心の距離は川幅にも似て(3)
アーリデイズ学園と同じ第十六区画にある安アパートの自室へと帰った浩一は、敷きっ放しだった布団へと、疲れたように倒れこんだ。
師弟制の場合は、寮母やメイドなどがいる宿舎などが宛てがわれるらしいが、講習制である浩一はこういった物件しか選択肢はない。
といっても学園傍という立地しか利点のないこのアパートは、貧相な設備の割にそれなりに家賃が高い。
浩一の財政を圧迫しているこのボロアパート。
だが、物欲の少ない浩一にとっては学園傍というだけで最上の拠点だった。
「ああ……このまま眠ってしまいたい」
布団に身体を埋めながら浩一が呻く。
寝室とリビングが一部屋ずつ、あとは付属の風呂トイレ洗面台にベランダ、そして小さなキッチンと、ものの置かれていない倉庫代わりの小さな和室が一室。
それが浩一の借りているアパートだ。
(しかし、疲れた……)
那岐にタダ飯を奢って貰い、物質的には得をしたが、心労を考えるとどうにも損をした気分になる。
(ああ、畜生。俺にどうしろと言うんだあの女は……)
政治などいらない。己はただ、自分一人で強者を倒したいだけだ。
そこに那岐は
明日を思うと穏やかには眠れそうにないが、とにかく菓子折りを購入して、挨拶をしなければならない。
あとは講義に出席して……とつらつら考え始めたところで浩一はゆっくりと立ち上がり、部屋の片隅に転がっている鉄の棒を握ると制服のまま、素振りを始めた。
学生のアパートなので耐久性と防音性は高い。トレーニングをしても問題ない。
だが雑事にかまけ、鍛錬を忘れていた。失態である。
(まったくッ! これだからッ! 日常ってやつはッ!!)
全てがもっと簡単であればいいのに、浩一がそう思うことは少なくない。
◇◆◇◆◇
「おはよう、浩一」
翌朝、起きてすぐに室内トレーングをし、シャワーを浴び、朝食を食事代わりの栄養剤で済ませ、インナーの上から着流しを着た浩一は、アパートの玄関前で立ち尽くす羽目になった。
「なんでお前がここにいる?」
臨時パーティーを組んだが、ダンジョン攻略の日程を決めたら連絡を取ると言って昨晩は別れたはずだった。
「なんでって、パーティー組んだじゃないの。私たち」
あれ、アリシアスは一ヶ月も四六時中ついていったわよね、などと問われ、浩一はそうくるか、と内心で頭を抱える。
学生服を着た那岐の後ろをアパートの住民が驚いたような顔をして通っていく。
何かを問いかけるような視線をその際に感じたが、それらを無視し、浩一は那岐へ冷たい表情を向けた。
「お前、とりあえず帰れ。まだダンジョンには潜らんから」
「何よその顔、まるで迷惑みたいに。まぁいいわ、学園には?」
「今から行くが」
「そう、じゃあ一緒に行きましょう? アンタの予定を聞かせなさい。
合わせる? と浩一は問いかけるが、那岐は取り合わず、思考操作で呼び出した通話ウィンドウに、今日からの予定は全部キャンセルで、などと誰かに連絡を入れている。
アリシアスのように何も言わずに予定を消すのではなく、
これから那岐が浩一へ付き纏うと言う絶対宣言。
浩一の口から呻きが漏れる。
「戦霊院、お前、なにがしたいんだ?」
「何がって、私は誓約を果たすだけよ。ただ、普通のパーティーってものを私は知らないからね。なるべくアンタの流儀にあわせられるようにしてるだけ。はい、説明終了。さ、とにかく何か大きいことをしなさい。私がアンタに尽くしてることがわかるようなでかいことをね」
「はぁ……」
「はぁ、ってねぇ。やる気出しなさいよやる気を」
浩一の口から深い溜め息が漏れたが、那岐はそんな浩一にご立腹のようだ。
「そう安々と偉業が達成できるならそもそも俺がこんなところに住んでるわけないだろうが」
「えっと、こんなところ?」
「犬小屋とか言うなよ?」
「あの、私、そこまで世間知らずじゃないからね?」
仕方ないとばかりに浩一が扉から出ると部屋の扉には自動でロックがかかる。
とはいえこの部屋から財産を盗みたい人間がいるなら、扉を破壊するか壁をぶち抜けばいいだけので、気休めの施錠だ。
「ちょっと待ちなさいよ」
学園に向かって歩き始める浩一の隣に那岐が立つ。
それはアリシアスとはまた違う位置で、ほんの少しだけ距離感の近さに浩一は困惑するも、気にせず歩くことにした。
(どうせ、長持ちはしないだろう)
自分と違い、八院には自由になる時間は少ないはずだ。
そう考えるものの、一ヶ月近くも行動を共にしたアリシアスの件を思い出し、浩一の顔に諦めのようなものが浮かんだ。
◇◆◇◆◇
『――以前の講義で語ったし、諸君らも既に散々聞かされていると思うが、生物には三属……つまり肉体、精神、魂の三つの要素が存在する。それは人間が当然持っているべきものであり、同時に敵対する怪物ども、モンスターたちも持っているものだ。いいかね。これは現代のあらゆる学問の根底であることを忘れてはならない。しかし、例外もまた存在するということを覚えていてほしい。魂だけのモンスター。精神だけのモンスター。肉体だけしか持たないモンスターがこの世界には存在するのだ。そうだな、肉体だけなら、【歩く肉】というモンスターが有名だろう。あれは精神が存在せず、魂も持っていない。ただの歩く肉の塊だ。あれがどうして生きていられるかは現代の研究者たちでも理解できてはいないが、歩く肉が複雑な思考を有し得ないのは精神や魂が存在しないだろうからと言われている。そして、歩く肉とは逆に、肉体を有していないモンスターで有名なのは肉体を魔力のみで構成している【精霊種】だろう、あれは――』
アーリデイズ学園の大講義室で、数百人の学生が講義を受けていた。
扇形に広がる講義机の中心には一人の禿頭の男性教授がおり、色属性関連の基礎の、更に基礎たる内容の講義を行っている。
ねぇ、と浩一の隣に座っていた那岐がつぶやいた。
浩一は顔も向けずに有名デパートのカタログを眺めている。講義は聞いていない。録音だけしていた。
「なんだ?」
「あんた、いつもこんな講義受けてるの?」
低レベル、とは言わなかった。戦霊院那岐の口調には馬鹿にした気配はない。
ただ疑問ではあるようだ。火神浩一は、年齢の低い生徒が受けるような基礎の基礎である講義をなぜ今、学んでいるのか。
浩一は深く考えもせず、まだ取ってなかった講義だからな、と答えた。
浩一や那岐の視界には、浩一の腰ほどの身長もない子供たちの多くがこの講義を受けている姿が入ってくる。
「そう……」
那岐は返答して、黙り込む。
二人の神経はそれなりに太いが、必要もないのに子供たちの中に平然と混じれるほどではない。
ゆえにか講義室の中には、ある程度の年齢を超えた者たちが一塊になっている一角があり、そこで浩一と那岐は講義を受けていた。
(俺も可能なら、もう少しレベルの高いことをしたかったよ)
――火神浩一の単位取得には、いくつかの困難が存在する。
アーリデイズ学園を浩一が卒業するためには、それらの困難が解決する必要があった。
実のところ、浩一が単位を取得できない授業は多い。
それは浩一の頭が悪いから、ではない。
浩一は努力家だ。そして頭も悪くない。
直接脳にデータを入力する他の学生には劣るものの、真面目に学習すればたいていの筆記系の単位を取得することはできる。
だがそれでも、単位取得にはどうしようもない問題が存在する。
金? 武器? 名誉? 否、否である。もっと根本的な部分。
――肉体改造ができない問題である。
その問題は、アーリデイズ学園に存在する実習や実技の授業での単位取得を困難にしていた。
学園には当然ながら、銃器の使用を始め、様々な道具や、魔力、オーラなどを前提とする実習科目が数多い。
そして学年が上がるにつれ、それらの授業割合が増えてくる。
それら
――ゆえに単位が足りなくなる。
ダンジョン実習で単位数を補填しているものの、単位数の多いそれらの授業を受けられないことは、浩一の学生生活に大きく影響を与えていた。
だから子供以外は誰も取らないような、落第生が狙うような講義などにも浩一は出席する必要があるのだ。
そんな浩一の事情を知らない那岐は、この授業選択にしばらく理解に苦しむような顔をしていたが、やがて大量に数式の浮かぶウィンドウを表示しはじめた。
魔導の研究だろうか? 那岐が前の生徒の体を使い、教授に見えないようにそれらを配置すると、数字が濁流のようにスクロールしていく。
那岐の隣や後ろにいた学生が驚く表情を浮かべる。
そう、これはこんなところで表示するような情報ではない。
秘奥に分類される魔法使いの数式だ。それらはたった一文だけでも万金の価値を有する。
しかし、周囲の学生はぼけっと驚いたままだった。録画も何もしない。
なんということだろう、単純に彼らは画面の速度に驚いただけのようだった。
もしくは八院が使うウィンドウの枠が珍しかったからかもしれない。わざわざ専用のデザイナーがいるのか、那岐の使う黒枠のPADウィンドウはクールさを感じる趣味の良いものだったからだ。
だが浮かぶウィンドウをボケッと眺めていた学生たちも次第に興味を失ったのか、次第に那岐の横顔の美しさに意識を移していく。
――理解を放棄したのだ。
最強たる戦霊院が持つ、魔導の一文を理解するための知識を彼らは有していない。価値も知らない。
むしろ、価値の高すぎる情報に触れることを忌避するような気配すらあった。
那岐もそれを知っていて無警戒に表示させている。
魔導の深奥に触れられる人間が限られていることを那岐は知っているのだ。
そして、
PADの転送システムを利用すればいつでも引き出せるようにもしている。
さて、これで散財は終わりだな、と余った二千万近いミキサージャブの討伐報酬を武具用のプール口座に移すと、浩一は今後の予定を立て始めた。
(今後の予定は、Aランクに昇格するほうが先だろう)
ランクが高い方が様々なことで優遇がある。
だが、そこまで考えて内心のみで唸った。
(どうやってランクを昇格するか、だな……)
――那岐の利用は考えない。
まず近接職でのAランク昇格規定には最低オーラ量を満たすこともだが、Aランク相当の
浩一はこれらの規定をクリアできないために、
(とはいえ『斬鉄』は覚えてないんだよな……)
無論、浩一とて月下残滓を用いればAランク相当の撃力を発揮することは可能だ。
だが、それは月下残滓の力である。火神浩一の力ではない。
刀術を扱う者ならばどんな刀でも、ある程度の撃力を発揮できることを証明しなければならない。
だが無改造である浩一には飛燕クラスの武装でもAランク相当の撃力を発揮する手段はなかった。
(
一般的に、近接職が戦技ランクのA評価を取得するためにはオーラの操作に長けるのが一番の近道だ。
つまりは
――この規定はSランクを倒せたのだから認めていいじゃないか、というものではない。
火神浩一は推定Sランクであるミキサージャブには勝てるが、他のモンスターには勝てるわけではないからだ。
間違ったランク認定は、そのままその人間を死地に送り込む評価基準になってしまう。
ゆえに、厳密に規定が存在する。
例えばAランク以上の軍人が討伐するモンスターともなれば、地形操作を扱う敵や、極端に硬度の高い敵、魔力のみの構造のモンスターである『精霊種』などが出てくるようになる。
無論、相手の装甲が硬いだけなら浩一とて技量を上げ、刀系技術の『斬鉄』を覚えればればなんとかなるだろう。
だが、それ以外になるとただの物理攻撃では無効化されてしまう。
そのためにも近接職の持つ
(無改造の俺じゃ、オーラ操作を覚えても攻撃に転換するオーラの最大量が足りない。できて二、三発で枯渇。薬で増強しても二、三戦は保たないだろうな……)
オーラとは生命力でもあるので、使いすぎれば気絶や死亡に繋がる。戦闘中に倒れるなど自殺行為もいいところである。
そんなオーラを手っ取り早く増量できるのは肉体改造だ。
細胞内のオーラ発生に関わる部分を強化すればいいだけの話である。
そして用意の良い浩一は、改造するための金と
だがそこまで用意できても、改造できる肉体を浩一は持っていないのだ。
(くそッ、ホントに忌々しい体質だな)
自身の
どうしたの、と隣の那岐が怪訝そうに浩一を見たが、浩一はなんでもないと仕草で返した。
「……まぁ、いいけどね……」
何も言わない浩一の様子から問うことを諦めた那岐は、ちょっといい? と話題を変えた。
「なんだ?」
「魔力殺しのデータを貸してくれない?」
「魔力殺し……ああ、あれか」
特に執着のない浩一は、ミキサージャブ戦で入手したミキサージャブの武装である漆黒の巨大戦斧『漆黒の咎』の解析データをPADから呼び出し、臨時パーティーの機能を使って那岐へと送りつけた。
「魔導の戦霊院だろ? 魔力殺しぐらい持ってないのか?」
「なくはないけど、それ、ちょっと気になるのよね」
「漆黒の咎が……ん?」
浩一は、いつのまにか周囲に注目されていることに気づく。
なんだ、と思えば、講義は止まっており、教授が浩一を見ていた。
『火神浩一、私の講義中に女子と話しているとは随分と頭に余裕があるようだな。さて、そんな火神には魂を縛る呪法である【制限法】がなぜ廃止されたのかを答えてもらおうか』
罰が悪そうな顔をした浩一だったが、数秒考えると答えを口にする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます