聖女は獣の血肉を貪り(1)


 アリシアスにとっても世界は広いものだ。だが、ときおり突然狭くなる。

 アリシアスが、これからも浩一と共に行動するべきか、それとも監視を張り付かせるだけに努めるべきかと悩んでいるときに、それ・・は現れた。

浩一・・、お久しぶりです」

「ッ、なぜ…・・」

 あまりに意外な人物の登場に、アリシアスは小声でらしからぬ・・・・・声を上げてしまった。

 絶対にこんな場所――アーリデイズ学園の正門――には現れない人間が突然出現したのだ。


 ――それは、アリシアスにも劣らぬ怪物が一人。


 アリシアスよりも頭ひとつ小さい身長の美少女だった。

 白く艶のある長い髪、そして所持するしき属性である『白』属性が強力なのだろう。

 白目と同化してるのかと見間違うほどに異様なほど白い瞳・・・

 手足は触れれば折れそうなほどに細く、しかし不健康そうな印象は受けない。

 発達途上の、庇護欲をそそる少女の形を見事に成している。


 ――なんと見事にもか弱そう・・・・に擬態しているのだろうか……。


 彼女の造詣の完璧さと、身体的成長の未発達な少女のアンバランスさが見るものの保護欲を増大させる。

 本性を知りながらも造詣の見事さに幻惑され、くらくらとする額をアリシアスは抑えた。

 これだから度を越えた美形は嫌いなのだと自分も同じようなものなのに、棚に上げて考える。

 しかしこの少女はアリシアスをしてこの世に小さな女神が降臨したかのような印象を抱きかねなかった。

 衆愚ならば見ただけで尊崇と信仰を抱きかねない美少女・・・である。

(だが、アリシア・トロファンスともあろう者が――なぜここに……)

 白一色の少女は光り輝く白銀のドレスアーマーを身に纏い、自身の身長ほどもある大剣を背に、アーリデイズ学園の入り口に立っていた。

 そしてその目は火神浩一を一心に見つめている。まるで恋する乙女のような熱い視線。

 その有り様にアリシアスは思わず、自身の隣に立つ侍を鋭く見るが、そこに困惑はない。どうやら知り合いのようだった。

 だが浩一は一目で嫌そうだとわかる顔を浮かべていて、アリシアを歓迎しているようではない。

 アリシアスはほっと息を吐く。

 更に言うなら浩一はアリシアスとアリシアについて何も知らない様子だった。

 正確にはアリシアス達四鳳八院とアリシアが所属する『ハルイド教』との関係を、だが。

(そう、そうですわね。浩一様はそのような策を図れる人物ではない)

「アリシアか。久しぶりも何も、一ヶ月ぐらい前に会ったばかりだろ。何のようだ? というか、他校に入ってくるな」

 立ち止まった浩一の懐に近すぎるほどに近づいたアリシアがむーっと眉間に皺を寄せる。浩一のつれない態度に憤慨しているらしい。

 よく出来た人形のような造詣に、生命を吹き込んだかのような生き生きとした変化がそこにはあった。

 仕草からして魅力的な少女。

 学園都市の万人に尊敬される『ハルイド教』の聖女、『白騎士』アリシア・トロファンス。

「学校には入ってないですし、そもそも入ってても問題はないですよー」

 浩一は、白色の少女アリシアの姿を嫌そうに見てからそりゃ、そうだが、と渋々引き下がる。

 彼はそれでもと、学園は軍事施設のひとつであるため存在する、校門脇にある詰め所に視線を向ける。

 ただの落ちこぼれ学生である浩一には仏頂面でしか応対しない衛兵はアリシアに対してガチガチに緊張していた。

 アリシアスを迎える時も衛兵はそれなりに緊張した素振りではあったが、アリシアに対する緊張度合いが度を越していた。

 アリシアスもその様に納得はできないが、理解はしてやれる。

 アリシアスに対しては慣れもあるが、学園都市の市民としての性質が出る。

 四鳳八院はその存在からして一般人とは違う。身分制度の最上級と相対して平素のままでいられる人間は少ない。

 とはいえアリシアスは政府の、体制側の人間だ。

 ただそれだけで他者を安心させる空気を纏っている。故に衛兵を必要以上に緊張させることもない。

 だがアリシア・トロファンスに対しては、尊崇・・。その一語で済む。

 学園都市に蔓延している超人思想、超人主義、その最極たる『ハルイド教』。

 アリシア・トロファンスがその中でも特別たる聖女であれば、その反応は当然だった。


                ◇◆◇◆◇


 同盟歴307年。人類の初期の改造理論である、人間に怪物の肉体をたくさんつけて、人の姿を捨ててでもとにかく強くすることを目的とした『超人研究』は度重なるモンスターとの敗北によって、世界各地で衰退を余儀なくされた。

 しかし完全に捨て去られたわけではなかった。

 同盟歴1456年の四鳳八院の祖、鳳閑の事例が出るまでの間、超人研究に代替できる画期的な理論を持たなかった人類は、超人研究を何度か研究し尽くす必要に迫られた。

 超人のメリットを極力残し、しかし人体ベースは限りなく残す手法や、発狂しない超人を作製するためにそもそも人間の精神を持たせない手法……機械補助……魔力そのものを肉体とする方法などなど。

 超人研究の末期において、人道というものは存在しなかった。

 強さを貪欲に求める四鳳八院がその研究を完全に過去のものとしなければならないぐらいに。

 閑話休題はなしをもどす。そして超人研究の他にも、様々な研究は行われた。

 銃を始めとした重火器類の改良や、発見された魔力なる因子の効率的な利用方法、モンスターの使役を含めた、あらゆる全てが超人研究で戦線を保たせている間に行われた。

 外界と体内の魔力を操ることで様々な現象を起こす『魔法』や今では前衛戦士に必須の『オーラ』の基礎はこの時期に蓄積されたと言ってもいい。

 そしてハルイド教の歴史において決定的だったのが同盟暦1207年のことだ。

 一人の天才が世に出た。

 名をウィリン・ハルイド。この世界において、『不老不死』の性質を得ることに成功したただ一人の人間。

 現在、学園都市に蔓延するハルイド教と称される超人思想・・・・の発案者。

 現在では宗教家にして思想家とされている彼だが、もともとは研究者だった。

 天才と称された彼は人を超えることを望み、数多のものを作り出した。

 彼の研究で当時の人類は躍進を何度も遂げた。彼は褒め称えられ、ありとあらゆる名誉を手にし、歴史書に何度も名を残した。

 それでも彼は止まらなかった。研究に次ぐ研究。新しい技術。新しい武具。様々なものを創りだした。

 その中には当時未だ軌道に乗っていなかった、人工スキルを人間に与える『スロット』の基礎開発も含まれている。

 彼は数多の研究成果を世に残し、その晩年、死の間際に一匹のモンスターを口にしたとされる。

 人類を超越する生命力と再生能力を持つ怪物。悪食に次ぐ悪食、存在しない寿命、死なない怪物・・・・・・

 海を超えた中国大陸に存在するSSランクの上位ランク、脅威度測定不能のEXエクストラランクモンスター、『ベヒーモス』の皮膚。

 今でさえのモンスターの身体から剥げ落ちたそれは貴重品である。

 モンスターと互角ですらない当時では何を言わんや、しかし何の奇跡か研究か、貴重品であるそれを彼は手に入れ、砕けないはずのそれを噛み砕き、彼はそれを食べた・・・

 食べ、不老不死とされる概念を手に入れた。

 彼は死ななくなった。死なず、老いず、不老不死という幻想・・を身に纏うことになる。

 死ぬはずだった人間が甦る。数多の奇妙な研究の存在する学園都市では珍しいことではない。

 青属性を始めとして、奇跡のような薬剤研究も始まっていた。死者の蘇生は不可能だが死にかけの人間を復活させるぐらいはできるのだ。


 ――だが不老不死はありえないとされていた。


 故に百年をかけて人々はウィリン・ハルイドを疑い、二百年を経て人々は認め、三百年を超えてそれは信仰へと至った。

 これこそが超人思想を基幹としたハルイド教の始まりである。

 そしてハルイドが世に送り出したものこそが、ハルイド式スロット『概念がいねんぐい』。彼が彼自身のために創り出したそれは、適正の合わない人々にとってはモンスターの性質をほんの少しだけ得られる程度のスキルに過ぎなかった。

 しかし人類はこのスロットを脳に埋め込むことにより、モンスターが持つ皮膚の頑丈、膂力の強弱、精神の強固などの特性を、モンスターを食べることで少しづつそれらを得られるようになった。

 炎を纏う、水中で生きる、などというものも、生まれてからずっとその特性を持つモンスターを食べ続けることで得られることができるようになる。

 この成果をしてウィリン・ハルイドの名は永劫のものとなった。。

 そして不死の研究者を信仰する人間たちによって荘厳そのものの研究所しんでんが都市内に建てられる。

 ハルイド教総本山研究所『不死の聖殿』。

 周囲の土地は買い上げられ、ハルイド教の区画と化し、四鳳八院ですら介入できなくなった都市区画。

 人々は熱病のようにモンスターを捕らえ、食べ続けた。

 人々は熱狂し、新たな超人たちが数多く生まれた。

 だが、死んだ・・・。ハルイドの超人達も、かつての超人研究と同じく、また短命であった。

 モンスターを食べること、超人であり続けること。

 天才たるハルイドが生み出した法則は凡人には重すぎたのだ。

 ハルイドは何も語らなかった。

 ただ嘆き、『概念喰』に耐えられる精神と肉体を育むための教義を創りだした。

 それこそが理念スキル『ハルイド教』であり、スロット『ハルイド教秘儀実践』。

 二つしか存在しないスキルスロットに『概念喰』と『ハルイド教秘儀実践』の両方を埋め込むことで彼らは仮初の超人となることができるようになった。

 しかしスキルに耐えるためのスキルを作りだしたことを恥じ、以後、ハルイドは人前に姿を現さなくなる。

 だが当時の信者たちの宣伝、鳳閑式の身体改造が未だ生まれかけというべき土壌もあり、ハルイド教は広がり、今もなお、学園都市に根付いているのだった。


                ◇◆◇◆◇


 浩一の前にいる白い少女、アリシア・トロファンスもハルイド教の一員だった。

 彼女は隠遁したハルイドからスロットを直接授けられ、ハルイド教史で初めて魔力そのものを生命とする『精霊種』を喰べたハルイド教の聖女である。

 にこにこと、高ランクの人間特有の人間的でない美貌に笑顔を貼り付けて浩一を見ているその様は、先の王護院おうごいん天上てんじょうたちのものと違い、その理由がわかっているために浩一には受け入れがたいものだった。

 先ほどの四鳳八院の笑みは争いを発生させないための営業用の笑み。

 この少女の笑みはただただ闘争を望む獣の笑み・・・・だ。

らんぞ。絶対に」

「またいつもの言い訳ですか? というか聞いたよ聞いた聞きましたよ! ハルイド教は浩一の話題で持ちきりですよ!」

 『白騎士』ハルイド教の聖女たるアリシア・トロファンスはとろけるような笑みを浮かべていた。


 ――それは火神浩一がミキサージャブと戦うことを決意したときのものと、同質の笑み。


 月下残滓は会長室から出た時点で腰に佩いている。回復薬もある、いざとなればアリシアスもいる。

 美貌をだらしなく崩し、へらへらと蕩けた笑顔を見せるアリシアの口元はまるで裂けたかのように歪んでいる。

 アリシアから無言の脅威を覚え、さて、どうするべきかと悩む浩一に、背後からアリシアスが困惑を込めた声で問いかけた。

「あの、お二人はどういったお知り合いなんですの? それ・・が浩一様に接点のあるモノとは思えないのですが?」

「げッ、リフィヌスッ!? なんでいんのアンタ?」

 あ、と浩一が説明する間もなく二人は緊張状態になる。

 アリシアスは誰とでも相性が悪いが、止める間もなく緊張状態になるのは浩一にとっては初めてだ。

 そういえば、と思いなおす。迷宮での食事時に、ハルイド教についてあまり好意的でない見方をアリシアスはしていた。

 その関係かもしれない。

「『白騎士』の二つ名を持つ最年少Sランク。歴代最高の出力を持つ、概念増幅の色属性『白』の保持者。治安維持特別学生課課長。そして忌々しいモンスター喰いのハルイド教において、聖女なんてくだらない渾名を付けられた度外れた戦闘狂」

 ご丁寧にアリシアスが少女の経歴を教えてくれるのは少女について浩一が無自覚なまま接していると思ったからだろうか。

 いや、そうであったらどれほどいいだろうかと浩一も思う。

 自身よりも身長の低い白髪白瞳の、小さな女神が降臨したかのような美を誇る少女は、アーリデイズ学園を含む、学園都市アーリデイズ四大学園のひとつ『ジェリハウハズ』の学年十六の主席だ。

 無論、歳相応ではない。未だ十四歳でしかないこの少女は飛び級を二度行っている。そのうえでの主席なのだ。

 そして公式戦技含めたSランク。浩一は強者に挑みたくなる性質を持っているがアリシアのことは知りすぎているがゆえに、その性質を今は押し潰すしかない。

 この少女とはそれだけ力量が離れている。すでに・・・知っている。浩一は理由もなく負け戦をする趣味はない。

「へぇ、何、アリシアス、アンタ? ミキサージャブとかいうミノタウロスのたかが亜種に殺されかけて、ご立派な邸宅でぶるぶる身体抱えて震えてるかと思ってたんだけど? 意外に元気じゃない? 面の皮だけは厚いもんねぇ?」

 浩一に対する口調とは全く違う白のアリシアの嘲るような口調。

「汚物でもなんでも食べるけだものに、人の知恵を期待するのも無意味というものでしたわね。あら、すみません。人の言葉を理解できますか? もしもーし? 辞書は読めますか? 無礼という言葉の意味は? ああ、辞書を引く知恵もないのが家畜というものでしたわね。ごめんなさい。むずかしい言葉で話しかけてしまって。わんわんきゅーん。どうですか? わかりますか?」

 だからどうして俺の前でお前らは誰彼構わず喧嘩を売るのだ、と浩一はアリシアとアリシアスに呆れた視線を送りたくなる。

 さて、挑発に耐えきれなかったのはどちらが先か。

 アリシアはぴきり、と額に青筋を立て、口角をいびつに釣り上げると嘲りのままに侮蔑を放った。

「敗残者」

「汚物処理機」

 間髪入れずにアリシアスが返答した。その手が腰の杖に寄せられた。

 アリシアも背中の大剣に手を添える。

(アリシアス、珍しいな……)

 どうにもアリシアスに珍しく、その行動に嫌悪が先立っていた。

 互いにSランクとはいえ、近接特化の騎士専攻科のアリシアと、回復職のアリシアスではアリシアスに分が悪いはずだ。

 浩一は初めて後先を考えず・・・・・・、感情的に罵倒を口にするアリシアスを見たが、このままではいけないだろう。

 詰め所の衛兵もなにやら慌ててPADに手を掛けようか迷っている。

「あー、落ち着け二人とも。とりあえず立ち話もなんだ……落ち着いて話ができるところにいくぞ」

 浩一は、なぜランクが一番低いはずの自分が止めなければならないのか。それが不思議でならなかった。

 そこの衛兵などA+ランクなんだぞ?


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