ハスターク その11

 クロエのその顔は、その場にいた二人の動きを止めるのに十分な効力を持っていた。彼女は普段無表情の場合が多いため、横にいるベルの美しさが取りざたされることが多いが、彼女自身もそこらの少女たちとは比べ物にならないくらい可愛らしい見た目をしている。


 そんな少女が頬を染め、瞳を潤わせながら笑みを浮かべているのだ。その笑顔に惹かれない者はいないだろう。

 しかし、そのような隙を見逃すクロエではない。


「~~♪」


 笑みを浮かべたまま、鼻歌まで歌っているクロエは先程よりも鋭くなった蹴りを男に打ち込んだ。

「……っ!」

 今度は男の防御は間に合わず男の腹に刺さる。クロエはそのまま男の顔面を殴り飛ばすと、回し蹴りを側頭部に叩き込んだ。


「あははははははははははははははははははははははははははは!!!!」


 クロエは吹き飛ばされた男の頭を掴んで地面に叩きつけると、腹を蹴ってその体を持ち上げて腹部を何度も殴りつけた。最後に振りぬかれた拳は男の体を吹き飛ばし、何度か回転したところで止まった。


「ねえねえねえねえねえねえもっともっとやろうよもっと私を楽しませてよ楽しくやりあおうよねえねえねえねえ」

「お、あ、が、ぁあああぁあ、ぉごっはぁ」


 狂ったように繰り返しながら、ユラリユラリと揺れつつ歩いているクロエの前に倒れ伏す男はすでに意識が朦朧としているようで、意味のある言葉を口にしていない。そのことに気が付かないのかクロエは男のもとまで歩いてくると、しゃがみこんで「おーい」と声をかけている。

 しかし反応が返ってこないことを悟ったのか、彼女は立ち上がるとその場で地団太を踏み出した。


「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで」

「ね、ねえ…………」


 さすがに見かねた『大賢者』が声をかけると、クロエはギュルンと音がしそうな速さで振り向くと、何の感情も映すことなく、ただ瞳孔が開いた碧眼でじっ、と見つめてぽつりとつぶやいた。


「ねえ、レオーネ、このわたしは幽霊なんだ。きみが関わるべき存在じゃないよ」


 その言葉はあまりに小さく、『大賢者』の耳に届くことはなかった。

 そのままクロエは踵を返すとユラリユラリと歩いて行ってしまった。


◇ ◇ ◇


「さて、クロエの奴はうまくやっておるのかのう」

 そう言いながら背筋を伸ばしているベルの周りには、何か所か煤のようなもので黒くなっているところはあったが、先程まで手を焼いていた男たちの姿は一つもなかった。

「さて、あとはそこの壁か……。まあさっきの奴らよりもこっちの方が楽でいいんじゃが」

 そう言うとベルは結界に近づいて手を触れると、複雑な魔術式を解析し始めた。


◇ ◇ ◇


 『大賢者』と人に呼ばれる長命種エルフである・ラウフガングは、先程の少女が去った方を向きながら、勇者のことを思い出していた。


 勇者の存在は、人々の間に知らぬ者はいないほどに知れ渡っているが、実はその姿を知っているのは数えるほどしかいない。もともと「勇者の一団」に勇者の姿はなく、レオーネたちがとある辺境の村を訪れたときに保護したことがきっかけでともに旅をし始めたのである。勇者は、村で行われていたとある実験の被験者であり、その村の唯一の生き残りでもある。

 つまり勇者は孤児であり、また平民であったために「王家を含む貴族に謁見できるのは同じ位にある者のみ」としていた王たちは勇者を王城に迎え入れることができなかった。そのため勇者のことはレオーネたちによる伝聞でしか知らず、央都に存在する勇者たちを称える像も、その本来の姿とは全く違う姿で立っている。


 先程の少女は、その勇者の姿とは違っていたものの、その強さは勇者のものと遜色がないものであった。

 しかし、勇者が生きているはずはない。

 あの時、仲間たちの犠牲の上に辛くも生き残った彼女は、最後の気力を振り絞って魔王城の最深部である玉座の間に辿り着いた。そこで彼女が見たのは、無事なものなど何一つとして存在しないほどに崩壊した玉座の間と、主を失くした聖剣とそれを握り締める腕、そして体が半分になった勇者の無残な姿であった。

 その奥には魔王の亡骸が転がっており、この場で何が起きたのかは一目瞭然であった。

 そのときの勇者の身体の冷たさを、彼女は今でも夢に見る。

 だから、あの少女が勇者であるはずがないと、そうであってほしいと彼女は切に願っていた。


 そうでなければ、今の自分の立場を捨ててでも彼女を探してしまうと分かっていたから。


 クロエはレオーネのもとを離れた後、彼女からは見えない位置で胸を押さえてうずくまった。


「ぐぅっ…………はぁ、はぁ、はぁ。…………まだ、大丈夫。…………たたかえる。ぐっ…………っはっ、はぁ」


 胸の内で熱いナニカが暴れている。いや、それが何なのかをクロエは知っている。彼女がその身に宿すモノ。。それは彼女に絶大な力を与える代わりにその肉体を蝕んでいった。


「…………ベル、きっと怒るよね」

 あはは、と力なく笑いながらクロエはふらつく体に鞭を打ち立ち上がる。

「…………あと、二人。…………強いのは、それだけ」


 戦場を見渡すと、またレオーネに近づいてくる影がある。そのことを認識した途端に彼女の身体はしゃんと立ち、口を弧にすると再びその影の方へと向かっていった。

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