君は夢の中で小さくそして狂猛だった――(2)


 ダンジョン『天体迷宮』は寂れた、人気のないダンジョンだ。

 個人が一日程度とはいえ、貸し切れるというのはそういうダンジョンであるという証拠であり、また、貸し切るのならばそういうダンジョンでなければならない。

 ダンジョンとはこの過酷な世界で戦士が己を鍛えるための修行場であり、科学者たちの実験場でもある。

 無論、人気の中央公園ダンジョンで火神浩一に好き勝手やらせたアリシアスという例外はあったが、あれは例外中の例外で、また莫大な使用料が払われている。

「……さて、準備しようか」

 金髪紅眼の少女――東雲しののめ・ウィリア・雪が人の気配のないロビーのベンチから立ち上がって口を開いた。

 寂れているとはいえ、普段そこそこの学生がいる天体迷宮の受付ロビー。今この時、そこには二人の少女しかいない。

 気の狂った試験への挑戦者たる戦霊院那岐と、その試験の合否を判断する東雲・ウィリア・雪。

 とはいえ、この状況はその雪ですら想像の外だったが。


 ――試験の規模が巨大になりすぎていた。


 本来は一区画だけを借りて行うはずだったこの試験は、那岐の差配によってダンジョン全てを貸し切る規模となっている。

 もっともそれは天門院の横槍を警戒してのことであり、那岐とて本意ではない。

 こうして試験をイベント化したのも理由は同じで、人目を無理矢理作ることで、雪の試験によって、弱体化・・・する自身を守ろうと那岐は考えたのだ。

 多数の人間の眼があれば、天門院とてそう無理はできないだろうと考えてのこと。

 それを那岐は雪に話し、理解を求めたが、雪は「いいんじゃないの?」と投げやりに言って許可を出していた。


 ――規模が小さくなろうが大きくなろうが、試験の本質は変わらない。


 そう、試験・・だ。イベント化しようが、ダンジョン全体で行おうが、やることは一つだけである。

 試験。火神浩一のパーティーメンバーになることを雪に認めてもらうための試験。

 だから雪と那岐は今ここに二人でいるのだ。

 そして雪は那岐へと一つの道具を差し出していた。

 装飾首輪チョーカーのような装身具に見える道具。雪が説明する。

「さて、これを装備すれば戦霊院さん、貴女の力はAランク程度にまで制限されるよ。具体的には身体能力の低下、魔力の出力制限、スロットの発動制限、所持装備の機能スキル妨害ジャミング。まぁ有り体に言えばこれは、元軍人の犯罪者に対して使われる拘束具なんだけど」

「犯罪者用の拘束具……それを全く遠慮せずに、戦霊院の私に身に付けろっていう貴女の正気を私は疑うべきかしら?」

「別に試験を受けたくないなら身に付けなくてもいいんだよ? 私としては試験する手間が減って嬉しいしね」

 はいはい文句いいませんよ、と那岐は雪の手にある首輪を奪い取るように手にとった。

 雪の良心なのかデザインが多少お洒落・・・になっているものの、首輪自体は剣牢院系列の囚人用器具作成機関『痛みの牢獄』が作成した最上級囚人用、つまりはSランクオーバーの強者を縛り付けるための拘束兵装『グレイプニール』だろうと思われた。

「――の改良型。『グレイプニール・エクステンド』ね。で、戦霊院さん。時間ないよ。つけないの?」

  首輪を見つめている那岐に、挑発的な雪が思考を読んだかのように補足をし、催促してくる。

 グレイプニール、かつての世界の神話で神獣を拘束したと言われる鎖を模した首輪型拘束具。

 精緻な装飾の為されたそれは一見すればただのチョーカーにしか見えないだろう。だが手にとった那岐はこのチョーカーが脳神経に直接作用する強力な思考妨害装置の一種だと気づく。

 はぁ、と那岐はため息をついた。これをつけるには少しだけ決心・・が要る。


 ――戦霊院那岐は、東雲・ウィリア・雪を信頼しなければならない。


 そんな那岐を雪はじぃっと見ていた。怖い視線だと那岐は思った。そしてここで躊躇するからこそ雪は那岐を採用しないのだろうとも思った。

 アリシアスならどうしたのかと那岐は思うが、きっと彼女ならこんな状況にせず雪を了承させたに違いなかった。そしてそれは真実だった。

 戦霊院那岐には、アリシアスのような器用さはない。だからこういうことになっているのだが、だからこそ訪れた機会もあった。

 那岐は首輪を見つめ、浩一の言葉を思い出す。

 浩一は那岐に雪と向き合ってくれと頼んできた。

(私は、人と向き合うことが苦手だけれど、それでどれだけ役に立つかわからないけど、浩一が頼むなら――)

 那岐の胸の奥に熱を灯したあの青年が頼むなら、それはきっと自分にしかできないことなのだろう。

 そう、那岐がこの試験ですべきことはこの金髪紅眼の少女と徹底的に向き合うこと。

 決意した瞬間、あれだけ躊躇していた那岐の手が、するりとチョーカーを首に嵌めていた。

 そんな那岐を待っていたかのように雪が説明を始める。

「ようやく? それじゃ、始めようか。シチュエーションは前衛1後衛2のAランクパーティーでの探索。探索目的はこの天体迷宮五層にいるボスの撃破。事前説明の通りだけど、大丈夫かな?」

「目的は、ボスの撃破でいいの?」

 話しながら那岐はぐっと手を握る。チョーカーの効果で力が格段に下がっていた。

 魔力も練ってみれば首輪より神経がかき乱される刺激が走り、集中が乱される。

 それはスロットや装備もだ。機能スキルのいくつかが影響を受けているのか魔法の発動個数が減っている感触がある。並列展開はいくつできるかと悩みつつ、那岐は雪と言葉をかわしていく。

「ボスの撃破ね。んー、まぁ、とりあえずそんな感じかな。途中途中の戦霊院さんの行動で合否も決まるけど。ああ、もちろんこの用意した『浩一人形』がやられたら探索は中止ね。私が死んでも戦霊院さんが死んでも中止にはしないけど、浩一人形がやられたらそこで終了。いいかな?」

 那岐は雪の隣にある人形を見た。

 雪の指し示すそれは火神浩一の姿を模したのっぺらぼうの人形だ。刀を佩いた侍風の、戦闘人形バトルドール

 よく作ったわね、なんて那岐は思いながらも、合格基準や採点基準を頑なに話さない雪の態度に多少のいらつきを覚えるも、自分でそれらに気づかないといけないのだろうと那岐は納得するふり・・をした。

「……まぁ、いいわ。とりあえずそれで」

 イベントや試験の名を冠してはいるが、ダンジョンに潜ることは変わらない。死ねば終わりだ。

 ぶるりと背筋を震わせる那岐。武者震いではない。恐怖に震えたのだ。

 生きたいが為に浩一の熱に感化された那岐にとって、こんな試練は冗談ではない。

 だが、浩一と共にいるためにもこの試練は乗り越えなければならない。

 自身が持つ圧倒的な力を振るえない状態に加え、浩一人形あしでまといと理解不能な雪。

 敵の編成次第では那岐とて死んでもおかしくない。

 いや、Sランクが一体でも出てくれば何がなくとも死ぬだろう。

 首輪でAランク相当にまで性能を制限された那岐からすればそれは当然だ。

 しかし雪は全く緊張もせずに浩一そっくりの体格をした浩一人形とやらのチェックをしていた。

 事前に受け取っていた資料では、浩一人形はAランク相当の力が発揮できる自動人形で、火神浩一の思考パターンを植え付けているものらしい。

 だが、前衛は任せられない。

 偽物は偽物だ。あれから浩一に感じるような熱を感じることはない。ただのAランクの戦闘人形でしかないのだ。あれは。

 加えて装備している武具もAランク相当。これでは浩一の起こす奇跡など期待できようもない。

 平静そのものの雪と少しの緊張に震える那岐。そんな中、雪が顔を輝かせる。

 入り口を見ていた。那岐も雪の視線を追えば、自然と表情に笑みが浮かんだ。

 駆け寄ったのは雪が先だった。

「浩一! 来てくれたの?」

 人形をほっぽりだして雪が駆け寄る先、那岐が渡した関係者用のパスで入ってきたのだろう。漆黒の着流しを纏った侍が立っている。火神浩一。那岐が信頼する戦士の姿。

 浩一は雪に向かってにやりと笑ってみせた。

「俺をなんだと思ってるんだお前は」

「試験になんて興味がないと思ってたよ。詳しく聞かなかったし」

 笑う雪の頭を撫でる浩一。えへへと雪は笑う。那岐の胸がむかむかしてくる。なんで私には一言も声をかけないの?

「お前を信用してるから全てを任せてるんだよ。それよりこんなことで死ぬなよ」

「ああ、うん。生死に関しては大丈夫だと思うけど。うん、でも浩一に会えて安心した」

 雪はまっすぐに浩一を見つめて、微笑んでいる。

(東雲・ウィリア・雪……浩一の幼馴染)

 那岐は雪という少女から殺害志向の熱や、それに影響されたもの特有の熱情を感じたことはない。

 だけれど、いや、だからこそ、雪が浩一に向ける視線の中身に気づくことが出来た。

(だから東雲さんはずっとこんなことを続けていられたのかな?)

 その愛情にも似た執着があるからこそ、彼女は火神浩一の為す苦行じみた所業に付き合ってこれたのだろうか。

 肉体改造ができない人間が行う、自殺めいた終わりのない修練。

 安価な装備とただの肉体でダンジョンに挑むという狂気。

 少しでも敵の戦力を見誤れば死ぬ、やるべきではない馬鹿げた戦い。

 どれもが那岐にはできないこと。だが、今から那岐がすること。

 那岐は浩一と接している雪を見てると、やる気が湧いてくる自分を不思議に思う。自分にはあれだけ無関心だった少女が、浩一の前ではまるで年相応の少女だったからだ。


 ――なんだか、それが悔しくて……。


 そして、いいだろうと心のうちで微笑んだ。

 浩一の隣に立つには最低でもそれができないといけないのだと那岐は信じることにした。

 理解できなくても、雪を理解しようと努力する。そう決めたのだから。

 そして雪とも、友人になれれば……。

「那岐」

 雪との会話を終えたのか火神浩一が話しかけてくる。浩一の傍には雪が立っていて、那岐を無感情に見ている。

 とりあえず雪を無視して、那岐も浩一に声を返す。

「浩一。その……」

 これが失敗すれば、自分は天門院に行く。そうでなくても下手を打てば死ぬかもしれないのだ。


 ――ああ、やはりこんな試験正気ではない。


 なんて言えばわからない那岐は浩一に向けて手を伸ばした。

 その胸に指を這わせ、心臓の奥の奥から感じる熱を少しでも得ようと近づいていく。

 浩一が動揺するような気配を感じるも構わない。手を回さずに、しかし少しでも殺害志向の熱を得られるように全身で浩一に身体を預ける。

「頑張るわ。何をどうすればいいかわからないけど、頑張ってみる」

 これから行うことが那岐にとって正しいことかはわからない。しかし、無駄なことではないと那岐は信じた。

 東雲・ウィリア・雪の繰り出す試験を乗り越えて、火神浩一の仲間として必要なものを理解する。

 そんな那岐の意思を感じた浩一が無言で那岐の頭に手を載せた。

「やれるだけやってみろ。外で見てるから」

「うん」

 無骨な手がぐしゃぐしゃとかき乱すように那岐の髪を撫でる。くすぐったい感覚に那岐は小さく笑い、抗議する。

「ちょっと浩一! 髪がぐしゃぐしゃになるでしょ!」

「すまんすまん。だが、まぁ死ぬなよ。うまくやれ・・・・・

 そんな浩一の仕草に、浩一の傍らにいる雪がなんとも言えない表情でむぅと頬を膨らませた。

 その姿に、雪が自分をそんな目で見ることもあるのだなと思いながら那岐は彼女に話しかけようとして――無音で那岐のPADから連絡が入る。

 それは、那岐が特別に設定している通知だ。何があろうとその人物から連絡が届けば最優先で那岐に着信を伝える機能。

 電子メールだ。声で伝えればいいのに、と思いながらも思考操作ですぐさま開き、マルチタスクで那岐は内容を処理する。


『ダンジョンで何をやってもどうしようもなくなれば雪に俺からだと言って命じろ。コード【獄炎の曙光】と』


 差出人は火神浩一。

 那岐が最も信頼する人物。

 そして今この場にいる彼は、浩一の体格そっくりなのっぺらぼうな人形を見ながら、雪に対してあーだこーだと言っている。

 声に出さないのは、雪に伝えるなということなのだろう。

 しかしこれは一体どういうことなのだろうかと那岐は胸中に疑問が湧いてくるのを抑えきれなかった。

 那岐にどうしようもできないことを、Aランク相当の力しかない雪になんとかできる?

 意味がわからなかった。だが、この場で言わないということは今知ってはいけないことなのだろうと湧いた疑念を那岐は心の奥底に沈めた。

 火神浩一は信じられる。

 だが、願わくばと。那岐は信じてもいない神に祈りを捧げた。

 何事も無く、無事に試験を終えられますように。


 そして、侍に見送られながら二人の少女と一体の人形がダンジョンへ潜っていった。

 クリステスの乳白色の壁だけが変わらず淡く光っていた。



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