心の距離は川幅にも似て(2)


 著名な楽士でも呼んでいるのか、ヴァイオリンの音色が耳に届く。

 高層ビルの上階にあるレストランフロアからは学園都市の夜景が楽しめる。

 テーブルのいくつかには、デート中の年若い男女なども多かった。

 そんな中で、戦霊院那岐と火神浩一の二人は、ロマンチックの欠片もない気配を漂わせている。


 ――何が楽しみで生きてるわけ?


 グラスに注がれていた水を飲み干した火神浩一は、その問いに特に逡巡もなく答えた。

 浩一は、闘争に楽しみ・・・を持ち込むことはあるが、それに快楽を感じたことはない。

「生きてるだけで十分楽しくないか?」

 浩一の答えに那岐は目を見開いた。彼女は信じられない生き物を見る目をしていた。

 彼女の常識にそんな人間は存在しない。

 人間には、いや学生や軍人が戦い続けるには、ある程度の俗物的な欲望が必要だ。

 特に激しい戦いを経験した兵士ほど酒や食べ物、異性や薬に依存する傾向が強い。

 それを戦霊院那岐は否定しない。人間には頼りにするものが必要であるからだ。

 物質的に満たされている那岐自身にそれらは必要はないが(依存性の高い薬物なども解毒してしまう肉体だからでもある)、心の脆さを知る那岐だからこそ、それを大事にしたいと思っている。

 浩一はそんな那岐の前で口角を緩めた。

「だがミキサージャブは良かった。戦って楽しかった。力も上がったしな」

「理解、できないわ……何? アンタは名誉や金のために戦ってるわけじゃないの?」

「なくはないが、それは必要・・だからだ。必要以上を求める気はない……ああ、ありがとう。うまいよ」

 会話の途中でウェイターが席の傍に立ち、浩一の礼に恐縮です、と言いながら空になった皿を取り替えた。

 浩一は新たに届いたコカトリスの香草焼きにナイフの刃を入れていく。

 那岐はよくわからない、困惑した感情のままに問いを発した。

「なら、わざわざ私の誘いに乗ったのは何? 私をどうこう・・・・する気にはならなかったの?」

「どうこう? なんだ? 飯を奢るついでに話をするためじゃなかったのか? ミキサージャブの」

 誓約ッ! と那岐が立ち上がり、テーブルに手を叩きつけた。

 周囲の客がじろりと二人に視線を飛ばすが、那岐の苛烈な雰囲気に当てられて視線をそそくさと逸らす。

「誓約よ! 誓約! アンタ、何か私に望みはないの?」

 浩一がナイフをテーブルに置き、困惑した顔で立ち上がった那岐を見上げた。

「意外そうな顔ね。予想してなかった?」

「いや、何故迫るのかとな? 期限はいつでも良いって話だったろう」

「そのつもりだったわよ。でも、リフィヌスが、あの娘がアンタのために誓約を果たした」

「だから?」

 そう、と那岐が頷く。アリシアスが果たしたからだ。

 果たしてしまったから……こうして那岐が動くはめになった。

 こうしてたまたま会ったから食事に誘ったが、今日会わなかったらきっと明日でも明後日でも浩一のところに押しかけていただろう。

「あの娘がアンタのために要所に働きかけたせいで、私たちがアンタに誓約をしたってのは上では知れ渡ってるのよ。だから期限ってわけじゃないけど、周りに急かされてるわけ」

「急かすってなんだよ」

 那岐が口ごもった。

 この件では、あまり口にしたくないことまで戦霊院の家では想定されていた。

 アリシアスが無事・・だったからといって、那岐まで無事・・に済むとは考えられていない。

 むしろアリシアスが無事だったからこそ、那岐の危険は高いと思われていた。

 那岐の反応で理解したのだろう。浩一が口角を緩めた。

「なんだ? 俺がお前を潰すとでも思われてるわけか?」

「少なくとも情婦にされるかも、ぐらいには考えてるわ」

 情婦、と浩一が肉の欠片を吹き出した。

「戦霊院が情婦ねぇ」

 浩一が対面にいる那岐の全身を見て嗤い、那岐は手で身体の線を隠すように椅子に座り直す。

 今は浩一と同じくアーリデイズの制服を着ている那岐は自分の肉体に自信を持っている。

 スタイルはアリシアスよりずっと良いし、顔も四鳳八院らしく絶世と言っても良いレベルだ。

 美容品のコマーシャルや、ファッションモデルを依頼され、何度も雑誌の表紙を飾ったこともある。

 だが、やはり周囲には四鳳八院という恐れがあったのだろう、このような、今の浩一のような目で見られることには慣れていない。

 那岐の反応でどうでもよくなったのか、浩一は肉にフォークを突き刺し、口に運んだ。

 断る理由はない、といった風情であるが……。

「で、誓約の解除・・・・・は」

「は?」

 億万長者を約束された当たりくじの一等を引き裂くような質問に、那岐は少しだけ苛立った・・・・

 戦霊院那岐を誰もが欲しがる価値のある人間であると那岐は知っているからだ。

 自らの価値を低く見られて嬉しくなる人間など存在しない。

「無理よ。とりあえず誓約を果たさせなさい。私が貴方に潰されるとしても、次の戦霊院当主を決めるなら、早いほうがいいわ」

「せっかちだな。戦霊院、お前本当に誓約を果たさせたいのか?」

 うるさいわね、と那岐は強い酒精が漂う果実酒をぐいと飲み干した。

 片手で傍らの瓶を掴むと空のグラスに乱暴に注ぐ。

政治・・よ。弟が私の失点をつつきたがってる。抵抗するにせよ、アンタの動向がわからないんじゃ抵抗のしようがない」

 浩一には悪いが、那岐にも事情がある。

 ここで浩一が那岐を浩一の情婦にすると決めたなら、那岐は戦霊院の次期当主の座を追いやられるだろう。

 それなら姉弟で争うのは争い損だ。そうなるならそうなるで弟が動く前がいい。

「しかし、望みってもな。何もないぞ?」

「なんでもいいわよ。なんでも・・・・叶えてあげる。お金でも武器でも防具でもスロットでも改造でも、なんなら卒業後に戦霊院所属の好きな部隊に組み込んであげられるわ」

 ほう所属部隊、と那岐の言葉の最後に、浩一が興味を持った。

「それは、部隊配属の方面・・は決められるのか?」

 方面? と那岐は浩一の質問に思考を巡らせた。この男は行きたい場所があるのだろうか?

「戦霊院は『大霊峰富士』方面に主攻部隊を回してるけど、どこでもそれなりに便宜は計れるわよ」

 大霊峰富士はアーリデイズのシェルターより東方面の前線の名である。

 ゼネラウスがその地を重視するのは、富士で各種霊薬の精製に必須の素材が採取できるからだ。

 浩一がミキサージャブ戦で使用した、生きた脳さえ残っていれば肉体をそのままに再生することも可能な、医療薬品メーカーSEIDOUの回復剤『青の恩恵』も富士でとれた素材を材料にして作られている。

 また富士にはモンスターの最高位である規格外EXランクのモンスターの一体が生息していた。

 上手くやれば・・・・・・、ゼネラウスの歴史に名を残すことも可能だろう。

「大霊峰ではなく、廃シェルター……ヘリオルスに部隊は持ってるか?」

 ヘリオルス? と那岐はそれが火神浩一の作ったパーティーの名前だと思い出す。

 と、同時にそれが十年前にモンスターによって滅ぼされた開拓シェルターの名前だということも思い出す。

 とはいえ疑問よりも浩一への返答が先だ。

 那岐は思考操作でPADを操作し、言われた情報を引き出した。

 軍事機密ゆえの多少の間があったものの、次期当主の那岐の要請だ。

 自分の家の部隊の情報なら問題なく引き出せる。

「ちょっと待って……そうね、廃シェルターなら調査部隊があるけど」

「戦闘の予定は?」

「ないわね。今あちらに戦力を送る計画はないし。偵察ぐらいしかないけど。何? ヘリオルス跡地に何かあるわけ?」

「ないのか……そりゃそうか。いや、いい。ありがとう。それなら誓約は、これ・・で構わん」

 これ? と那岐が首を傾げた。

 これ、と浩一が肉の載った皿を指で示した。


 ――那岐の頭に、血が上る。


 初めての怒りだ。ここまで怒ったことなどほとんど記憶にないほどの怒りだった。

 戦霊院那岐になんでも・・・してもらえる権利を持ちながら、これ・・だと……酷い、酷い侮辱だ。

 那岐の目の前が、怒りでくらくらする。初めての経験だった。

「ば、馬鹿にしてるわけ?」

「俺の稼ぎからすれば二ヶ月分をおごってもらっただけで」

馬鹿にしてるわね・・・・・・・・

 十分だ、と言葉を締めようとした浩一に、那岐は攻撃的な笑みで相対した。

「ねぇ、アリシアス・リフィヌスがアンタに何をしたか知ってて言ってるの? 私は知ってるわよ? SSランクの武具の提供、アックス大量討伐の賠償としてモンスター生産プラント一基の期限付き貸与、一ヶ月分のダンジョン生活での奉仕、生産の難しい貴重な薬剤の提供、豪人院の研究の阻止、その他数え切れないぐらいのものをアンタに提供したってのに、私にはたった一回の、それもただの高級レストランでの食事……これは、私を舐めてる・・・・ってこと?」

「なめちゃいない。本当にうまい食事だった。満足した」


 ――火神浩一このバカは、本気で言っていた。


 理解する。火神浩一は那岐を馬鹿にしているのだと。戦霊院を舐めているのだと。

「私もね、戦霊院として舐められるわけにはいかないのよ。いいから望みをいいなさい。金? 地位? EXランクの武具? 名誉以外なら特等のものをくれてやれる。うちの持ってるダンジョンを一年程度アンタのために貸し切ってもいいわ。さぁ、なんでもいいから言いなさい」

 ふむ、と浩一は首を横に傾げた。

「知り合いのために上等の菓子折りってのは?」

「あまり侮辱されると、恩人だろうと殺すわよ・・・・

「今は物欲がないんだよ、満たされてるからな」

 物欲が満たされている……月下残滓か、と那岐は内心のみで唸った。

 戦霊院は魔導系の家だ。杖装備ならともかく、刀系装備で月下残滓以上のものは那岐でも入手が難しい。

 そんな那岐の様子に浩一は困った様子を見せたものの、しばらく考え、ああ、と言った。

「なら、そうだな……相棒パートナーが帰ってくるまでパーティーを組んでくれ」

「それだけ?」

「お前の価値はどれだけなんだ?」

 浩一の言葉にあら、と那岐が口角を吊り上げた。試されているのか。ならば、返答なんて決まっている。

「価値を見せろってことね。で、その相棒ってのはどこで何をしてるわけ? いつ帰ってくるの?」

「母親が倒れたとかで衛星シェルターに出かけてる」

「帰還予定は? 衛生シェルターってどのシェルターよ」

 那岐の眉がひそめられる。倒れた? 病気か怪我のどちらかか?

 生憎と浩一のパーティーメンバーの詳細までは調べていない。妙にガードが硬かったからだ。

(確か、名前は東雲しののめ・ウィリア・雪……あの東雲家の長女よね)

「随分と雪について聞くがどうした?」

「どの程度の期間とか聞かなきゃ私だって予定が立てられないもの」

「そりゃそうか……」

かたりだとは思ってないわ。でも、どれだけ拘束されるか調べても悪意はないと思わない?」

 那岐としては、すぐ帰ってくるようならシェルター間の交通を止めてでも足止めをするつもりだった。

 短ければ意味がない。三日で帰ってきました。那岐さん誓約は果たしましたね。さようなら・・・・・、では困るのだ。

 那岐は自身のためにも、アリシアスが見せたものと同じ程度の献身を周囲に知らしめる必要がある。

「詳しい病状は知らないが、あいつの母親は色属性の関係で治癒魔法が効かないらしい。それと一ヶ月前に出かけたばかりだ」

「色属性ね。魂が劣化するタイプ? それとも魔法の効果が不安定になるタイプ?」

「そこまではな。アレはそれほど研究が進んでるわけじゃないから。とりあえず雪は、東雲・ウィリア・雪は東雲の家の人間だと言えばわかるか・・・・?」

 それは知っている。だが浩一との関係はよく知らなかった。

「前『ナンバーズ』の家系ってのは知ってるわ。そう、そういえば色属性の権威である東雲博士が病気っていう噂もあったわね」

 那岐が指がテーブルを軽く叩く。さて、どうしよう。

 詳しく調べると東雲家の警戒に引っかかるだろう。

 すでに故人とはいえ、かつて学園都市の武力ナンバーズの頂点に立った男の生家に調べを入れ、その母親の病状を知ることは、那岐の手には余る。

 ただでさえミキサージャブの件で失点があるのだ。普段ならともかく今失点を作るわけにはいかなかった。

「それで、その一ヶ月ってのは長いわけ? 短いわけ?」

「さぁな。雪もそんなに頻繁に出かけてるわけじゃないしな。ただ、長い方ではあるかな?」

「曖昧ね。まぁ、いいわ。アンタの、その、パートナー? の娘が帰ってくるまで私が探索に付き合えばいいわけね」

 何をするのだろうか。少しだけ那岐はわくわくしながら浩一を見つめるも、提案した側の浩一は気乗りしているわけではないので反応は鈍い。

「そうなる。一応、臨時パーティーだけでも今組んどくか」

 その提案に、那岐はイヤリング型のPADに思考を走らせ、パーティー受付の画面を開く。

 浩一もPADを思考操作したのだろう、臨時パーティー申請が那岐のPADに送られてくる。

 那岐は思考を走らせ、学生番号、学生名、学園名、所属制度、ランク、諸々のデータをすぐに埋めていく。

「そうそう、浩一。ないとは思うけど。三日や四日程度で解散するようだったら、それなりのことをするわよ」

「病人の具合なんぞ俺にはわからないからな。答えようがない」

「パーティーを組んだ以上はそれなりのことはさせてもらうから」

 さぁ、食事の続きを楽しみましょう、と目的を達成した那岐は、楽しげに言ってみせた。


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