少女は獣とワルツを踊り(3)
那岐の目の前には今までの特徴のない真珠色の通路ではなく、石造りの聖堂らしきものが存在していた。
なんの宗教かはわからない。
那岐が持つ広範な知識にもこのような様式の聖堂は存在していない。
地下聖堂、なんて印象を持つ程度にはその空間は広く、薄暗かった。
全体的に自然環境に存在する洞穴を利用して造りだしたような印象を受ける。
もちろんここがダンジョンである以上はフロア生成機能によって造られた人工的なもののはずだが……。
那岐は初めて変わった景色にふむん、どうしようかしらね、と思考した。
念の為、この聖堂にも破壊魔法に対する魔力殺しの効能があることを探査針で確認し、先へと進んでいく。
「人もいないのに、長椅子やらピアノやら、よくも用意するものね」
人が入れるような施設であれば一部の物好きな学生が利用したであろう雰囲気があった。
那岐のような人間はダンジョンの戦闘の部分だけ利用しているが、下位の学生や戦闘能力が頭打ちになった生徒などはダンジョンの遊び要素のある部分の探索などを行うこともある。
学園側もそれらが学生の精神に必要なことと理解し、慰撫のためのイベントなどをダンジョン内で開催していた。
人は、闘うだけでは生きてはいけない。
強くあることができる人間はそこまでいない。
――ゼネラウスは一度それで失敗したのだ。
しかし、心が強くないから、那岐は当主になる道を確信を持って進めない。
強かったら、どうしただろう。那岐はきっと自分が望む、研究者への道へ進んでいたかもしれなかった。
弟に家督を譲って……いや、と那岐は小さく自嘲の笑みを浮かべた。
そうなれば才能がありすぎる那岐は無用な跡目争いを回避するために、弟を盤石にするために、父親の手によって殺されていただろう。
ならばこうやって迷いながら進んでいることは幸福な道なのだろうか?
「そんなわけないか……」
一人の探索だと浮かんでしまうくだらない考えを那岐は放り捨てた。
周囲を見回し、歩を進める。
下層への階段はこの聖堂の先だと那岐は推測していた。
――敵はまだ見えない。
立ち止まりブーツの踵で床を叩けば足音が響く。聖堂の構造のせいか、音が反響しやすい。眉を顰め、歩みを再開する。
先ほど出した声も、那岐の声質がよく通るのもあってか、よく響いていた。
単独行動の際にやたらと音が立てるのは良いことではない。
那岐にも当然、その感覚はある。
とはいえ浩一のためにも敵を排除することはやぶさかではないし、戦霊院那岐が敵を恐れるわけもない。
だが、それはそれとして、まるで狙ってくださいといわんばかりの行動をとるのは
浮遊の魔法を使おうとも考えたが、あれは音を立てない効能があっても咄嗟の回避が困難になる。
宙空での移動性能ならば『天翼』が一番だろうが……こういった狭い場所ではその機動力の高さは逆に使い勝手が悪い。
「まったく……ま、いいわ。四鳳八院らしく堂々といこうじゃないの」
こういうのは王護院の役割だと思うんだけどね、と呟きながら、堂々と音を立て、那岐は聖堂の奥へとたどり着く。
那岐の視界に、聖堂の奥にある小道と、通路の入り口を塞ぐ獅子の獣の姿が入る。
「精霊ね。しかも人工じゃなくて天然」
魔導の練達者である那岐はひと目で獣の正体を看破した。
人工精霊には特徴がある。それは型番がわかりやすくその身体に刻印されていること。
識別のためにつけられる単純な刻印だが、目の前のそれには、あまりにもわかりやすいそれがない。
その事実が那岐にその精霊が自然に発生したものを捕らえ、ここに縛り付けているのだと知らしめた。
精霊種は通常のモンスターとは違う。
魔力生命体である彼らは生きた魔法ゆえに、その基幹構造を書き換えることで人類の支配下におくことができる。
(とはいえ、別にコスパがいいわけじゃないのよね)
天然の精霊は、捕獲の難易度の高さもあるが、法則の把握が困難だ。
ゆえに、魔力と法則で製作できる精霊に関して言えば、わざわざ天然のものを捕獲するよりも自分で作ったほうがコストが掛からないのだ。
(そんなめんどくさいものをわざわざ配置する理由はなに?)
那岐の目の前にいる獅子の形をした精霊は、ただ唸るようにして乳白色の地に伏し、目を閉じている。
「……先に進んでいいってことかしら?」
そんなわけはないんでしょうけど、と内心で付け足す那岐。
獅子の精霊。
肉眼では動物の形をしているものの、魔導を扱う那岐には、それが強力な外殻と、属性によって動く
警戒をしつつ、獅子の背後を見る。
獣の巨体に塞がれているが、通路の先に巨大な大扉がある。
聖堂の奥には通常、その宗教が祀っている神や仏、なんらかの聖人の像があるのだろうが、この聖堂らしき場所にあるものは扉だった。
――恐らくは下階への道。
つまり獅子は、このフロアのボス兼門番なのだろう。
なんらかの手段をもってこのダンジョンに持ち込んだのか。それとも元々いたものをそのまま使っているのか。
那岐は前者だと判断する。都市に精霊は発生しない。誰かが持ち込んだのだ。
精霊を運用することが前提のダンジョンならばこの施設の対魔力の強さにも納得がいく。
あの獅子が寝ている一面に、魔力溜まりが確認できるのも精霊運用の一貫か。
(どっからこんなものを設置する資金を出してるのかしらね?)
魔力溜まり――精霊をダンジョンに設置する際に、その精霊が自然に拡散してしまうことがないようにするための維持装置のことだ。
精霊が魔力の豊富な土地にしか確認できないのには、それ以外の土地では精霊が生存できないことも関係している。
しかし、魔力溜まりなんてものを設置し、維持するには莫大な費用がかかる。人口精霊が一般化しないのはそれが理由だ。
精霊種は強力なモンスターだが、運用するのに様々な障害が存在するのだ。
(そして魔力殺しはこのため、か……)
生きた魔法である精霊は強力な魔法を扱う。
それを施設に被害なく使うには、破壊されない工夫が必要になる。
捕獲されるほどの格を持つ精霊ならなおさら必要な措置。
(いたれりつくせりみたいだけど、なんで精霊なのかしらね?)
戦霊院の那岐でも若い世代であるため、天然精霊を見るのは初めてだった。
戦闘の予感に那岐はペロリと唇を舐め、湿らせた。そうしてわざと音を立て、進んでいく。
「ねぇ、先に進んでいいんでしょう?」
那岐は気づいていなかった。
先ほどまで、那岐は多少なりとも緊張と、侵入者としての自覚を持って歩いていた。
先の偽職員のこともあり、己が闘うのは人間であるという意識があり、それが那岐の心を多少なりとも縛っていた。
しかし、今は少し違う。
その足取りから緊張が消え、その口調には相手を侮るものがある。
それは那岐が強力な力を持ち、強大な魔導を振るい、魔導に弱い精霊程度なら瞬殺できると確信しているからではない。
――敵を侮るのは相手がただのモンスターだからだ。
言葉を話さず。知能を持たず。ただ法則に縛られて動く魔力の塊。
知能も言葉もない、機能しかない人工精霊しか知らない那岐にはそれがただの獣にも見えていなかった。
だからこそ、さぁ、障害を蹂躙しながら進もうと那岐が魔力を手繰り、さらに足を進めた瞬間。
「客人か。さてはて何百年ぶりかね」
精霊の言語。常人ならば理解すらできないだろう。
しかし四鳳八院の改造を受けている那岐はその言葉を理解できた。
伏していた身体をゆっくりと起こし、那岐へと鋭い視線を向けた獅子の瞳に、確かな
◇◆◇◆◇
通路に伏せていた獅子の獣が立ち上がる。
巨体だ。体長は三メートルぐらいだろうか。その牙も爪も、ただの人間ならば一息に葬れるぐらいにある。
――そして、まるで人のように言葉を操る。
「まず問おうか。人よ。君は今までどれだけのものから無意味に生命を奪った?」
陳腐。ただの人ならばそんな感慨しか受けない質問に対し、那岐の心に与えられた痛撃は激しいものだった。
――まさか、モンスターから命を奪うことを責められるなど、想像だにしていなかった。
那岐は
疑心が……こんな場所で思い出してはならない記憶が蘇ってくる。
言葉の内容ばかりに頭がいって、何か重要なことを見逃した気がしたが、そんなことはどうでもよかった。
那岐は、自身の心が何者かに覗かれているような気分で問いを即座に否定した。しなければならなかった。
「いいから。そこを通しなさい。無意味に生命を奪ったと聞くなら、それに自身が入らない努力を行いなさい」
「答えぬか。ならばここは通せんな」
那岐は舌打ちをする。なんだコイツは。
魔導を専門とする那岐にわかる精霊の言語で話しかけてきた割に、なぜか会話には容赦のない
(いえ、でもこれは私が悪いか……)
番人だとわかっていながらその番人の問いかけに答えない自分が問題なのだろう。
(でも、そんなもの覚えてるわけないじゃない……)
誰を殺したとか、何を殺したとか、そんなもの、覚えているだけでつらいものだ。
なにより、自身の矜持のために他者を殺し続けることができるほど那岐は強くはない。
戦う理由を、義務と名誉と言いながら闘っていた那岐にその質問は酷に過ぎる。
そもそも、強い理由も持たずに、ただ生まれたからというだけで四鳳八院の当主になっただけの少女が、自身の為に生き物を殺せる罪悪感に耐えられるわけもない。
息を吐く。気にするな。気にするな。気にするな。
理想と現実の
今さらだ。全ては今さら。
死体を積み重ねることに躊躇はない。
(私は私の心が折れるまで、
那岐の心は、既に諦めかけている。
「あんただって無意味に誰かを殺したことがあるでしょうに」
「無意味な殺戮を行うのは人間だけだ。我は精霊。土地とそこに生きるものの守護者だ。侵略者以外を殺しはしない」
「――ッ! 鼻につくわねその言葉。私が何の意味もなく殺しをしてきたと!!」
然り、と獅子は知的な視線で那岐を睨みつけながら頷く。人のような仕草だ。
那岐の不純を見抜くかのような、獣の辛辣な視線。
生存のために他者を殺す必要のない精霊だからこそ、それは那岐に突き刺さる。
獅子は叫ぶ。
「無意味だと断ぜるのは汝が殺した哀れな生命について答えられぬからよ! 無意味でないならそこに何かを見い出せるであろう。さぁ、答えよ。汝、何を殺し、何を得た? 己が為だけに殺したか。他者に言われて殺したか。それとも戯れに殺したか。さぁ、答えよ!!」
「……~~~ぅぅぅッ! 『王者の礫』!!」
真正面からの問いかけだった。
四鳳八院である那岐には答えなければならないものだった。
言葉に対する刃には言葉で返さなければならない。王者であるなら堂々と。君主であるなら当然に。
――だが那岐が返したのは、魔法による攻撃だ。
獅子の身体、その真下より鋭い岩の刃が出現する。
それが獅子の柔らかい腹を貫き、その身体を両断しかけるも、獅子は穏やかな顔をして那岐を見、そうして大きく咆えた。
「知性無き宣戦布告か! それもよかろう――人よ、その傲慢さを思い知れ。我は『善い思考』、ウォフ・マナフ。我は汝に宣告する。『汝、己が積み重ねた罪と対峙せよ!!』 貴様は己が無知の咎をここで受けるのだ!!」
ずくり、と那岐の心が硬直した。
いや、硬直したのではない。緊張に震えたのだ。
(何、これ……え、嘘? いやッ! まさかッ!!)
心に言葉が突き刺さった。これは那岐がその人生において初めて受けた
違う。那岐は確信する。これは、この痛みは。この息苦しさは。
例えば、眠りから目覚めたときに考えたことのあるそれ。
例えば、幼い那岐が、ダンジョンで人型のモンスターを焼き払った際に感じたそれ。
例えばあの資料室で考えていたこと。
そうだ。この痛みは、いつか、かつて、対峙した父に殺された男が放った言葉の楔。
那岐の心を硬直化させるものが那岐の心を侵食する。
那岐の手がガタガタと震えだしていた――これは、これは!!
「『制限法』!! アンタッ…、アンタッ……私の魂をッ、私の心をッ、縛ったわねえぇええぇッ!!!」
那岐の激怒が、衝撃となって、空間を大きく揺らした。
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