敗北の代償(3)


「これが相原流……ふーん、刀剣に、体術に、まぁなんでもする流派ってとこかしら? ま、でも覚えたっと。よしよし、アリシアス! 火神くん! 待たせたわね。始めていいわよ」

「……試さなくていいのか? 初めての流派だろう?」

 浩一の問いかけに、軽い柔軟運動をしながら天門院春火は首を横に振る。そこには余裕の表情がある。

「だいじょーぶだいじょーぶ。これでも百近くの武術流派を脳に刻み込んでるのよ? 新しく覚えた流派ぐらいその場で使えるわ」

 そうか、と浩一は頷いた。ならいい。勝ちを・・・積み重ねよう・・・・・・

 未だ火神浩一は何一つ切り札を切っていない。

 春火との戦いは正直な所、退屈だ。彼女は身体能力が高いだけで武の要諦を何一つ修めていない。

 学園都市特有のとりあえず技術を一流・・程度に収めている手合と一緒だ。

 これならば過去に戦った『道場破り』アリシア・トロファンスの方が余程恐ろしかった。

 獣のような鋭さ。ただただ嵐のような暴風。今では『白騎士』や『次元斬』などと呼ばれているが、あの時のアリシアは暴力そのものであった。技術も何もなく、己の才能だけで獣のような剣を振るっていた。

 春火はそうではない。歩法にこそ見れるものがあるが、意識が武に向かっていない。


 ――だから、簡単に倒せてしまう。


(Sランクはそうじゃねぇだろう。俺が見たいのはそういうもんじゃなくて……)

 とはいえ、腐ってもSランクはSランク。スペックだけで浩一を圧倒するに余りある。

 気を抜かずに真面目に相原流の構えをとった浩一に対して、同じ相原流で返し技に相当する構えをとる春火。

「相原流四式が一式。六十四手が六手『月面鷲げつめんわし』」

「ふふふ、それなら理解わかるわ。相原流四式が一式。六十四手が九手『嘲弄豚ちょうろうぶた』」

 浩一が考えたとおりの――否、そう誘導した通りの試合運びとなり、浩一の口角がほんの少しだけつり上がった。

 まぁいい、追い込みはアリシアスがやる。あと何回転がせばこの女が本気・・を出すか。

 四鳳八院のSランクという極上の獲物。退屈だが、つまみ食いするのも悪くはない。

 火神浩一は再び精神と肉体を乖離させたアリシアスが「開始」と声を出した瞬間に地を跳ね、春火の頭上から鞘と刀の二刀流で襲いかかる。

 それを春火は攻撃を誘う隙のある構えで受け入れ「かかッたぁ! 素直すぎよ! 『浮蜘蛛うきぐも』!」相原流に伝わるレイピアを宙へと突き出す構えだ。だが、春火の攻撃はスカされる。

 春火のそれは浩一が対面してきたあらゆる戦士の中でも上位に位置する突きの鋭さだ。さすがのSランクだったが。

(素直なのはお前だ)

 嘲弄豚からの浮蜘蛛、宙から襲う月面鷲に対する返し技としては有名な手順だ。

 だから月面鷲に対して、嘲弄豚の構えをされたら構えを崩さざるを得ないのが相原流では定石である。

 その辺りも学習装置で覚えたのだろう。初めて扱う流派をここまで使いこなすのはさすが四鳳八院。さすがSランク。


 ――だが、戦闘者としてはド素人だ。


 浩一は突き出したレイピアを飛燕の鞘で絡めとっていた。

(三式『空身蛇からみへび』)

 神速で突き出されたレイピアを空中で絡めとる。浩一自身は曲芸としか思っていない芸当であるが、春火は違う。

 その技量に呆然としながらも次なる一手を繰りだそうとし、気づいた時にはその頬を死角から襲いかかってきた飛燕の腹で頬を張り飛ばされていた。

 敵の必殺を鞘で絡めとり、敵手の注意を刃から逸らす『空身蛇』。それを宙空でやる離れ業。相原流といえどもこんな真似ができるのは師範である桐葉を除けば浩一しかいない。

 だからこんな対処方は学習装置で覚えられる相原流の技術書には全く書いていない。

 月面鷲の構えに嘲弄豚で対応されたら別の構えに移行するのが正しい対処法なのだから……!


                ◇◆◇◆◇


 アリシアスが勝敗を告げ、春火の頬が神速で癒される。その早さはまともではない。治療ならばもっとゆっくりやってもいい。ならば、その目的は……春火が思い至る前に浩一は春火の懐に潜り込んでいる。

 柔肌の露出された腹部に浩一は拳を当て「相原流四式が三式。六十四手が五十五手。『虚象拳きょぞうのこぶし』」春火の動揺は収まらず、しかし治療が終わった瞬間に彼女の腹が爆発したかのような衝撃に吹き飛ばされる。「勝者。火神浩一」吹き飛ばされながら聞こえるアリシアスの宣言が煩わしい。もう春火は負けるわけにはいかないというのに。

 だが浩一は容赦なく浩一の攻撃で吹き飛んだ春火を追いかけ――春火は飛ばされながらも治療されている――追い越し、振り向きざまに「三式五十六手。『虚象脚きょぞうのあし』」勁力の練りこまれた蹴りで春火を吹き飛ばしていた。


 ――こうなると、春火は何もできない。


(もう! なんで! なんでなのよ! ありえない! ありえない!! なんで勝てないわけ! 相手の手の内は知った! 身体能力では上回ってる! でも、勝てない!!)

 そもそも、春火はほとんど怪我らしい怪我を負っていない。

 アリシアスは治療をするが、そんなことをしなくとも自然治癒で十秒もかからず癒せる傷だ。


 ――アリシアスが傷を癒やすのは試合を中断させないため。


 ああ、どうしてなのか。勝てない。どうしても勝てない。春火は絶望する。

 だが、そんな春火の気分は浩一には関係ない。浩一はアリシアスに言われた通りに勝ちを積み重ねていくだけだった。

 というよりここまでくればもはや技の連携だけで十分で、負けることの方が難しい。

 浩一の素の筋力ではモンスター相手には役に立たないが、威力ではなく衝撃寄りに内力オーラを練って(と言っても、浩一の体内オーラは少ないのでほんの少し程度だが)打つ虚象拳からの虚象脚の連携コンボはこのルールにおいては凶悪だった。

 春火を吹き飛ばし、吹き飛んだ春火の身体を追いかけてもう一度虚象脚それを追いかけて虚象脚。さすがに蹴り飛ばした飛翔体に素の肉体性能では追いつけないので教わったばかりのオーラ強化で脚部のみを微かに強化しているが、ただそれだけをしているだけで天門院春火は負けを積み重ねていく。

 天門院春火をたった一つだけ擁護するとすればルールが悪かった・・・・・・・・

 火神浩一が天門院春火に何発、何十発と無手の攻撃を打ち込もうとも彼女は決して死ぬことはないし重症を負うこともないだろう。

 しかしルールでは頭部や腹部への攻撃は敗北であり、火神浩一には十分な対人の試合の経験があった。

 特に彼の師は悪辣であり、火神浩一が死なないように手加減をしつつ、このようにボールのように扱って屈辱的な負けを重ねさせることが多かった。

 天門院春火にとって、この状況は初めてであり。

 火神浩一は長年の経験からどうすれば試合・・で楽に勝てるかを熟知していた。

 蹴られる、飛ぶ、蹴られる、飛ぶ、蹴られる、飛ぶ。

 天門院春火が抗おうとするも彼女には空中で錐揉み回転している最中に自分の意思で方向を決定し、立て直す術や、首を蹴られて脳が朦朧としている状態で浩一に反撃する術を持っていない。

 いや、一応、こういった場面でも魔法という手段で対抗はできただろう。

 防御壁や朦朧耐性などを自身に付与すれば浩一のコンボは止まるのだ。

 だがこの状況になってしまえばもうどうにもならない。彼女は短縮詠唱を行えるほど技量卓越した魔導士マジックキャスターではないし、スロットも持っていない。そして例え、それらができたとしても詠唱を始めた瞬間、呼吸行為に合わせて腹に蹴りを入れられればどうにもならない。

 もう一つ方法がないわけでもないが、それを行うにはやはり多少の息継ぎ・・・溜め・・が必要になる。彼女の切り札には、ほんの少しの時間が必要だった。

 だから、負けを重ねながら春火は絶望の気分でこれが終わるのを待つしかなかった。

 それでも、彼女は奥の手を切ろうとは思わなかった。

 まだ勝てる手段があるのだと信じきっていた。


 だって、これだけ攻撃を受けても私は死ぬような傷を受けていない。

 だって、これだけ攻撃を受けてもどうにかなるような感じがする。

 だって、これだけ攻撃を受けても私は、火神浩一が、怖くない・・・・

 だから、勝てなきゃ嘘でしょ?


 それに負けたところで天門院春火はこの場では痛みを覚えないのだ。負けてもアリシアスは妙なことを聞くだけ。そもそもが負けたことだって秋水が知らなければ彼女はこの場の屈辱以外の被害を受けないのだから。

 この勝負が終われば火神浩一は戦霊院那岐の天の門兵への加入を説得する。そう、そうして春火は秋水に褒められ、何事もなく終わる。

 そう、あまりの絶望に楽観するしかない春火の視点では、無事に全てが終わってくれるはずだった。祈りと願いを重ねるしかなくとも。

 

 ――この場にアリシアス・リフィヌスさえいなければ……!!


 そして追加の五十敗と重ね、それでも天門院春火の恥辱は終了しない。

 これからアリシアス・リフィヌスに春火は負けの対価を払う。

 再びの、わけのわからない問いかけが始まる。

 それは八十問目までは今までと同じだった。顔も知らない誰かの失踪とその犯人について。だけれど、八十一問目のそれは違った。

「では、2086年の4月にあったリクドール幼年学校のクラス集団失踪事件についてお願いいたしますわ」

 諦めたような顔で春火はPADでそれを調べる。データベースから事件を引き出して犯人を知る。慣れたものだ。しかし、今回ばかりは途中で顔を引きつらせた。

 アリシアスは笑っている。嗤っている。嘲笑っている。

 座禅している浩一は二人の変化に気づかない。

 春火の額から、戦っている最中ですら掻かなかった汗が零れた。

「――そういうこと。この糞ったれの淫売が! ああ、そんな、こんな! こんな!!」

「ほら、早くしてくださいませ。天門院春火さん。調べた・・・のでしょう?」

「言えるわけ無いでしょうが! 糞! 糞ッ!! こんなこと外部あんたに漏らしたと知られたら、この私ですら進退に――」

 春火の言葉が止まる。否、違う。彼女の意思に逆らい・・・・・・、唇が勝手に言葉を紡ぎだしていた。

「――は、犯人は表向きはスラムの反学園都市組織ということになっているが、実際は、聖堂院の残党と通じている犯罪組織『チェス盤の信徒』の仕業、治安維持組織は彼らを捕らえようと動くも失敗。とりあえずの見せしめとしてスラムの犯罪者予備軍の集団を虐殺し、彼らがやったことに……がッ、はッ、な、なんで!? なんで言葉が勝手に…………あんた・・・! 私に制限法・・・を!!」

 春火の顔が恐怖に染まる。あのときの妙な確認の仕方。そしてアリシアスのスロットは魂を操ることに長けた『五番の釘』だ。

 春火の同意・・さえあれば、敗北条件に関して絶対の履行を迫る制限法を掛けていても不自然ではない。

 春火自身も今ここで抵抗しなければ気づけなかったほどの手慣れたやり口。

 魔女め。春火の視界が怒りで真っ赤に染まるも、アリシアスはどこ吹く風だ。

 そしてアリシアスの口の形が厭らしく弧を描く。

「さぁ、きびきび吐いてもらいますわよ。なんてったって、あと十九問もあるのですから」

(――あ、あぁぁ、あぁああああああああああ。畜生! はめられた! アリシアス! アリシアス・リフィヌスぅうううう!!)

 天門院春火は、言葉にならない悲鳴を上げた。

 そして、アリシアスを侮るなという兄の言葉を思い出すのだった。


 その背後で浩一はようやく本気になってくれるかと、満足気な笑みを浮かべている。

 アリシアスだからこそ、こうやって追い詰めてくれた。

 身分の低い浩一や、素直な那岐ではどうしても本気にはさせられなかっただろう。


 ――次の試合では、死にものぐるいの化け物Sランクと戦えるだろう。



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