石の女神は悲しみにくれ(5)


 火神浩一は、彼にしては珍しく、顔に動揺を張り付けていた。

 浩一がいる場所は、次の階層へと進むための広間だ。


 ――広間には激しい戦闘のあとが窺えた。


 那岐の死体がないかと一応、軽く浩一が周囲を探索すれば、岩や石が散らばった空間に、人間の頭皮と毛髪が落ちている。

「こいつは……」

 見覚えのある特徴的な黒髪は、それ単体でも高級な絹糸のような美しさと艶がある。

 肌、血、全てが特級品。これは浩一の知るどの肉片よりも自己主張の強い肉片だった。

 戦霊院那岐のものに間違いあるまい。

「こんな雑な戦いを、戦霊院が?」

 『百魔ひゃくま絢爛けんらん』――それが戦霊院那岐に付けられた二つ名だ。

 あらゆる魔法を操り、戦場を絢爛に彩る魔導士マジックキャスター

 そんな彼女はあらゆるモンスターに何をさせることなく圧倒的な力で駆逐する。


 ――そう、なのだと聞いていた。


 だが、その戦霊院那岐ですら、ここでは負傷を余儀なくさせられる。

悔しいな・・・・

 浩一は言葉と共に、強く歯を噛み締めた。

 だがそれは、自身を助けに来ただろう少女が負傷したことに関してではなかった。

 倒された敵を悼んでいる訳でもなかった。

 強敵が、次々と那岐に打倒されていくことに対してだ。

 それも火神浩一の敵となるべく、恩人にして師たる存在に用意されたものたち。

 それが倒されていくことが、悔しいのだ。


 ――浩一の獲物が取られたのだ。戦いを奪われたのだ。


 すでに修復が始まっているが、大広間を見渡す浩一は、ここで何があったのかをありありと思い描ける。

 過去を見る能力が浩一にあるわけではない。

 戦場につけられた傷や、戦場の臭いを嗅げば、何が起こったかぐらい、戦士には想像ができるのだ。

 見ることのできなかった敵。その脅威の形。

 その場に残る魔力の濃度、ダンジョンの破壊の規模。そして、手元にある肉片。

嗚呼ああ、畜生。本当に悔しいな」

 浩一は今一度、感情を吐き出した。


 ――次の番人は自分が殺す。


 必ず那岐に追いつくのだ。

 そして相原三十朗か、ラインバック・エッジか。

 そのどちらかの仕業かはわからないが、浩一のPADにはこの先の順路が表示されていた。

 同時に、先ほどまではなかった、戦霊院那岐の現在位置すらも。

 距離は遠いが、正確な地図があるのなら、今から全力で駆けたならば、次の敵が殺されるまでにたどり着けるだろうか?

 だが、浩一は不謹慎だと自身でも思いつつ願ってしまう。


 ――戦霊院那岐の敗北・・を。


 三十朗の、那岐に対する見立てがあっていることを。

(流石に不謹慎か? 俺が急げば良いだけか? だが、次こそは俺が戦い、殺す。俺のために)

 手元の肉片を素材収集用の小さな空き瓶に入れ、浩一は白夜の懐に瓶を収める。


 ――戦霊院那岐の肉片だ。


 裏で売れば大金になり、峰富士智子に渡せば嬉々として資料として保存に走るだろう極上の素材。

 もっとも、そんなことをするつもりはない。

 浩一のために危険を犯してくれた人間のものだからだ。

 浩一がこれをわざわざ回収するのは、本人に会ったら渡しておこうと思ったからだった。

 こういったものを放置しておいても良いことはない。

 剣の師である三十朗にその意志がなくとも、その裏にいるだろう『電子の王』にしてナンバーズの智謀を担っていたラインバックならば誰かに回収させる可能性がある。

 周囲の血液はともかく、那岐の肉片もこの大きさになると本気で奪いにくる価値があるし、知れば欲しいと願う勢力もあるだろう。

 それがどの院か、どの院の分家かは浩一にはわからないが、そういった面倒を考えれば浩一には、本人に処理させる以上に、よい対処法が思い浮かばなかった。

(ただの肉片にすら価値のつく人間か……)

 浩一は皮肉げに口角を釣り上げた。

 火神浩一では骨髄神経血管内臓筋肉骨の全てを並べても、那岐の血液一滴、毛髪一本の値段を上回ることはない。

 そう思えばこそ、瓶の中を注視する気は起きなかった。

(流石に妬ましいとは思わないが。ここまで劣ってると――いや、くだらないことを考える間に、追いかけないとな)

 この場に来て、戦場の確認、肉片の回収と時間が経っていた。

 足元を見る。

 那岐は頭部を負傷したのだろう。大量の血液が残っていた。

 一応、凝固剤で固め、先ほど肉片を入れた瓶とは違う瓶に回収しておくものの、辺りに飛び散っている血液をいちいち拾うつもりはなかった。

 それに戦霊院那岐に施された肉体改造が高度なものであればあるほど、多少なりともこういった場合の機能があるはずだった。

 那岐のナノマシンに施されている自動処理機能が、少量の血液であるなら、放っておけば勝手に処理してくれるはずだった。

(ああ、回収しなくてもよかったかもな……余計なことをしたかもしれん)

 だがこんなものまで残しておきながら、那岐本人は何をやっているのだろうかと浩一は階下へ繋がる階段に足を踏み入れながら、考えるのだった。


                ◇◆◇◆◇


 ――心が引き裂かれそうだった。


 戦霊院那岐は、その優れた魔力感知能力が捉えた位置へと迷いもせずに一直線に進んでいた。

 那岐はクリステスで造られた真珠色の通路を、真っ直ぐに、前に進んでいく。

(倒れることができれば、諦めることができれば、納得することができれば……)

 悩む那岐に対して、那岐の優れた頭脳は、現在情報、戦闘詳細、生存確率……etc――全てを勘案し、那岐が今すぐに行うべきことを導き出してくる。


 ――撤退しろ・・・・、と。


 当たり前の結論だった。

 那岐の心はもはや限界だった。心が足かせとなって、肉体の性能を半分も引き出せなくなっている。

 だから、一度帰還し、カウンセリングを受け、なんとか心を取り繕わなければならないというのに。

「それがッ。できれば……」

 那岐は呻く。那岐には確信があった。

 ここで帰ったら、もはや二度と戦うことができないだろうということを。

 だが那岐の頭脳は予測していた。

 次に待つ敵は、アールマティより強い。

 那岐が倒した精霊は、階層を経るごとに強く、恐ろしくなっていく。

 だから次の階層――那岐が調べた限り、恐らく最終階層だ――で待つのは、最強の精霊に他ならない。那岐の頭脳は結論をつけている。


 ――だが、わかっていてなお那岐は進んでしまう。


「そうよ……できない……ここで立ち止まるわけには……いかない」

 立ち止まる代わりに苛立ちを込めて、聖堕杖の先でダンジョンの床を那岐は砕く。

 そして砕けた床材には目もくれず、那岐の足は、身体を前へ前へと進めていく。


 ――肉体だけは完全だった。


 身体の傷は四鳳八院の肉体に備わった再生能力で何もせずとも治療されていた。

 腕が折れようと足が砕けようと、那岐の身体は戦闘に耐えられるように肉体を再生させる。

 流石に腕が千切れれば専門の機関にて処置を受けるしかなくなるが、頭皮や髪の欠損程度であるならば、既に再生は終了している。

 出血した分の血液も生成は終わり、体内を循環していた。

 酷使している神経回路も八割方癒えており、魔力も聖盾『星厄』の機能で補給済みだった。

 だから次もアールマティ程度の相手ならば、那岐の肉体性能のみで打倒し、勝利することが可能で――


 ――否だ。もう那岐は、アールマティには勝てない。


 相手が強いのではない、那岐が弱くなっていた。

 如何に那岐の肉体が、その機能で肉体を万全にしようとも、那岐の心はもうまともではなかった。

 ひび割れ、砕け、過去と矛盾に締め付けられている。

 那岐が以前の戦闘能力を発揮するには、長い時間と適切な治療が必要だった。

「くぅ……うぅ……」

 だが、助けてくれと、もう倒れさせてくれと願いながら那岐は歩き続ける。

 思考の大半は、泣き言で埋まっている。泣きながらでも、勝ててしまうから。

 だから今の那岐を支えているのは、ただの責任感だけだ。


 ――戦霊院の次期当主の肩書。


 だからこそ、一度でも立ち止まれば二度と戦えなくなることを那岐は知っていた。

(そして、戦えなくなったら、私は終わりだ……)

 考えても考えてもそこにさきはない。

 戦うことを辞めれば父が那岐を殺しに来る。

 那岐の脳に埋め込まれている人工スキル付与のための『スロット』は、ただの四鳳八院に与えられるスロットではないからだ。

 戦霊院家の次期当主たる戦霊院那岐に与えられたそれは、戦霊院の歴史そのものだった。

 極端な話、戦霊院本家が那岐を除いて滅んだとしても、那岐の頭脳に埋め込まれたスロット『魔天の法』『四番の杖』さえあれば、戦霊院家を再建することが可能なぐらいに。

 だからこそ那岐からスロットが摘出されれば、那岐を待つのは破滅だった。

 表から裏から、一度でもこのスロットを搭載したことのある彼女を捕らえようとする勢力は必ず出てくるだろう。

 そのときに戦霊院の政治力を失った那岐に抗する術はない。

 那岐に与えられた特別なスロットを摘出するということは、ただ単純な暴力を失うのではない。

 次期当主から降ろされ、権力を失うのだ。

 そして抗うための権力がない以上、武力を武力で退けたとしても、更なる武力が襲ってくる。それら全てを退けることは不可能だ。

 そしてそんな羽目に那岐が陥ると予想できる以上、父は那岐のスロットを摘出したその時に、那岐を必ず殺す。

 娘が、身内が誇りを汚されるならば、汚される前に幕を引く。戦霊院静峡しずくはそういう人間だ。

 いや、静峡だけではない。

 那岐の弟が那岐を殺すのが先か。

(我が家ながら、地獄のようなところね……)

 弟が壊れたら、きっと那岐だって同じことをするだろうから、お互い様ではあるのだが……。

 那岐は、自分の身体の価値を知っている。

 心が壊れようと、那岐の肉体には価値がある。

 戦霊院那岐という少女は、戦霊院の長き歴史において、他に匹敵するもののない魔導の才能を持っているからだ。

(だからこそ、私が戦えなくなったら、私は殺されなければならない)

 那岐を母体として、次代の戦霊院を作ろうとする勢力が必ず出るだろう。

 それが那岐の弟のかんに障ろうとも、研究者どもの欲は留まることを知らないからだ。

「くくくくく。あははは。あはははははははは」

 那岐は嫌な汗に塗れた顔を手で覆った。

 べちゃりと掌に滲んだ汗が音を立てる。

 汗に溶けて先ほど流した血が顔と掌を汚していた。

(畜生……畜生……死にたくない・・・・・・


 ――少なくとも那岐に死ぬ気はなかった。


 生きるぞ、と那岐は歯を食いしばった。

 他者を害そうとも、どんな手段をとろうとも、死ぬ気にはなれない。

 今も歩き続けている足と、けして手放されない聖堕杖がその証拠だった。

「やらなきゃね。殺して、勝って、捻じ伏せなきゃ……」


 ――そして那岐は、自らの心に打ち勝たねばならなかった。


 そうだ。そして、那岐の脳を占める疑念を晴らさなければならない。

 アールマティの最後――那岐の脳の大半のリソースを現在進行系で奪い続けているそれ。

 『モンスターに感情はある』という、つまりは今まで殺したモンスターが人となんら変わらぬものであるという事実に、那岐は打ち勝たねばならない。

 しかし、那岐はそれを考えると、心が止まってしまう。

(乗り越える? どうやって……?)

 人に恨まれることが怖い。

 モンスターに恨まれることが怖い。

(人とモンスターが、共存なんてできるはずがないのに、でも、でも……)

 なまじ、那岐の頭が良すぎるからこそ、モンスターに知性があるということを受け入れれば、戦う以外の選択肢が浮かんでしまう。

 だが、浮かんでしまえば終わりだ。そこで那岐は戦えなくなる。

 他に選択肢があるのに、どうして戦わなくてはならないのかと。

 どうして恨まれることを――考えるな・・・・――念じても、考えてしまう。


「そもそも、私がもっと強くあれば良かったのよ……」


 那岐は呟き、立ち止まり、見上げる。

 那岐の目の前に、十メートルを超える巨大な扉がそびえ立っていた。

 この場所にたどり着く直前の通路から、那岐の歩く通路は徐々に広く広がり、真珠色から古いレンガ造りの赤茶の壁へと変わっている。

 しかし、色に特徴がある。クリステスを混ぜた建材だろう。


 ――扉の前は、ただただ荘厳だった。


 まるで大崩壊前にあったとされる、古城のような雰囲気の空間だ。

 広くなっていく通路と天井を支えるように巨大な柱が立っていた。

 白く磨かれた柱には騎士たちの物語が刻まれている。

 床には赤い絨毯が敷かれている。

 天井を彩るのは、神々の伝説だろうか。

 自動生成とはいえ、相当に容量をとられているだろうに、と那岐は頭の片隅で考えながら、正面を見据えた。

 周囲の壁や柱にも劣らず精緻な装飾のなされた巨大な扉には。言葉が刻まれてあった。

「『其は人にして、人にあらず。近き未来に王国を蹂躙するもの』か。やっぱりこれも謎掛けなんでしょうけどね」


 ――那岐には、目をそらしていたことがあった。


 今まで、なぜ精霊たちは最初に問いを発したのか。

 きっと己がまともであれば、答えることもできただろう。

 しかし、今の那岐にはどうすることもできなかった。

 一番最初の、獣の精霊のときは、わからなかったから。

 二番目の、樹と水の精霊のときは、心が乱れていたから。

 三番目の、石の女神のときは、きっと怒っていたから。

 そして今から開く扉の先でも那岐はきっと答えないだろう。


 ――もはや、戦うという選択肢以外がとれないから……。


 心がぐちゃぐちゃだった。

 実のところ、自分がなぜこの場にいるのかも那岐にはもうわかっていない。

「さぁ、行くわよ」

 だけれど、彼女は自ら死地へと足を進める。


 ――そもそも彼女は気づいていない。


 ここまで弱りながらも死地へと躊躇なく進める強い意思がありながら、未知のダンジョンの、あらゆる強敵を打破してきたその腕がありながら、あらゆる魔法を扱うその頭脳がありながら――彼女の心の弱い部分が、決して彼女にそれを考えさせなかったことを。

 戦霊院那岐が、アールマティを、感情をもった生物を殺したことに対して、なにひとつ心の整理をつけていなかったことを。

 ゆえにこそ、自ら死地へと足を進めた魔法使いに、切り開ける未来など欠片もなかった。


 ――魔法使いはただ一人、未だ侍との邂逅はならず。


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