少女は獣とワルツを踊り(4)
どこでもない空間にいる男が、へぇ、と感心したように言った。
『戦霊院相手に【制限法】の精霊か。なかなか考えるな。お前の指示か?』
『いや、別に。浩一用の精霊だよ』
はぁ? と問いかけた男は、答えた男を睨みつける。
『戦霊院の参加はもともと頭に入れてなかったから、全く何も操作なんかしていないってことだよ。少しは考えたらどうだ? そもそも法則は設定できてもモンスターは指示なんて聞きやしないし』
『じゃあ、なんで戦霊院に制限法が効いてる? つかなんで四鳳八院に制限法なんてもんが効くんだ?』
『知らないって、僕に聞くなよ。番人とはいえ所詮、浩一用に用意した精霊なんだからな。四鳳八院の暴力で蹂躙されて終わるはずなんだけど……なんであのレベルの精霊が戦霊院と戦えてるんだろう』
『なんでってあの小娘のトラウマにどんぴしゃりで言葉が嵌ってるからだろ? いや、っていうかなんで嵌ってるんだよ。お前の指示じゃねぇならよ』
言葉を荒らげる男に問われた方はなるほどと言いながら、なんでもないように言った。
『全て偶然とはいえ、なるほどおもしろい状況だな。まさかあんなに精神的に脆い四鳳八院が存在するとは。浩一用に用意した手が潰されて少し苛立ったけど、四鳳八院を虐められるなら溜飲も下がるというものか』
『で、あの殺しただの殺されただのの質問はどういう意図で用意したんだ?
『ただの符号だからね。最初の問いかけに対して、設定された数字を言えば勝手に扉は開いたよ。だから、あの質問には何の
はぁ、運の悪い嬢ちゃんだ、と男はポリポリと頭を書いた。
『で、そのあとに【制限法】か。口だ鼻だと縛るならともかく、心を縛るあの使い方ならば、精神的な弱点がない精霊が使う以上、あの獅子にデメリットはない』
『精神的に完成されているはずの四鳳八院にあそこまで効果があるとも思ってなかったけどね。そういうことさ。どうせ負けるだろうけど、せいぜいあのお嬢さんが苦戦するように祈っておこうかな』
二人とも
だが、望まれざる侵入者たる那岐の失調を二人は好意的に受け止めていた。
相手はいけ好かない四鳳八院だ。
勝手に罠に嵌って死ぬのならば、そのまま勝手に死ねばいい。
◇◆◇◆◇
敵を認識した瞬間、那岐の身体は通路から聖堂へと飛び込んでいた。
考えてのことではない。とっさの反射だった。
「畜生! 畜生!! 畜生!!
罵声を上げながら那岐は床を蹴り、隣に並んでいた長椅子を『星厄』に覆われた身体で破砕しながら退避する。
一瞬前まで那岐がいた地点を蹂躙する獅子の腕。
通路から那岐を、
Aランクの速度で迫る獅子の襲撃を避けながら那岐は考え続ける。
このままでは、
敵の攻撃を回避しながら、使われた制限法の内容を思い出して唇を噛む。
――『汝、己が積み重ねた罪と対峙せよ!!』
目を背けていた疑心が制限法によって無理やり暴かれたのだ。
心に根を張った無数の悩み。苦しさをごまかしながらも続けていた自問。
このままでは、それらに対する答えを知らない那岐が、ヘドロのように心の奥底にこびり付いている矛盾と対峙し続けねばならなくなる。
(わ、私の心の破綻はもっと先だと思っていたのに!)
こんな形で無理やり掘り起こされることになるなど、全く想定していなかった。
那岐は自身の弱い心の叫びを、矜持と、何より生存本能で押さえ込むと、杖も構えずに『力ある言葉』を叫び散らした。
「『堅盾』『堅固』『堅壁』『加速』『韋駄天』『狂想兵』『蛮人膂力』!!」
攻撃魔法ではない。全てが自身への
那岐の叫びに呼応して次々と現れる防御障壁。
それが心の隙を突かれ、反応が遅れる那岐に迫る凶爪をギリギリで防ぐ。
それでも走り、転がり、必死に『力ある言葉』を唱える那岐を獅子の猛威が襲い続ける。
――そう、那岐は、混乱の極致にいた。
そもそも那岐は守る必要などなかった。
ただ普通に戦えばいいだけだった。ただただ肉体の性能に任せて蹂躙すれば、この程度の獅子の精霊、三秒も掛からずに殺せただろう。
だが那岐の精神が攻撃に向かわないために、守勢に回らざるを得なかった。
那岐は『加速』と『韋駄天』で自身の身体速度と反応速度を上昇させる。
転がるようにして、設置されたグランドピアノの足を掴む。
『狂想兵』と『蛮人膂力』の撃力上昇魔法によってなんら抵抗もなく、軽々と巨大なグランドピアノが持ち上がった。
当然だが、ピアノごときを持つ程度なら那岐に強化は必要なかった。
那岐ならば無強化のステータスでもこんなものは軽々と持ち上げられる。
そんなことにも気づかない那岐は、そのまま勢いをつけて、ピアノを敵に投げつけようとする。
「吹き飛びなさい!」
「『罪を自覚せよ!』」
ピアノを振りかぶった那岐の身体が硬直した。呪術である『制限法』によって、強制的に那岐が持つ罪悪感を心の表層に露出させられたのだ。
那岐の精神に掛かった負荷が肉体に影響し、那岐は動けなくなる。
苦しげに、何かを振り払うように頭を振るう那岐に獅子の攻撃が迫った。
――制限法には相互作用がある。
罪を自覚させたならば、自らも罪を自覚しなければならない。そういう縛りがある。
だが獅子は平気だ。なぜなら獅子は精霊だから。
純粋なる法則によって運用される魔力の塊に、罪も罰も、ましてや咎など存在しない。
獅子の巨大な前足が那岐にクリーンヒットする。那岐の身体が吹き飛んでいく。
(わたしは、何を、馬鹿なことを……)
ピアノは牽制のはずだったのに、反射で、それに殺意を乗せてしまった。
これは那岐の失点だ。おかげで、知性ある生き物を殺すという罪悪が、心に襲いかかってしまった。
那岐は苦悩する。そもそもピアノを投げつけてどうするつもりだったのだろうか。精霊に物理攻撃は通用しない。
物理で叩くならば、オーラを載せなければならない。
そして那岐にオーラを上手く操る心得はない。
だから攻撃には魔法を使わなければならないのに、那岐は当たり前の思考をどこかに置き忘れていた。
長椅子を途中でいくつも破砕しながら那岐は壁に叩きつけられる。
内臓に衝撃が走るものの。那岐の身体は聖盾『星厄』が守っていた。
『星厄』は傍目に見ると、薄すぎる装甲のボディスーツに見える装備だが、これだけの衝撃をまともに受けてなお、破れもへこみも壊れもしていない。
それは那岐が纏う防具、『星厄』が持つ
薄片のような特殊な金属には様々な属性による防御効果が働いている。
ゆえにEXランクスキルを搭載したこの防具を破壊するには魔力殺し、気力殺し、魂殺しの三種の特別な攻撃が必要だった。
――そんなものを四鳳八院の肉体が纏っているのだ。
ゆえに、少なくとも単純な物理攻撃で那岐が傷を負う事は無い。
ただそれも、無防備な顔面を攻撃されればおしまいであるし、『星厄』を着た那岐の身体の耐久を超える衝撃を喰らえばその限りではない。
「くッ……」
咳き込みながら那岐は腕力だけで身体を宙空へと跳ね上げた。
その直後に獅子の追撃が那岐がいた場所を直撃する。数秒前まではベンチだった木片が跳ね上がる。
「『氷塊』『炎熱』『雷覇』!!」
宙へと跳ね上がった那岐の身体は、落ちる途中で聖堂の壁を、白魚のような細くも美しい指で貫くと、そのまま腕力任せに身体を支えた。
眼科に自分へと襲いかかる獅子の精霊を見つけると、那岐は指の力のみで、更に上へと身体を跳ね上げる。
聖堂の天井付近まで筋力で身体を飛ばした那岐が見下ろすその視線の先には、那岐に追撃を掛けるべく、全身に力を蓄えるウォフ・マナフがいる。
その顔面に那岐の放った氷の塊が直撃した。
魔力の塊でできたそれは確実に獅子の身体を削るはずだが、巨体と言葉からして、耐久のランクが高いのだろう。
まったく堪えた様子も見せず、飛び上がった獅子は那岐へと爪を振るい、那岐の正面に発生した魔法陣より放たれる焔の津波に全身を焼かれる。
「ぐ、ぉおおおおおおお!!!」
咆える獅子の身体を止めとばかりに数多の紫電が襲った。
那岐は落下しながら壁を蹴った。痛撃に怯み、横たわる獅子から距離をとる。
――那岐が追撃を放てば、この程度の精霊、簡単に殺せただろう。
那岐の唇から放たれる言葉には、震えが混じっていた。
「ま、魔法の味はどう? 姑息な手段で人の心に付け入った邪悪なモンスターさん」
「汝、他者を殺して何を得る! 我を害して何を得る! 害した者と向き合うこともせず殺戮を無為に重ねるは害悪なり!!」
そうだ。那岐の放った魔法には全く殺意が籠もっていなかった。
だというのに、総身から大量の魔力をウォフ・マナフは失っている。
――これが力の差だった。
そして、それでも獅子は悠然と那岐を睨みつけている。
本来ならば比較することおこがましいほどの戦力差がお互いに存在しながらも、心の強靭さ。その一点の優劣のみでお互いが対峙することを状況は許していた。
――対峙……いや、一人は全く戦いに対する気概を持っていなかったが。
那岐は獅子を睨みながらも、その心は弱気によって支配されていた。
(機械みたいに、プログラムされた行動しかとれない精霊が私を批判するな! うぅ、クソッ、クソッ! 私を……私の………)
心の弱さからくる肉体の不調が、那岐の完璧に調整された肉体のバランスを崩したのだ。
もともと四鳳八院の肉体はこのような事態を想定していない。
加えて、いかなる苦痛や苦境もその生来の気高さと矜持がプレッシャーとして感じない。
そういう教育を施されているはずだった。
那岐も、こんな強引な手段を取られなければもっと心の崩壊は遅かったはずだった。
――その隙を、敵は逃さなかった。
「汝、他者を害する覚悟もなしに我と闘争を行うか。愚かなり! 愚かなり!! 心の脆弱さを克服することもできずに強者を騙るか!! この魔女め!!」
襲い掛かる獅子の豪腕に、心を縛られた那岐の身体が吹き飛ばされる。
当然、獅子の感情など那岐は知らない。境遇も何も知ることはない。
ウォフ・マナフは那岐からすれば弱い。
那岐という、巨大な欺瞞を抱えた戦闘者の矛盾を突き、その弱さを正面から、正論で罵倒するだけの獣だ。
だが、それがわかっていても、那岐にはそれに耐え切るだけの心がなかった。
幼きころから全てを与えられ、自らが歩む道さえも決められてしまった少女には、それらの言葉の刃に、正面から耐えられる心が
それでも那岐の身体は強かった。強靭すぎた。ただの学生や軍人ならば死んだであろう攻撃を何度も正面から受けても耐えていた。
「……うるさい」
その口の端からは血がこぼれている。
血液が唇と、その頬を穢し、その外見はともかく
それでも、那岐は立っていた。
戦霊院の身体は、容易く那岐に死を与えず。そして、容易く敵手に死を与える。
「『死と向き合え!』『心と向き合え!!』『汝、汝が殺した者の仮定された未来を想像せよ!!』」
無理やり想起させられるかつての誰かの顔。彼は何を言っていたか。何を言っていたのか。
(あ、ああああああああああああああああああああああああ!!!)
制限法による精神への圧迫乱打。
それは、今までギリギリに均衡を保っていた那岐の精神へ、罅を入れた。
「う……うるさい。うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!! いいじゃない無理なのよやめなさいわたしには無理なの!! おとうさまのばか!! おとうさまのばか!! おとうさまのばか!! 私だって、私だって!!」
「哀れな娘よ! 疾く死ねぃッ!!」
獅子の精霊の鋭い視線が、自失しながらも無防備に立っている那岐を睨みつけた。
叫ぶ那岐に、ウォフ・マナフが飛びかかる。
その狙いは、首より少し上、露出した那岐の頭だ。
「……むッ!?」
だが獅子の牙が那岐の首を捉える一瞬、目にも留まらぬ速さで繰り出された那岐の掌に、獅子はその野太い首を掌握された。
「わ、わたしだって、ころしたくなんてないのよぉ……」
通常、素手での精霊の捕獲は不可能だ。だが那岐の手のひらは微弱とも言える程度の魔力によって覆われている。
捕らえられたウォフ・マナフの身体がこわばる。動けない。いや、動かない。
「きさ、ぐぉおおおぉおぉぉおぉおぉぉおおおおぉおぉッッッ!!!!!!」
直後に、那岐の手のひらから直接流される、なんの加工もされていない敵意と殺意と負の感情の篭もった魔力。
それは四鳳八院の中でも魔導に練達し、その貯蔵する魔力量が軽くウォフ・マナフの総量を超えるほどの実力者から流される、暴力の波だ。
だが魔力は精霊の身体を癒やす。
だから那岐の魔力はウォフ・マナフに苦痛を与えつつもその身体を修復していく。
――今の那岐は茫然自失している。
本来ならば魔力を魔法に加工し、外殻を破壊し、その中身を傷つけなければならないのに。それを忘れている。
これでは敵を利するだけだというのに。
だが、獅子の苦しみ方は尋常ではない。
「お、おぉおぉおおおぉおおおおおおっぉぉぉおっぉおおおおお!! やめろ!! はなせッ!! この、! き、貴様、私を殺す覚悟もなくッ、私を殺すのかッ!?」
「……ぅぅ、ぐす、ぅぅ」
「やめろ! 闘争ではなく、
崩壊は一瞬の出来事だった――ぼろり、とウォフ・マナフの外殻が崩れる。
ウォフ・マナフを構成するルールが壊され、滅んでいく。
ウォフ・マナフの身体を構成するのは善なる考え、いや、正確に言えば一般に、人間が善と定める概念だ。
だから、那岐の後ろ向きばかりの後悔だらけの、腹に篭もっていた迷いばかりで、一切前向きな思考のなかった魔力を、なんのフィルターも通さずに、ウォフ・マナフは強制的に流され続けた。
あまりにも濁流のような負の魔力の奔流。
それをウォフ・マナフは自身のルールに染めることもできず、身体の大半をただただ毒の概念で染められ、崩れていく。
――那岐は、そんな獅子の精霊のことを全く見ていなかった。
彼女が見ていたのは、獅子の精霊が傷つけた、自分の心だけだ。
「もう、やだ。いや、うぁ、ぁああああああああぁぁあぁあああああ」
那岐の泣き声が壊れた聖堂で響く。
小さくなっていく精霊は、那岐を哀れんだのか断末魔の言葉を残した。
「貴様は、愛を知らんのだ……」
そうして欠片も残さず身体が消えていく獣の精霊に対して、那岐は小さく答えを返した。
「うぅ……ぐす、知るわけないじゃない。そんなよくわかんないもの」
だって、おとうさまがくれたのは、
愛なんてもの。そんな優しい響きのするものなんか。受け取った覚えなんかない。
少女の嘆きに応えるものはなにもなく、祀るもののない聖堂にはただ嗚咽が木霊するだけだった。
No.0■01■90 ウ■フ・■ナフ[n■w]
耐■:A 魔力:■ ■力:C 属■:無
■力:A 技■:B ■度:A 運勢:■
ス■ル:『制限■』
武■:神■の鬣
報奨■:100■0G
入手ア■テム:■思の鍵
ガリガリと異常音を奏でた那岐のPADが小さく情報を吐き出し、手に入れた鍵によって目の前の扉が開いても、那岐は立ち上がろうとしなかった。
ただただ泣き続け、けほりと口から小さな血の塊を吐いた。
そうして身体から感じる痛みが、肉体が持つ、自然治癒の機能によって完全に癒されたのを知ると、諦めたように立ち上がり、杖を支えにして歩き始める。
身体を覆っていた罪悪感。
他者を殺すたびに感じたそれは、身体の痛みによって多少だが感じられなくなった。
しかし、ただ傷に酔い、心の痛みを紛らわすことを誇り高くあれと望まれた精神が許すはずもない。
型に嵌められた心が、歪に突き刺さった刃によってかき回される苦痛。
戦霊院那岐は嗚咽を漏らしながら歩き続けるしかなかった。
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