ハスターク その9
翌日、クロエが朝の鍛錬を終えて部屋に戻ってくると、ベルは眠そうに目をこすりながらベッドの上に座っていた。
「…………めずらしい」
「流石に朝からこうもうるさければ目も覚めるわ」
ベルの言うように、広場から離れたところにあるこの宿にまで、その喧騒が届いていた。
「…………広場のほうにたくさんおみせ、でてた」
「……普段も鍛錬の時のような我慢をしてくれればよいのじゃが」
「…………それはむり」
「まあ、少ししたら広場のほうにも行ってみるとするかのう」
「…………ん」
クロエたちは身だしなみを整えると、食堂で食事を取って広場へと出かけていった。
「…………ひと、おおい」
「この街、こんなに人がいたのか……」
宿の辺りは特に店なども出ていなかったが、そこから二、三本道を挟むとそこは人でごった返していた。
この街は中心に円形の広場があり、そこから放射状に道がありつつ、環状に道があるという形を取っている。そのうち、広場から一本離れた環状の道まで出店が認められているらしい。
クロエたちはそんな店を眺めていた。
「む、あそこにあるのは揚げ物か?」
「……何を揚げてる?」
「ふうむ……。どうやら野菜のようだな。美味しそうだぞ」
「…………」
「嫌そうな顔をするな」
「……ベル、あれ食べたい」
「鶏肉の鉄板焼きか。美味しそうだな…………いや、あっちの肉も美味しそうだぞ」
「…………どれ?」
「ほれ、あそこに大剣を背負っている冒険者がいるだろ?その二つ隣の店」
「…………たしかに」
「……これ、三つください」
「あいよ!三つで十二ドルクだよ!」
「…………はい」
「まいどあり!」
クロエはその店で骨が付いたまま焼かれている肉を三つ買うと、一つをベルに手渡して残りの二本を両手に持って食べ始めた。
「クロエよ、こっちで食べないか?」
「…………?」
「こっちだ、こっち」
ベルの誘導に従うと、店と店の間に案内された。
「……確かにここならじゃまにならない、かも」
「そうだろ?」
「…………おいしい」
「……そうか」
幸せそうな顔をしているクロエとは対照的に、ベルの顔は晴れない。ベルの視線は地面に固定されたまま何かを考えているようだった。
それから二人がしばらく店を回りながら食べ歩いていると、どこかから「『大賢者』様がいらっしゃったぞー!」という叫び声が聞こえてきた。その途端、人々は一方に向かって動き始め、クロエたちもその人の波に押し流されるように向かっていった。
広場に続く道の中でも最も大きい通りには、すでに『大賢者』を一目見ようとする群衆が道の脇に集まり、大変な熱気となっていた。
クロエたちはその通りの近くの裏路地に入ると、そこから通りの様子を眺めていた。
「近くで見なくてよいのか?」
「……ん。…………わたしがあうのは、たぶん、めいわく」
「…………そうか。クロエがそれでいいなら儂はそれで構わんよ」
「…………ん。…………ベル、ありがと」
そうこうしているうちに、どうやら目の前まで『大賢者』の一団は迫っていたらしい。群衆たちの声がひときわ大きくなると同時に、『大賢者』が姿を見せた。
『大賢者』は、上部を取り払った馬車に乗っていて、群衆に向かって微笑みながら手を振っていた。
その若葉色の腰ほどまである髪を風になびかせ、ぴしりと背筋の伸びた立ち姿はどこか清風が吹くようであり、深碧の瞳は深い知性をたたえつつもその奥に苛烈なきらめきを持ち、その美貌と相まって一振りの剣のような美しさを醸し出していた。
クロエたちの視界に映っていたのはほんの数秒だったろう。
それでも、いや、それだけにその存在感は圧倒的なものであった。
「…………ベル」
「……どうかしたかの」
「……………………見れて、よかった」
「ああ」
「………………………………元気そうだった」
「そうじゃな」
「…………」
「この後『大賢者』は広場のほうへ向かうそうじゃが、クロエよ、おぬしはどうする?」
「……ちょっとだけ、いきたい」
「なら、行くとするかの」
「…………ん」
見れば、群衆もぞろぞろと広場のほうへと向かっている。群衆の言葉を拾っていると、『大賢者』が広場で演説をするらしい。
視察の前の挨拶と、最近の政治的な動向のあれこれを話すのではないかとあたりを付けたベルは、その辺りの情報が欲しかったためにクロエが行くと言ったことに安堵しながら、昨夜まで感じていた悪意がここまで何も行動を起こしていないことが気がかりだった。
しかし、相手が何も行動を起こさない以上、こちらとしても何もできない。
ベルは相手がこのまま何も起こさないことを祈りながら、広場に向かうためにクロエと二人、人の流れの中に飛び込んでいった。
広場についた二人であったが、広場には入場規制がかけられており、ある範囲から先には入れないようになっていた。それでもその外側には少しでも生の声を聴きたいと多くの人が詰めかけていた。
クロエたちは広場の壁際で、演説が始まるのを待っていた。
しばらくして、拡声用の魔道具を持った『大賢者』が姿を現し、口を開いた瞬間。
広場は外界と隔絶された。
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