未だ成長していない自分の胸に強引に押し当てた。

「こういうのが駄目なの! 無理矢理こういうことしちゃ駄目なの! わかった!!」

「……? ゆきが、おれにやってることが、だめなこと? ……ゆきはだめなことした?」

 ぷるぷると雪が恥辱と怒りに震える。ああ、来るぞと浩一は思った。脳に詰め込まれた知識も、肉体強度も大人を超える雪ではあったが、精神だけは未熟だった。

「わたしはいいのぉおおおおおおおお!!」

 迫る拳。その衝撃を受けながら幼い浩一は思うのだ。

 東雲・ウィリア・雪は怖い。逆らわないようにしようと。

 そんな、かつての夢を見た。


                ◇◆◇◆◇


「……先輩。先輩? そろそろ着きますよ」

「ん、ああ。すまん、寝てた」

 後輩に囲まれ、浩一はモノレールに乗っていた。行き先は八十四区のダンジョン『天体迷宮』だ。

 寝起きの頭をふるふると振る浩一。隙があれば細かく睡眠を取るのは浩一の癖だった。

(とはいえ、油断しすぎか……)

 周囲を自身よりも才能のある後輩たちに囲まれているとはいえ、天門院に喧嘩を売っているのだ。どこで何に襲われるかわからない。

 空気を吐き出す音とともに、ドアが開く。人の流れに乗って浩一はホームへと出た。

「先輩先輩! 今日は本当にありがとうございます!!」「あざーっす!」「いぇーい! 先輩最高!!」

 周囲にはチケットをねだってきた後輩たちがいる。

 どうせなら一緒に行こうと言われたので誘われるままに一緒に来たのだ。

 他に知り合いはいない。

 雪と那岐は先にダンジョンで準備をし、アリシアスは忙しい・・・から後から来ると連絡が来ている。

 自称親友のヨシュアにはチケットだけ渡してあった。

 笑い声が聞こえてくる。後輩たちは楽しそうだった。

(……まぁそう長くないか……)

 何故か懐いているこの後輩たちも、成長すればきっと自分を煙たがるんだろうなぁと浩一は少しの寂しさと共に思う。

 相原流の師範、相原桐葉は浩一を贔屓・・しすぎている。

 故に相原流の人間は相原流に入り、基礎を覚え技が上達し、理念を極め、師範に近づけば近づくほどに、寵愛を受けている浩一を恨んだり嫉妬したり煙たがったりする。

 中にはそのような贔屓を知ってなお、浩一を嫌悪しない女子の主将である王姫や、才能があるために一足早く上位に入ったラッツのような例外もいるが、そんなものは稀だ。

 兄である相原三十朗に心服していた桐葉はその弟子である浩一以外に目を向けない。

 この都市国家でも最上位の剣名を得ながら、自身よりも強かった兄を失ったことで相原桐葉は無気力になっていた。ゆえに桐葉は浩一に教えるついでに門下生に技を教えている。

 だから彼らは奥秘を伝授されている浩一を憎みながらも排斥することができない。

 浩一が相原流を訪れなければ桐葉は相原館を閉めることがわかっているから――。

「先輩! せーんぱい!」

 ぐんと腕を引かれた。周りを見れば目をきらきらさせた少年少女がいる。自分の可能性を疑っていない彼ら。未だ世界は明るく、歩く道が黄金で塗装されているかのような、未来と才能に満ちた後輩たち。

「先輩! おごってください!」「あれ美味しそうです!」「記念限定品でてますよ!」

 ダンジョン『天体迷宮』の前の広場には商機を感じたのかいくつか出店が出ていた。

 このイベントで来た学生目当ての出店なのだろう。軽食の店や、戦霊院那岐に関するパンフレットやピンバッジなどが売られている。

 ちなみに雪のものは流石にない。

 国家最強の軍人だった東雲・ウィリア・歌月かづきが生きていた頃ならともかく、今の雪はただの学生だ。

 雪も十分な美少女であるが、人口1000万のシェルター内では探せばそれなりにいる程度の美だ。

 出店の品を遠目に見る浩一は、記念って何の記念だよと思いつつ、ああ、仕方ねぇなとPADから後輩達に向けて小遣い程度のゴールドを送った。

 学外だが学生が多いイベントだ。ゴールドでいい。統一通貨ゼノスでなくとも使えるだろう。

 いいんですか? と傍らの少女が問えば、いいんだよ、と喜ぶ後輩達を浩一は眺めた。

 未だ若く未熟な彼らだ。いかに才能があってもダンジョン実習での収入は微々たるもの。有力なスポンサーもついていない。

 そんな後輩たちは武器や防具、探索道具、改造などに大量の金が必要になる。小遣い程度の金でも惜しいことは惜しいのだ。

 甘やかすのはよくないんだろうと浩一も思うが、どうせ将来恨まれることになるのだ。甘やかせられるうちに甘やかしておこうと思っていた。

 そんな甘すぎる態度だからこそ、ラッツのような後輩ができるのだが、そんなことに浩一は気づかず。傍らの少女にも手をぷらぷらと振る。

「ほら、ここで解散だ。お前も楽しんでこい」

 えっと、と浩一を気まずそうに見ていた一回り年長の少女は、早く行けと浩一が再度手で示すと、では、と嬉しそうに後輩たちの集団に混じっていく。

(ま、今は金があるからそこまで痛くないがな……)

 以前は食事代や生活費を節約して奢ったものだが(もちろん後輩たちに金のない素振りは見せなかった。やせ我慢である)、今年の浩一はミキサージャブの討伐もあって懐に余裕があった。

 さて、俺も適当に出店の軽食でも買うかと浩一が歩き出そうとすれば、突然にがしり・・・と肩を強引に掴まれた。

 気配は感じたが突然すぎて躱せなかったのだ。

 振り返れば大柄な騎士鎧の男が浩一を見下ろしていた。


 ――グラン・忠道・カエサル。


 相原流の、先輩だ。

「よぉ、奇遇だな。火神」

「グラン主将……? なんでこんなところに」

「おいおい、四鳳八院たる戦霊院の戦いが見られるんだぞ。戦士たるもの、上を目指すなら這ってでも来るに決まってるだろう」

 浩一の問いに何を馬鹿なことを言っているんだとグランが呵々と笑う。

 それはそうかもしれない。だが、魔法系の戦霊院からグランほどの戦士が学べることなどあるというのだろうか。

「火神、お前はまた後輩共に奢ってやってたのか」

 人気取りも大変だなとグランに言われ、はぁ、まぁと曖昧に応えるしかない浩一。

 そういうものではないが、反論するのも疲れるので言われるがままだ。

 どうしてか、いつもなら一言だけ声を掛けて去るグランが今日は長々と浩一に絡んでくる。

「なぁ火神、久しぶりに少し話さないか? 開始までまだ時間はあるしな」

「いえ、開始前に雪と那岐に声を掛けてこようと思っていますので、申し訳ありませんが」

 丁寧に頭を下げる浩一に、ちッ、と舌打ちをするグラン。

「……そうか、なら行って来い。やはり・・・俺はお前のことが嫌いだよ。火神」

 すいませんと再び頭を下げ、浩一はグランから離れていく。

 桐葉に嫌われているグランが浩一を嫌うのは当然だという諦めが浩一の中にはあった。


 ――ゆえに。 


 浩一に聞こえない声でグランは呟く。

「だからこそ……躊躇せずにできるってもんだがな」


 ――浩一は、罪悪感によって凶手の決意を見逃した。



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