剣鬼の語らいは愛憎に満ちて(5)


 ――かつて、は語った。


 愛せよ、愛せよ、敵を愛せよ。

 彼を愛せ、彼女を愛せ、我を愛せ、あれを愛せ、これを愛せ、それを愛せ、どれも愛せ、皆愛せ。

 愛情を、恋情を、慕情を、情愛を、友情を、私情を、激情を、情念を、同情を、温情を、薄情を、非情を、劣情を、心情を、信条を、真情を、皆愛せ。

 敵を愛せ。モンスターを愛せ。敵意を愛せ。殺意を愛せ。

 皆々よ。そこに愛があればこそ我らは至上の極地へと至らん。

 我々はともの亡骸に立つだろう。それを喰らい、それを自身の物にし、それを抱えて生きていくだろう。

 我々は友を殺すだろう。我々は母を殺すだろう。我々は父を、恋人を、隣人を、我々は誰も彼も殺すだろう。

 しかし悲しむな。我々は愛するが故に殺すのだ。

 殺害を思考する。嗜好する。施行する。指向する。そして、執行する。


 ――『殺害志向さつがいしこう』する。


 私達は、そうやって戦っていくべきなのだ。


                ◇◆◇◆◇


「狂戦主義者だったの、アンタ……」

 かつて東雲・ウィリア・歌月が提唱した理論を信奉し、その思想に染まり、実践した者たち。その勢力を指して狂戦主義と呼ばれたことがある。

 浩一の言った『殺害志向』とは、世界でも有数のシェルター国家に含まれる統一国家ゼネラウス。

 その中でも最高の戦闘能力を持つものを集めた集団『ナンバーズ』、その一位たる者が提唱した理論スキルのことだ。


 ――国家最強の戦士が提唱した理論。


 だからこそ皆がこぞって実践しようとした。

 そして軍人でありながら科学者でもある歌月は、自らが発見したそれを理論化し、一般の人間にもわかりやすいように系統立てて学べるようにした。

 だがそれは一部の人間にしか広まることはなかった。

 一位の人間が、人類最強とも言える人間が、強くなれると太鼓判を押した理論は、人々には理解できなかったのだ。

「狂戦? なんのことかはわからんが、俺はそんなもんじゃない」

 那岐に言われた浩一は首を横に振る。だが那岐は鋭い口調で切り込む。

「なんのことかわからないなら否定できないでしょ。いいわよ、教えてあげる。狂戦主義ってのは、アンタの言う『殺害志向』を実践してた軍人派閥のことよ。『殺害志向』の提唱者である東雲・ウィリア・歌月が死んでからは、思想の伝播も終わって、廃れていったけど。まさかアンタが狂戦主義とは想像も、いえ、アンタなら、おかしくないのか……」

 那岐は浩一をよくは知らない。

 それでも、少し接しただけでも理解できるその心のおかしさを考えれば、火神浩一が『殺害志向』を学んでいたということは納得できるものだった。

 もっとも既に伝えるものさえいなくなった思想だったために本人が言うまで気づくことはできなかったが。

「敵を愛するが故に殺す。愛しながら殺す。私には理解できなかった思想よ。正直、今はもっと理解できないけど」

 自分から敵を求めている浩一は、今の学園都市では最も――いや、唯一それを具現している学生かもしれない。

 那岐はそこまで考えて、口をつぐんだ。

 気落ちにも似た感覚が身体を覆っていた。火神浩一が狂戦主義者ならば自分とは違う。弱い心を持つ那岐とは根本から違う。

 同時にどうしてアリシアスが浩一に力を貸したのか、その一端を理解したような気がした。

 四鳳八院内での聖堂院の役割は思想管理だ。どうやって見抜いたのかはわからないが、珍しい思想に引かれたのだろう。

 それに加えて、あの少女は強い者を好む。

 壊れない者、期待を裏切らない者、楽しい者。本人は気づいていないようだったが、そういったある種の英雄にも似た者を好む傾向にアリシアスはあった。

 そうして、那岐は自身がどうして気落ちしていたのかにも気づかされる。

(私も、浩一に期待してたの、ね……)

 自分の運命を、自分の性質を、自分の弱さを。ミキサージャブから助けてくれたように、あの竜から助けてくれたように。

 先程、自分の思い違いを正してくれたように、この侍ならどうにかしてくれるのではないかと、那岐は望んでしまったのだ。

(まったく、情けないわね。弱い女そのものじゃない……)

 那岐は淡い表情で浩一を見た。

 そうだ。如何に恐怖を感じようと、如何に期待が外れようと、那岐の感謝は変わらない。

(できることなんて、限られてるけど……)

 命を賭けてもいい。あの竜を仕留めよう。

 戦いたがっている浩一はきっと納得しないだろうが、那岐の持てる全力であれを潰そう。


 ――魔力殺しを持つあれに勝つのは難しいだろうが……。


 心はなんとかなった。身体もだ。だが、それでも万全には程遠い。

 勝てるかはわからないし、死ぬ危険性の方が多かった。

 だからそれは那岐が選ぶ、最悪の選択肢だ。

 しかし那岐にひとつだけ救いがあるとするならば、誰にも自分の運命を預けることをせず、自分の命を最後まで自分の為に背負えたことだろう。

 浩一への感謝も自分の意思でできるとなれば――「馬鹿野郎」

 声と同時にごつん、と硬いもので那岐は頭を叩かれていた。

「浩一?」

 浩一の拳だった。

 痛くはない。相手は自分より戦闘力が低い人間だ。それでも、死への覚悟を固めていただけ最中だけに、ぽかんとしてしまう。

「どうにも答えを急いでるようだがな、生きたいって言ったのは嘘か?」

 呆れた顔で那岐は見られていた。那岐は、思わずふるふると首を横に振る。

 げんこつで叩かれたことに怒りの言葉はでない。

 その心に先程のような激情はなかったからだ。全てに納得してしまったからか、言葉も素直に吐き出される。

「だって、しょうがないじゃない。私には、理解できッにぃいぃいい」

 ぐにぐにと頬を引っ張られる。

 何をするのよ、と那岐が言おうとするも、言葉がでない。

 浩一は、彼にしてはとても優しい口調で那岐の頭をぽんぽんと叩いたからだ。

 まるで、幼児相手にするような行為。それに那岐が文句を言わなかったのは、続いた言葉を聞いてしまったからだろう。

「戦霊院。別に、答えを急ぐ必要はないんだぞ。殺す覚悟も殺される覚悟も、死ぬ覚悟も生きる覚悟も、今は曖昧でいい。そして、死ぬな。俺への誓約を、死んででも果たそうなんて考えるな」

「え、でも、それじゃ……」

「生憎、戦霊院が命に向き合いたいって気持ちは俺には理解できないがな。やっと本音がわかったんだろう。だから、そんなに性急に決めなくてもいいんじゃないか」

「でも、でも、それじゃ、私は、どうすれば……アンタに感謝を」

「安心しろ。誓約には今後も付き合ってやる。それにな、お前自身が言ったんだろう」

 死にたくない、生きていたい、と。

 浩一が拳を那岐の胸に押し当てた。

 白いシャツに覆われた膨らみの奥、心臓の鼓動と繋がるように、拳が押し付けられる。

「ここに、熱い心があるだろう。奥の奥に、譲れないものがあるってわかるだろう」

 拳から熱さが伝わる。熱が伝わる。だからわかる。浩一が伝えてくる熱とは別に、那岐の心にはそれがある。

 それが那岐を今の今まで生かしてきたし、那岐を今の今まで立たせて来たのだ。

「お前の心が、生きたいって、言ってるだろう」

「……うん」

「それでいい。後はな。俺に全部任せればいい」

「浩一? でも」

「お前は見てろ。今は戦わないで、見ていればいい。俺が戦う理由を教えてやる。言葉じゃ伝えきれんからな。見て、感じろ」

 言い切った浩一の拳からずっと熱は伝わっていた。

 浩一の拳が離れた後も、那岐の胸には熱が残り、ずっと熱を湛えたままだった。


                ◇◆◇◆◇


 『殺害志向』。敵対するものをただただ愛しながら殺すと世間一般では思われている思想は、本来、そういったものではない。

 浩一は心と身体の疲労から眠ってしまった那岐を他所に、座禅を組む。

 自身の深奥で深く熱を持ったものを確かめている。

(戦霊院はあれだけの怪我をしたんだ。絶対安静であるべきなんだが)

 よくも今まで話せたものだ。

 恐るべきは歴史の蓄積によって作られた戦霊院那岐の肉体か、それとも至上の霊薬たる青の恩恵か。

 否、今は考えるべきことではない。考えるべきは『殺害志向』についてだ。

 『殺害志向』はそもそも思想や理論ではない。


 ――それは一般人向けのものにすぎない。


 歌月がなんのために広めたのかは浩一の理解の外だが、本人に直接その概念を伝えられた浩一には、知識としての理解が十分にある。

 今まで鍵のかかった箱のように思い出せなかった知識が、どうしてか今は全て思い出せる。


 ――『殺害志向』は性質・・である。


 敵を求める性質ではない。敵を愛する性質でもない。そもそも愛する必要はない。万人にわかりやすいように『愛』という表現を使っただけであり、本来は、ただ想い、焦がれるだけでいいのだ。

 敵意でも、憎悪でも、愛情でも、殺意でも、友情でもなんでもいい。

 区別や無関心とは別であればいいのだ。

 単純に、向き合うだけ。相対するものに対して真摯であればいい。

 想う先にあるモノは理解・・なのだから。

(そうだ。そして、この実感だ。この実感を俺は思い出さなければならなかった。三十朗が言葉で説明しなかった意味がわかる。ただ俺が知識だけを得ても、それは意味のないことだった)

 胸の中の熱に名前がついた。浩一を駆り立てる性質がわかった。

 そして、喜ぶべきことはもう一つ。


 ――那岐を戦場から外せた。


 寝ている那岐を見る。

 伝えたことに間違いはない。那岐を哀れに思ったこともだ。

 だが先ほどの話し合い、浩一にあれほどの大胆な行為をさせたのは、それは単純に浩一自身のためだった。

 敵を、竜を那岐に奪われるわけにはいかなかった。

 加えて那岐をこれ以上窮地に追い込むことで戦霊院の恨みを買いたくなかった。

 そして那岐に、ようやく自らの心を理解できた那岐に、死んで欲しくはなかったからだ。

 全て己のため、他の一切などない。浩一の本心だった。

(だからこそ、俺が仕留める。あの竜を殺し、俺はもっと強くなる)

 竜を想う。

 竜を想う。

 竜を、想う。

 浩一の意識はここにあって、ここにはなかった。

 その目は、その意識は過去へと移っている。

 倒すべき敵。憎むべき敵。ずっと想っている竜。倒したいと、戦いたいと、斬りあいたいと、ずっとずっと、それこそ十年も想い続けている。

 暗黒卿ズィーズクラフト。浩一にとっての故郷を灰燼に帰した巨大なる敵。

 EXランクの黒竜。

 それを、ずっと、ずっと、それこそ十年前から想っていた。

(あぁ、もっと強くなりたい……)

 殺意の熱に焦がれ、侍は想う。


 ――そうして彼らは再び門前に立つのだ。


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