石の女神は悲しみにくれ(4)


 ゴヅン、ゴヅンと、ダンジョンの床に髪を掴まれた女の顔面が執拗に叩きつけられていた。

 その顔は石の掌によって隠されていても、その長い黒髪で正体はわかるだろう。

 しかし、なんということだろうか。

 叩きつける音には湿り気が混じり、血飛沫と肉片が周囲にばらばらと散らばっている。


 ――肉片には頭髪が張り付いていた。


 肉や髪の持ち主せんれいいんなぎの生命が今どうなっているかなど、察しの良い者ならば、すぐにでも想像できただろう。

 現に、やっている本人アールマティがそれを理解していた。

 一撃目以降は抵抗は皆無。その身体から発せられる魔力もアールマティが床に顔面を叩きつけるごとに減少し、目の前のそれが死体へと変わっていくのになんら疑問を抱くことはない。

 操る者の認識が途絶えたためだろう。周囲の魔法陣は一枚一枚と魔力の塵と化していく。

『なんじゃ、もうしまいかえ?』

 アールマティの、幾分か哀れみの混じったその声を聞くものはいない。


 ――この間にも那岐の頭はダンジョンの床に叩きつけられ続けている。


 ごしゃり・・・・ぴちゃり・・・・と、聞こえる音に、混じる液体の音。声などとうに伝わっていないに違いない。

 そして、度重なる打撃によってとうとう那岐の、金属製の頭蓋骨が砕けたのだろう。アールマティの腕に伝わる手応えが変わる。


 ――躊躇はなかった。


 石の女神は勢いよく、全力で、ダンジョンの床に那岐の頭を叩きつけた。

『つまらぬ。本当につまらぬ』

 アールマティの腕の動きが止まる。

 那岐の頭がダンジョンの床を砕いて、地面に埋まっていたからだ。

 アールマティは砕いた床を染めゆく体液を見ながら、那岐の身体がびくりびくりと機械的に痙攣を繰り返すのを確認すると、その手の拘束を緩めた。

 ダンジョンの石床に咲く血の花。

 たった今生産されたばかりの死体。

 石の女神にとってそれは、見続ける価値の存在しないものだ。

 アールマティは眠たげな顔で血飛沫で汚れた己が手を眺めた。

 その視線が既に死体と化しているであろう敵だったものに移ることはない。

 意識の焦点は、如何にしてこの汚れをとることへと移行している。

『まったく、これじゃから猿は嫌い、じゃ……ッ!?』


 ――濃密な殺意がアールマティを襲う。


『な――なに、が……!?』

 アールマティの不幸は、那岐から視線を逸らしていたことだ。

 だから、それを見ることができなかった。

 少し視点をずらせば理解できただろうその事実。

 アールマティが那岐の頭を床に叩きつけたときに、砕けたのはダンジョンの床だけであったことを。

 対人戦闘の経験が豊富な大精霊でも、理解の及ばぬことがある。


 ――四鳳八院の肉体は特別スペシャルだということ。


 那岐の骨格を破壊するのならば、アールマティは掴んだ那岐の頭蓋骨を、那岐の骨に置換された金属よりも強固な物質に叩きつけるべきだった。

 それを怠ったのは、アールマティが人間を舐めていたための傲慢。

 血が流れたのは、皮が破けただけのこと。

 手応えが変わったのは、那岐の頭蓋骨に置換されているオリハルコンによってダンジョンの床材が逆に破砕されたから。

 だから、まるで悪鬼がごとくの狂笑が、石の女神の掌の下に隠されていたことに、アールマティは今の今まで気づけなかった。

「――馬鹿がッ! 間抜けがッ!!」

 強襲は神速だった。アールマティが殺意に反応した瞬間、那岐の身体はすでにアールマティに迫っていた。

『ま、待て――』

 制止への解答は呼吸と踏み込みの音だった。

 もはや、アールマティには何もできず、前衛戦士の膂力と速度を超える那岐の拳が、未だ消えずに残っていた身体強化魔法によって殺意を累乗にし、繰り出されている。

 拳撃に反応できなかったアールマティの身体が、拳の一撃で宙に浮いた・・・・・

『ば、馬鹿な――!?』

 これが、あの腑抜けの拳だというのか――!?

 しかもこの威力――那岐の拳、腰の入った、そのたった一度の拳撃によって、アールマティの石の身体に、致命的なほどの亀裂が刻まれた。

 如何に優秀な体術を持とうとも、如何に頑健な岩塊を精製できようとも、その身体は精霊だ。

 那岐ほどの魔力を持つ人間に殴られれば粉砕されるしかない。

 当然、アールマティの身体を覆っていた、美術的価値すらも伺える法衣など瞬時に粉と化す。

 女神の人間を模した裸体が無様にも地面に転がった。

『……ッ。拳にッ、魔力を圧縮――ッ!? き、貴様、身体から魔力が失せたのではなく――ッ!!』

「碑石の持つ刃ァ! 極ッ!!」

 那岐の拳に殺意を纏った魔力が強引に形成された。

 聖堕杖はどこかへと弾かれたのか、手元にはない。

 しかし那岐の魔導センスは常人を遥か超えた領域に存在する。

 杖がなければ発動できないはずの魔法すら、その制約を破砕し、那岐の手元に顕現する。

『ぐ――逃げね、ば――!!』

「『揺れる鉄球』」

 床に石柱を生成し、空中へと逃れようとするアールマティに那岐から追撃の金属弾が次々と放たれる。

 魔力殺しを展開しようにも、アールマティのひび割れた身体では石柱と同時にうまく展開することができない。

 よく磨かれた鉄の塊のような金属弾の直撃を受け、アールマティの身体が空中で跳ね上げられる。

 体勢を立て直す暇など存在しない。

「ああああああああああああああああああああ!!!」

 そう、魔法を放った瞬間には跳躍していた那岐が、アールマティの真上・・から襲い掛かったからだ。

 戦霊院那岐は、普通の魔法使いではない。

 圧倒的な才能は、攻撃しながらでも、移動しながらでも、跳躍しながらでも、魔法の行使を可能とする。

 ひぃッ、とアールマティの表情が恐怖に歪んだ。歪んでしまった。

 当然、那岐はそんなものを無視する。ただ無感情に、獣の本能で思考した。


 ――オマエ、脅えたな、と。

 

『ああァッああああぁああぁぁあぁあああああああああ!!!!』

「砕けろッ! 壊れろッ!! ここでッ……死ねッ!!」

 宙空で那岐の両腕と両足によってアールマティが拘束される。

『あ゛あ゛あ゛ぁぁあ゛あ゛あ゛ぁあ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!』

 魔力殺しなど出す暇すらない。いや、実際に一個か二個ほど形成された石の板も、すぐさま発動を認識した那岐の頭突きによって破砕される。

 那岐の両手両足ががっしりとアールマティの身体に絡まる。

 それは、両者が地面に墜落してなお、逃げられぬようにするための、枷となった。

『ひぃいい! ひぃいいいいいいいいいい!!』

「ああああああああッ! ああああぁあああああ!!」

 地に落ち、馬乗りになった那岐が大きく叫び、両腕をアールマティから離して、そのまま振り上げた。

 那岐の両腕が振り下ろされる。アールマティの身体を砕き、破砕する。だが止まらない。再び、両腕が振り上げられる。

 抵抗のために岩の板が出現するも、アールマティの魔力殺しには欠陥がある。

 石の板の操作性は低い。この距離での那岐の速度の拳に合わせるには、アールマティの認識の中にある必要があった。

 だから当然、アールマティの肉体の傍に魔力殺しが発生し――瞬時に砕かれた。

 ああ、全ては遅いのだ。

 そもそも那岐の拳の魔法を解除できたとしても、ここまで身体を砕かれていたならば、殺意にまみれた魔力を直接流され、アールマティは破砕されるだろう。


 ――宣言どおり、砂になるまで。



                ◇◆◇◆◇


『我が、貴様に何をじだ……』

「あっははははは。無様に無様を重ねて、そこまで言うかッ! モンスター風情がッッ!! お前が私を殺そうとしたのは明白でしょう。自分が殺される羽目になったからって、そんなことを言うなッ!!」

 岩塊が砕かれる音とともに怒りの篭った那岐の拳がアールマティの身体を破砕する。

 その身体のほとんどが粉になり、残るは胴体のいくつかと、頭だけだった。

 狂気に酔った那岐は自身が致命的な行動を起こしていることすら理解できずに、衝動のままに動いている。

 その心には、弱音を抑圧しつづける、怒りの感情が篭っている。

 怒りは狂気を呼ぶ。那岐の内に篭り続けていた狂気は肉体の負傷によって追い詰められ、暴発していた。


 ――敵をなぶってしまっていた。


『ぜめで潔ぐ殺ずごどもでぎように。汝は残酷じゃ。何ゆえ我を拷問じながら殺ずのえ?』

「あぁ? 感情のないモンスター風情に、なんでそんなこと言われなくちゃならないのよ。頭にペンで犬って書くわよ。ボケッ!!」

『びぃいぃッ。酷いぃぃ! いぐざに敗れだだめに殺ざれるなら我慢もでぎよう! じがじこの仕打ぢは嫌じゃぁああああ!! 助げでたもれ! 一思いに殺じでおぐれぇぇええ!!』

 アールマティの真に感情の篭った言葉に、那岐の動きが止まった・・・・

 その脳裏に、戦闘中に保留にしていたはずの疑問が浮かび上がる。

 普段ならば無視していたその考えも、常に考えていたひとつの可能性と、目の前の、今まさに屈辱に塗れながら死に逝こうとするモンスターの、心からの叫びによって思考してしまう。

「あ――」


 ――『モンスターと人間は共存できる』


 この瞬間だけは、怒りではなく、殺意に身を任せなければいかなかったというのに。

「しまっ――」

 那岐は、いつかの、父親が殺した男の言葉を想起してしまう。

 共存とは、お互いがお互いの価値観を理解しあうことのできる生き物にこそ適用される。

 寄生でも、利用でもない。

 共存とは、共に支え合うことだ。

 だからこそ、その根底には感情という、最も原始的なものが必要となる。

 知性もまた、感情から生まれるものだから。

 結局のところ、モンスターに感情はないと、共存はできないと、四鳳八院が徹底した教育を国民に施したために人魔共存論は駆逐されたのだが。

 だが、那岐の知性は、鋭すぎるが故に、ただ目の前のそれを見ただけで全てを理解してしまう。


 ――モンスターには感情も知性もある。


「あ、んた……ま、さか……感情が……」

『ごろぜぇぇえええ!! だえられぬ゛ぅぅう!! ごろじでおくれぇえええ!!』

 知性あるものの悲鳴こそが、戦霊院那岐を殺しうる毒だと、この場の誰が気づくのか。

「い、嫌、嫌ぁあああ、ああああぁぁあぁぁああぁああああああ!!!!!!」

 那岐の心に浮かんだ嫌悪によって、肉体の動きが止まった一瞬の後。

 刹那のうちに、凄絶な表情を浮かべたアールマティが魔力殺しを展開し、那岐に殺意・・を向けていた。


 ――那岐の肉体が、殺意に自動・・で反応する。


「ちょっ――待ッ……」

『ばぁか……』

 止める暇もなかった。那岐の意志を無視して放たれた、那岐の拳が、魔力殺しごとアールマティの顔面を打ち抜いていた。

 那岐の意識は、頭脳は、自身の身体が敵の殺意に反応した結果だと理解している。

 だが那岐の心は、感情は、それを理解することはできない。

「な、なんでなのよ。なんで、ああ、わ、私、私……いやあああああああああああああああ!!」

 そしてその場に残るのは、ただただ呆然とすることしかできない魔法使い。

 今の今まで溜まり続けた感情が、心理的衝撃と共に、那岐の器を破壊したことになど那岐は気づくことなく。

 敵ではなく、自身の血に塗れた少女は、嘆きの声を発し続けた。



 ■o.000■193 アー■マティ[new]

 耐■:S 魔■:B ■力:■ 属性:■地

 撃力:■ 技量:■ 速度:■ 運勢■B

 ス■ル:『■盤結界』『武■■臨』

 ■装:岩の法■

 報■金:10■00■

 入手■イテム:献■の鍵


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