偶像を燃やす炎はまるで衣のように(1)


 これはかつての記憶だ。

 聖堂院・・・の本家の庭園を蒼い髪の少女が二人、駆けている。

「アリシアス! こっちよ! こっち!」

 少女の一人が叫ぶ。大人の背丈を超えるほどの高さの、色とりどりの花々で作られた生け垣は、少女たちにとってはそこにモンスターがいなくともまるで大迷宮のようだった。

「アリス様、お待ち下さいませ! そんなに急いでは転びますわよ!」

 少女に少女が叫び返す。蒼い髪の少女たち。まるで双子のように似た姿。

 遺伝子を直接操作されて生まれた彼女たちは未だ四歳だというのに、非常に活動的だった。

 ひらひらとレースのついたドレスに身を包み、大人顔負けの速度で花々で彩られた庭園を駆けていく。

 アリスと呼ばれた少女は笑っていた。

 まるでこの世の全てが自らを祝福しているかのように笑っていた。

 いや、今この時のみ、この世の全ては彼女を祝福していた。

 極東の島にあるシェルター群を支配する都市国家ゼネラウス。その頂点たる十二名家の一つに生まれ、当主として立つことを定められている少女は万人に望まれる生を歩むことを約束されていたのだ。

「アリシアス、ここよ。さぁ、ついてきて」

 庭園の隅から小道を進み、木々に隠された道を通って、アリシアスを連れてきたアリスは、鬱蒼とした背の高い雑草を潜るように進んでいく。

 そして隠されたように存在する、地下室へと続く扉を開いた。

「これは……?」

 主人に連れられたアリシアスは不気味そうに扉を眺めた。

 装飾も何も施されていないその扉は、扉の奥のものを隠すかのように作られていたからだ。

 それは人々が頑なに語るまいと秘するおぞましい何かを封じるものなのかもしれない。

 それとも賢者たちが衆人に知られまいと秘密にしているなんらかの知恵か。

 早熟だが自尊心の強い彼女は恐怖こそ覚えなかったが、こうしてひっそりと隠された場所へと連れられ、自身が四鳳八院の何か秘密に触れるのではないかと緊張する。

 奥に何があるのかアリシアスは知らなかった。

 しかし秘密の発する気配・・を扉の奥に感じ、少しの緊張に身を震わせる。

「さぁ、アリシアス。私の手を握って」

 はい、アリス様、と主人の手を握りしめ、アリシアスは扉を潜る。

 そして扉を潜った瞬間、アリシアスは自身では感知できない何か結界のようなものを通った気がした。


 ――薄暗い、倉庫のような部屋があった。


 何の変哲もない、一見して何もないただの部屋。

 アリシアスは拍子抜けしたように息を吐いた。

「アリス様? ここは一体?」

「聖堂院の秘密……いいえ、いいえ、そうではないわね。アリシアス。ここは四鳳八院の秘密なのよ」

 そのようなところにわたくしを案内してもよろしいのですか、とアリシアスは呆れた表情を顔に浮かべた。

 それに秘密といっても、大仰な機械や、モンスターがひっそりと飼われているわけでもない。

 そんなアリシアスに向けて、とても四歳児には見えない達観した表情で、アリスはだからこそ・・・・・と笑う。

「アリシアス。これはただの昔話なのよ、でもいつかきっと訪れる私の運命。だからこそ――」

 その時は貴女が私を支えるのよ、とアリスは奥にあったそれを撫でた。

 小さな子供の身長程度の大きさの石碑がそこにある。アリシアスの目には、ただの石塊にしか見えなかったそれ。

 石碑には言葉が刻まれていた。


『英雄よ、英雄よ、戦場に向かう英雄よ。

 彼の人は王護院より任を受け、剣牢院に武具を授かる。

 彼の人に与えられし任は恐るべき怪物の討伐。

 彼の人に付き従いしは、戦霊院の智者。豪人院の強者。聖堂院の癒し手。

 彼の人は征く。携えるは英雄たるの矜持。


 彼の人去りし街を守るは心の護り手、心護院。門の番人、天門院。

 四鳳が七翼に守られし人の世の秩序、強固なり。

 ただ一翼は称えられず。闇夜の刃。暗闇の声。人の背を刺す獄門院』


 それは詩だ。

 小さなアリスが歌う。

「彼の人は英雄。彼の人は人類の導き手。空を飛ぶ竜を殺し、地を征す巨獣を降し、天を舞う精霊を倒し、海を支配する凶魚まがつうおを滅ぼす」

 小さなアリスは歌っている。

「我は聖堂院。彼の人の傷を癒やす者。我は聖堂院。彼の人の心を守る者。我は聖堂院、遍く刃を防ぐ者」

 小さなアリスは歌っている。

「さぁ、槌を手に持ち、聖衣を纏い、聖剣の持ち手を探しに行こう。さぁ、癒やしを片手に、始まりを片手に、彼の人を迎えに行こう」

 小さなアリスは歌っている。

「我は聖堂院。朝を迎える者。夜を終わらせる者。槌と神術により英雄を助くる者」

 くるりとアリスは回った。くるりくるりとその小さな小さな石碑しかない部屋で。

 そうして石碑を愛おしそうに撫でながらアリシアスに言った。

「アリシアス、私達しほうはちいんは英雄を待っているの。怪物キマイラになってしまった私たちでは倒せなくなってしまった、怪物エクストラを倒す人間を」

 ただただ強くなりすぎた四鳳八院は人の領域を越えてしまっていた。

 子供のアリシアスですら、武器を持たずともCランク程度のモンスターを素手で殺せる程度に。

 主であるアリスも同様だ。天才と呼ばれたアリシアスほどではないが、相応の力を持っている。

 アリスはアリシアスに告げる。

「我々はH計画から外れかけている。でも、もはや戻ることもできない。そして行き過ぎてもいけない。K計画の深奥に触れてはいけない」

 ただの分家の少女であるアリシアスにはアリスが何を言っているのかわからない。

 でも、とても重要なことを聞かされていると直感する。


 ――四鳳八院の秘密。


「だから私達は待っているの。ずっとずっと、英雄を。私達を救ってくれる誰かを」

 だから、ね。とアリスは笑う。

「その人に会えたら、その人に仕えられたら、それは、とても幸せなことなんだろうね。アリシアス」

 どうして主がそんなことをアリシアスに言ったのか、その時のアリシアスにはわからなかった。

 いや、主に背き、家を乗っ取り、成長した今でもその言葉の本当の意味をわかっていない。

 それでも、その言葉は、どうしてか――


                ◇◆◇◆◇


「アリシアス、どうした?」

「いえ、なんでもありませんわ」


 ――覚えている・・・・・


 自らが裏切った、愛おしくも憎らしい主人の姿と言葉をアリシアスは今でも覚えている。

 そして、今目の前にいる男に言葉を発するべく、追憶を振り払った。

 男――アリシアスに向かってそうか、とそっけなく言った男の名を火神浩一という。

 なぜ、今あのアリスを思い出したのか。

 じっと浩一を見上げていたアリシアスは気を取り直すと話を進めることにした。

「それよりも、ご依頼通りにやっておきましたわ。浩一様」

 二人の視線の先には、国民的アイドルの皮をようやく剥ぎ取れた・・・・・天門院春火がいる。

 彼女は今までの明るい表情の全てを投げ捨て、ぶつぶつと何かを呟いている。

 読唇術程度なら扱えるアリシアスが見るにあれは死にたくない、だろう。どうしよう、とも言っていた。どうでもいい戯言だ。

「何をやったんだ? あの質問は、一体なんだったんだ?」

「まぁ、それなりに後ろ暗い案件ですので、浩一様の安全のためにも詳細はお聞きなさらない方がよろしいことですわ」

 真っ青な春火を見て、浩一はわかった、と肩を竦めた。そんな浩一にアリシアスは忠告する。

「仕込みは完璧。次の試合では、天門院春火は奥の手を出してくるでしょう。その二つ名『溶岩姫ラーヴァプリンセス』に相応しい奥の手・・・を」

 Sランクを越え、二つ名をつけられた者たちはその二つ名特有の特別な奥の手を所持している。

 それこそが彼ら彼女らがSランクに相応しいと呼ばれる所以で、それを越えなければ模擬戦闘でいくら勝利したといっても、本当に倒したとはいえないのだ。

 天門院春火の絶対魅了の権能ですら、その奥の手の前には余技にすぎない。

 火神浩一は越えられるのか。未だB+ランクでしかない彼は、戦えるのか。

 浩一は心配するアリシアスの肩をぽん、と叩いた。

 にっと笑う。戦意に満ちた表情。今までのやる気のなさの全てが払拭され、ただただ強者と戦う期待に震える男の顔がそこにある。

 それを見ると、アリシアスはどうしてか胸が熱くなるのだ。

「ま、十中八九負けるだろう。だが俺は諦めていない。それがなんであろうと俺は勝たなくてはならない。なにより、アリシアスがここまでやってくれたんだ。報いるよ。必ず」

「期待してますわよ」

 期待・・。くすりと内心のみでアリシアスは己を嘲笑う。

 自分が期待などとは。愛おしきアリスを裏切り、自分一人で何もかも解決してきたアリシアスからすれば、それはもっとも遠い概念だった。

 そもそもアリシアス本人としては、ここまでやった浩一を褒め称えても良い気分だったのだが、浩一にとってはこれが目的でここが始まりなのだ。

 自分の無粋な感情で戦いに行く戦士の邪魔をしてはならない。

 だから何も言わずに隅に座った。魅了攻撃対策に精神と意識を乖離させ、ただただ審判に徹する。

 そうして、始まる。

 本気の天門院春火の戦いが。


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