番外編・闘蟲勇者カブトロス(2)


 那岐に連れてこられてやってきたその豪華な屋敷を見て、浩一は思わずうげ・・、と声を漏らした。

「うげ?」

 首を横に傾げる那岐を無視しながら浩一はなんでもないと動揺を押し隠した。

 うちくる? わかった。なんて簡単な誘いだったが。到着して驚愕で身体が固まったのだ。

 さすがの戦霊院本家だ。

 戦霊院所有の衛星シェルターにある本邸ほどではないが(浩一も歴史書で昔見たことがある)、アーリデイズシェルターの戦霊院別邸はかなり巨大で豪華な邸宅だ。

 鉄柵で周囲を囲まれた屋敷、贅沢にも管理された巨大な庭園まで維持している。

 土地一坪すら貴重なシェルター環境下でここまでの贅沢が許されるのは四鳳八院ぐらいのものだ。

(金持ちすぎる……ここに俺が入っても大丈夫なのか?)

 固まった直後に自分の服を見た浩一。制服ならまだ言い訳もできただろうが、黒色の着流しでは少し以上に地味すぎる。

 そんな浩一を余所に、那岐は門番と話し、正門の脇にある小さな門を開けさせていた。

「アーリデイズ用の別邸だからそこまで大きくないんだけどね。あ、いつでも入れるようにパス発行しとく?」

「馬鹿を言うな。一度来れば十分だ。こんなところ」

 え? なんて顔をする那岐。門番も浩一にパスを発行するのはまずいと思っているのか、浩一の言葉を聞いて、うんうんと頷いている。

「友だちってお互いの家に遊びに行く、んじゃなかったかしら?」

 違うの? なんて門番の男に聞く那岐だが、門番も困った顔で「お嬢さん。パス発行はまずいと思いますよ流石に」と忠告していた。

「こんな大仰なとこにいちいち来たくない。会うだけなら外で十分だろうが」

「そうなの? 友だちって初めてだからよくわからないわ」

「あー。どうしても必要な時は呼んでくれればいい。都合があえば俺から行く」

 浩一が真面目くさってそう言えば、うん、と照れくさそうに那岐が微笑んだ。

 その視線に含まれるものはただの友人に向けるには少し熱く、恋人に向けるものにしては少し弱く。

 さ、行きましょうと開いた門を先導する那岐の後ろを浩一はついていく。

「友だち? いや、お嬢様の愛人なのか、あの小僧は……?」

 余人が介入できない空気を漂わせつつ、中に入っていった二人を見送った門番の男は、異常なものでも見たかのように呟くのだった。


                ◇◆◇◆◇


 勧められた、すわり心地の良すぎるソファーに浩一が腰かけると、壁際に控えていたメイドがごくごく自然な動作でテーブルにカップを置き、コーヒーを注いでくれる。

「ミルクと砂糖は如何がいたしますか?」

「砂糖だけ、二つお願いします」

 ほぅ、と浩一は感嘆の吐息を零す。傍に立ったメイドの所作は貴人に仕えるものとして洗練されており、嫌味がない。

 門番もそうだが、この使用人たちはひと目で貧乏人だとわかる浩一相手にも礼を失することがない。

 加えて、壁際に控えているメイドたち。彼女たちの気配の消し方もさすがだった。

 注意しなければ消えてしまうかのように存在を悟らせない。プロフェッショナルというやつだろうか?

 それに、と浩一は横目で角砂糖をコーヒーに落とすメイドを見た。

強い・・。A+以上は確実だ。もしかすると戦技Sランクか? ――こいつらを投入すれば前線はもっと楽になるんじゃないか?)

 分家だろうか? 戦霊院が抱える私兵でもあるのだろうか? 流石は名家である戦霊院の使用人だ。

 軍人や学生として登録していない人間にランク選定は行われない。そういう方法を使って軍の徴兵を避けているのだろう。

「あの、わたくしに何か?」

 じぃっと見ていた浩一が気になったのかメイドの女性が浩一へ問いかける。

「失礼しました。所作の美しさに見惚れていました」

 浩一の返答に、まぁ、と楽しげに微笑んだメイドはそっと浩一の前に黒色の液体コーヒーで満たされたカップを置くと、ありがとうございます、と見事なカーテシーをしてみせた。

 そうして彼女はテーブルの傍に立ち、置物のように動かなくなる。

 ただし、そこからは浩一が何か要求をすればすぐに応えようとする気配が存在した。

 とはいえ、それも自己主張が過ぎない範囲でだ。

(で、あいつ。ここで待ってろって言ってたが何をしてるんだか)

 客人である浩一を客間に通し、不自由がないようにメイドたちを数人つけ、那岐は一端どこかに行っていた。

 窓の外を見れば邸宅に入る前に見た見事な庭園が見える。

 室内に置かれた家具は戦霊院の格に相応しい高級そうなものだらけで、絵画一つでも価値は計り知れない。

 メイドたちもしわぶきひとつ立てない。


 ―――静かな、暖かな部屋だった。


 カチコチと壁の時計が時を刻む音だけが聞こえるなか、コーヒーに口をつけた浩一がぼそりと「美味いなこれ」と呟いた後、なぁ、と傍らのメイドに声を掛けた。

「戦霊院那岐ってのはいつもあんな感じなのか? 四鳳八院ってのはもっと何事もそつなくこなすイメージがあったが……浮かれているように見える」

 この人類が死滅しきってしまった世界で、総人口一千万を維持する国家ゼネラウスの頂点である四鳳八院の次期当主。

 戦乱渦巻き、修羅ばかりの世界で世界一と言ってもいい魔法の腕を持つ少女。

 浩一からすれば那岐は雲の上の人間だ。絶対に関わることのない人間だった。

 だからさぞ気位が高い人間だろうと思っていれば、そうではなかった。

 那岐と接してみると彼女の精神はとても幼く感じてしまう。

 そんな浩一にメイドは悩みもせずに即答した。

「お客様の言葉がどういう意味かは存じませんが、戦霊院那岐は完璧パーフェクト特別スペシャルな存在です」

「ふむ、その口ぶりだと身内の贔屓目って感じじゃなさそうだが」

 肉体の強さはともかく那岐はその精神性がよくわからない。

 あの宣言にしてもそうだ。聖堂院家の反乱という前例があってなお、モンスターとの共存を謳うなど四鳳八院にあるまじき行いだった。

 もっとも浩一はそれで那岐をどうにかするつもりはなかった。

 協力するつもりはないが、そのことを周囲に言って回るつもりもない。

「私たちは戦霊院家を贔屓目で見ることは許されておりませんので、正当な評価ですわ」

 とはいえ、とメイドは付け足す。

「私もあのように楽しげなお姿は初めて見ました。余程お客様のことを気に入っておられるようです。まるで子供のようにおはしゃぎになられて、子供の頃にすらああいった感情をお見せになられなかった方がああも他人に隙を晒すとはなんとも楽しげな気持ちになりますわ」

 言葉の割に、嘆いている気配はない。このメイドはむしろ那岐の変化を好ましいと思っているようだった。

「ありがとうございます。お客様のおかげで那岐様は完全・・に一歩近づきました。初めて・・・の御友人として那岐様をどうかよろしくお願いいたします」

「よろしくするのは構わんが、初めて……? おいおい、本人も言ってたが四鳳八院なら取り巻きだっていただろう。それがどうしてそうなる?」

「取り巻きは所詮取り巻き・・・・ですから。うるさいだけの羽虫どもは、主の無聊を慰める程度にもなりません」

 メイドの言葉から那岐とその周囲の深い断絶が察せられた。

 それに彼女の言葉には重要な意味も含まれている。


 ――この部屋の人間もまた、那岐の友人にはなりえない。


 このメイドたちは那岐の道具だが、心を癒やす存在にはならないのだ。

 四鳳八院は崇高なるが故に孤高であり、例え分家であろうが誰にも心を許すことはできない。そういうことなのだろう。

 那岐の距離感がおかしいのはそのせいなのだろうかと、浩一は那岐の周囲に初めて触れ、考えた。


                ◇◆◇◆◇


「待たせたわね。はい、これ」

 浩一が暫く待つと部屋着らしき薄手のドレスに着替えた那岐がやってくる。

 肌着代わりの薄く身にまとった『星厄』は那岐がこの場の誰にも気を許していない証拠なのだろう。

 家でさえ防具を着ていなければならない彼女の心情は浩一には理解できない。

 だがそのくせ浩一には家に自由に入れるよう図ろうとするなど、彼女の心はちぐはぐだった。

 那岐からは並々ならぬ好意を感じるが、そこまでする理由はなんなのだろうか、と浩一は疑問に思ってしまう。


 ――友だち、にしては少し過剰だ。


「で、なんだこれは?」

 隣に座った那岐が手渡してきたのは黒いインナーだった。

 頭部以外の全身を覆うタイプだ。浩一も使っているものに似ているが、素材が違う。

 手で触れれば高ランク布系装備特有の肌にフィットする感触がする。

「アンタって防御力低すぎだし、うちで作ってもらったのよ。私もダンジョンじゃ助力したけどアリシアスと違って装備とか渡してなかったしね。これで誓約も多少は果たせるわ」

 そう言って小さな箱型のケースを那岐はテーブルに置いた。

 戦霊院系の得意技術である魔導圧縮が施してあるのだろう、箱の蓋を開けば、手のひらに乗るサイズの黒いシートが三十枚ほど入っていた。

「このシートを肌に乗せて魔力かオーラを流せば全身をインナー防具が覆うわ。性能はA+ランク。身体補助の効果はないけどあらゆる属性攻撃に対して耐性を付与する『全属性防御A』と斬撃銃撃衝撃打撃などのあらゆる攻撃に対して耐性を付与する『撃力耐性B』が載ってるの。あとは着てるだけで多少の怪我なら治療する『自動治癒B』のスキルね。肉体改造をしてればいらないスキルなんだけど、浩一は必要でしょ? あとはガスとかの異常な大気を感知すると顔を覆って自動でマスクを生成する『環境耐性C』ね」

 どう、気に入った? なんて誇らしげに那岐は浩一を見つめてくる。

「あー……これ、一枚いくらするんだ?」

「さぁ? とりあえず作らせただけだし、コストは考えなくていいわよ。あとそのケース、使ったらPADのアイテム補充サービスで自動で消費分が補充されるように設定したから、インナーは基本使い捨てていいわよ」

 は? とケースと那岐を交互に見る浩一。

 このインナー、性能を市販品と比較して計算してみれば一着だけで浩一の年間収入を軽く越える逸品である。

 まともな正規品と比べれば、白夜よりも価格は高いかもしれない。それを使い捨てていいと言われ、浩一はめまいがする心地だった。

「鎧ならともかくインナーよ? いちいち修繕するより新しいの作ったほうが安いだけだから、気にしなくていいわよ。ま、使った奴は回収して改良のためにデータを取らせてもらうけど」

「わかった……そうする」

 それだけを言う那岐は、さすが名家のお嬢様という貫禄で浩一の葛藤など気にせずに、で、と言った。

「アリシアスがアンタに使った費用よりかなり安いのが癪だけど、私が今すぐ渡せるのってこの程度なのよね」

 ま、これからもいろいろサポートするから、なんて言葉を聞きながら浩一の脳は一時的に白くなっていた。

(アリシアス? あいつ、俺にいくら使ったんだ? というより何をしたんだ……?)

 アリシアスは浩一にいちいち何をしたかなどは言わなかった。

 だが、浩一は計算していないが、浩一に渡した『青の恩恵』だけでも費用はゼネラウスの通貨で軽く億を越えていることは確かだ。

 これに加え、大量のモンスター補充の賠償や、SSランクの武装である月下残滓、浩一を研究機関から守るための根回しなどなど。

 特に研究要請を退ける為に今も少なくない金を使っていることなど彼女は一言も言わない。

 アリシアス・リフィヌスという少女は、そういう少女だった。彼女は感謝されるために物事を行わない。そういう少女だった。

 そう、彼女は浩一に恩に着せたいわけではない。ただそれを、彼女は当たり前だと思ってやるだけなのだ。

 四鳳八院の考える誓約の重さに、浩一は白くなった頭で気まずそうに髪をガシガシとかきむしった。

「それでこれ、名前はなんにしよっか? 研究者は『てきとうに高性能機能を詰め込んだ突貫製作インナー(仮)』なんて呼んでたけど」

「名前……? なんでもいいんじゃないか? 俺は機能だけで十分に満足してるが」

 貰わないという選択肢はなかった。アリシアスに月下残滓を渡された時のことを思い出す。遠慮は無用だ。

 そしてアシャ戦の記憶が蘇る。あの時、このインナーがあればどれだけ楽に戦えたことか。

 自分の目標を思う。こういった積み重ねがなければきっとあの竜には届かない。


 ――意地になって、幸運を捨てるべきではない。


 そう、ただでさえ浩一は脆いのだ。

 これから先も自分の実力を越えるモンスターと闘うことになるならばこのインナーのような装備は必須だ。

「名前は重要よ? 名称一つで装備する側の心構えも変わるのよ? 思いつかない? んー、それじゃ、SNP-0001:静謐なる太陽ブレイズガードナーってことにしましょう」

「SNP? どういう意味だ?」

せんれいいんなぎぷれぜんと。0001だから0002も期待ってことで」

 それはいいがどうして数字が四桁なのか。浩一は問おうとして、諦めた。

 那岐がとても嬉しそうだったからだ。


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