獣の夢を少女は見た。(4)


 戦霊院那岐にとって、火神浩一は命を張ってでも助けるべき存在か?

 そう問われれば、那岐は心から答えるだろう。

 

 ――そうである・・・・・、と。


 命には、命でしか返せない。

 だから考え尽くめの、政治上の、四鳳八院のルールで行う誓約だと理解していても、那岐は宣誓を誓うときに、心からそれを行ったのだ。

 そうだ。ゆえに誓約とは、那岐にとってはそこまでして守るべきものだった。

 それが那岐の持つ矜持から出たものだったのか、それとも生来の気質なのかは本人でさえも知る由のないことだったが、那岐にとってはそのどちらでもよかった。

 那岐がこのダンジョンで死闘を続けたのは、それが全てではないが、この誓約が原因だった。

 もっとも那岐本人にその意識はない。

 那岐自身は、その性根には珍しいことに……いや、その性根だからだろうか。

 彼女は自らが戦うことを当たり前と捉えている節があった。

 そういう教育を幼少からされてきたからだろうか? それとも戦うことに特化した身体を与えられたからだろうか? 那岐自身、どこか戦うことを前提に物事を考えるところがあった。

 戦霊院那岐の心は人間的すぎた。

 そんな彼女にとって制限法による精神的重圧に加え、精神攻撃を多分に含む苛烈な三連戦は不幸としか言いようがなかったが、それでも・・・・


 ――それでも那岐は立ち上がっていた。


 逃げられたはずだ。那岐はこのまま逃げてもよかった。だが、彼女は当たり前のように火神浩一を助けた。

 柱に背を預け、聖堕杖ドライアリュクに魔法発動演算を頼り、金属属性最上位魔法『メタルストーム』の規模でも三秒は保つだろう障壁を浩一へ向かって放っていた。

 那岐の思考には全てを浩一に任せていればよかったと思う心はあった。

 だが、それでも那岐の中に微かに残る、彼女の持つ強い意思が、浩一を助けることを止めさせなかったのだ。

 そして、その唇から詠唱が流れ出す。黄金竜が放つメタルストームは、今とっさに放った障壁だけでは防げない。

「宝を守るは小さな扉、大きな扉、木でできた扉、鉄でできた扉。扉は、中身を晒さない――『大障壁』」

 掠れた声でその口から紡がれる詠唱。放たれるは防壁系の中級魔法だ。本来の那岐であれば『力ある言葉』だけで発動できるはずのもの。

 それでも枯渇しかけた魔力と、限界を越えた魔法行使によって、ひっきりなしに襲ってくる頭痛の前では詠唱のサポートは外せない。


 ――頭が爆発しそうなほどに痛んでいた。


 痛覚は切っているのに、痛い・・のだ。きっと那岐の生命が零れ落ちているからだろう。

(ああ、私は……もう……)

 だが那岐はやり遂げ、落下中の浩一の周囲に障壁が更に展開される。

 これで火神浩一の生命は八秒は保つ。落下衝撃にも耐えられるだろう。

 そこまで考え、那岐は自身の身体に全く力が入らないことに気づく。

 気づき、ああ、そうか、と奇妙な納得を得た。

 手から聖堕杖が零れ落ちた。魔法の使いすぎだ。最初の障壁だけでも死力を尽くして放っていたのに、もう一枚は余分・・だった。

 浩一を助けるのに、自分の生命を消費してしまった。

(ああ、私、あんまりにも酷い目に遭いすぎて、死にたがってるのか……)

 ふふ、と笑みが溢れる。不思議と自分に対して怒りはなかった。

 本来怒りを発したであろう虚飾の部分が全て剥がれ落ちたからなのだと、不思議な納得をしながら終わり・・・を待つ。

 あの黄金竜の精霊も、那岐がこうして戦闘に加わってしまった以上、那岐を放っておきはしないだろう。

 だが、もう指一本足りとて動かすことはできない。

 魔力とは生命力でもある。那岐の肉体は強靭で強いが、その分生きるために必要な魔力も相応に必要とした。

 この玉座の間に入る前は身体に充溢していた魔力も、激しい戦闘によって今は心臓を動かす分もあるのかどうか。


 ――浩一を助けることで、自己再生に回す分の魔力を使ってしまった。


 傷の修復も終わっていないし、そもそも那岐の腹に空いた穴から内臓はずっとこぼれていて、外気に晒されたままだった。

 魔力収集を行う『星厄』も機能を停止していた。那岐はゆっくりと死に近づいていた。

 それでも、最後の力を振り絞って魔力回復をアイテムで行えば身体は復調するかもしれなかった。

 しかし、それを行おうという気力は湧いてこない。


 ――死は、甘美な魅力を秘めている。


 那岐にはまだ生きたい・・・・・・と思う心と、もう楽になりたい・・・・・・・と思う心があった。

 楽になりたい――そう、学園都市のダンジョン実習で時に何の理由もなく死者がでてしまうのはこれのせいだ。

 石に躓くような、なんでもない不運で生徒が意味もなく死ぬことがある。

 那岐もそうだ。苛め抜かれた那岐にとって、死はこれ以上ないほどの魅力を放っていた。

 もう殺さなくても良いのだと、もう悩まなくていいのだという誘惑。那岐は死に魅せられている。


 ――だから・・・那岐は助かった・・・・・・・


 火神浩一という脅威を残していた竜は、死臭を放ち始めた那岐を追撃しようとはしなかったのだ。

 那岐に目を向けることすらしない竜を見て、柱に背を預けていた那岐の身体がずるずると落ちていく。床にぺたりと尻がついた。

 そして腹から零れ落ちている内臓を見て、あーあーと呟いた那岐はゆっくりと死の淵を覗き始めた。

「もう、痛く、ない、のよね……」

 本来痛みを伝えるべき痛覚は、那岐の意思によって切られている。

 那岐の言うそれはきっと、心のことに違いなかった。

 だから、というべきか。

 横抱きにされた衝撃に那岐が億劫そうに顔を上げたのは。誰が自分を抱えたのかと見上げてしまったのは。

「おい! 逃げるぞッ! 今は勝てん!!」

 那岐の生み出した障壁で生命を拾ったらしい浩一が駆け出してきていた。

 侍は悔しそうに、楽しそうに、血塗れの顔で笑っていた。

 たくましい腕に抱かれた那岐の視界はそれから二転三転し、いつのまにか意識は失われていた。


                ◇◆◇◆◇


 記憶――かつての記憶だった。

 それは小さな虫だった。足元をゆっくりと歩いている虫は、なんら危機感を感じていないように少年には見えた。

 だから潰した・・・・・・

 足の裏に感じる感触は小さなもので、くしゃりと小さな抵抗しか感じられず、簡単にその命はなくなった。

 衝動のようなものが少年にそれを行わせた。だ。死に触れたい。自らが秘めるその感情に少年は気づかなかった。

 そうして建設途中の都市の片隅で虫の死体を眺めていると、声を掛けられた。

「何を眺めているんだい?」

「虫。虫の、死骸」

 少年は、問われたから、答えた。

 問いかけた男は小さく首を横に傾げた。

「何故小さな虫を殺したんだい」

「……なん、となく?」

 その男は、軍人であり、研究者であり、また教師でもあった。

 そして、少年、火神浩一・・・・を保護している者でもあった。

 浩一の心にふと恐怖が湧きあがった。

 弱いものを殺すこと、それに罪悪感を覚えたのではない。

 弱いものを殺して男にどう思われるか、それについての怖さがあった。

 当時の浩一には庇護者がいなかったから、唯一の庇護者である彼に嫌われたく――違う、そうではない。浩一は、男に対して好意的な、親しみのようなものを持っていた。嫌われたくないのではない、よく思われたかったのだ。

 だから浩一が発した言葉には躊躇があり、それでも嘘をつこうと思わなかったから正直に答えていた。

 それでも、不思議と殺したことに後悔は覚えなかった。疑問も覚えなかった。

 むしろ、そうだ。しなければ・・・・・ならない・・・・ことだと浩一にはどこか死に触れることに対して使命感があったのだ。

 そして弱みを見せた相手を殺すこと、それについて不思議と浩一は積極的なものを持っていた。

 虫が弱く・・見えた・・・から殺したのだ。

「殺して、何がしたかったんだい?」

「……べつに、ただ、殺したかっただけ」

 壊すでも、潰す、でもなく殺す・・。男は首を横に傾げた。

 浩一の性質に、男は朧げながら理解があった。それが後天的に与えられたものということまで男は見抜いている。

 もっとも、それを助長させている性分は天性の気質であり、得難いものだと思っていたが。


 ――そう、後天的なものならば上書き・・・できる。


 男はにんまりと笑った。

 虫を殺したことは責めるつもりはない。それは男が責めるべき咎ではない。

「うん。ならこっちに来なさい。見せてあげよう」

「みせ、る?」

「ああ、殺したかったんだろう。なら小さいものではなく、大きいもの。それも君がまともに成長しても敵わないものが生命の輝きを見せ、果敢に戦い、それでも敵わず滅ぼされる姿を見せてあげようじゃないか」

「……いくよ」

 浩一の答えには少しだけ時間がかかっていた。立ち上がった浩一の手を取り、男は周囲を見渡した。

 男は自身の妹に、浩一の世話を頼んでいたからだ。

 だから探した。そうして辺りにその姿が見えないことを少しだけ残念がった。

 きっと妹がいれば、浩一の性質は男とは無関係な、純粋な方法で正されたはずだ。

 人として大事なものを損なわずにすむはずだった。


 ――だが、いないのならばそれが運命なのだろう。


 男は浩一の手をとって歩いていく。

 そうだ。この少年に気づかせなければならない。

 その心のうちにある、いまだ名前もない衝動を溢れさせなければならない。すでにある常識を破壊しなければならない。

 言葉で与えられるものは知識でしかない。

 だが男は知っている。知識など本質の前では虚飾にすぎないことを。

 欲することこそが生命の本質ならば、それを虚飾で覆い隠すべきではないのだ。

 男、東雲・ウィリア・歌月は、火神浩一の持つ性質を損なわずに、浩一に教えたかったのだ。


 ――■■■■を。


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