アリシアス・リフィヌス(2)
激戦の跡地にたどり着いたアリシアスは服が汚れるのを厭わずに地面に直接座ると、倒れた火神浩一の頭を膝に乗せた。
闘った男。勝利した男。不可能を為した男。火神浩一。
「―――彼のものに神の祝福を。『快癒』」
溢れそうになる感情を自制によって抑え、アリシアスは傷だらけの浩一に治癒の神術を祈る。
同時に浩一の全身を輝かんばかりの『青』属性で覆っていく。
この程度の傷、浩一に提供した最高品質の回復薬である『青の恩恵』ならば三秒もかからずに癒せるが、あの薬は目立った副作用を持たないかわりに、非常に無粋だというデメリットがあった。
「怪物を倒した勇者には、乙女の膝枕が伝統ですものね」
ふふ、とアリシアス・リフィヌスにしては珍しく、本当の微笑みを浮かべ、彼女は浩一の額をそっと撫でた。
治癒には適さないこの姿勢。
本来ならば転移で呼び出せる医療用ベッドの方が適している。
それでも、アリシアスは浩一に自身の膝を貸したかった。
『至高なる看護』なんて仰々しくも馬鹿馬鹿しい名前のついたこれは、神術師の発足に多大な貢献をした、古の神術師が戯れに自身のパートナーや当時の偉大な英雄に行っていた行為が神格化、伝統と化したものだ。
特に強制されるものでもない。
神術師や治癒技能を持つ生徒や軍人が、尊敬できる人物や戦いの際に、心から治癒を行いたいと思ったときに行うものである程度のもの。
無論、技量の不確かなものが戯れに行ってよいものでもない。
治しきる自信のあるものが、治しきれると、治しきると確信した際にのみ行うものでもある。
だからか、実際にこの様式が有難がられるのは行うものがAランクを超えてからになる。
――アリシアスにとって、これは初めてだった。
過去に、街で浩一に
アリシアス・リフィヌスが本気で行いたいと思ったのだ。
死闘を潜り抜けた火神浩一に対して、今は意識を途切れさせているために、膝枕でも、ベッドでも変わらぬであろう彼に対して。
――この行為は浩一のためではない。
結果を残した、力を示した、無力でないと咆えた男に対して自身が示せる最大の敬意を表すのは、アリシアス自身のためだ。
胸の熱。それが囁くのだ。アリシアスに。
(四鳳八院の伝承……本当に、馬鹿馬鹿しい……でも、そうも言ってられないですわね)
ぼうっと空を眺めた。白い天板の張られた天井だ。
眺めながら、アリシアスは自身の宿命に想いを馳せる。
アリシアスの顔に、苦笑と苛立ちの介在されたどうにもならない表情が自然と浮かんだ。
どうしようもなくなって頬に手を当てる。冷えた手が頬に気持ちが良く、ぺたりぺたりと確かめるようにして何度か触れた。
――きっと自らが死ぬのだとしても……。
なぜこんな最期の最期に、欲しいものができてしまったのだろうと、ほんの少しの後悔が浮かぶ。
「ほんとう、全てが全て、思い通りになる世界だったらどれほど楽なことでしょうか……――ねぇ?」
そうして完全に表情から感情を消すと、傍らの魔杖『リベァーロンの腕』を掴み、杖先を地面へと叩きつけた。
アリシアスの背後に強力な結界が発生したが、何かがぶつかる音と共に、結界が消失する。
次いでアリシアスは振り向きもせずに首を横に傾け、己の首を狙った一撃を見ることなく回避していた。
「貴方は……いえ、貴方様は本当に、人と人の流れ、人が抱く感情を理解できないのですね」
「あ、あ、ああ、アリ、アリ、アリ、アリシアスッ。アリシアス・リフィヌスッッ!!」
アリシアスの背後には男がいた。
はぁはぁと荒い息を吐き出し、アリシアスを見下ろす男、ゼリバ・ライゴル。
あの商店街の一件の後、リフィヌスが捜索するも完全に姿を消していたクラン『黄金騎士連合』のリーダーの姿がある。
アリシアスの首筋一センチの距離に、黄金剣の刃があった。
ゼリバが腕に力を込め、剣を横に振るうだけでその細く、人形のような首を叩き落すことができる。
◇◆◇◆◇
――アリシアス・リフィヌスを殺すことができる。
ゼリバの胸中にあったのはそれだけだった。
だが、ここまでこの致命の距離にまで近づいた今なら、確実にSランクをAランクが打倒できる。
ゼリバの顔面には勝利の歓喜が溢れている。
だがアリシアスの表情は変わらない。死を首筋に当てられているも同然の距離。
首を横にこてんと傾けたまま、アリシアスは火神浩一の頭を優しく撫でていた。
そうして、
人形のような顔に親しみは一切ない。蒼い目に宿っているのは冷たい殺意だ。
――ゼリバの肉体に、寒気が走る。
「ダンジョンで、人を殺した場合。どうなるか理解していますの?」
「う、うるさいッ。うるさいうるさいうるさいうるさいッ。貴様はッ、貴様がッ、貴様のせいでッ」
「わたくしのせいで?」
言葉に込められた力だけではない。アリシアスに突きつけた刃を伝い、寒気が、怖気が、危機感が昇ってくる。
刃に力を込めようとしたゼリバの腕からぞわりと汗が噴出する。
アリシアスから伝わってくる威圧のせいだ。首を、首を落とさなければ、首を。
「わたくしが何を? ゼリバ・ライゴル様。具体的に教えてくださいませんか?」
名前を……覚えられている……!!
「ッ。おまえが、俺のッ。俺の仲間を殺したッ。お前に会ってから俺は破滅したッ! ぶっ殺すッ。殺してやるッ! 殺しッ。ああッ、糞ッ!!」
「ふふふ。まぁ、どうでもいいですわ。ええ、ゼリバ・ライゴル様。貴方様は本当にわたくしの楽しみを中途で終わらせるのが大好きなようですもの。忌々しいハルイド教曰く『強運は魔王を小石で殺す』。貴方様がわたくしにとっての小石ですわ」
ふふ、とアリシアスは小さく嗤うとPADの操作で小さな枕を転送し、膝の上に乗っていた火神浩一の頭をそっと移した。
ゼリバに向ける殺意とは全く違う、赤子を扱うかのような慈愛に満ちた姿。
唯我独尊の名で呼ばれる修道女は、首筋の刃がないかのような所作で立ち上がると杖を手に持ちゼリバと向き直った。
――剣は動かせなかった。
あまりに自然に行動するものだから、ゼリバには留める言葉がなかった。
いや、留める気が起きなかった。ゼリバの腕は一ミリたりとも動かすことができていない。
ゼリバの気迫、殺意は自身の危地から起きたもの。
ならば、それ以上の危地を目の前にして何ができようか。
恐怖から起きる蛮勇は、それ以上の恐怖を目の前にしたとき、なんら力を持つことはない。
――ゼリバはそんなことにも気づいていなかったが。
「それで……ああ、いえ、よろしいですわ。貴方様から聞きだすなど、路傍に落ちた銅貨を拾うも同然の卑しい行いですもの。飢えた匹夫のような行いなど汚らわしくできませんわ」
「な、何を、おまえ、何を見て? 俺を通してッ、俺の向こうに何を見てるッッ!?」
ゼリバの言葉にもアリシアスは薄く嗤うだけだ。
その蒼い瞳にゼリバは映っている。映ってはいるが、その言葉や意思を誰に向けているのか。
この間の悪い男、ゼリバ・ライゴルには何もわからなかった。
◇◆◇◆◇
火神浩一とミキサージャブの激闘があった場、地面が抉れ、土や小石が吹き飛び、草が根を晒して散らばる場に、少女と男が対峙していた。
アリシアスはアリシアスなりにこの男を見ていた。
この何もかもタイミングの悪い男を。
――ゼリバ・ライゴル。この男は危険だ。
「それで、何をしますの? 果し合い? 決闘? 殺し合い? ああ、無難に無残に殺し合いがよろしいですわね。自殺させるなら言い逃れもできますけれど。殺してしまえば流石にわたくしも罪を問われますもの。ふふふ、それが目的かはわかりませんが、神の見えざる手で踊ってみるのもまた一興。主導権は常に
「だから、何を言ってるッ! 誰に何を言ってんだッ。俺は、俺はここだぞッ。アリシアス・リフィヌスッ! 俺はここにいるんだぞッ! 俺は、俺がッ。お前を殺すんだッ!!」
アリシアスはくすくすと嗤う。
アリシアスの言葉の意味がわかっていない男に、アリシアスなりの優しさを向けていたというのに。
今からアリシアスが殺す男に手向けの花を与えてやっているというのに、相も変わらず何もわかっていない男に。
殺す事情を、話さないなりにヒントを与え、既に事態はゼリバ・ライゴルには手の届かない場所に推移している事情を教えてやっているというのに。
理解の欠片も向けないことをあざ笑いながらも、だからこそ、手ずから殺してやろうと思ったのだとアリシアスは改めて理解を得た。
この男は、この場で
放置しておけば、アリシアスは致命的な場で足を掬われるかもしれなかった。
ああ、そうだ。ゼリバは跳ね除ける価値のある小石だ。あらゆる全てが評価できなくとも、その一部分のみに、この男を殺害する意味はある。
「ええ、ええ、わかっていますわ。ゼリバ様。貴方様の武器は、殺意を乗せる刃は、黄金剣グライカリバー。その黄金の刃から射出される死の斬閃は、触れるもののことごとくを切り裂く飛ぶ刃。そして貴方様の鎧、纏う黄金、彩りの豪奢さ、名を
「ははッ、はははッ! あ、ああ、俺はお前を殺すぞ。今度はそこで呑気に寝ている侍の邪魔は入らねぇ。ここには俺とお前、ただ二人だッ。ここで、俺はお前を殺すんだッ!!」
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