エピローグ。蒼穹は迅く穢されている。
声が響く。男の声だ。二人分のそれが何処かで響いている。
『浩一は、あの餓鬼は、一歩進んだ。【
『喜ばしいことじゃないか三十朗。浩一の望みはこれで叶うし、計画も一歩進んだ』
『あン? 本気で言ってんのか、てめぇ、ラインバック』
その場は人のあるべき場所ではなかった。
格子状のフレームが永遠に続く世界。魂も肉体も意味をなさない電子空間。情報の海。
情報の海を揺蕩うように二人の男が
一人は相原三十朗、改造制服を着こみ、黒髪を雑に金髪に染め上げた青年はつまらなそうに男の背を蹴り上げた。
『痛いやめて、とでも言えば満足か? なぁ三十朗。この僕の構成情報を欠片でも破壊したいなら【最悪の電子ウィルス】でも持って来いよ』
『うるせぇよ。で、アイツを、浩一をどこまで巻き込むつもりなんだ。あの胡散臭い計画に――』
三十朗の目の前にいる男はつまらなそうな顔で三十朗を見返した。
黒髪の美丈夫、アーリデイズ軍の正式採用軍服を見事に着こなした眼鏡の男。
『電子世界の悪魔』『氾濫する海』『欺瞞王』。旧ナンバーズの第二席、ラインバック・エッジ。
彼は電子の海の中心に座り、周囲に万を超えるウィンドウを浮かべている。
彼はしばらく黙っていたが、三十朗から顔を背けた。
『計画じゃない。もう進行している。だから作戦と呼ぶんだ。それに、君も納得したから一部とはいえ作戦を受け入れたんだろう? それにあの馬鹿――浩一は諦めないよ』
『竜殺はそうだろうよ。あの馬鹿が【殺害志向】を思い出したなら絶対にあの黒竜を諦めねぇさ。それでも、あいつが任官するまでは待てなかったのか? それならもっと穏便に竜に挑ませることも――』
『そして挑んで死ぬ。当たり前のように、喜んで、まるで本懐のように。それに三十朗、君ならわかるだろう? 最もEXに近いと呼ばれたSSモンスター【神風】。自然現象と同化し、無敵だったアレを刀一本で打倒した君なら』
『俺の【殺害志向】があれを殺すことを望んでいたが……あれは、まだ、やりようはあっただろう? 軍部も止めなかった。だが、竜だけは無理だ。人間がアレに勝てる道理はねぇ。寿命を迎え、自然に朽ちるのをおとなしく待つしかねぇんだよ』
『馬鹿が、竜種に寿命なんかあると思うなよ』
その言葉には実感が籠もっている。敗北したものの憎悪が籠もっている。
ラインバックは立ちあがり、周囲に氾濫するウィンドウを指し示した。
『だからこそ、竜を殺すために僕は調べたんだよ』
その顔に浮かぶのは遍く世界で狂気と呼ばれるものだ。
ラインバック・エッジが、地獄よりの帰還と引き換えに差し出した正気が生み出した狂気だ。
『ラインバック……』
三十朗の顔が悔しげに歪む。だがその胸中に沸き上がるのは虚しさや悲しさだけではなかった。
己が望む滓かな希望がそこにあるからこそ、今の今まで、どんな無様を晒そうとも生きてこられたのだ。
周囲に浮かぶウィンドウ。その中の文字列にこそ、託す希望がある。
『僕は探し出したんだ。この都市に散らばる馬鹿げた奇跡をッ。この都市が、この国が、この世界が生んだ妄執。ただただ空を飛来し全てを破壊し命を奪い私を殺し貴方を殺し歌月を殺した世界を殺し得る獣ッ!! 竜ッ!! 知恵ある蛇ッ!! 鱗持つ翼ッ!! あれらを殺すために僕は探したんだ。
電子の亡霊が探し出したものがある。
学園で大量に研究され打ち捨てられた廃棄スロットの一つ。狂気の産物にして永久の廃棄物。
実験作にして永遠の未完成品。スロット名『竜殺』。死者の夢を束ねた、ただただ竜を殺すためだけの人間を作り出す馬鹿げた
埋め込めば、ただあるだけで脳を食い潰すだろうそれの情報を嫌悪と羨望を込めた目で、男は見た。
『三十朗。だからあの作戦は必要なんだよ。あの子の
『ああ、ああッ。わかってンだよ。ンなことはよ』
それでも、と。三十朗は、かつて浩一を抱き上げた掌を見つめて言葉を絞りだす。
『それでも、だ。ただ生きて欲しいと願っちゃいけねェのかよ』
俺たちの生きた証に、そう続けた男の言葉に、電子の悪魔は振り返ることはなかった。
◇◆◇◆◇
「あはッ。あははははははははははははははははッ」
「笑い事じゃないわよ。それで、どうなの? 助かるの?」
戦霊院が所有する医療施設へと運び込まれた火神浩一に、応急処置という名の蘇生行為を行った那岐が呼びつけた修道女は、それを見て愉しそうな笑みを浮かべた後、笑顔で頷いた。
「ええ。脳に異常はありませんわ。数日もすれば目覚めるでしょう。もっとも那岐先輩の呼び付けでなければ無視していたところですが。くすくす。中々良い見世物だったみたいで、その場に居られなかったことが少々悔しいですわ。それに……」
アリシアスの楽しげに那岐を見る。
那岐の顔は苦々しいものだった。
「
「
B+が、Sを二度も打倒した。
あれは隠された場所でのことである。情報は漏れないかもしれない。
だがそれは
あの施設がどこの預かりであるかわからない以上は意味のない仮定だ。それにあそこには那岐を落下させた部外者もいた。確実にどこかの勢力に情報は流れているはずだった。
その意味に、那岐は深刻そうに額を押さえる。
「こいつが、まずいことになったわね」
那岐は呟きながらアリシアスの超絶的な
ベッドで寝ている火神浩一だ。
「浩一は今、アンタの預かりになってるみたいだけど。未だ聖堂院を完全に継承していないアンタじゃ豪人院や天門院の連中の要請を完全に拒否することは難しいわ。国家保護の元に浩一を回収するぐらい、本気になった奴らなら書類一枚で十分だし、適当な理由で解析・解剖に回すなんて容易すぎる……もしかしたら浩一を守るために峰富士が横槍が入れるかもしれないけど、それを望むのは意味のないことだし。今後、浩一の身柄は私が預かるわ」
「戦霊院の次期当主が?」
「戦霊院の当主、戦霊院那岐が。継承にはまだまだかかるとは思うけどね。でも次期はもう終わりよ……なによ、その目は」
「ああ、いえ、正直に驚いたので。そうですわね。その目は、以前の様から見たらまるで別人……これからは那岐先輩で遊ぶのも難しくなると考えると、少しの寂しささえ感じますわ」
ふん、と那岐は鼻を鳴らした。そうして何かを思い出したのか、アリシアス・リフィヌス、青色の修道女の額を指の先で小突く。
「それよりアンタ。まだ私が探索に慣れてなかったころに悪徳を教えたわね」
「あら、なんのことですの?」
「キャんでぃーのことよ。アンタ、私が精神的な弱者だって知っててああいうことしたでしょ」
「まぁ。失礼を仰いますわねぇ。あの時、人間関係に右往左往していたお嬢さんをああやって和ませようとした優しくて可憐なわたくしに対して」
「腹黒修道女」
「だだ甘大魔法使い」
お互いが小さく、口元に手を添えてくすくすと笑いあった。
そうして、用意されていた紅茶に口をつけ、アリシアスは立ち上がる。
「行くの?」
「期限が迫ってますもの。あれをいまだ見つけることもできていない。痕跡は見つかっても、後ろ髪にも届いていない」
「アンタが追ってるっていう聖堂院の遺児ね、私も今更あの狂人に戻ってこられても困るわ。きちんと始末なさい。それとこれは今回の対価。情報になるかわからないけれど」
どこかの未発見施設、その場所にいるかもしれない。その那岐の言葉に、アリシアスが顔を顰める。
「雲を掴むような話、というよりも難度の高い話ですわね。それで、そんなものどうやって見つけろと? 可能性があったとしても、それはわたくしたちの領分ではありませんわ」
「素直に無理を無理と言える貴方が羨ましいわ。だから治療の報酬として今回の探索を行った場所のデータをあげる。恐らくもう入れないとは思うけれど、ね。少なくとも四鳳八院である私たちが知らない重要施設があるのよ。このシェルターには」
「アーリデイズの全ての情報が集まる集積地の情報を? よろしいので?」
「決めたことがあるのよ。仲良くできる相手にはしておこうと思ったの。だから少しぐらいは気前がいいわ」
ふふふ、とアリシアスが微笑んだ。
そして那岐は横たわる浩一の額を撫でると、小さく微笑んで唇を寄せた。
触れるか触れないかの間、その唇が小さく動く。
「早く元気になりなさい。貴方のおかげで私は立ち直れたのだから、ね」
それと、これは感謝。という言葉が続き。それを見ていたアリシアスが小さく口元を抑えた。
「これは、本当に珍しいものを見ましたわ。よろしいんですの? 唇も安いものではないでしょうに」
「うッ。い、いいのッ。まぁ、それだけのことはしてもらったんだから、対価としては十分でしょッ」
目覚めてもいないのではどちらの対価なのか、とアリシアスが揶揄を含めた問いかけを続け、それに那岐の怒声に似た照れ隠しが響く。
そんな歳相応の学生らしい世界がそこにはあった。
◇◆◇◆◇
対価は払われている。
己の精神を削り、戦に歓喜を感じ、死闘に悦楽を得る者は。ここに、己の対価を払い続けていた。
戦いの傷は深く、未だ立ち上がるには苦痛が伴う。だが浩一は目を覚ました。
――禍々しい気配が、室内にあった。
「あまりに酷い有様だけれど、やっぱりSランク程度は一飲みしちゃう?」
「……何を、言ってるんだ?」
暴虐が侍り、残酷を常とする少女が病室で浩一を見下ろしていた。
浩一の意識が浮上したときを狙ってきたのか。それともただの偶然か、少女は傷ついた侍を無感情に見下ろしている。
「英雄だものね? 戦霊院が気に入るぐらいだものね?」
「ああ、友を得たんだ。だが、お前は、何を考えて……」
その正体に
虹色の少女は避けようともしない。むしろ、ようやく触れる程度の
それは虹色のそれは、暴虐の果実は、ただただそれを待っている。
しかし、ぴたり、と少女の肌に触れるか触れないかのところで、浩一の腕は止まっていた。
「何故、嗤う」
「面白いから」
不快も快もない。虹色の少女は火神浩一の手を待っている。
浩一は問う。
「何故、俺を戦わせる」
「必要だから」
浩一の指先に力が込められた。恐怖から、畏怖から、この都市の人間ならば理由もなく畏れるに足るそれに浩一の指が沈んでいく。
「やはり、お前も……」
少女の身体には実体がなかった。そこには肉がない。ただ映像があるだけだ。
「そう、
「電子兵装か。ラインバックの開発した憑依型電子兵装【ステファノ】」
それは那岐ほどの達人にすら、その人物の実在を疑わせない強力な欺瞞兵器だ。
「浩一! 記憶が戻ったのッ!! 楽しいことだねッ!! あはははははははッ!!」
直感があった。仕組んだのは目の前の少女だ。浩一を、那岐を、あの書庫に導いたのは、この少女の策略だ。
「それでどうするの? ねぇ、教えてよ浩一。お前の選択を、私に教えてよ」
――全てが仕組まれていたと知って、火神浩一はどうするの?
「それでもなおッ!!!」
浩一の怒声が部屋に満ちる陰気な気配を消し去った。
火神浩一の記憶は戻ってなどいない。ただ、過去の生活を思い出しただけだった。
そして、浩一が東雲・ウィリア・歌月に拾われる前だけはどうしても思い出せはしなかった。
「俺は竜を殺しに行くッッ! どんな陰謀があろうともッッ!!」
「そう。つまるところはそれッ。私は止めないけど、お前が仲良くなった皆は止めるかなッ? 止めるよねッ? 止める? 止めない? 止まらない? うふッ。うふふふふふふッ。あははははははははははッッッッッッ!!!!」
狂気の片鱗。少女の虹色が明滅し、浩一の正気を破壊しようとする。
だが浩一は己の中の殺害志向で正気を上書きする。さらなる狂気に身を浸す。
「ッッ!! ぐッ、あッ。ズィーズッッ! ズィーズクラフトォォオッォオッッッ!!!!! あれは、あれは俺が殺す! 絶対にだ!! 俺が殺す!!」
その叫びは竜に届きはしない。
虹色の少女以外は、誰も聞いてはいない。
それでもなお、殺害を志向するならば――
「ねぇ、近道をあげようか? 私の手を取る?
「お前は信用ならない。まっぴら御免だ。俺の刃は、必ず届く」
――諦めだけは、けして浮かばない。
『手垢に塗れた英雄譚』
第二章『【百魔絢爛】と無名の侍』
これにて、了。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます