小さな手紙に託したもの

・二章最終話から数日後のお話。二章を完読してからこちらを読むことを推奨致します。

・ヨル×スズネ+シンヤ(薄っすらシンヤ×コハル)

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「シンヤ……さん、怪我の具合はどう? ……なんです、か?」


 寝具に横たわったままのシンヤに、スズネは静かに問いかけた。

 ジンとの戦闘で重傷を負った彼は、ここ数日、部屋で療養を強いられていた。神のマナが溢れているといっても、急激に傷が塞がる訳ではない。命に別状がなかったのは幸いだが、以前としてシンヤは宿屋の部屋で寝た切りの生活を送っていた。

 高級感溢れる部屋の中、シンヤの寝具には顔をうつ伏せて眠っているコハルの姿がある。現在の時刻は、太陽の高い真昼である。そんな時間にも関わらず、彼女は随分と深い眠りについているようだった。そのことについて、スズネが心配しているのを察したのだろう。先ほど、寝ずの看病をしていたコハルが漸く眠ったのだと、シンヤが囁いた。コハルはジンとの戦闘でも、傷ついたシンヤのことを甚く心配していた。自分の愛おしい人が重傷を負って安眠できるほど、彼女は図太くない。スズネから見ても、コハルはシンヤ以上に憔悴していたように思える。

 彼女の髪を撫でるシンヤの手付きは、未だぎこちなさを帯びていた。しかし身動きが取れなかった初日より、随分と楽になったように見える。安堵を滲ませたスズネに対して、シンヤは心の底から嫌悪を示すように顔を顰めた。


「そのぎこちない喋り方、すごく嫌だからやめてくれる? 鳥肌立つ」

「い、え、あの、なんというか。記憶が取り戻せた分と、今までの記憶が混在しちゃって……してしまって。どちらで喋ればいいのか分からなくなっちゃった、みたいな」


 正直に内心を吐露すれば、シンヤの眉間に浮かんだ皺はもっと深いものとなった。肩を竦めたスズネを咎めるような視線が、容赦なく突き刺さる。

 ジンとの戦闘中、スズネの記憶が僅かに蘇った。それは、同じ湖の精霊であるシンヤとスズネが、兄妹のような存在であるという――彼は記憶の中でも現在でも強くそのことを否定する――ことを示していた。

 記憶の中で親し気に話す自分達と、それまで一定の距離を保っていた自分達とでは、それなりに態度に差異がある。呼び方や口調などはまさしくそれに当てはまり、記憶を取り戻した瞬間から、スズネはいまいちシンヤと自然な会話ができないでいたのだ。

 どうにもそれが煩わしいらしい。スズネの妙な喋り方を聞く度、シンヤは酷く顔を顰める。スズネと違い、コハル以外には誰にでも等しく辛辣なシンヤは、その態度を改めることはなかった。それに安心感を覚えるのは、スズネが昔の記憶を取り戻すことができたからかもしれない。

 スズネの曖昧な態度に、シンヤは分かりやすく溜息を吐いた。その嫌味を煮込んで皮肉を乗せたような性格は相変わらずだが、スズネへの嫌悪からくるものでは無い、という安心感が、今はある。何かと面倒見がいいのに素直ではないだけである、という認識が蘇ったことにより、それまで逐一謝罪を繰り返していたスズネにしては、比較的堂々とシンヤの側にいることができた。


「いいよ別に、シンヤで。敬語もいらない」

「嫌じゃ、ありませ、ない?」

「そっちの妙な喋り方の方が嫌、気持ち悪くて」


 鋭い剣先のような台詞が容赦なく吐かれる。う、と言葉を詰まらせたスズネには目もくれず、シンヤは素っ気なく言葉を続けた。


「俺だって一応記憶は取り戻したよ。全部ではないにせよ、昔の君がどういう感じだったかは理解した。今更敬語で取り繕われる方が気持ち悪いのは当たり前だと思うけど」

「……昔の私、どんな感じ?」

「シンヤシンヤシンヤシンヤうるさくて、どれだけ早く歩いても後ろついてきて、俺が撒くとピイピイ泣きだす喧しい子供みたいな感じ」

「そ、そんな、私の記憶ではそんなんじゃなかったよ!」

「俺の記憶ではそうだよ。声荒げないで、コハルが起きる」


 怒るよ、という意味合いが含まれた言葉が、スズネの挙動を咎めた。慌てて口を手で抑えたスズネは、静かにコハルの顔を伺う。相当疲労しているらしく、彼女は未だ規則正しい寝息を立てていた。シンヤに撫でられているおかげか、その顔は何処か安らかに見える。

 シンヤのことは思いだせても、その他のことは全く思い出せなかった。ただ彼を慕っていた、という事実だけでも、今は大事にするべきなのかもしれない。

 口調を砕いてもいい、というのが、彼なりの歩み寄りである。そう解釈して、スズネは素直にその好意に甘えることにした。無論、それを口に出せば大批判をされる上に「やっぱり敬語を使え」と言われることが目に見えていたので、決して言葉にすることはない。

 スズネは、敬語を使わぬように細心の注意を払いながら口を開いた。


「シンヤは昔、髪が長かったね」

「君に間違えられるから鬱陶しかったやつ」

「……記憶の中でもそれ言ってた。結局、それ、自分で切ったんだっけ?」


 現在、シンヤの髪の毛はうなじまでの長さしかない。記憶の中の彼は、スズネと同じくらいの髪を後ろで一つに纏めていた。スズネの記憶が正しければ、当時、彼は自分が好いていた相手の好みに合わせて切るか切らないかを悩んでいたはずだ。

 自分が過去に誰かを愛していた、という現実を思い出したのだろうか。シンヤは僅かに顔を顰める。それから、珍しく手袋に包まれていない素手で、自分の首元を触る。過去を思い出しているのか、彼の瞳は、何処か遠くを見つめていた。


「さあ。忘れた。俺は過去のことなんて興味ないし」


 何かを放り投げるような口調で、シンヤは言う。決して「興味のないこと」を話すときに浮かべる表情ではなかったが、彼は自分が「過去に興味がない」ということにしておきたいらしい。その理由は、スズネが聞かずとも彼が答えてくれた。


「俺が好きなのはコハルだけ。それでコハルも俺を好いてくれてるんだからいいの。髪の長さも過去も。俺にはコハルがいればそれで」


 まるで言い聞かせるような台詞であった。スズネに対してか、自分に対してか。そう断言したシンヤは、明らかにそれ以上の問いかけを望んではいなかった。

 それで不安になって泣いてしまうコハルがいるくらいなのだ。彼とて、望ましい会話ではなかっただろう。スズネが沈黙を選択すれば、シンヤは満足したようだ。よし、と言いたげに頷いた彼は、仕返しのように口を開く。辛辣なところはあまり変わっていないが、以前よりも会話が多くなったのは、記憶を取り戻した故だろう。


「で、君は? ヨルと会話できるようになったの?」

「え」

「ヨルが来た時に君と話せないって言ってたけど」


 嘲笑の色を含んだ言葉に、スズネは石像の如く硬直する。その顔を見て、シンヤは全てを察したようだ。ふん、と鼻で笑った彼は、得意気にコハルの髪の毛を撫でていた。

 ヨル。その名前を聞いて思い出すのは、柔和に笑う少年のこと。

――そして、その少年に、人命救助とはいえ、口付けてしまったこと。

 その時の光景や感触を鮮明に思い出してしまい、スズネは咄嗟に顔を赤くした。全身が爆ぜたように熱い。頬を林檎のように赤らめ、口をぱくぱくと動かすスズネに、シンヤは意地の悪い声で続ける。


「あれだけ人前で堂々とした癖に今更照れるの? へえ、ふーん」

「ち、ちが、あれは、あれは人命救助で、変な意図は」

「じゃあ何でヨルのこと避けまくるの? 矛盾してるじゃん。君が一番変な意図を意識してるじゃん」

「ちが、ちがう、違うんだよぉ!」

「声荒げないで、コハルが起きる」


 スズネの泣きだすような悲鳴に、シンヤが冷水のような言葉を言い放つ。ぐ、と言葉を喉に詰まらせたスズネは、眉尻を下げながら瞳を潤ませた。

 そのことに関しては、自分でもどう処理をしていいか、分からなくなっていた。

 水中で閉じ込められた彼に、水中でも呼吸ができるスズネが酸素を受け渡す。大変理にかなった発想だが、その方法が、口付けだったのである。人口呼吸による酸素の受け渡しは見事成功して、二人は無事に脱出をすることができたのだが――後になって、冷静になればなるほど、自分の行動に羞恥を覚えずにはいられなかった。

 戦闘中とはいえ、人命救助とはいえ、人前で付き合っていない異性に口付けをしてしまったという事実は、少なからずスズネにとっては大きな問題であった。しかも相手はあのヨルである。いつでも優しいヨルである。出会った瞬間から今の今まで、救われてばかりの、あのヨルである。

 ヨルだと何がいけないのかと言われれば、正しい答えを導くことはできない。それでも、ヨルを相手にそういった行為をするのは――例え人命救助とはいえ――妙な羞恥を煽られた。

 ヨルに子守歌を歌ってもらった翌日から、スズネはまともに彼と会話ができていない。

 会話をするにしても目線を合わせられず、十秒以内に何かと言い訳をして逃げてしまう。何一つ悪いことをしていないのに一方的に避けられるという状況は、ヨルにとって不可解極まりない状況だろう。申し訳なさを感じる一方で、どうしてもまともに会話をできないのも事実だった。

 シンヤはそのことを知っているらしい。ヨル経由で。罪悪感と羞恥に苛まれ、スズネはその場に蹲る。それでも、シンヤが手を緩めることなど無かった。


「流石に可哀想でしょ。ヨルが。アイツとしては一方的にされたことで一方的に避けられてる状況なんだけど」

「わ、わかってるんだよ。どうにかしなきゃなっていう気持ちはあるの。違うの」

「何も違くないし分かってないでしょ。ヨルのこと振り回し過ぎ。迷子の時も今回もその他諸々も、君はヨルに甘え過ぎなんだよ」


 説教の言葉に、スズネは口を堅く結ぶ。実際に自覚があることを言われると、反論の使用が無い。シンヤは辛辣だが、正論を言っていることも多いのだ。だからと言って厳しい言葉が正当化されるわけではないにせよ、今回の場合は、喝を入れられるべきはスズネである。

 以前より、シンヤはこういった状況で輝いているように見える。説教、或いは難癖をつける姿が楽しそうに見えるのは、兄妹としての勘か、それとも彼が敢えて分かりやすくしているかのどちらかだろう。口角を上げたシンヤは、そのまま、徐に部屋の片隅に設置してある机を指差した。


「あれ、とって」

「……紙とペン?」

「そう」

「文字書くの? 書ける? 私書くよ?」

「いい、自分でやる」


 頑なに言い切ったシンヤは、突然マナを発動して小さなくらげを呼びだした。シンヤは紙を両手で固定して、くらげは水の触手で器用にペンを受け取る。そのまま、さらさらと難なく文字を書きだした。

彼は、自分が通常通りに手を動かせなくても、第二の手を使う手段をよく心得ているらしい。器用なマナの使い方に、スズネは素直に感心する。彼のこういった柔軟な発想や高度なマナの技術は、過去のスズネがシンヤを慕った理由の一つだろう。純粋に、シンヤを見ているとマナの学びに繋がる。


「これヨルに渡して来な」

「えっ」


 関心の眼差しを向けている内に、シンヤの手紙はすぐに書き終わった。二つに折りたたまれた紙は、そのままスズネの手中に強引に押し付けられた。

 手の平よりも小さな手紙に、何を書いたのだろう。スズネが二つ折りの手紙を開こうとすれば、シンヤのくらげがその行為を咎めるかのように目元にぶつかってきた。スズネの小さな悲鳴が上がる。どうやら、スズネに許されたのは「この手紙をヨルに渡す」ということだけで、中身を見ることではないらしい。


「今すぐ。特急で」

「し、シンヤ、でも私」

「俺は動けないしコハルは寝てる。まさか君は重症患者とその看病で疲れて今漸く寝れたばっかりの女の子に『自分でいけ』なんて言わないよね?」


 有無を言わせぬ高圧的な台詞に、スズネはいよいよ肩を竦めた。そういった言葉回しでスズネが反論できないことを、彼はよく理解しているようだ。やはり、記憶を取り戻した故だろう。シンヤの表情は随分と楽しそうである。

 早く行ってこい、という散々な見送りの言葉に背を押され、スズネは静かにシンヤの部屋から退出した。何故か付き添いのくらげが後ろについて来たため、手紙を盗み見ることも、逃亡することも叶わない。

 結果として、スズネはヨルの部屋に向かわざるを得なかった。昔も今も、シンヤに逆らえないというのはスズネの共通点らしい。

 騒がしい心臓の音を聞きながら、スズネは静かにヨルの部屋の扉をノックする。少年の声が「はい」と返事をした瞬間に、スズネの心臓はさらに騒がしくなった。


「…………」


 突然言葉が出てこなくなる。血が沸騰したように全身が熱く、眩暈がするような感覚に襲われた。一番熱くなった頬に水のくらげがぶつかり、物理的に冷却を施される。どうやら気合を入れられているらしい。それでも、自分の頬が熱いのが自覚できた。

 ノックの末に沈黙してしまった。不審に思ったのか、ヨルの警戒したような「誰?」という声が聞こえてくる。全く以て正常な判断である。けれど、その警戒を解く手段である発声が上手くできない。どうしてもあの人命救助と言う名の口付けが脳裏を過って、スズネの頭を真っ白に染め上げてしまうのだ。

 唇だけがパクパクと動く。声が出ない。いっそのこと全速力で逃げてしまいたい。そんな衝動に駆られた矢先、スズネの眼前に聳え立っていた木製の扉が僅かに開いた。


「あ」

「……スズネ?」


 室内から僅かに目元をのぞかせたヨルが、驚いたように目を見開く。まさかノックの末に沈黙を貫いた不審者の正体がスズネだとは思うまい。ヨルは片手に構えていた短剣を素早くしまって、気を取り直すように微笑みを浮かべた。


「ごめん、スズネだとは思わなくて変に構えちゃった。どうしたの?」


 ヨルはあの日以降も何ら変わりない態度を貫いている。スズネとは違って割り切っているのか、そもそもあんなこと意識する内にも入らないのか、気を遣っているのか。彼の優しさや性格ならどれもあり得る以上、下手に判断を下すことはできない。

 あ、とかう、とか、言葉にならない声を重ねて、スズネは小さく唇を閉ざす。それから、深々と頭を下げて、手中の手紙をヨルに差し出した。


「こ、これ」

「……手紙?」

「シンヤ、から、渡して来いと、言われました」

「シンヤから」


 途絶え途絶えの言葉に突っ込むヨルではない。彼の優しさに触れて安堵する傍ら、その分だけ自己嫌悪を抱くスズネは、最早彼の顔を見ることはできなかった。

 頭を下げた体制のまま、手紙が自分の手から離れていく感触だけを鮮明に感じ取る。ずっとそうしていないと、熱によって今すぐにでも蒸発してしまいそうな気がしたのである。

 手紙を読んだヨルは、暫く沈黙していた。何が書いてあったのか、スズネには知る由もない。何よりも長く感じる沈黙の末、ヨルは、僅かに震える声でスズネに尋ねた。


「スズネ、これ、中身読んだ?」

「よ、読んでません」

「そっか、よかった。良かった本当に」

「……何て書いてあったんですか?」

「いや、なんでもない。くだらない悪戯みたいな。本当アイツ許さない」


 ヨルは早口でそこまで言い切ると、くしゃりと手紙を握りつぶした。スズネがおずおずと顔を上げる。心なしか顔をほんのりと赤くしていたヨルは、気まずそうに頬を搔いてスズネを見つめていた。

 視線が交わる瞬間、スズネの心臓が一層大きな音を立てた。そのまま破裂してしまいそうだと不安になるほど、胸の奥が痛くて騒がしい。

 その音に押し出されるように、スズネは酷くか細い声で、囁いた。


「ヨルくん、あの、ごめんなさい」

「え? 何?」

「……あの、その、あの時の」

「あの時?」

「……あの、ジンさんの時の、あの……」


 そこまで言っても、ヨルはいまいちピンと来ないらしい。不思議そうな顔で小首を傾げられて、スズネはとうとう逃げ場を失った。それ以上、言葉を濁すことができない。少なくとも、熱暴走を起こしたかのようなこの思考では。

 スズネは小さく震えながら、静かに目線を逸らして口を開く。


「…………キスの」


 蚊の鳴くような声は、廊下が無音だったおかげで十二分にヨルの鼓膜を揺らしたらしい。唐突に「あ」と納得したような声を出したヨルに、スズネの震えが僅かに大きくなる。


「ごめん、変なこと言わせて、いや、でも、あれはほら、分かってるから、キスっていうか人命救助だし、あれは」

「そう、あの、そうなんですけどでもやっぱりヨルくんは気にするかなっておもっ、おもって、私、私謝らなきゃって思って、ずっと!」

「分かった、スズネ、落ち着いて。深呼吸。大丈夫、僕別に気にしてないし、有り難かったよ。……有り難いっていうのは変な意味じゃなくてああしてないと危なかったっていう意味だから本当に気にしないでほしいんだけど、うん」

「あああいえいえすみません大丈夫です分かりますから!」


 後半に向かうにつれて、二人の言葉は濁流のような勢いで紡がれていく。どちらの言葉も言い訳染みていて、最早誰に向けられているのかは定かではない。


「大丈夫だよ。分かってるから、本当に」


 混乱のあまり目を回し始めたスズネの頭に、ヨルの手が乗る。落ち着いて、という意味を含んでいるであろう行為に、スズネの口はぴたりと止まった。

 そのまま、ヨルの手はスズネの頭を何度か軽く撫でる。スズネが激しい言い訳をしなくなったことで、彼の中では『落ち着いた』と解釈されたらしい。呆然とヨルを見上げたスズネに、ヨルは安心させるような微笑みを浮かべてみせた。


「スズネ、この後時間ある? シンヤにお使い頼まれちゃったから、一緒に行こう?」

「……それは、お買い物を言いつけるお手紙ですか?」

「まあそんなとこ。スズネがいてくれると助かるんだけど」


 どうかな、と尋ねられて、考える前に頷いていた。良かった、と安堵を滲ませたヨルは、そのメモを懐にしまう。それから、慣れた様子でスズネに手を差し伸べた。


「祭りの期間はまだ終わってないし、人が多いと思う。またはぐれたら今度こそ会えないかもしれない。だから、手を繋いでいこう」

「……迷子防止?」

「迷子防止」


 最早慣れ親しんだ響きだった。そこに滲む安堵感に誘われ、スズネはおずおずと手を差し出す。その手を優しく握ったヨルの手は、相変わらず温かく、少年らしさを帯びている。

 以前と変わらず優しく接してくれるヨルに、スズネはこっそり安心の溜め息を吐いた。人命救助と言う名のキスも、その後の身勝手な態度にも、ヨルは軽蔑を示すことがない。彼の懐の深さには頭が上がらない。ほっとしたスズネは、無意識の内にヨルの手を強く握る。


「……ねえ、スズネ。ついでに髪飾りとか見て回ろうか」

「え、でもお買い物が」

「ついでだよ、ついで」

「……もしご迷惑でなければ見たいです。実はあの日見たかったお店があって」

「じゃあそこ行こう。楽しみだね、祭り」

「はい!」


 穏やかな会話に、スズネの緊張感はすっかり溶けていた。迷子防止に繋がれた両手は、今日こそ決して離れはしない。

 祭りの賑わいの中、二人は「普段通り」を取り戻して神都を歩く。スズネの横顔を盗み見たヨルは、静かに微笑み、それから小さく呟いた。


「たまにはシンヤに感謝してやんないとね」


 懐に忍ばせた小さな手紙には、本当は『買い物をしろ』だなんて書かれていなかった。

 気を利かせてスズネを向かわせてやったから、ついでに祭りでも楽しんで来れば? なんていう、恩着せがましい内容だったのである。直訳すれば、デートをして来い、ということだ。シンヤにしては珍しい言いつけであることには変わりないが。

 君とコハルみたいな関係じゃないんだけど、という心の声と、手紙の本当の内容を隠したのは、何処かで都合がいいと思った自分がいたからだろう。


「ヨルくん、あっち、あっちです!」

「あっちは君が昨日迷い込んだ路地裏がある方だけど、本当にあっち?」

「……ち、違うかもしれません。あれ? もっと、人が多いところにあった気がします」

「方向音痴だよね、スズネ。いいよ、見つかるまで歩こう」


 あの日はゆっくり見て回れなかった分、今日の楽しみは増すらしい。珍しく瞳を輝かせるスズネの手を引いて、ヨルは小さく笑い声を零した。

 その頃、シンヤもまた、窓越しに祭りで賑わう神都を見つめていた。兄だと呼ばれることは真っ平御免だが、記憶を取り戻した分、ほんの少し優しくしてやる気は起きた。ジンに短剣を突き刺したスズネの姿を思い出して、シンヤは肩を竦める。


「アイツも成長するもんだね」


 そう呟いて、シンヤは静かに目を閉じる。コハルが起きるまで、自分も眠ってしまおう。どうせあの二人が戻ってきたら、スズネの土産話とヨルの形ばかりの嫌味に付き合わされるのだから。

 そんな思考に身を任せ、シンヤは緩慢に夢の世界へと意識を落としていく。微睡みの中、人混みに紛れて楽しそうに笑う二人の姿を見たのは、決して幻想ではなかっただろう。

 そんな確信だけを得て、シンヤは静かに眠りについた。

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