そして竜は彼方へと至り(1)


 ――『【スプンタ・マンユ】 第五階層【クシャスラ】』


「はぁッ!!」

 超速の踏み込みと共に、浩一の手に戻った月下残滓が振るわれた。

 その刃は、浩一を囲むように床に周囲を囲む槍へと向けられる。

 月下残滓に込められたオーラが解放され、空間を削るような異音と共に浩一を囲む魔槍は次々と砕けていく。

 退路は生まれた。撤退を可能とする道が切り開かれる。


 ――しかし、一手遅い。


 刀を振るったその瞬間、浩一の身体は止まっていた。

 しっかりと地を踏みしめなければオーラの爆圧に自らが耐えきれず吹き飛ばされ、魔槍を砕くことなどできないがゆえの硬直。

 その浩一に迫るものがある。上空より超速で飛来する一本の『魔槍』。

 空へ飛んだクシャスラにとって浩一はもはや脅威ではない。既に詰んだ獲物でしかなかった。

 しかし、クシャスラもまた疲労は濃い。

 魔槍の群れを雨のように降り注がせれば浩一は死んだというのに、クシャスラが出せたのは、残存魔力を振り絞って生成した魔槍が一本。

 たった一本。されど一本。囲いを破るために硬直した今の浩一にこれを回避する術など存在しない。

(ここが俺の終わりか……ッ!!)

 一秒あれば回避できた。だが、その一秒は存在しない。

 しかしこの期に及んでも浩一の脳裏を占めていたのは諦めではなかった。

 足に力が入り、腕は最善を探っている。動け――動け・・!!

 だが肉体の限界を超えるには浩一は限界を振り絞りすぎていた。体内の気力はほとんど使い切っている。

 そもそもクシャスラの魔槍は浩一の抵抗すら冷徹に計算した上での一撃だ。

 火神浩一の手によって、生物として格の上がったクシャスラに、己の影響のわからない浩一が勝てる道理などない。

 火神浩一の目前に死の刃が迫る。

 だが、突如横合いから飛来した金属属性中位魔法『魔槍』によって致死の魔槍は弾き飛ばされた。


 ――――――ッ!?


 奇しくも、それらを見た両者の反応は、憤怒という点で似通ったものだった。

 片方は天敵を殺す刃を弾かれたその意味で。片方は、己の死闘を邪魔されたという意味で。

 助けた相手からも向けられる憤怒に、その魔法使いの少女は――この場で唯一の、絶対強者であるはずの少女、戦霊院那岐は困ったように、それでいて、その確信だけは外さぬように、火神浩一と相対していた。

「そう睨まないでよ……結論が出たの。私は戦う。そして、あれを殺す。私の殺意で殺すわ」


                ◇◆◇◆◇


 迫り来る死から開放されても浩一はその場から動こうとはしなかった。

「戦霊院ッ! お前ッ!!」

 睨みつけながら言葉を放つ。

 視線の先にいるのは、聖堕杖ドライアリュクを手にした魔法使い、戦霊院那岐だ。

「邪魔をするなッ! これは俺の闘争だと言ったはずだッ!! 第一お前、本当に大丈夫なのか? あれだけの苦悩を、お前はたったこれだけの間でどうにかしたってのか? さっきの横槍は目の前で誰かが死ぬのが嫌なんて安易な理由じゃないだろうな!!」

「そうよ。目の前で誰かが死ぬのが嫌だから。誰かを守りたいから、いつか共存できると信じてるから」

「ああ? ……なんだとッ!?」

 浩一と、那岐の会話は、要領を得ないものであってはならなかった。

 お互いは、お互いの言いたいことを今、この場で瞬時に理解しなければならなかった。

 クシャスラを生かしたまま、悠長に会話をしている暇などあってはならないからだ。

 それでも浩一が聞き返す必要に駆られたのは、四鳳八院であるはずの那岐が言ってはならないことを言ってしまったからに他ならない。

「共存だとッ。お前、モンスターと人類が、共存できるなんて戯言を心の底から信じてるのかッ!?」

「全ての人と全てのモンスターが共存できるなんて戯言を、という意味でならノーよ。でもあれらが感情を持っているというのなら、どこかに余地はある。私は、全てを殺して地上に人間の楽園を建てようなんて思わない」

 那岐の瞳に、けして引けないという意思を見て、浩一は静かに問う。

 まだ怒りはある。だが、那岐が答えを得たというのならば別だ。

「どうするっていうんだ?」

「モンスターは、人間に悪意を持つ生物の総称。考えたのよ、悪意って何? なんで悪意を持つの? シェルターで生産できる特殊建材クリステスでその攻撃衝動を抑制できるなら……それは悪意じゃないんじゃないの? だから私はその悪意って呼ばれてる何か・・を、消すことをここに誓うわ」

「その過程でモンスターを殺してでもか?」

「人が害されるなら。殺すわ」

 那岐の目に、躊躇なんてものはなかった。

 その目には自身の出した結論に対する確信しかなかった。

 浩一はその目が、いつか見たものよりも、なお強く輝いていることを認めなければならなかった。

 その瞳の中に迷いはなく、その瞳の中に戸惑いもない。つまりは――。

「戦うのか? 進むのか?」

「ええ、歩くわ。私の道を。私の願いを。ずっと、ずっと気になってた。モンスターと共存できるなんて戯言が私の心にずっと残ってたのは私の弱さだけれど、それだけじゃないんだって。心に、記憶に残るってことはきっとそれは、私の願いなんだって。だから、私は貴方に言われて。全部を忘れて考えた。私は、自分のやましさを隠すためだけにそんなことを考えていたのかって……でも違ったのよ。私は、そう、そんな優しい世界の為に戦えるなら悪くないって……そう思えるのよ」

 戦士である浩一は思う。それは甘ったれた考えだ、と。

「四鳳八院が共存か。荒れるぞ……下手をすればまた内乱だ」

「貴方のおかげでね……貴方の、その、我武者羅で向こう見ずで命を欠片も顧みないくせに、全く持って生き汚い。そんなものを見て、心に打たれないものがないなんて人間として嘘だもの。だから、私も命を賭けてみようって思ったのよ」

 すっきりしたような那岐の言葉に、浩一は額を押さえる。この熱を止めることなどできるわけがない。

 そして横目で玉座の方向を見る。そこには浩一と那岐が話しているうちに魔力溜まりである玉座に座っているクシャスラの姿がある。

「はッ、馬鹿言うんじゃねぇよ。それで、どうするんだ。俺たちが馬鹿話をしてるうちにあれは玉座に着いちまったぞ。あれはすぐに魔力で身体を満たすぞ。俺たちは蹂躙されて殺されるだろう」

「馬鹿じゃないわよ。私にとってはとても大事なことなんだから」

 歩いてきた那岐が浩一の隣に立った。浩一はそれに否はなかった。

 浩一は既に負けていた。認めるしかなかった。己一人では勝てない。

 そして、戦霊院那岐は、いくら迷いの全てを切り払ったとしても、万全の状態ではない。


 ――二人は協力する必要があった。


 敵は万全である。

 否、浩一との戦闘によって経験を得たあの精霊は万全以上になってしまった。

 この戦場にあって無様にも口論をしている浩一と那岐を無視し、魔力溜まりへと到達したクシャスラは完全に己を取り戻していた。

 肉の身体ではない魔力の身体を持っているからこその機能。

 魔力さえあれば、己がいかに傷ついていようとも即座に回復し、戦い続けることのできる精霊の脅威。

 浩一は月下残滓を片手にそれを見上げた。

 先の闘争でボロボロになった玉座より浩一を見下ろす竜の二つの目。

 その瞳には対象の解析以外にも睨みつけた対象の内側に、恐怖を生み出す権能が備わっている。

 しかし浩一は『侍の心得』によって効果はない。

 那岐もまた、その恐怖がミキサージャブの咆哮ほどではないため、肉体が持つ恐怖耐性により効果はない。

 それでも、クシャスラのその仕草だけで、浩一はそんな余計な機能スキルを使う余裕まで取り戻したのかと憂鬱な気分に襲われる。

 やはり今のままでは勝ち目はない。

 浩一は諦めた・・・。この場で、今すぐクシャスラを殺すことを諦めた。

 そうだ。いずれ殺さなければならないにしろ。今回は『気の心得』と『殺害志向』の二つの収穫があった。

 浩一としては、これで満足するべきであった。

(逃げるか……今は勝ち目はないみたいだしな)

 那岐も心を取り戻した。そうだ、収穫はあった、最悪よりはマシ。

(逃げることを考える、か)

 そして魔法戦闘に習熟するべきだろう。

 いくつかのダンジョンでの魔力を使うモンスターを思い浮かべた浩一は隣に立つ那岐にその意思を伝えるべきだと考えて……――。


 ――言葉に詰まった。


 隣に立っている那岐は浩一とはまるきり別のことを考えているようだったからだ。

 那岐は聖堕杖を構えると詠唱を始める。

 それと同時に、玉座のクシャスラも魔法陣を展開し始めていた。

 真っ直ぐにクシャスラを睨みつけた那岐の唇より詠唱が紡がれる。

「遙かに広がる大陸の城。城内の人を守る兵。夢をみるように彼らは生きる。兵たちは生きた。その夢を守るために戦った。三千年の時を経ても、彼らは城を守り続ける。『大強鉄壁グレートウォール』」

 それは個人が扱える最上級の防御魔法だ。続く。那岐が喜びと共に高らかに吠える。

「『堅陣』『堅盾』『堅固』。さぁ、浩一! 始めるわよ。戦霊院の次期当主がアンタを最大限サポートするわッ! 思うが侭に、戦いなさい!」



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