聖女は獣の血肉を貪り(2)


 光量の抑えられた柔らかな光を放つ装飾電灯が、天井に吊るされていた。

 木製の内装に合わせた趣味の良い調度品が店内にはバランス良く置かれ、うるさくなく落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 ここはアーリデイズ百二十八区画のうち、政庁関係でも重要な区画が集中する第一区画の隣、学生達に『貴族区』と呼ばれている第八区画に存在する喫茶店だ。

 第八区画は、その別称に相応しく、大きな軍事施設や研究施設があるわけではなく、数多の高名な軍人や家名を持つものたちの住居などが広がっている。

 もちろん、ここ以外にも『貴族区』は存在するために全ての貴人の住居があるわけではないが、王護院の分家や、戦霊院本家の別邸など、重要人物の住居が集中していた。

 そのためか、治安維持の駐在所が一定の区間に設定されており、警備の人間が出歩いているのが見える。

 少なくとも、ここでクラン『黄金騎士連合』がアリシアスとやったような争いが起きれば、『黄金騎士連合』は一分も経たずに鎮圧されるだろう。

「それで、アリシアがわざわざ訪ねてきたって事は……その、だな。用件は聞かなくてもわかるが」

「あ、はいはい。浩一が言わなくても理解してくれるのはうれしいです……の前に、店長? マスター? ジジイ? アンタちょっとこれ調理して」

 定年退職した軍人が趣味でやってます、といった風情の店内。そのカウンター席の内側で、アリシアスが注文した紅茶を用意していた品の良い初老の店主ははぁ? と怪訝そうな顔をした。

 自らの店に、四鳳八院の次期当主とハルイド教の聖女が訪れたのだ。初老の店主は相応に緊張しつつも、そのやかましい・・・・・有り様に面を食らっていた。

 そして『白騎士』アリシアが自身のイヤリング型のPADから取り出したそれを見て顔を引きつらせた。

「あの、聖女様、その、これは生肉・・ですか? しかもモンスターの」

「ああ、ミディアムでもレアでもなんでもいいから。とりあえず下味はこれとそれとあれとどれと? まぁいいや、調味料は渡すから適切に焼いてちょうだい。あ、まずく焼いたら殺すから。覚悟して焼いてね。うふふふ」

 にこにこと凶相を浮かべたアリシアはPADから次々と調味料の入ったビンを取り出していく。

 どれもがハルイド教でも強い身体強化の効能があると認められている香草や薬草類だ。

 それをアリシアは透明な格子に入れられた肉の塊といっしょに初老の男へと放り投げていく。

 学園都市の住人らしく、元軍人でもあるのか、店主は嫌そうな顔を浮かべながらもそれなりの速度で投げられた調味料と肉を床や壁、周りの食器にぶつけることなく確保キャッチする。

 出している区画が区画だ。長い接客経験のなせるわざか、理不尽な客には何度か当たったことがあるのだろう。店主の諦めの速度は手馴れたものだった。

 もちろん老店主もこの区画に店を出しているためそれなりの家名は持っているのだろうが、今回は当たった客が悪かった。

 名前を聞かずとも容姿や衣服で客のランクはわかるし、今回は顔も有名な二人だ(連れの侍は店主にもわからないが)。


 ――それに学園都市の有名人というのはそういうものであるからだ。


 感性も常人から外れた者がSランクなのだ。

 とはいえ浩一としては初対面の店主に、同行者が礼を失した行動を取るのは頷けない。

 席を同じくすることが恥ずかしくなる。

「アリシア、お前は少し自重しろ」

 しかしアリシア・トロファンスは全く聞いていない。

 むしろまるで浩一が喜ぶのが当然といった風情で楽しげな雰囲気を周囲に発している。

「あ、浩一にも縁のあるお肉だから少しは喜んでみたらどうですか? 100グラムあたりの値段が驚きの100万ゼノス。学内共通通貨のゴールドじゃなくて、都市通貨のゼノスですよゼノス。初回オークションで出たのが、部位ごとの肉塊で三部位。あやうく豪人院の研究機関に買い占められそうになってちょっと焦りましたけどね。あ、当然、全部うち・・で買い占めましたよ」

 一瞬、何の肉か、と浩一は眉をひそめた。

 大抵、研究用でもないモンスターの肉に高値はつかない。

 だからオークションが開かれるのは外のモンスターでも貴重なモンスターのものや、前線で軍人を多く捕食したモンスターなどである。

 それ以外には突然変異のモンスターなどがオークションに出品されたりするがここまで高価なものはあまり聞いたことがない。

「幼龍でも出たか? いや、俺に縁がある?」

「そうです。浩一にも縁があるお肉ですよ」

 アリシアがうち・・というのは、アリシアの生家であるトロファンス家ではなく、ハルイド教の教団本部のことだろう。

 自前のモンスター捕獲部隊を持っている教団本部がなんでまたオークションに、というところで浩一は気づいた・・・・

 それはつい最近嗅いだばかりの血の臭いだ。

 ああ、そうか、と浩一は納得した。

 相手が学生とはいえ、強い生き物を潰して喰べて回ったモンスターがいた。

 ハルイド教の教義に当てはめるならば、極上の肉を持ったモンスター。

 浩一がつい一週間前に戦ったモンスター。

「ミキサージャブ、か」

「浩一が綺麗に殺してくれたので助かりました。特に欠損もなく加工場に運ばれたそうですし、オークションも久しぶりに白熱しましたよ。うふふふ」

 敗者・・はこうなる。あの悪夢そのものだった生き物も、一度命を失えば骨までしゃぶりつくされる。

 寂しさは感じない。浩一はミキサージャブがどれだけ強かったかを知っている。

 あの戦斧の重さは一生忘れない。この記憶は色褪せない。

「しかし、ダンジョン内で死んだのに統一通貨ゼノスでか? 普通は学内優先のゴールドの方だって聞いたが」

 浩一の疑問には、焼かれる肉の臭いに嫌そうな顔を浮かべたアリシアス・リフィヌスが馬鹿にするような口調で答えた。

 アリシアと同席していることが心底嫌そうな表情だった。

「どうせそこの小娘が所属する宗教団体の横車ですわ。アーリデイズ学園は四鳳八院が掌握してますから、学外のオークションに流せなければ、競り落とせませんもの」

「その割には心臓と右腕まるごと、右目に脳の一部をオークションの前に奪ったみたいだけど? 卑しいとは思わないの、四鳳八院けんりょくしゃ?」

「わたくしの管轄ではありませんわ。それよりも政治力の欠如を悔いなさい。肉食獣ハルイドはただでさえ脳が足りないのですから」

 なにを、とアリシアが立ち上がりかけるのを手を上げて制する浩一。

「やめろ。大体どうして落ち着いて話をする場で肉の臭いを嗅ぐ破目になる?」

「あれ、落ち着きません? 血と肉の臭み」

 アリシアの悪意の一切ないきょとん・・・・とした仕草は、流石に歳相応の少女のもの。

 それを見て、浩一とアリシアスが同時にため息をついた。

 店主の老人が疲れた顔をして、肉の塊の乗ったステーキプレートを持ってきたのは、その数分後のことだ。


                ◇◆◇◆◇


 価値を理解できないものには永遠にその価値がわからないような、目立たずとも趣味はよく、主張は少なくとも品の良さが感じられる高級品が店内には要所要所に置かれている。

 技量確かな職人が手作業で製作した柱時計。

 目立たず、されど陰鬱ではない場所に置かれ、緩やかなクラシックを奏でる無人の漆黒のピアノ。

 なんらかの魔力スキルが込められているのか、それとも設定した調律師の技量なのか。

 聞かないでいようと思えばいくらでも無視できるピアノの音色は、聞こうとする者には深い音と確かな旋律で聞くものの耳を楽しませる。


 ――はずなのだが・・・・・・


 今現在、店内には強い食欲をそそるだろう肉の臭いが充満していた。

 だがそれは店主が心を尽くして作り出した調和を完全に破壊する強い獣の臭いだ。

 死してなお強さと警戒を抱かせるだろうミキサージャブの肉。肉食の獣が持つ、獣性・・が籠められた肉。

「せっかくの紅茶が……」

 小さく呟くアリシアスの手元では、本来ならば香りの豊かさで飲む者の舌と鼻を楽しませるだろう紅茶が、獣の臭いによって、その本来の価値を半分以下に減らしていた。

 味オンチとも言うべきか、戦いにかまけて食生活を疎かにしている浩一には我慢できるようだが、アリシアスには我慢がならない。

 いや、我慢する必要があるのか、とアリシアスは傍らの浩一をジト目で見つめた。

 自分アリシアスともあろうものがずるずると天敵アリシアを連れた浩一についてきたのは、今後の自身の行動を浩一とともにするか、監視に努めるべきかを決めるためだ。

 浩一が望むなら、否、浩一がアリシアスの望むものを見せてくれるのならば、自身とパーティーを組ませ、今後はいろいろと面倒に巻き込むつもりではあったが……アリシアスは何かとやることの多い身の上だ。

 前回はミキサージャブのために多くの時間を与えたが、そもそも特定の個人に与える時間をアリシアスには持っていない。


 ――リフィヌスに対しても、恩という免罪符はもう通用しないだろう。


 それに浩一はきちんと戦果を上げ、それをアリシアスに示して見せた。

 アリシアスも力を尽くし浩一を支えた。

 以前に交わした誓約は果たされている、と考えていい。

 この程度の奉仕では、アリシアスの命の価値には到底吊り合わないが、B+ランクにSランクを倒させた・・・・事実は周囲を納得させるのに十分だろう。

 浩一は果たした。区切りとしてはちょうど良い、誓約は終わりだ。

 アリシアスだけが未だ誓約と戦果が釣り合っていないと思っていたが、どこかで区切りをつける必要はあった。

 だから当分は豪人院の火神浩一解剖要求を跳ね除けるなど、裏から浩一への援助は続けていくことで帳尻をあわせていこうとアリシアスは考えている。

 今回は、それとは別にアリシアスが今後浩一とパーティーを組むか組まないか、それを今から決めようと思っていたのだが……。

「マスター、おかわり」

 ジュクジュクと熱い肉汁が熱した鉄板の上で蒸発していた。

 店主が作ったのだろう、香油と香草と肉汁で作られたソースが食欲を誘う香りを発している。

 熱せられた鉄板の上に乗っている分厚い肉がミスリルのナイフで一口サイズに切られ、ミスリルのフォークで貫かれる。

 フォークに貫かれた一口サイズの肉塊が向かう先は小さな口を大きく開いたアリシアの元だ。

(馬鹿面ですわね……)

 それを浩一はコーヒーの追加を頼みながら見ていた。

 呆れたような、諦めたようなその表情。

 それはダンジョンに篭もり、戦意に狂していた男の顔ではない。

 アリシアス自身、今の浩一を見ても特に心に熱は浮かんでこない。


 ――灰をかぶせたような、熱を隠した火種は残っているが……。


(そう、ついていく意味はありませんわね。少なくとも、今は・・

 そう、そうなのかもしれない。

 時期ではないのだろう。今の浩一に期待するべきものはない。

 それに、少しだらだら・・・・しすぎた。アリシアス自身がやらなければならないことの期限が迫ってきている。

遺書・・には……浩一様のことを書いておきましょうか)

 とはいえそれが無駄になるように、当面は自身のやるべきことを進めなければいけない。

 狂人ゼリバ・ライゴルについての調査もある。あの男のクランメンバーや、母親の件は徹底的に調べなければならないだろう。

 誰に殺されたか、ではなく、どうやって殺されたかを。

 相手方から動いたのだ。調べる価値はあった。

「アリシアス、どうした」

 浩一から問われる。今の不機嫌が顔に出ていただろうか? アリシアスが浩一相手に首を横に傾げて見せれば、浩一は苦笑してみせた。

「どうしたって、聞くほどでもないか。雰囲気が台無しだもんな。だが、ハルイド教徒相手に肉を喰うなとは言えんしなぁ」

 やはり機嫌が外に出ていたらしい。自分らしくない失態だとアリシアスは思う。

(どうしても浩一様と一緒にいると、感情が抑えきれないようですわね)

 だが、浩一の考え違いは直しておくべきかとアリシアスは少し悩む。

 アリシア・トロファンスは、浩一が思うような平和な子供ではない。

 ハルイド教と呼ばれる学園都市有数の政治勢力の幹部で、なによりアーリデイズ学園より格が落ちるとはいえ、学園都市アーリデイズ四大校のひとつ、ジェリハウハズの学年十六の主席だ。


 ――主席は馬鹿ではなれない。


 成績の良さと知能はつながらないなんて妄言をアリシアスは信じない。

 学園都市の成績は生存能力と直結している。

 主席は天才であるとは言わないが、馬鹿は主席になれない。そう信じる程度にはアリシアスは学園都市の制度を信用している。

 無論、主席が殺された化け物ミキサージャブに浩一が勝ったから、浩一は主席と同じ程度の能力を持つとも考えない。

 火神浩一という存在は計算の外にいる。アリシアスは、その矛盾を人間らしく分別して考えることができる。


 ――火神浩一は特別スペシャルだ。


「驚いた」

 無言でアリシアスは浩一から視線を外し、アリシアを見た。

 肉の塊を切り分けていたナイフをぶらぶらと揺らしながら白い少女はアリシアスに素直な驚きを向けている。

「アンタもそんな緩みきった、人間的な感情を垂れ流すんだ」

「貴女はわたくしをなんだと思ってらして?」

「四鳳の犬。冷血魔。人でなし。肥溜めのクソ虫」

 言いながらフォークに肉を突き刺し、それを上品に口に運び、もにゅもにゅと上品に噛み、飲み下してからアリシアは嘲笑を浮かべた。

「アンタは、いや王護院おうごいん心護院しんごいん戦霊院せんれいいん獄門院ごくもんいん天門院てんもんいん、あと聖堂院せいどういん、ああ、今はリフィヌスね。その六つの糞どもは私たちを嫌ってる。いいや、敵視してる。それはハルイド教が」

「超人思想を持っているから? いいえ、違いますわ。四鳳八院とは別の思想を維持したまま、学園都市内で一定の勢力を保っているから、ですわね」

 話を切ったアリシアスにアリシアは嘲笑を深め、いいや、と首を振る。

 浩一が二人の話に嫌な顔を浮かべる。俺を政治に巻き込むなと渋面が物語っているが二人の少女は気にせずに言葉を交わしていく。

 アリシアが振るう三叉のミスリルがじゅうじゅうと焼ける肉に突き刺さり、肉汁が飛ぶ。

「違うでしょ、リフィヌス。ハルイド教が、多くの人間に人間以上の戦力をローコストで与えられるから四鳳は嫌がっている。だから私たちの活動を制限したがる。だから分家以外の、八院本家にはハルイド教のスロットを入れさせない。汚染させない」

「それだけでもないのですけれど……確かにそれも一面を突いてますわね。わたくしたちが自ら鍛え上げた技術を他の成熟しきった技術とすり合わせるのは面倒ですもの」

「既得権益の話? いいじゃない。一緒に研究しましょ。きっと楽しいわ」

 けだものどもに今以上に血を流させられる、とアリシアが野蛮な笑みを浮かべた。

「浩一もそう思いませんか? きっと楽しいですよ。私と一緒に戦いましょうよ?」

 アリシアはアリシアスから視線を逸らして浩一に流し目を送った。

 そこに浮かぶのは歳相応とは言えない艶だ。それに今まで少女に抱いていた認識を狂わされ浩一の表情に動揺が混じるが――

「絶対に嫌ですわ」

 ――断絶を含んだその声に頭を冷やされる。

「ハルイド教徒と共に利権を探るなんて、とてもとても嫌ですわ。それがわたくしの損に繋がるのなら、なおさらのこと」

 アリシアスの浮かべる表情は嫌悪そのものだった。

 声に込める不快を強め、青の少女アリシアス白の少女アリシアを嘲笑うように言い切った。

「お前たちは所詮、自分のことしか考えない狂った獣。家のことも、教団のことも、隣に立つ戦友のことすら考えない。よろしいですか? わたくしが、お前のようなハルイド教徒を嫌いなのは、お前たちが自分だけの利益のためだけにしか動けない、人から外れた獣だからですわ」

 聞かされたアリシアは機嫌良く微笑む。

 フォークを突き刺した肉をソースに絡めながら、肉の香りに機嫌を良くする。

「そう? でも、私は、自分で自分の利益も確保できない愚図のために私が動くのは心底嫌。自分で自分を護ることもできない愚図を身体を張って護るのもとても嫌……でもねぇ、なにより嫌いなのは。自分のことを棚にあげて、他者の持ってる自身の気に喰わない点を、さも欠点を見つけたのかのように突つきまわるお前のような阿呆を見るのが一番嫌」

 少女たちがにらみ合う。殺意と殺意が絡み合う。

 数秒だろうか、数分だろうか。まるで時が止まったかのような沈黙の後。

「浩一様」

 あ、ああ、と呆然とコーヒーカップを片手に呆けていた侍に、アリシアスはやわらかく微笑んで見せた。

「貴方様とそこの肉を喰う獣にどういった接点があるのか気になっていましたが、この場の臭気には耐えられませんわ」

 申し訳ありませんが、今日はこのあたりで、と小さく頭を下げアリシアスは立ち上がる。

唯我独尊アリシアス

 いつの間に食べていたのか、最後の一切れを口に頬張ったアリシアが鎧の隠しポケットから一通の書状を取り出し投げた。

「治安維持の方の仕事でね。以前の質問の返答らしいから受け取っとけば?」

 アリシアは浩一だけではなく、自身にも用があったのか。

 どうりで自分たちの関係を探らなかったわけだとアリシアスはそれを受け取った。

 そして紅茶とコーヒーの代金を店主に支払うと、アリシアスは浩一にのみ会釈をし、店から出て行った。

 老店主の小さな礼と、アリシアの咀嚼のみがその場には残る。


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